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青い想い出

作者: 和來 花果

「菜央、学校の盆踊り行くでしょ?」


 いつもの帰り道、早苗が菜央を誘った。


「どうしようかな……。」


 学校の盆踊りは、夏休みに入ってすぐに行われる、自由参加の学校行事だ。

 けれど菜央にとって、明日から始まる夏休みが忙しくなる事は間違いなかった。夏休みが終わったら、交換留学生としてアメリカへ行くことが決まっていたからだ。


 交換留学生は希望者の中から、英語の成績や生活態度などから選考される。正直に言って、菜央は自分が選ばれるとは思っていなかった。希望者は六人もいたし、選ばれるのはたった一人。


 菜央は交換留学生の選考に応募する位だから、英語の成績は悪くない。けれど成績が悪くないのは皆同じだ。交換留学というのは、自分よりも積極的な子が選ばれるものなんだろうな、と菜央は半ば諦めていたのだ。


 英語の西村先生から呼び出された時も、英語係の菜央は、てっきり教材を運んでくれ、と言われるのだと思っていた。


「おめでとう。交換留学、滝本に決まったぞ。」


 教室に入ると、西村先生は何の前置きもなしに、菜央に告げた。職員室からは、パチパチとまばらな拍手が起こった。


 菜央はビックリして、「ありがとうございました」と言うとギクシャクと機械仕掛けの人形のように頭を下げて職員室を出た。菜央の背中から、先生方の笑い声がわき起こったが、動揺した菜央には全く聞こえないほどだった。


「どうしよう。」


 自分で応募したのに、菜央が思うのはそればかりだった。留学が出来ることになって、嬉しいのかどうか自分でもよく分からなかった。


 留学への不安。もちろんそれはある。でももう一つ、菜央が心を残してしまう思いがあったからだ。


「菜央、盆踊りには乃木(のぎ)(あらた)も来るらしいよ。」


 菜央は自分の心を言い当てられたような気がして早苗を見た。菜央が乃木新を好きなことを知っているのは、早苗だけだ。それはつまり菜央が、早苗以外の誰にも、新が好きだと言っていないということ、プラス早苗が秘密を守っているということだ。

 菜央の気持ちは、些細な出来事から、まだ仲良くなる前の早苗にばれてしまったのに、早苗は他の誰にも秘密を漏らさなかった。


 誰が誰を好きだなんていう秘密はいつだって、「内緒だよ」と言葉と共にささやかれ、広まってしまう。高校生にもなれば、秘密を見つかってしまった自分が迂闊だったのだと、諦めがつくくらいにはなってしまうものだ。

 

 だから早苗が、まだ友達未満だった菜央の気持ちを、誰にも言わずに秘密にしてくれていることに気が付いた時、菜央は少し驚いた。

 それから早苗の事を、幼い日に砂浜で見つけた桜貝のような人だと思った。ピンク色の小さな貝殻が砂浜に半分埋まっているのを見つけた時には、人魚の忘れ物かと思ったくらい、菜央には貴重な物に思えた。

 その小さな桜貝は、今でも大切に机の中にしまってある。


 現に今だって早苗は、菜央の心の中を覗いたような事をいったくせに、笑って「行こうよ、行こうよ」と菜央の手を握って振り回してきた。早苗は小さな駄々っ子みたいに無邪気な顔をして、いつだって菜央の気持ちの真ん中に切り込んでくる。こんな時菜央は、やっぱり早苗は桜貝みたいだな、と思う。

 菜央の机の中にしまい込まれた、小さな宝ものみたいだな、と。


「分かった分かった。行くよ! さなちゃんと浴衣着て踊っちゃうよ。」


 菜央はふざけながら、オッケーサインを指で作った。それに正直な所、盆踊りで新に会いたかった。浴衣姿を見てもらいたかった。間もなくやってくる旅立ちのために、新との思い出が一つでいいから、欲しかった。


 菜央は早苗に誘ってくれてありがとう、と言う代わりに、「お揃いの髪飾り買いにいこう!」と誘った。


 菜央の学校の盆踊りは、少し珍しい位、盛大な行事だ。

 夏休み前の一ヶ月間、体育の授業は盆踊りの練習にあてられる。なぜなら、盆踊りに出席するかどうかは自由なのだが、参加者は浴衣を着て盆踊りを踊らないといけないという暗黙のルールがあるからだ。

 そして有志の保護者が、校庭の周りに、食べ物の出店も出す。今年は焼きそばと焼きトウモロコシ、骨なしチキンにおにぎりや菓子パン、サイダーやペットボトルのジュース類、かき氷に綿菓子まである。

 校庭の真ん中に建てられた(やぐら)から、提灯も運動会の旗のように、飾られる。


 菜央は髪をお団子に結って、早苗とお揃いのかんざしをさしていた。青い生地に花の模様が入った浴衣が、菜央によく似合っていた。

 新に会いたい気もしたけれど、うす暗い提灯とあまりの人出で、少しキョロキョロしたくらいでは見つからなかった。


「盆踊りにはサイダーでしょ、やっぱり」


 盆踊りの音楽が止まり、小休止になったので、菜央は早苗と一緒に、出店で焼きそばとサイダーを買った。


 焼きそばを食べ終わり、サイダーを飲みきった早苗が、サイダーのビンをカラカラと振った。


「ビー玉、入ってるね。」


「ああ、そのビー玉ね。ガラスのびんじゃないから、飲み口の所をひねると、ビー玉出せるんだよ。」


 菜央は早苗のビンを指さした。


「あ、そうなんだ。じゃあさ、記念に二人でビー玉を持っていようよ。」


 早苗は菜央の返事を待たずに、グイっとビンの口をひねった。早苗は「友情の証に」なんて口には出さなかったが、もうすぐアメリカに旅立ってしまう菜央とお互いに何かを持っていよう、という意味だと菜央には分かった。

 サヨナラがふいに意識にのぼってきて、さみしくなる。それは早苗も同じだったようで、うつむいてビンからビー玉を一心に取り出していた。


「うん。ビー玉、お互いに持っていよう!」


 菜央はわざと明るく言うと、少し残っていたサイダーをグッと飲み干した。そして勢いよく、ビンの口を捻ると、思いのほか固くしまっていた。


「アレ?」


 菜央は焦ってビンを横に倒して持ち、グッと力を入れた。今度はクルリとビンの口が取れて、スポンと飛んでいってしまった。

 その拍子にビー玉も飛び出して、伸びた草の中に落ちて見えなくなってしまった。


 菜央はしゃがみ込んで探したが、提灯の灯りは草の陰には届かない。


 菜央ががっかりして、立ち上がれずにいると、


「滝本、どうした? 具合でも悪いのか?」


 と背中をたたかれた。菜央は反射的に立ち上がったが、それが誰か声で分かっていた。


「乃木くん! 大丈夫、大丈夫。ただ、あの、ビー玉が……。」


 と菜央は言いかけて、ちょっと赤くなった。サイダーのビー玉を取り出しそこなって、がっかりしていたなんて、少し子供っぽいと思われたかもしれない。


「なんだ、ビー玉か! 俺のやるから、待ってて。」


 新は三分の一ほど残っていたサイダーをグイっと飲み干した。炭酸に顔をしかめながら、キュッとサイダーの口を(ひね)って開ける。


「ほら、手を出せよ。」


 とサイダーのビンを菜央に差し出す。菜央が両手でお皿を作ると、コロン、とビー玉が転がり出て来たが、同時にサイダーの雫も一緒に(こぼ)れて、菜央の手を濡らした。


「あっ、ゴメン!」


 新は慌てて菜央に謝った。


「平気。水道で洗ってくるから。どうもありがとう。」


 菜央は新のビー玉が嬉しくて、キュッと胸が音をたてた。


「洗ってくるね。ありがとう。」


 菜央は独りで小走りに駆け出した。じっとしていられない気持ちだった。


「さなちゃん、独りで大丈夫だから!」


 と振り返って叫ぶ。皆から少し離れて、外の水道までくると、周りには誰もいなかった。ほっとして立ち止まると、胸がドキドキしていた。


 (さなちゃん、ごめん、友情の証だけじゃなくて、他の想い出もくっついちゃったよ)


 菜央は、すう、はあ、と息を整えながら思った。

 ビー玉を握った手をそっと開く。透明な青いビー玉が手の中にあった。

 新がサイダーを飲み干した姿が、菜央の頭の中でフラッシュバックして、頬が熱くなった。


 (新が飲んだサイダー……)


 菜央はそっと手を唇に近づけた。ひんやりしたビー玉の感触に、菜央は目を閉じる。


 (ああ、神さま。これって、ファーストキス認定しても、いいですか?)


 ギュッと目を瞑って、奈央が思わず祈ってしまった時、


「滝本? 何してるの……?」


 後ろから声が聞こえた。

 菜央がはっと振り返ると、新が立っていた。菜央は何も言えずに、目を見開いて新を見つめた。


「工藤が、こっちの方は暗いから行ってやってくれって。」


 新はまずいところに居合わせた言い訳するように言った。菜央に何を言ったらいいのかと、新の顔が困っていた。確実に、ビー玉に口づけるところを見た顔だった。


「あー、うん。ありがとう。」


 (さなちゃんが……。うー、でもここは知らん顔するのが、お互いにとっていいよね……。)


 菜央は恥ずかしい気持ちを押し殺して、新に無理やり微笑みかけた。何事もなかったかのように。


 (何をしていたのか、分からないかもしれないし。)


 少ない可能性にすがってみる。

 もし気が付いていたとしても、菜央の心は新にはわからないのだ。ただ変な事をしていると思われたかもしれないが、気が付かないふりをする位の気遣いは、新もしてくれるはずだと菜央は思った。


 菜央は水道の方に向き直り、ビー玉を持っていない方の手で、蛇口をひねった。それ以上、新の顔を見ていられなかった。


 菜央は蛇口の上に手を乗せたままにしていた。何かにすがっていないと、倒れてしまいそうだった。

 ビー玉を持った手を、水の下に差し出す。


 (流れてしまえ、何もかも。)


 菜央は涙をこらえた。最後の思い出が、新に変なやつだと思われることになってしまったと思うと悲しかった。


 (もうすぐ、アメリカに逃げられる。だから大丈夫だ。がんばれ、私。あと少しだけ)


 ジャリッと石を踏む音がした。菜央の隣に立った新は、菜央の手とビー玉を洗ってくれた。


 (なんで……?)


 菜央は考えようとしたが、胸のドキドキのせいで、何も考えられなかった。


「あ、ごめん。ハンカチ、持ってる?」


 新の声が頭の上から降ってくる。

 菜央は震える手で、肩から斜めがけにしていた小さな巾着袋の中から、ハンドタオルをつまみだした。

 新は手を菜央に差し出したまま、待っている。

 菜央は一瞬、戸惑ったが、新の手をハンドタオルで包んで拭いた。その菜央の両手を新がギュッと掴んだ。

 菜央はドキッとして、息が止まってしまった。


「ビー玉……。」


 新が言いかける。菜央はあまりの恥ずかしさで、真っ赤になって、首をぶんぶん振った。


 新はふっと頬をゆるめると、そのまま顔を近づけて菜央にキスした。


「……これでおあいこ、でいい?」


 菜央はうつむいた。今度こそ、涙をとめることは出来そうになかった。


 (やっぱりファーストキス認定は、おあいこのキスで……)


 ふっとそんな考えが頭に浮かぶ。


 (どうしてこんな時に、ファーストキス認定のことなんて思い出しちゃうんだろう?)


 菜央の頭の中はそんなとりとめない考えがぐるぐる回っているのに、胸にあふれる気持ちは止められない。頭と心がバラバラになってしまったみたいだ。


「アメリカ、行きたくないな……」


 ポロリと言葉が転がり落ちる。


「滝本、アメリカ行ったら英語ペラペラになるな。」


 新は菜央の気持ちを引き立てるように言った。


「帰ってきたら、英語教えてよ。」


 菜央の両手を握ったまま言うから、菜央は寂しくなる。


「行かないで、って言わないの?」


「好きな女のやりたいことを邪魔する奴は、好きでいる資格なんかないんだ。だから菜央が行っちゃって毎日寂しくても、そんなの大した事じゃない。菜央を好きでいる資格を失うことに比べたら、どうってことない。」


 奈央の留学が決まってから、新がずっと考えていたことなのだろう。迷わず、きっぱり言い切った。


「うん。」


 菜央は何も言えずに頷いた。


 (好きな女、って言った?)


 頭の中では新の留学を後押ししてくれる言葉を喜んでいる。心の中のどこかでは、少し寂しい気持ちもある。

 頭と心のバラバラな奈央の中を、新が言った「好き」が嵐のようにかけまわる。


「でもさ、滝本。挨拶でも男とキスしないで。」


 新は笑って、もう一回、サッと菜央にキスをした。今度は触れたか触れないかわからない位に。

 それから照れ隠しにそっぽを向いて、視線だけ菜央に投げた。


「そのビー玉。工藤と記念に持ってるの?」


「そうだけど……。さなちゃんに悪いな。このビー玉見たら、乃木君のことも一緒に思い浮かんじゃう。」


「いいんじゃない? それで。思い出は絡み合っているもんだろ? 色んな思い出が絡み合ってるから、忘れられないんだ。」


 新は菜央の手のひらから、青いビー玉をつまみとると、遠くに灯る提灯の灯りにかざした。ビー玉を片目でのぞき込んでから、菜央の目にビー玉をかざした。


「寂しくなったら、いつでもビー玉をのぞいてよ。離れても、いつも菜央を想ってる。だから、ビー玉の中にいつでも会いに行くよ。

 ほら、古文で習っただろ? 昔の人は、夢は思っているからその人の夢を見るんじゃなくて、その人に思われてるから、自分の夢に出て来るんだって思っていたって。だったら俺、菜央に会いに行けると思う。」


 (菜央、って呼んだ?)


 菜央は呼び方が変わったのに気が付いたが、また滝本に戻ってしまうのは嫌だから、聞き返さない。


 菜央はビー玉の中に揺らめく提灯のぼんやりした光を見つめた。


「ずっとずっと、菜央が好きだった。」


 新が言った。

 青い青いビー玉のすぐ向こう側に新がいた。そしてビー玉の中では、早苗が、よかったね、というように笑っていた。


 やがて夏休みが終わった。

 新と早苗、提灯の灯り、そして初めてのキス。

 青い青いビー玉に想いを一杯詰め込んで、菜央は青く澄んだ空に旅立った。

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