4話 クリムゾンボア
時刻は午後1時を回った。
俺と萩原は相変わらず松岡達とは出会えず森を彷徨っていた。
「いないな〜」
「さっきのリターンで大分離れてしまったのかな」
「もう帰っちゃおうか」
萩原はちょっと拗ねた様子で腰に手を当てる。
その時だった……。
「お〜〜い。葵〜」
快活な女子の声が聞こえた。
「あーー!」
萩原は振り向き嬉しそうな声をあげる。
その視線の先には松岡達の姿があった。
身体中が一気に冷えていく感覚がして、俺は俯きながら大きくため息を吐いた。
あの時彼女とぶつかってから今この瞬間まで、それは俺にとって間違いなくこれまでの人生で一番幸せな時間だった。
あれほど美味しい焼きそばパンとサンドイッチは食べたことがなかった。
これまでの孤独な日々の辛さも忘れることができた。
まるで神様が手を差し伸べてくれたような、俺なんかには分不相応な体験だったかもしれない。
これ以上を望むのはもはや贅沢というものだろうか。
しかしそれでも、せめてもう少しだけこの時間が続いて欲しかったと未練を持たずにはいられなかった。
喜んで松岡達のもとへ駆けつける萩原の背中が、まるで地平線の向こうにまで行ってしまいそうに見える。
俺は急に重くなった足を動かし、とぼとぼと後をついて行った。
「全く、やっと見つけたぜ」
「逸れて迷子なんて。子供じゃないんだから」
「はは、ゴメン。ほんとだよね。しかも結局あの鼠逃げられちゃったし」
「まあ、なんにせよリタイアにならなくて良かったな」
そう言ったのは俺より少しだけ背の高い端正な顔立ちをした清涼感のある男だった。
改めて近くで見ると女子人気が高いというのも納得できる。
萩原はこの松岡のことをどう思っているのだろう。
多少なり好意を持っているのだろうか。
それとも他の3人の男子の内の誰かを好きだったりするのだろうか。
俺は萩原の表情を勘繰って見ていたが、恋愛経験が欠片もない自分にはそういったニュアンスを感じ取ることができなかった。
「それはそうとさ。葵と御厨くんってMPいくら残ってる?」
「え? え〜と……2人とも200以上はあるけど」
「よかった。それならいけそうだね」
「なんの話?」
「実は俺らさっきお前が言っていたイノシシのモンスターと遭遇してさ……」
「え? そうなの?」
「データ見たらポイント美味しいじゃん。だからお前らと合流してから挑んで倒そうと思ってさ」
「あたしがさっきそのクリムゾンボアにチェイスを使ったから居場所は分かるし」
チェイスとはターゲットのモンスターの現在地を常に知ることができる感知魔法だ。
どうやら松岡たちは先ほどあのクリムゾンボアに遭遇しその際に相手にチェイスをかけたらしい。
そして俺たちと合流してから討伐しようと考えてたようだ。
「そっか〜。よし! そうと決まれば早く行こう」
と萩原は息巻いた。
「御厨もそれでいいよな?」
と松岡は一応俺にも賛同を求めた。
「あ……ああ」
萩原とまだ一緒のパーティにいられる嬉しさと居心地の悪さが混ざり合って複雑な心境だった。
そうして俺は成り行きで松岡達のパーティに加わることとなった。
松岡たちは感知魔法のチェイスを使ってクリムゾンボアの現在地を特定しその場所を目指して歩いて行った。
そしてしばらくすると。
「おい!いたぞ!」
と後藤が指をさした。
その方向を見ると草むらの向こうであの炎が燃えるような毛並みがあった。
皆は向こうに気づかれないよう一斉にしゃがんだ。
そして武器の柄にパインタールを吹きかけたり図鑑のデータを見ておさらいしたりと、これから始まる大一番へ向けて準備をする。
俺はMATの画面に目を向けた。
そこには現在のパーティ8人分の名前とMPが表示されている。
ボッチ勇者の俺にとっては異様な光景だった。
松岡達はみな大体5割〜6割程度のMPを残している。
この戦力ならあのモンスターを倒すことも難しくないだろう。
だがずっと一人でクエストしてきた、尚且つ今までろくに部活もやってこなかった俺はこのようにチーム一丸となって何かを成し遂げるという経験がない。
もし下手をこいて足を引っ張ったらとプレッシャーが胸を締め付ける。
おまけに相手は今まで俺がチマチマ倒してきた敵とは段違いのLVだ。
かつて味わったことのない緊張感に手のひらに汗が滲み出て、パインタールを念入りにつけた。
「よ〜し!やってやんぜ!」
竹内は早く戦いたくてウズウズした様子で肩を回す。
萩原も顔をペチペチと叩いて気合い充分といった面持ち。
俺と違って皆はこの緊張感を楽しんでるようだ。
「よし、いいか皆」
全員が真剣な顔で松岡に注目する。
「攻撃魔法の有効度はどれも変わらない。攻撃パターンは体当たりのみ。単純な相手だ。セオリー通りの戦法でいけば絶対勝てる」
松岡の言葉を受けてみんなが頷く。
「よし!それじゃあいくぞ!」
クリムゾンボアは俺達に気付くと身を翻した。
そして両前脚を広げ鼻息を荒げて睨みつけ、警戒心を露わにする。
すると松岡はMATを前に出した。
そしてカメラ機能でクリムゾンボアの姿を撮影した。
MATのカメラでモンスターを撮影すると、そのモンスターのデータを図鑑の中から自動で検索することができる。
更にそのモンスターが内包する魔力、すなわちモンスターにとっての生命力がパーセンテージで画面に表示され続けるのだ。
そのためこのようなLVの高い敵と戦う場合はまずカメラ機能を使うのが基本だ。
俺達はクリムゾンボアを5mぐらいの距離をとって取り囲むと手を伸ばして狙いを定める。
いよいよ始まる激戦に俺は生唾を飲み込んだ。
「撃て!!」
松岡の合図の直後。
全員の手から放たれる、炎、氷、雷、風、光。
まるで花火のように色とりどりの攻撃魔法が激しい音を立てて敵に浴びせられた。
クリムゾンボアは呻き声を上げながらもがく様に身体を揺らす。
その丸々とした巨体に抉られたような傷ができる。
そして皆は一斉に得物を構えた。
俺は一気に駆け出し剣を振りかぶった。
そして敵の横腹に渾身の袈裟斬りを喰らわす。
肉を斬る感触が手に伝わり相手の体にはざっくりと斜めに傷が刻まれた。
そして反撃を受けぬよう直ぐさま後ろにステップし呼吸を整えリズムをとりながらタイミングを計る。
他の皆も俺と同様にヒットアンドアウェイを繰り返しながら攻撃していく。
クリムゾンボアの体には次々と切り傷が増えていくが、代わりに攻撃魔法でつけられた傷は僅かに小さくなっている。
LVの高いモンスターは再生能力が非常に高くあっという間に傷が治ってしまう。
だが再生をするにも魔力を消費してしまう。
なのでいくら傷が治ってもダメージを与え続けていけば魔力が減り続けいつか確実に倒すことができる。
とはいえ負傷している状態なら戦闘能力が低下するので、敵に主導権を握られないためには再生速度に追いつかれないよう傷を与え続けなければならない。
「おい!もう一発いくぜ!」
今井の指示で皆はまた5m程敵から離れ手を伸ばして構える。
15秒間のインターバルが終わり魔法が使えるようになったところで再び攻撃魔法の集中砲火が始まる。
そして直ぐさま今度は物理攻撃の乱れ打ち。
その後もその規律のとれた攻撃パターンを繰り返していった。
「あと残り50%だ!」
松岡がMATを見て叫んだ。
今のところ一度も敵の攻撃を受けずに半分までダメージを与えた。
想像以上に順調な展開に気持ちが高揚しかけたその時。
クリムゾンボアは左から右へ勢いよく首を振った。
今井は身体が浮くほど吹き飛ばされ、後藤を巻き込んで派手に倒れた。
今井の安否を確認する間も与えずクリムゾンボアは今度は前に走り出す。
「うおっ!」
「ひっ!」
竹内と楠本は左右に跳び間一髪で回避した。
クリムゾンボアの体当たりをまともに受けた樹木は盛大に枝を揺らし木の葉が舞い乱れる。
あれを喰らったら間違いなく一発でリタイアだろう。
「カズくん! 大丈夫!?」
萩原が今井に慌てて駆け寄る。
幸い今井はリタイアするほどまでは至らなかったようだが、激しいダメージのせいで体が麻痺し動けなくなっていた。
それを見て萩原は右手を今井に向ける。
そして今井の体が一瞬青白く光ったかと思うと、その後今井はすんなり立ち上がった。
萩原が使ったのは補助魔法の『トリート』
ダメージなどによる麻痺を一瞬で治すことができる魔法だ。
消費MPは24P。
楽勝ムードかと思った矢先、ここで敵が攻勢にでて暗雲が立ち込める。
俺はもう少しいい戦法はないか頭を働かせた。
「松岡!こんな広いとこじゃなくもっと木が密集してる場所で戦おう!」
「そ、そうか!…よし。おい!みんな!こっちに来い!」
俺の提案を受けいれ松岡はみんなを誘導させた。
俺達は木々が生い茂っているところまで走りクリムゾンボアを誘い込む。
ここなら体のでかいあいつは立ち回りにくく、俺達は木を盾にしながら戦うことができる。
この判断が功を奏したのか、その後は大して敵の攻撃を喰らうことなく着実に相手の生命力を削り取っていった。
だがMATを見るとみんなのMPはそろそろ100を切り始めていた。
これ以上攻撃魔法にMPを費やせばリタイアのリスクが高まっていく。
なら剣に頼りたいとこだが体力の方も限界が近づいていた。
息は荒くなり剣は重くなり体中を伝う汗の感触に不快感が募る。みんなの顔にも疲労の色が見られ萩原と楠本は攻撃の手が止まっていた。
こちらの火力が再生能力の早さに追い越され、いつの間にか敵の体の傷はほとんどなくなっていた。
だがそこへ…。
「みんな、あと4%だ!」
「おっしゃ!ラストスパートだ!頑張れ!」
松岡からの朗報を受けて竹内が鼓舞すると、みんなの顔にも覇気が戻る。
人間ゴールが近づけば元気が出るものだ。
俺も残る力を全て出し切ろうと気合いを入れなおしたその時。
クリムゾンボアが体当たり……かと思いきや、誰もいない方向へ走り出した。
「くそっ!ここまできて冗談じゃねえぞ!」
竹内は真っ先に飛び出して追いかけた。
ピンチになったモンスターが逃げ出すのはよくあることだ。
疲労のせいかこの展開が全く予想できていなかった。
他のみんなも一斉に後を追いかける。
先頭を竹内が、次いで後藤が、三番手を俺が剣を逆手に持ったまま全力疾走する。
だがやはり獣の足の速さに人間が叶うはずもなく、その差はみるみる開いていった。
クリムゾンボアの後ろ姿が小さくなり焦りだしたその時。
草の間に見覚えのある間抜け面が座っているのが見えた。
頭で避けようと思った時にはすでに俺の足はそいつにぶつかった。
そして前のめりに盛大に転倒してしまう。
おそらく10Pぐらいのダメージを受けたと感じた。
「なにやってんだよ!こんなとこで!」
「えっ、あ、ゴメン!…その……あの…」
行くてを遮られた上に余計なダメージを与えられて苛立つ俺に、池田は泣きそうな顔をしながら狼狽する。
おそらくはあの猪と鉢合わせして尻餅をついていたのだろう。
するとその時。
「おい!よけろ!」