第5話
その冒険者と思われる男は、本当に汚かった。
何日体を洗っていないのか、垢が顔や体にこびりついていて、何歳だか判別ができないほどだ。
恐らく、二十代後半から三十代といったところかしら。
ただ、その緊張感のない声と間の抜けたような表情に、私はこの男が先ほどのような悪党でないと、本能的にわかった。
男は、にへらというような締まりのない顔で私に笑いかける。
「やあやあ、お嬢様。ぼく、悪い冒険者じゃないよ。もう、大丈夫さっ」
その馬鹿みたいな言葉は、私の心を一気に弛緩させた。
ポロポロと涙が溢れる。
男は少しギョッとして、ぐちゃぐちゃの頭をボリボリかきながら、「あー、とりあえず、外に出ようか」と私に、頭をかいた方の手を差し出した。
私はその手を取らずに立ち上がろうとして、足に力が入らず、ふらりと男の胸に体を預ける。
男は、私を受け止めてくれた。
私は、あまりの臭さに、涙も恐怖も吹き飛んだ。
「臭い。臭すぎて、いっそ鼻をもぎとってしまいたいわ……」
「そんなこと、泣きながら言われても……。俺が泣きたい!」
そうね、命の恩人に失礼な話よね。
私は、彼の頭をかいていない方の手を所望して、その手に引かれ、馬車を降りた。
辺りには貧民街の住人らしき男達が、六、七人ほど倒れている。
変な形に折れ曲がったまま、ぴくりとも動かない。
ただのしかばねのようね……。
「お嬢様、死体が怖くないのか?見たところ貴族のお嬢様だろ?こういうの見たら、普通は漏らすだろうに」
「あなた、貴族令嬢をなんだと思っているの?貴族令嬢はトイレになど行かない。そう心に刻みなさいな!」
「そんなわけあるか!……いや、ありますか……すまんな。俺、貴族みたいな言葉は苦手なんだ」
「仕方ないわ。あなたは命の恩人だし、特別に許します」
男は、「へへー」とわざとらしく頭を下げる。
私は、そんな男へ自嘲気味に言った。
「私は、もしものための後継のスペアなの。私も、弟と同じように領主教育を受けてきている。その中には、罪人の処刑に立ち会うというものもあったわ。罪人の処刑を見て漏ら……こほんっ、倒れる領主なんて、誰が敬うのよ」
「なるほどなあ。案外貴族のお嬢様ってのも、大変なんだなあ」
男は他人事丸出しの口調で、そう言った。
それでなんだか私まで気が抜けて、思わず笑ってしまったわ。
「全然思ってもないことを、全く隠そうともしないのね」
「まあ、水浴びや食事すらままならぬ依頼をこなす身だからなあ。そうやって命を削ってたくさん稼いでも、その日暮らしの小汚ない冒険者は、結婚相手にゃ見てくれねえのさ。お嬢様は、命守られて、うまいもん食って、たっぷり寝てんだろ?で、結婚も嫌がられねえ。羨ましいぜー」
「……そうね。あなたからしたら、私の問題なんて、とるに足らないものかもしれないわね」
また自嘲する私の鼻を、男はゴツゴツした指でピンと弾いた。
「痛いわ!何をするのよ!」
「不細工な顔してたから、つい」
「だ、誰が不細工ですって!?失礼よ、あなた!」
怒る私に、男はへらりと笑って言った。
「おー、今の顔のが、断然いいじゃん。さっきみたいに死にそうに不幸な顔してたら、不幸を呼んじまう。元々あんたはキレイなんだからさ、生きてる顔してた方がキレイが生きるだろ?もー、ずっとその顔してた方がいいな!」
「え…………それってつまり、私にずっと怒っていろってことじゃない!!」
「アハハハ、そーだな!すまんすまん!」
男の悪びれない言葉に、私は苛立ちながらも、つい気を許してしまう。
どうせ、こんな場所だ。
一人で帰ろうにも、私のような貴族の娘はすぐに別の人間に拐かされるのがオチだろう。
であれば、この男を信用して、屋敷まで送ってもらうしかない。
この男も、まさか完全に慈善で私を助けたわけではないでしょうし。
「ねえ、あなた。冒険者よね?」
「おう。これでもAランクの冒険者よ。この王都ではまあまあ知られていてな、二つ名もついてんだぜ。『脳筋のザック』といや、俺のことよ!」
「……その二つ名を堂々と名乗るくらいだから、名に偽りは無さそうね」
「おっ、俺の凄さがわかるかね、お嬢様?俺は身体強化が得意でな。その強さは一騎当千。俺の強さが凄まじ過ぎて、頭脳すら筋肉でできているのでは、と巷で噂されているのさ……」
「ええ。その二つ名は、本当にあなたにピッタリということが、私にはよくわかったわ」
どや顔で見当違いの見解を述べるお馬鹿な男ザックに、私は切り出した。
「あなたに依頼を出すわ」
「依頼、だと?」
ザックはピクリと片眉を上げた。
「そう。依頼内容は、私を無事に屋敷まで連れ帰ること。前報酬は、この首飾りを。屋敷に帰れば、さらに報酬を追加するわ。あなただって、何かしらの見返りを期待したから、わざわざ私を助けたのではなくて?」
私は身につけていた美しい装飾のルビーのネックレスを首から外し、ザックに差し出した。
「どうかしら?これ一つで、平民なら一年は暮らせるはずよ」
ザックはネックレスをしばらく凝視していたが、受け取らずに私の目を見据えた。
「確かに、あんたの言う通りだよ、お嬢様。俺は、打算であんたを助けた」
「やはり、ね」
「だが、俺が欲しいのは、宝石や金じゃねえ。一時潤うだけの、そんなものはいらねえんだ。これでも俺はAクラスだ。稼ごうと思えば稼ぜるからな」
「では、何が欲しいの?」
ザックは、私の手の中にある真っ赤なルビーに目を落とした。
「俺、好きな女がいるんだ。パン屋の娘でさ、笑顔が可愛いんだ。絶対嫁にもらいたくて、稼げる冒険者になろうと必死で依頼こなして、クラスを上げてきたよ」
ザックは、力なく笑った。
「命張って金貯めてさ、告白したんだ。でも、俺の気持ちには応えられないってさ。金はあっても、冒険者みたいな不安定な仕事の男とは将来を考えられないんだと」
私は、ザックの澄んだ瞳を覗きこむように見つめる。
恋愛ね……。愛する相手と結ばれると、この男も信じているのね。
でも、馬鹿ね。そのパン屋の娘は正しいわ。
愛だけで結婚が上手くいくなんて、夢物語よ。
この汚ならしく臭い男が金を持って求婚したって、誰が危険な汚れ仕事ばかりで、体を壊せばたちまち生活に窮するような男と結婚したいと思うの?自分の求める生活と釣り合わないんじゃ、不幸になるばかりよ。
私のそんな冷めた思いに気づかずに、ザックはルビーを見つめながら語り続けた。
「俺、考えてた。あいつが俺と結婚したくなるような職につけないかって。今日も魔物の討伐を終えてから、考えながらギルドに戻る途中に、あんたの乗った馬車が貧民街に猛スピードで入ってくのを見たんだ。明らかに御者の様子もおかしかったし、貴族の乗る馬車が貧民街に入ってくなんで、絶対にトラブルだと思ってさ」
ザックはまた、私を見た。
「あんたを助けたら、貴族に恩を売れるし、力を示せる。そうしたら、正規に雇ってもらえるんじゃないかと思ったんだ」
「そう……」
なるほどね。冒険者が不安定で結婚相手に向かないのなら、安定した職に就いて娘を振り向かせようとしているのね。
「短期ではなく、終身でうちに雇って欲しいのね」
「そうだ。雇ってくれ。頼む」
「もし、雇わないと私が言ったなら、あなたは私をここに捨てていくの?」
ザックは、言葉に詰まって拳を握り締めた。
そうしてため息を吐いてから、情けない顔で笑った。
「……いや、あんたを捨てていくのは流石に寝覚めが悪いや。結局俺は、あんたを家に送り届けるだろうよ。まあ、こんな汚いのなぞどうしても雇いたくないってんなら、仕方ないからその首飾りを報酬にもらうわ」
私は、ドレスのベルトに下げている小物入れから扇を取り出し、ぴしりとザックの頬を軽く打つ。
「な、何すんだっ」
「さっきから、無礼なのよ、あなた」
「は?確かに俺は無礼かもしんねえけど、あんただって」
「それよ」と私は、閉じた扇を相手に向けた。
「あんたあんたと、無礼なのよ。私は、あなたの主人となるのだから、『あんた』ではなく、『お嬢様』か、『エイラ様』とお呼びなさい!」
私の言葉に、ザックは戸惑いながら尋ねてくる。
「は?!……って、え?俺を雇ってくれるってのか?」
「ええ。当主の父は領地にいるし、先代のお祖父様達には私から頼むわ。あなたは腕も立つし、私の従者兼護衛として雇います」
ザックは、目を見開いた。
そして、勢いよく扇を握る私の手を両手で握り締め、ブンブン振った。
「ありがとうっ……ありがとう、お嬢様!俺、絶対あの娘にまた告白するよ!」
「それは勝手になさいな。それより、私を屋敷まで無事に送り届けなさい」
「ああっ、もちろんだ!」
ザックはそう言うや、腰につけていた袋の口を開けて、その口を馬車に触れさせた。
すると、馬車が嘘のようにかき消えてしまった。
「あなた、それ、マジックバッグじゃないの!」
「ああ。以前迷宮にアタックした時、23階層のボスモンスターからドロップしたんだ。馬車二台分ほどの容量しかないんだが、魔物の死体を持ち帰るにはかなり重宝するんだぜ」
「あなた、それを売ったら冒険者なんかしなくてもかなりまとまったお金が手に入るわよ」
「金は今でも稼げるからな。それよりも便利な方がいい」
そう言いながら、今度はそのマジックバッグから大きくて汚いずだ袋を取り出した。
そして袋の口を大きく開け、私に言った。
「入って」
「……え?」
「だから、こん中に入れって言ってる。マジックバッグには生き物は入れられないからな。だから、これに入れて、俺が抱えて家に連れていく」
本気なの?
この汚い袋に、私を入れようと……?
「な、なぜよ!あなたが御者をして馬車で帰れば……あ、そうか。そういうことね?」
思い至った私にザックは頷いた。
「ボコボコに襲われて扉が壊れた馬車で、こんな身なりの俺が貴族の屋敷まで堂々と連れ帰ったら、あんた……お嬢様の評判に傷がつくだろ?万が一襲われて傷がついたなんて噂が立ったら、平民の女だって辛い目に合う。貴族の女なんて、死んだも同然だろう?」
「……そうね。正直、あなたに知恵があるなんて思ってもみなかった。見直したわ」
「酷え言われようだな!」
だって、『脳筋』の二つ名を喜ぶような人間よ?
まあ、それはいいわ。
確かにこの男の言う通り、これ以上私に醜聞が立つのはまずいわ。
家名に傷をつけてしまいかねない。
背に腹はかえられない。
私は、ドレスの裾を手繰り寄せ、ずだ袋に足を踏み入れた。
「あ、その袋、ゴミ入れなんだ。魔物の体液とか染み付いてて、ちょっと匂うかもしれないから、上の口は換気のために少し開けとくな!」
ねえ、あなた達。
貴族令嬢は、トイレになんて行かないし、ましてや口からリバースなんてしないの。
絶対に。
ええ、絶対にですわ。
ああ、本当に、愛だのなんだのと言う人間は、私には鬼門だわ。
愛は、私に何か恨みでもあるのかしら。
前中後編の縛りをなくした途端、このペースよ。
まだまだ続くんじゃ……。
あと、継娘編が終わったら、継母転生シリーズひとまとめ版で続編を出す予定です。
よければ、ブクマバラバラ問題の解決にお役立てください。