(10項)勇者の必要条件(ブレイブ・クリーシェ)
不思議な男がいた。
椅子に権高に座り上機嫌に前を見据えていることはわかる。だが輪郭が周囲の背景も含めて見えない。まるで光を全て吸収し光学的情報全てを遮断したかのようにその男の周囲は黒い穴が空いていた。それでも性別や立ち振る舞いが分かるのが不思議だった。
その男の前には意匠の凝った長机がある。余裕で10人以上卓につけそうだったが、いるのは一人のみだった。そして長机の反対側には吸い込まれそうな目をした美女が立っていた。
「それでは、第一次対勇者作戦「英断」の成果発表を始めます。進行は私、シャルミーユが行います」
その美女は喋り出す。手入れの行き届いた長い髪をまるで固定されてるかのように動かさずに手を虚空に払う。すると中空に画像が表示された。淡く光る画像がそれまで暗かった部屋を照らし、シャルミーユと名乗る美女が喪服を着ていることが明らかになった。
「深淵師団の全メンバーにお声がけしましたが、参加していただいたのはカジツ様のみ……参加者を集められなかったのは私の不徳の致すところでございます」
名前を呼ばれて、唯一の参加者のカジツが机に頭を乗せてだらしのない格好のまま答える。
「僕も自分の成果が聞けたら退散するつもりだから気にしないでね。僕とクロウズの仕掛けでクロウズが死んじゃったから少し罪悪感もあって、その義理立ての参加だから」
カジツはどう見ても成人している女性だったが顔をあげず裾の余った腕を上げて手を振っていた。その年不相応の振る舞いと、まるで参加したくなかったかのような物言いをシャルミーユがフォローしようとして
「よい」
魔王の一言で静止させられた。
「もとより戯れ。情報連携がなされているなら不問とする」
「寛大な処置感謝いたします。すでに当発表の概要は深淵師団全員に連携済みです」
頭を下げるシャルミーユと怪訝な顔をするカジツ。魔王の言はいちいち重苦しく、聞いているものに負の感情を抱かせていた。
「ではカジツ様のために先に成果をお伝えします。この作戦は王都コロンにいると思われる勇者をカジツ様の手腕で炙り出し、クロウズ様が孤立した勇者を殺す作戦でした。結果として勇者は王都から追い出され、のちにクロウズ様と戦闘となりますがクロウズ様の死という結果となりました」
「カジツは役目を果たし、クロウズが失敗したのだな。カジツよ、褒美として研究時間を与えよう」
「……流石魔王サマ、僕の欲しいものがわかっているね。じゃあ義理立ても済んだし研究もあるから失礼するね」
いいつつカジツが闇に消える。姿の消えたカジツの不敬をシャルミーユが詫びたが、
「よい。我と同じ空間を共にしたくない意図はわかる。我に長く寄り添っても狂わない自分を誇ると良い、流転の魔女よ」
「……ありがとうございます」
再び深いお辞儀をした後、シャルミーユは報告を続ける。
「カジツ様の呪戯により、魔法の素養のない下層人達に神剣イザナギの魔力を忌避し、差別する指向性が与えられました。これにより下層人が過半数を占める王都コロンで勇者の排斥運動が活発化し、勇者達は王都からの立ち退きを余儀なくされました」
カジツの呪戯は魔力そのものに影響を与える、魔法の中でも珍しい呪いと称される魔術。今回カジツが放った呪戯『妬』は人から人へ伝搬し、影響を受けた人物は神剣イザナギの魔力を纏う人物に嫌悪感を示す様になる。しかしこの効果は魔力量の多い人物には発症せず、他の人に伝搬させることもない。
「下層人のみが対象か」
「はい、カジツ様曰く敵地までに届かせるためには効果を縛る必要があるとのことでした。それでも魔王様の提示した要件は満たせるので実行したとのことです」
シャルミーユは指をわずかに動かし、画面を切り替えた。
「この排斥運動にて勇者とその他3名が王都コロンから南西の方角へ離脱。別位相には逃げなかったのはあの一帯が下層人の多い居住域だからだと思われます」
「勇者とその一派の為人の調べはついているか?」
「はい、こちらをご覧ください」
先で見せる予定だった画面を表示させ、説明を行う。
「まずは勇者。ユウキと呼ばれているようです。鎮圧結界装置だった神剣イザナギの適応者で、神託が指し示していた勇者だと思われます。クロウズ様の報告では立ち回りは素人のそれだが膨大な魔力量に注意、また魔力の流れから行動が読みにくい特徴があるとのこと」
「素人、と評しながら殺しきれぬとはな」
「いえ、報告によるとクロウズ様の狩殺陣で殺害したとのことです。私も観測いたしました」
「ほう……」
シャルミーユは殺害され、復活しクロウズが不覚を取ったインシデントの説明に移ろうかと考えたが、順序の問題からまずは勇者一向の紹介を終わらせることにした。
「その話は後ほどのインシデントレポートにて行わせて下さい。勇者と一緒にコロンを出た3人のうち一番有名なのは戦闘狂人トゥルゥですね。単純な暴力とそれをフォローする数多の魔術を操る一騎当千のシスターです。教会の隠し玉の立ち位置でしたが、勇者に同行させるとは思い切った決断です」
「裏に利権関係があるのだろう」
「私もそう思います。現にメンバーの一人に軍隊側の人間もいますからね」
この推測は当たっていた。魔法を武力とする組織にとって勇者の力は見逃すことはできない。魔王という脅威があるなかで仲違いをしないよう、軍隊と教会の間で、各陣一人ずつ勇者一行に派遣しお互いを監視する約定が結ばれた。また魔王討伐の暁にはその成果を互いのものにする意味もある。腹の中はさておき、表向きは軍隊と教会は勇者案件では共闘の形となっている。
「王都軍師団長カイン。彼の戦績に目立ったものはありません。小規模闘争の属軍としていくつか戦績が残っています。しかし調べてみると王都軍の中で唯一の構成人数1人の師団長でした。彼一人で普通は10人以上からなる師団相当の戦果を上げられるとも捉えられます」
「会敵を報告できる生存者が少ないやも知れぬ。いや、確実にそうだろう。協会陣営の戦闘狂人と対等でないと軍隊陣営の役者は務まらないが、それは戦績との矛盾がある。つまり奴もまた軍隊側の隠し玉というわけだ」
「手の内が見えない分戦闘狂人より厄介かと思われます。早々の威力偵察が必要かと」
そうして最後、銀髪の少女に焦点があたる。
「神術師シノノメメメ。通常シノ。まさか彼女が生きているとは思いませんでした。魔王様に殺されたと伝え聞いていましたが」
「奴も神託の役者たる一人。確かにくびり切ったが、再び立ちはだかることはわかっていた。勇者を導く巫女として奴もまた厄介な敵だ」
「おっしゃる通り。神の字は言語の神によって軽々にはつけられず、人の営みに冠する場合その神秘性と希少性が担保されます。本来一生を捧げて尚習得できるか分からない神術を彼女は即興で作成できる。魔術師としてこれほど恐ろしいものはありません」
この世界において神という存在は特別な意味を持つ。概念ではなく実態として存在する神の莫大な魔力によってこの世界を支えている。言語の神の計いにより神という言葉でさえ制限され、神の字を関する物質、術名、人物、概念全ては神が認めた異常であり、それだけで一定の価値を持つ。神剣イザナギはその名だけで特別であることが証明されている。
シノの特異性は魔術を極めすぎたために全ての術に神の字を冠することができ、それにより術の効力を底あげることができることだ。名は体を表す。神と名を冠するほど練り上げられた魔術は、神の名を冠することでより強くなるのだった。
「実際に防御力に定評のあるクロウズ様の装甲を剥いでいました。魔王様に倒されてから10年、音沙汰がありませんでしたが彼女もまた大いなる脅威です」
「いや」
魔王が口を挟みシャルミーユは傾聴したが、その後は続かなかった。魔王は報告を続けるよう促しシャルミーユは少し動揺して様子だった。
魔王にはシノノメメメが全力でないことが分かっていた。全力ならクロウズは装甲どころではなく魔術を受けた時点で落命していただろう。恐らく勇者の顕現とその維持に魔力を割いていて、未だ全力ではない、というのが魔王の見立てだった。
「以上の4人が勇者一行になります。これほど質の高い小隊は類を見ませんね」
細かな補足ののちにそう締めたシャルミーユはインシデントレポートに移る。
「それでは実際の戦闘と発生したインシデントについて報告します。先ほど述べた通りカジツ様の仕掛けは十分に働きました。人から人に伝搬するため実際の発症時期は不明とのことでしたが概ね予定範囲内です。また副産物として全世界に広がったためこれからの勇者の道中もかなり絞られることが期待されます」
「相変わらず、敵に回すと厄介な術だ」
シャルミーユは心中で肯定しつつ、そんな厄介な彼女を魔王がどうやって懐柔したのか気になっていた。カジツは類稀なる魔術師だが精神面が幼く、組織の所属歴は皆無だった。頭角を表した直後は様々な組織に勧誘されたとのことだが、所属してもすぐに抜けるか組織を壊滅させてしまうため段々と声をかけられることは減り、そして彼女もそれを望んでいるきらいがあった。倫理観の低さと呪戯の厄介さから世界を滅ぼしかけて投獄された経験もある。そんな暴れ馬が義理立てでこのような会議に参加していることにシャルミーユは違和感を覚えていた。
「そうして王都コロンから脱出した一行を道中の境の森にてクロウズ様が襲撃。完全なる不意打ちで最初の接触時に狩殺陣で勇者を屠りました」
「ほう」
「隠密、偵察、索敵の実力を持って深淵覗団に加入している御方ですのでそこは流石と言わざる得ません。勇者の手を離れた神剣イサナギが地に刺さり再び結界装置としての機能を持ちました。最初の予測通り、神剣イサナギを抜くことは叶いませんでした」
そうして事態を把握した3人との戦闘をこなしつつ神剣イサナギに関するデータの取得をこなす様子が報告された。最高クラスの術師3人との戦闘だったが、持主を失った神剣イサナギの鎮圧結界が攻撃を抑制し、守備に周るクロウズを有利にしていた。
「そうして規定の調査が完了し、離脱しようとクロウズ様が神剣から意識を離した時にそれは起こりました」
画面が動画が映される。斜めに刺さっていた神剣の柄から手が構築されていた。
現れた、ではなく再構築されたということが一目でわかる動画だった。手、腕、胸と順に剣に近い部位から服と共に構築されていく。遊びの多い装飾過多な、男物の浴衣に似た衣服が構築された人物は、顔が上から半分が影に覆われていて影を被っているようだった。それはまるで魔王の全身のような不明瞭だ。
「インシデントレポート『勇者の必要条件』。彼自身もその術名を口にしました。出現した後はクロウズ様と戦闘に入り、剣術と魔術でクロウズ様を圧倒しました」
戦闘のスピードが速く細部までは読み取れないが、影被りの男は神剣イサナギではなく腰に鞘をつけた日本刀に似た剣を棒術のように操り、相手の動きを牽制しつつ魔術によりダメージを与えていた。手数が多く点ではなく面を意識した攻撃はクロウズの選択肢を狭め、対応が後手後手になったところに拘束魔術を複数打ち込まれ勝敗は決した。
「注目すべきはこの後です」
シャルミーユの言う通り、後一振りで絶命させられる状況から影被りの男が喋り出した。
「勇者の必要条件は勇者ユウキが死んだ後に発動する神剣イサナギに刻まれた魔術でルールが3つある。
1つ。勇者ユウキが絶命した際に反魂機構として俺が顕現する。
2つ。勇者ユウキが絶命に至った原因を俺が排除することで因果律を絶命しなかった世界線に調整する。絶命原因以外への積極的武力行使は禁じられる。
3つ。因果律調整の後に俺の存在と引き換えに勇者ユウキを蘇生させる。
というわけだ。覗いている不届き者もいるようだから宣言するが、これを仕組んだ首謀者は俺ではない。俺は反魂機構のアイコンとして選ばれただけでこれを望んだ術師は他にいる。そして術師の意向で俺の反魂機構の営みは運命補正がかかる。以上の発言を神の御名下に刻む」
締めの言葉は絶対権能たる神により内容が保証される祝詞である。つまり影被りの男の発言に嘘はない。
深刻なダメージと拘束魔法にて絶体絶命のクロウズだったが、影被りの男が発話したことで会話の余地があると判断し質問を投げる。
「てめえの能力っ」
しかしその言葉は影被りの男の致命の一撃により遮られた。絶命し魔力が漏れ出る死体を影被りの男は面倒そうに処理した。
「……厄介だな」
「はい。神託たる勇者譚にこのような背景があることは読み取れませんでしたが楽に対処できるという当初の見込みは変更せざる得ません。事態に至ってみればこのような機構がなければ成立しないのは明白でしたが、想定できませんでした。まさに勇者の必要条件です」
しかしこのシャルミーユの発言は建前である。シャルミーユも魔王も勇者には何かがあると漠然と見抜いていた。その何かの探りを入れるための威力偵察として最高戦略たる深淵覗団を投入したのだった。これを認めるのは軍団倫理に反するため建前のための口上である。
映し出されている動画ではシノノメメメと影被りの男の口論の様子があった。その会話の中で影被りの男の名前はロココロロロであることがわかった。何度かの問答の後、影被りの男、改めロココロロロはこちらに近づき剣を振るったところで映像が途切れた。
「私の観測魔術に気が付いていたようでここで光学情報源は絶たれました。その後の魔術探査から、神剣イサナギはその場を離れ勇者一行もアネクメネに隠れたと思われます」
「……流転の魔女に問う。勇者案件、どのような裁き方が思いつく?」
「現在勇者を殺すこと自体は難しくないため、勇者を殺せるギリギリの実力を持つ戦士を送りつけこちらの被害を最小限にしつつあの術のリスクを図るのが先決かと思われます。情報が少ない状態での策定は不可能かと。勇者の必要条件は驚異ですが蘇生魔法の常として必ずリスクや抜け道があるはずです。まずはそれを見定めます」
「反魂機構たるロココロロロを倒す策は微妙か」
「いえ。しかしそれは最終手段という認識です。深淵覗団の一人を圧倒する実力と、運命補助の不確定要素もあり、いまこちらの最大戦力を持って一戦を交えるのは得策ではありません。リスクを取るのはまだ先かと思われます。神の御名下での宣誓で、ユウキを殺した対象以外へはロココロロロは戦闘力を発揮できない。つまり調整すればロココロロロは脅威には成り得ません。他にも魔王様を討伐する動きがあるなかでこの案件に注力しすぎると足元を救われてしまいます」
シャルミーユの提案は尤もで、魔王は現在世界の脅威として権力者から注目されている。勇者のみが敵ではない。勇者譚では魔王を討つ者として伝えられているが現状魔王に敵うほどの実力は兼ね備えていない。あのロココロロロさえうまく扱えば簡単に対処できる事態であった。
しかし、シャルミーユの通りに作戦を実行するとなると、勇者よりもギリギリ強い相手を勇者にぶつけることになる。それはまるで勇者を成長させるステップのようだと魔王は思案した。そして、不敵に笑う。
「まるで我と同等の実力をつけ、対等な勝負をする様に勇者をお膳立てしているようだ」
とは口には出さなかったが、代わりに笑い声が漏れていた。その笑い声からシャルミーユは魔王の心境を察するが、しかし他に手段がない以上こうするしかなかった。
「奴の術の条件は連携したのか?」
「いえ。勇者の必要条件の細かい条件は伏せました。ただ勇者は死んでも生き返ることだけを伝えています。あの勇者一向の強豪達相手に、ただ勇者を殺すだけでは駄目というだけで勝手な行動を起こす人は皆無となるはずです」
「よい。恐らくあの術は因果律調整の前に神言による宣誓を行う条件がありそうだからな。伝えぬだけで一瞬の妨害になるだろう」
ロココロロロも酔狂で魔術の詳細を口頭で宣言したわけではないと魔王は想定した。自身の魔術の内容を公開することが条件の魔術は前例があり、神が関わる魔術に多い傾向がある。あの神言が常に必要なら神言を伝えないことで神言を刻む一瞬を稼ぐことができる。
ちなみに神の御名下に刻む言葉たる神言は神による加護を受け、耳を塞いでいようが意識が無かろうがその声が届く限りの範囲に理解させる強制力を持つ。それは記録された映像越しに聞いた魔王やシャルミーユも当てはまり、従って魔王やシャルミーユがロココロロロの討伐対象になった際は、神言の宣誓なしに討伐されることになる。
「以上を持ちまして第一次対勇者作戦「英断」とインシデントレポート「勇者の必要条件」の報告とさせて頂きます。質問等ございますでしょうか?」
「ない。今後の勇者関連の総指揮も引き続き流転の魔女に任せる。次の作戦が決まり次第我に報告せよ。……まぁ恐らく止めはしないがな」
「かしこまりました。引き続き立案及び運用を行います」
浮かび上がっていた画像を消し、再び辺りは暗くなる。その暗闇の中でも分かるほど魔王の周りの闇はより深かった。闇の中にいるであろう主に対し、
「それでは失礼します」
と一言申し上げて、シャルミーユはこの部屋を去った。一人となった魔王は未だ上機嫌に笑みを浮かべているようだった。
「……聊か強い敵をあてがうしかないシステム、勇者という存在。……フッフッフ、よかろう!我が高みまで登ってこい勇者よ!至高の存在同士でしか語れない御伽がある!」
その顔も体躯も雰囲気も、そしてその真意さえも今はまだ限りない闇の中に隠されていた。