(4項)言語と魔術名
「今更なんだけど、何で日本語喋ってるんだ?」
鎖で胴体と腕を縛られ、王都に連行される道中の質問だった。シノと名乗る少女と契約し異世界転生を果たしたユウキは、次の瞬間草茂る森の中に放り出された。契約時に着ていた高校の制服であるブレザーとネクタイ、足には下履きという締まらない格好で転生を果たしたがその場にあの銀髪の少女は見当たらなかった。動揺している間にこの国の兵士に見つかって一悶着あった後、事情を話した結果とりあえず王都に連行されることになった。
道中はそれなりに長いようで、森の獣道を上履きでかれこれ1時間は歩いていた。疲れを紛らわすために出た質問に対し、拘束している鎖の先を握るシスターが答える。
「えー?なんて言った?ニホンゴ?別に変なこと喋ってないと思うけど?」
「いや、何で言葉が通じているんだって話」
連行しているシスターを見上げながら問答を続ける。170センチを超えるユウキが見上げるほどに背の高いシスターは、所謂シスターらしい修道着を着ている。本来ボディラインが隠れがちな黒衣だが、それでも隠しきれない程の魅力的なプロポーションをしている。緩やかな目尻が温和な印象を与えるが先程の一悶着でユウキの第一印象は大きく覆されている。
「うーん?そりゃだってあなたが喋っているんだから通じるに決まってるじゃん」
意味が通じてないようで言語の差についてユウキが説明すると、
「あー、そんな話あったね。っていうか君の世界ではそんな感じなのね。神がサボってるの?」
要領を得ない感想が返ってきた。
「……」
「……?」
シスターの答えを噛み砕けていないようで、問答が一旦止まる。咀嚼するようにユウキは聞き返した。
「カ……?」
神と言おうとしてユウキの口が止まる。その様子を見て、シスターは目を細めた。
「カッ……っ……!」
絶対的権能の概念である神という言葉を発声しようとしてでない現象にユウキは戸惑いを隠せない。
「……なぁ、何故か声に出せない言葉があるんだけど、さっき、その、あなたが」
「トゥルゥ。私の名前さっき名乗ったじゃん!」
「失礼。トゥルゥがさっき言ってたあの言葉、なんで喋れないんだ?」
「ちなみに書ける?」
逆質問しながらトゥルゥと名乗るシスターがユウキを縛っていた鎖を解放する。トゥルゥが握る鎖の先端には手のひらサイズのロザリオに繋がっていた。
「え、あー、どうも」
唐突な解放に驚きつつ空中に指で神という漢字を書こうとして、やはりその手前で体が硬直してしまった。
「な、何だ?」
驚きを隠せないユウキをトゥルゥは静かに観察する。
トゥルゥはこの国屈指の魔術師だった。その柔らかな物腰からは想像できないほどの実力を持っており国の防衛の一旦を任されているシスターの中でも指折りの実力者だ。勇者譚の神託が事前に伝わっているとはいえこの勇者を名乗る怪しげな男をこのまま首都に連れて行っていいかの判断を随時行っていた。もし敵方の騙りならその場で処理することも考えている。
今のところユウキは典型的な転生者の挙動をしている、というのがトゥルゥの下した結論だった。この世界で別世界からの転生者はとても珍しいが神話レベルのフィクションではない。別世界からの転生者であることは間違いないように見える。この結果からトゥルゥは0から100までの脅威度の内、20〜80を切り捨てた。勇者を名乗るこの男は本当に何も知らない転生者か、無意識レベルで操作する魔術が関与した凶悪な事案の当事者のどちらかの可能性が高いからだ。鎖を解いたのも拘束中の十全でない状態では、予期せぬ脅威が発生した場合の対処に不安が残るためだ。
トゥルゥは強かに合理的な戦士だった。
「神の存在を正しく認識すれば大丈夫なんだけど、まずは神の権能を実感するのが一番だね」
トゥルゥはユウキに向き合い、若干見下ろしながら、
「さっき君が発動させた術名を教えて?」
全く聞きなれない質問を投げた。
「術名……?」
これまでの日常では聞いたことのない単語なのに語彙として漢字が思いつく異常さを理解していないままユウキは問い返す。
「そう、さっき君が使って兵士を圧倒したアレ。兵士を退けたときや私と対峙した時は確かに魔術が使われていた。絶対に術名が降ってくるはずなんだよねー」
ユウキは戦闘時のことを反芻する。確かにあの時は変で、全能感と閉塞感が共存していた。そこに魔術が関与すると発想した時、ユウキの頭にある単語が浮かびそれがそのまま口に出てしまった
「双縁心躯……!?」
「双縁心躯かー。なるほどねー。恐らく心と躯を繋ぐ魔術かな?」
ユウキにはすでにその魔術の漢字まで思い浮かんでいる。トゥルゥも同様だった。この世界の言語の神の権能の一つ、術名の付与を体験した瞬間だった。
驚きを隠せないユウキに説明を続ける。
「この世界には言語の神がいてね、そいつが膨大な魔力で言語関係の調整を行っているの。多分君の世界ではそういう調整がされてないから環境によって言語が異なると思うんだけど、この世界では言語の概念を学習しさえすれば意思疎通が可能になるってわけ」
「また神かよ……。……神!?神、神、神って言えるぞ!」
「そう。神を正しく神と認識すれば表現できる。神の表現を規制しているのも言語の神の権能だし、術名が付与されるのも権能に含まれているよ」
一気に情報が増えたが先ほどまで制限されていた神という言葉が言えるようになったことに興奮しているようで、ユウキが落ち着くまでにそれなりの時間を要した。
「……魔法には必ず術名がつくのか?」
「うん。でもだからこそ自分の魔術には自分から術名を刻む人が多いよー」
「トゥルゥのその鎖もなんか術名があるのか?」
「あるけど教えないよー。術名には大まかな意味が込められているからねー」
「じゃあさっき俺の術名を教えたのは教え損なのか?」
「そういう見方もあるね」
「……まぁ別にいいけど。双縁心躯って響きはいいよな。」
独り言のように呟きながら術名の意味を考える。心と躯を縁結ぶ魔術の意味がありそうで、思えばあの小競り合いでは自分の躯は自分の思った通りに動いていた。というより自分の体では不可能な動きが思いつかなかったという方が正しい。
「君はつい最近まで戦いをしたことがないんだよね。ならぴったりの魔術だと思うよー。まず戦いは自分の思い通りに躯を動かすことから始めるからねー」
トゥルゥに魔術の概要を話したところそのような答えが返ってきた。確かに人を殴る経験なんてしていない学生が、いきなりうまく動いて相手を制圧なんてしようと思っても躯がついていかないだろう。それを補う補助魔法と結論づけた。
「特筆すべきは、できないことは思いつかない点だろうねー。双縁ってそういうことだろうし。できる選択肢のみ与えられるなら最適解だすの簡単そうで羨ましいなー。ちなみに発動時は身体強化もされていたから魔術による身体強化と普段のギャップを埋めるのにも役立っていると思うよ」
確かにあの時の動きは普段では考えられないものだった。壁を走る、相手を飛び越えるなど、これまでの自分ではできそうもない運動だったが、あの時はできて当然と想定して動けていた。逆に壁を超えたり空を飛んだりの発想を思いつかなかったのは、魔力で強化された躯であれそのような駆動は不可能だからだろう。できることのみ思いつきそれがズレなく行える魔術はユウキにとって最適なものだった。まるで誰かがそう仕組んだかのように。
ユウキはかぶりを振った。恐らくあのシノと名乗る少女が与えてくれた魔術であることは鈍感なユウキでも気づいていた。しかし転生して2日経って未だシノに出会えていないことに、ユウキは漠然とした不安を抱えていた。
「こーらー。足が止まってるよーさっさと歩くー」
トゥルゥに急かされて王都に向かう。今日中に着くというがそれらしき影はまだ全く見えていなかった。