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第7話

お待たせしましたーー!

やっと、やっと、ここまで書けた!

バシャンッ。


私が感情の赴くまま浴びせた薄赤い液体が、ザックに襲いかかった……が、ザックはA級の冒険者。

魔物の吐き出す毒液や酸液を回避するのはお手のもの。

俊敏に私の放った紅茶をかわし、結果紅茶まみれになったのは、ザックの後ろで彼の言動に目を光らせていた侍女頭のハルソケアだった。


「……」

「ああっ、ハルソケア……」

「(やべっ……)」


室内の時が止まった。

紅茶自体はそれほど熱くはなかったので火傷の心配はないが、浅葱色の侍女服は濡れ、顔からは滴がしたたたり落ちている。


「ハルソケア、悪かったわ。あなたにかけてしまうつもりでは……」

「よいのです、お嬢様。お嬢様は悪くはありません。ねえ、ザァック……?」


ハルソケアが笑っていない目でザックを見た。


「い、いやいやいや!今のはお嬢様が悪いだろ!避けなかったら、俺にかかって」

「ああん?てめえごときがお嬢様の飲みかけの紅茶を浴びられるんだ。ご褒美だろうが。ありがたく受け止めろや?……でございますよ?」

「ハ、ハルソケア……?」


ハルソケアは、「ちょっとツラお貸くださいな、ザァック?」とザックを連れて部屋を出ていった。

すかさず控えていた別の侍女が、こぼれた紅茶やカップの後片付けを始める。


「ね、ねえ、ミナ。ハルソケアは……」


戸惑いながら問いかけた私に、若い侍女のミナがにこりと笑って答えた。


「問題はありません、エイラ様。ハルソケア侍女長の教育的指導はいつものことですから」

「教育的指導?」

「ええ。侍女長の追い込みはエグいほどですもの。きっとザックもすぐに、エイラ様にふさわしい従僕に成り果てるでしょう」

「ハルソケアが、え、エグい追い込み?まあいいわ。ミナ、新しい紅茶を入れてちょうだい」

「畏まりました。少々お待ちくださいませ」


私は、連れていかれたザックのことを頭の中から追い出した。

恩があり、多少の信を置いているとはいえ、所詮は他人。それも私とは住む世界が違う人間だ。

愛が全てに勝ると信じている愚か者だ。


しばらくして戻ってきたザックは、死んだ魚のような目をしていた。




それからザックは、私の従者として勤め始めた。

私が襲われた件は、外聞もあり、表には出ずになかったことにされたが、お祖父様が何かしたのだろう。私を拐った実行犯達は悉く処理されたと、お祖父様が教えてくれた。

とはいえ、今後また何が起きるかわからない。

そこで、A級冒険者のザックなのだ。

彼は護衛も兼ねているので、常に私達は共に行動することになる。

ザックは元々平民だからか、常に私に気安く話しかけては、その度にハルソケアに指導をされていた。

それでも懲りないザックは、今日も今日とて、私に『恋バナ』なるものをしかけてきている。


「それでな、会計の時にパンを渡してくれたリミルちゃんの手が俺の手を包んでくれてさあ。柔らかいし、後でその手の匂いを嗅いだらもうめちゃいい匂いでさあ」

「心底どうでもいい話ね。そして、匂いを嗅ぐとか、気持ち悪いわ」

「ええー。お嬢様だって、好きな男の匂い、嗅ぎたいだろう?」

「全く嗅ぎたくな………いえ、ちょっと待って。(ビーエ・ルー様が以前オメガ君に「君は日溜まりの匂いがする。眩しくも惹き付けられて、求めずにはいられない……!」と言っていたと聞いたことがあるわ。ああ、『日溜まりの匂い』、是非嗅いでみたい!)」

「お、その顔。好きな男がいるな?やっぱりお嬢様も嗅いでみたいんだろ?」

「……まあ、嗅ぎたくないわけではないわね」

「だろだろー?」


「エイラ様!」


ザックの『恋バナ』に付き合っていた私は、いつの間にか傍に来ていたハルソケアの、悲鳴にも似た叫びにビクリとした。


「エイラ様、この男の話など聞く価値もありません!お耳が汚れます!それに、まさか、好きな殿方がおられるのですか!?」

「好きな殿方?そんなものいないわよ?」

「で、ですが、今しがた……」

「私に恋愛など必要ない。そう教育されてきたのを、私が産まれた時からここで勤めてきたあなたなら、よく知っているでしょう?」

「それはそうですが……」


私は、ザックのボディーに何発も拳を入れながら私を心配そうに見るハルソケアを一瞥して言った。


「それはそうと、迎えが来たのかしら」

「はい。たった今、王宮から迎えの馬車がいらっしゃいました」

「そう。ならば急がなくてはね」


今日は、側妃となることが内々に決まったため、王太子ヒューコフ様と顔合わせをする日なのだ。

まだ内々だから、王と王妃の謁見や王太子と挨拶も非公式で行われる。

まあ、その方が私もまだ気楽だわ。


「なあ、エイラお嬢様。大丈夫か?王族に会うんだろ?旅芸人のおっさんが言ってたぞ。緊張した時はな、客を芋だと思えって。お嬢様も相手を芋だと思って」

「黙りなさい、この脳芋!」


この男、王族を芋と思えとか、頭に芋が詰まってるんじゃないかしら。


「エイラ様、私、心配です。こんな男を従者として連れていくなんて。絶対王宮で、不敬を働く未来しか見えません!」

「ハルソケア、大丈夫よ。たぶん。侍女や従者の控え所は王宮でも外宮の外側。王族や上位貴族に会うことはないわ。不敬の働きようがないわ」

「ですが……せめて、私をお連れいただければ……」

「あなたは侍女頭なのだから、屋敷のことをお願いね。今回連れていくミナも、頼りになる侍女よ。あなたが信頼できるからと私に付けてくれた侍女なのでしょう?」

「それはそうですが……」


心配そうに唸るハルソケアに、ミナが「ハルソケアさん、ザックの監視ならお任せを!」と話している。

何故かザックだけは、自信ありげな表情を浮かべているわね。

それがより一層不安なのだけど、あえてはツッコまないわ。

この男につい口を出してしまうと、会話が止まらなくなってしまうのよね。

急いでいる時は、スルーするに限るのよ。

これがこのひと月ほどで理解したザックへの対処法ね。



私達は、王宮へと向かう馬車に乗り込んだ。

迎えの馬車には、父の元マグナクト伯爵の代わりに先代マグナクト伯爵のお祖父様と侍女のミナが同乗する。

従者のザックは、王宮への贈り物を積んだ荷馬車に乗り込んだ。


王宮の馬車は、最高ね。

車内の湿度温度は完璧で、全く揺れない。まるで雲にでも乗っているようだわ。

シートはフカフカだが程よい固さで、長時間乗っていても腰を痛めない。

広さも充分だ。


その乗り心地を充分に堪能しきる前に、私達は王宮に着いた。

外宮でザックやミナと別れ、内務官に先導されながら、私はお祖父様と王宮の内宮へと向かう。

内宮は王族のプライベート空間だ。

なかなか入れる場所ではない。

少し緊張しながら、私は歩みを進めた。


「こちらの部屋にお入りください。陛下と王妃殿下、王太子殿下がお待ちです」


内務官の言葉に、緊張が増した私は身を固くした。


(芋。そう、王族なんて、芋だわ。芋だから緊張なんてしないのよ)


私はそう心に念じながら、お祖父様に続いて室内に入った。


広めの応接間だ。高価な魔道具がそこかしこに使われ、高名な画家の手による絵画や彫刻が配置されたその部屋は、来賓用の応接間なのだろう。

部屋の中央、豪奢でありながら品の良いソファに座っていたのは、芋、もといこの国の王と王妃、そして王太子だ。

その顔は、輝くような金の髪が豊かな麗しの、芋であった。


(って、違う!王族は美形揃いなのよ!なのに、ザックの脳芋が、直前にあんなこと言うから!!ダメ、笑いが込み上げてくる。おのれ、ザァック……!私が不敬罪に問われたら、あいつ呪い殺してくれるわ……)


私は、腹筋に力を入れながら、貴族令嬢の仮面をガチガチに糊付けする。


「よく来た。先代マグナクト伯爵とその孫娘エイラ・マグナクトよ。何度か王家主宰の舞踏会に出席しておるから知っているだろうが、私が国王のコメイダ・スターブックスである」

「陛下には、大変ご機嫌麗しく。引退した身に、真に勿体ないお言葉にございます。エイラ、挨拶を!」

「はい。エイラ・マグナクトにございます。陛下のご尊顔を拝謁でき光栄に存じます。本日はよろしくお願い致します」


陛下に挨拶といえど、子どもの頃から教え込まれたカーテシーだ。

息を吸うように体が最適の形をとる。


「まあ、美しいカーテシーだこと。努力家の良い娘のようね。よく令嬢教育が身についているわ」

「王妃様……。もったいのうございます」


王妃様に褒めていただけるなんて。カーテシー一つで、私の努力を評価してくださった。

こういうお方が義母になるのなら、嬉しいわね。


「ほら、あなたも挨拶なさい」


王妃様に促され、微笑みを湛えた麗しの芋……いえ、ヒューコフ王太子殿下が、私の手をとった。


「ヒューコフ・スターブックスだ。君のような教養ある美しい令嬢を迎えられるとはありがたい。今後ともよろしく頼む」


ヒューコフ殿下は、そう優しく話しかけたが、その眼は驚くほど熱がない。

私に欠片も興味がないのが丸わかりよ。

だけど、私達はそれなりに協力関係にならなければならない。

ヒューコフ殿下も、それを理解している。


「マグナクト伯爵令嬢、良ければ庭に出ませんか?東屋に、茶の用意があるのだが」

「喜んで。殿下」

「私のことは、ヒューコフ、と」

「はい、ヒューコフ様。私はエイラとお呼びください」


定型のやり取りだ。既に定まっていたシナリオ。

私に、ヒューコフ殿下の誘いを断るという選択肢はないの。

私達は、国王夫妻に挨拶をして部屋を出た。


ヒューコフ殿下は、完璧に私をエスコートしながら、護衛騎士達や侍女らを引き連れて長い廊下を歩き、そのうち宮殿の外に私を連れ出した。

初夏の日射しが降り注ぐ。少し汗ばむわね。

宮廷侍女が、私に日傘を差しかける。

日傘の陰の中からヒューコフ様の行く手を覗いた。


少し向こうに、噴水の魔道具が見える。

その近く、美しい薔薇の咲いた生け垣に囲まれた場所に、護衛騎士や侍女が何人も見えた。

さらに目を凝らすと、護衛騎士達は東屋を守るように立っている。


「……?」


心なしか、ヒューコフ殿下の足取りが早まった気がする。

私は領主教育の一環で多少鍛えているからいいけれど、この早足に日傘を差しかけたまま、息も切らさず無表情でついてこられる宮廷侍女が凄いわ。


私は、ヒューコフ殿下に引っ張られるように東屋にたどり着く。

そこには、聞いていた通り茶会の準備がしてあった。

空冷の魔道具で涼やかな空間には、色とりどりの美味しそうなお菓子とサンドイッチ。侍女がカップを温め、二脚の広めの椅子の一脚には、薄青のシンプルなドレスの少しふくよかな婦人が優しげな笑みを浮かべて座っている。

誰かしら。社交界では見たことないわ。

三十は超えていそうなお年だし、どなたか王族の関係者?


「エイラ様はこちらへ」


宮廷侍女に誘導されるまま、婦人の向かいの椅子に座った私は、目を見張った。

頬を上気させたヒューコフ殿下が、子犬のように婦人に駆け寄ると、彼女の膝の上に当然のように鎮座ましましたのだ!


「アニ~、お外は暑かったよお~」

「暑かったのに、よく頑張りなされましたねえ」

「ねえ、いい子いい子してえ~」

「はいはい、いくつになっても甘えん坊さんなのだから」


婦人がヒューコフ殿下の輝く金の髪を優しく撫でる。

ヒューコフ殿下は目を細めて、うっとりとされるがままになっている。

もうわかった。彼女の正体。

アレだ。

乳母だ。

噂の乳母コンの乳母だ。


「エイラ嬢、私の側妃となるならば、彼女を紹介しておかねばな!私の乳母役のアンドレア・ヨギワーノ伯爵夫人だ。私が最も大切にしている女性なのだ」

「アンドレア・ヨギワーノと申します。エイラ・マグナクト伯爵令嬢、側妃内定、おめでとうございます。今後は共に、ヒュー……ヒューコフ様をお慰めして参りましょうね」

「馬鹿を言わないで、アニー。私を真に慰められるのは、アニーだけだ!本当はアニーしかいらないのに、私は……!」

「ダメですよ、ヒュー様。あなた様は次期国王となられるお方。政のために婚姻を結ぶのはお仕事ですよ?お辛くなったら、このアニーがいつでもヒュー様を慰めて差し上げますからね」

「ああ、アニー!アニーのために頑張るよっ」



ダメだ。

この国、終わったかもしれない。


周囲の騎士や侍女達は無表情で、どこを見ているかわからない。

いえ、白目だわ。白目で、どこも見ないが正解なのね?

かくいう私だって、格段意識せずとも、白目で宙を見つめている。




ヒューコフ殿下と乳母の愛は国を滅ぼすのかしら。

一応コレさえなければ、ヒューコフ殿下は完璧な王太子なのだけど。

でも、こいつらの愛で国を滅ぼされるなんて、たまったものではないわね。


はあ。愛なんてやはり、厄介極まりないわ。

側妃となれば、これを毎日見せられるのかしら。そして義務とはいえ、こんな男と肌を重ねるの?愛していないとはいえ、キツイわね。

少し不安で気持ちが落ち込む。

何か楽しいことでも考えましょう。


そうだわ。ザックが言っていた芋作戦は……。

ダメね。芋と芋がお互いの頬っぺをツンツンしてる。芋ですら、爆発してほしくなる。


ザック、あなた、どうにかしてちょうだいな。

脳芋のあなたなら、考え過ぎる私に馬鹿なことを言って、私を馬鹿な会話に巻き込んでくれるでしょう?




ねえ、ザック。

今、あなたのお馬鹿な顔が見たくてたまらない。


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