(7頁)異世界の厠事情
「この世界に来てから一度もトイレに行ってないんだが……大丈夫なのか?」
始まりはこの問いかけだった。色々な事があり20XX年の日本からこの世界に転生してきたユウキは、稽古をつけてもらっている王立騎士団団長カインに恐る恐る相談した。
今日の稽古は終わり既に夕方。ユウキの疑問は昼食中に湧き上がり、気になってしまって稽古に集中できなかった。
「……したいならそこの角を曲がればあるが?」
「いや、トイレの場所を聞いてるんじゃなくて、その、この世界に来てから催してないんだが……」
ここにきて十日以上は経っている。この世界に呼ばれてこれまでバタバタし過ぎて気づかなかった。寝なくてもいい事は数日で嫌でも身に染みていたが、他の生理現象まで意識が避けておらずトイレの場所も今初めて知ったようだ。
「そういう話は契締主に聞けばいいんじゃないか?」
「いや、シノにこういう話題をふるのは恥ずかしいというか」
「呼びましたか?ユウキ?」
間の悪いことに名前に反応してちょうど近くを通りかかったシノがこちらに向かってくる。トレードマークである肩まで伸びた透き通るような銀色の髪を靡かせながら。実はカインが通信魔法でシノに連絡して呼び出したことにユウキは全く気づいていなかった。
彼女こそユウキを日本からこの世界に呼び出した張本人で、救世のため神託に基づき探しだした勇者の資質を持つ炉心融己を、割と強引な方法でこちらの世界に転生させた。
「何を話していたんですか?」
「え!?いやーそのー」
「トイレに行かなくて大丈夫か不安らしい」
カインの無粋な助け舟にユウキは慌てるものシノは得心いったように手を叩いた。
「なるほど確かに。説明してませんでしたね。でも大丈夫です。ユウキはもう排泄排尿は必要ありませんよ!」
その答えよりも、同い年に見える少女の口からはおおよそ出そうにもない単語が出たことにユウキは衝撃を受けた。
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「結論から言うと魔力の高い人間は排泄物を体内で浄化できるので問題ないんですよ。なのでこの城内にもトイレの数はとても少ないんです」
カインと分かれた後二人きりでユウキは解説を受けた。しかし生理的に受け付けにくいようで怪訝な顔で問い返した。
「それ……健康的に大丈夫なのか?」
「ユウキの世界と同じですよ。ユウキの世界でも出たものは貯めるだけじゃなくて浄化して循環させてましたよね?その機能が体内にあると考えてください」
確かにユウキがもともと住んでいた日本でも排泄物は回収され浄化されて循環される。しかしそれは大規模な工程と高度な技術を使って行われており、それが体内の魔力だけで行なわれているとは考えにくい。しかもユウキはつい最近こちらの世界にきた人間で魔力の使い方すら素人だ。
「技術は必要ないです。排泄物には魔力は殆ど含まれないのですが、魔力量の差が大きいと魔力が小さい方は消滅してしまうのです。つまり体内の魔力が多く、排泄物との魔力差が一定以上を超えた人間は排泄物が消滅してしまうのでそのような機会は必要ないわけです」
ユウキにとっては魔力差の消滅の話でさえ初耳だったが、つまり魔力操作などは不要と言うことは理解した。
「……じゃあ、シノも?」
シノと呼ばれた銀髪の少女は口を尖らせながら
「女性にそのような事を聞くのは良くないと思いますが……そうです、私も必要ありません」
たしなめつつもユウキの問いに肯定で返した。
「というか魔王を倒すために遠征をする人がそのような身体的制約を受けて行軍を遅らせるわけにはいきません。その間は無防備になりますし非効率です」
一理あると思いつつ、元いた世界での行軍の厠事情はもしかしてとても大変だったのではないかという疑問をユウキは抱いていた。しかしこの世界ではその問題は解決されているらしい。
「ちなみにこの国の兵士の練度には何段階かわかりやすい指標がありますが、概ね戦いに積極的に参加する兵士は排泄しない、または少量で済ませることができるレベルの魔力を持っています。この国では約3%の人が兵士登録されているのでそれらの人にトイレは不要です」
ちなみに排泄が不要な人間は存在するが、まだ遺伝上排泄機関が衰退した人間は観測されていない。排泄器官は他にも用途が多く、また一人の人間の持つ魔力量もここ最近の研究解明により爆発的に増えた歴史を持つので、このように排泄が不要な人間で軍団を形成できるようになったのはごく最近のことである(過去、散発的に現れる大魔術師は排泄不要の特性を持っていたと文献に残されている)。
「そもそも……魔力差で消滅するって俺はそんなに魔力があるのか?」
「こちらに呼ぶ際に私が魔力付与していますし、あなたが抜いた神剣イサナギの膨大な魔力はあなたの中を回っています」
「この剣にそんな魔力があるのか」
ユウキは右腕に沿って浮いている西洋風の大剣に目をやる。剣先を天に向けた状態で浮いている剣は、ユウキの右腕を動かすと前腕の角度に沿うように追随して動く。鞘がなく本身だがそもそも刃が存在しない。クレイモア以上の類を見ない剣幅を持つため装着時のユウキを右から見ると体がすっぽり剣の影に隠れる。1メートル超のブレイド(剣身)の下には無骨なガード(鍔)があり、真ん中に宝玉が埋め込まれている。その宝玉とユウキのつけているブレスレッドの宝玉がリンクして固定されていて、手の動きに連動していた。グリップ(握り)は両手で持てるように長く、右腕装着時はこのグリップが指先よりも外に出るため日常生活に支障をきたしていた。
勿論ただのお洒落アイテムではなく、勇者の資格を持つ人間に扱える神為物でありユウキが抜く前までは地面に刺さったまま周囲の魔力暴走を鎮める結界装置だった。今は勇者の証としてユウキが保持しており、日々この神剣イサナギを使いこなすべく特訓している。
「ちなみに魔力差の消滅は外界では殆ど起き得ません。これは体内という固有魔力が一番濃い環境で、かつ魔力の吸収しやすい食材から魔力を絞りきって残った魔力的に弱い物質を投入して初めて発生する事象です。体外での発生は殆どないと思ってください」
シノは説明を省いたが、排泄物には食材以外にも微生物や新陳代謝によって発生する物質が含まれるため魔力差の消滅だけでは排泄不要の全てを説明できるわけではない。しかしそのことを知らないユウキは難しそうな顔をしながらも一定の納得は得られたようだった。
「一応忠告ですが、魔力の多い食材を食べる時は注意してください。そのような食材を魔導食と呼ぶのですが、魔力差が少なくて消滅せず通常通り排泄される場合があります。慣れてない体が排泄しようとして無理をして体調を崩す可便症を起こすので事前準備が必要になります」
「うーん……了解」
お腹に手を当てながらユウキは今日口にしたものを思い起こしていた。それらが中で消えている現象は、最近まで日本で暮らしていたユウキには異質な感覚だ。しかし何度意識しても尿意も便意も感じないのだった。