第10話
前半はエイラ視点、後半はザック視点です。
《エイラ視点》
「……遅いわよ」
「……すみません、お嬢様」
ザックは休暇明けの翌日、遅刻してきた。
あんな風に喧嘩別れになってからの初めての顔合わせ。
とても気まずいわ。
でもそれは、ザックも同じだったようね。
私達は、お互いに目を逸らしながら会話を交わした。
でも、それ以上に、またあなたに会えたことが嬉しかったのよ。
ザックの顔を一日見ることができない。
気持ちの整理のためにと自分で言い出したことなのに、彼が部屋を出ていってから、私の胸は苦しくてたまらなかった。
その夜はなかなか眠れず、朝起きても憂鬱で食事の味がわからなかった。
どこに視線を向けても、ザックを探してしまう。
何をしても、ザックのことを考えてしまう。
傍にいないのに、いつもよりずっと私の中に彼の存在を感じるのよ。
ひと月前は、彼がいなくても問題なく生活していられたはずなのに、今ではザック無しにはこんなにも息ができなくなるなんて……。
こんなはずじゃなかった……。
こんなはずでは……。
いつか彼を手放すつもりだったの。
私を苦しめる存在よ。害にしかならない。遠ざけなければならないのよ。
それなのに、たった一日離れるだけで、耐えられないの。
辛くて、会いたくてたまらない。
ああ、私、恋に落ちたのね。
あれほど避けていた恋愛を、まさか私が……。
やっぱりこんな感情は持つべきじゃないわ。
彼が憎い。
私にこんな制御不能の感情を持たせた彼が憎い。
辛くて悲しいばかりじゃないの。
恋愛なんて、大嫌い。ザックなんて、大嫌いよ。
それでもどうか、このまま、私の前から消えてしまわないで……。
そうして、今、あなたが目の前にいる。
気まずげに、私の顔を見ないあなたが。
またあなたを前にできたことが、どれほど嬉しいか。
人はこんなにも幸せを感じられるのね。
でも、私の気持ちは変わっていない。
私は、ヒューコフ殿下の婚約者。
私の気持ちがあなたにある以上、いつかあなたを手放さなくては。
それでも今は、あなたの顔を目の前で見ていたい。
あなたの存在を感じられる喜びを、噛みしめていたいの。
いつかどこかの平民の娘のものになるあなた。
今だけは、私のあなたでいてちょうだい。
その時が来たら、きっとあなたを解放するわ。
あなたの幸せを、主として祝福して、送り出してあげるから。
「ザック」
「……何ですか、お嬢様?」
ザックが睨むように私を見る。あなたの瞳に私が映る。
それすらも、価値のあるひと時よ。
きっといつか、大切な思い出になる。
「今日は私、行きたい所があるの。街中を歩くわ。決して、私から離れないで」
「わかった」
ザックが神妙に頷く。
どうか、今だけは離れないで。私と共に過ごして。
いつか離れるのならば、傍にいられるうちにたくさん幸せを私にちょうだい。
私のあなたでいられるうちに。
《ザック視点》
今日は出勤日だ。
あの夜以来、初めてお嬢様に会う。
昨日の夜は、なんか色々考え過ぎて、ワケわかんなくなって、酒を飲み過ぎちまってさ。
寝坊しちまった。
朝、息が苦しくて目覚めたら、ハルソケアさんが、俺の顔の上に濡れた雑巾を……!
「何してんだ、殺す気か!」と抗議した俺に、
「お嬢様に休みをもらった挙げ句、休み明けに寝坊するようなクソダメ人間なんて、そのまま目が覚めなければよかったのによお……おおん!?」
と言い捨てて、ハルソケアさんは俺の部屋から出ていった。
あの眼力、マジでチビりそうだった。
なんなんだよ、あの人は……。
ともかくも、俺は慌てて服を着替えてお嬢様の部屋に向かった。
部屋に入り、お嬢様の姿を見る。
綺麗だ。
不機嫌そうな顔で、ちらと俺を見たお嬢様の瞳が艶めいた気がして、ドキリとする。
俺はなんだかまともにお嬢様の顔を見れなくて、「遅い」と言ったお嬢様から目を逸らしたまま謝った。
そんな俺の名前を、お嬢様が呼んだ。
胸がざわめく。
嬉しいような苦しいような、そんな複雑な気持ちを見透かされまいと、俺は目に力を込めてお嬢様を見返した。
「今日は私、行きたい所があるの。街中を歩くわ。決して、私から離れないで」
街中……。この前みたいに襲われる可能性もあるからな。
お嬢様を襲い、その肌に触れる輩ども……。絶対にお嬢様には指一本触れさせねえ。
俺が、絶対に守る。守るんだ。
「わかった」
俺は、決意を込めて頷いた。
その日の午後、お嬢様と俺は、王都の中でも特に賑わいを見せる商業区に降り立った。
お嬢様は、平民でも少し良い所の娘が着るような、簡素で質の良い水色のワンピースに着替えて、俺の隣を歩いている。
二人で。
そう。二人きりで、だ!
いっしょに着いてきた侍女は、御者のガンダム爺とガンダム爺の家で待機している。
お嬢様が行きたいのは平民の娘達に人気のカフェで、そこのレモンケーキを食べてみたいらしい。
俺と二人きりなのは、いざという時にお嬢様だけを集中して守れるから、だそうだ。
王都は今日も人が多い。
離れて歩くと人波にもっていかれてはぐれそうだからと、お嬢様は俺の袖を少し掴んで歩いている。
な、なんだか、これじゃ、まるで……。
「ふふ。こうしていると、平民の恋人同士に見えるのかしらね、私達」
お嬢様の言葉に俺の肩が強張る。
そろそろと隣に目を向けてお嬢様を見ると、珍しくお嬢様が笑っている。
しばらく歩いていたからか、少し頬が紅潮して、綺麗なのに愛らしくもあり、俺は、俺は……!!
バキッ!
「ええ!!何やってるの、ザック?!」
「いや、その、なんか、よくわかんねえからとりあえず自分をぶん殴りました……」
「どういうことなの……??」
お嬢様が、セルフ殴打した俺の頬に手を当てて、怪我を確かめている。
頬の痛みはたいしたことない。俺はA級冒険者だ。守備力なら自信がある。
それより、手……。お嬢様の手が、俺の頬に触れ……。
ああクソッ、俺の心臓をどうにかしてほしい。
まるでパワービートコングのドラミングだ。
ドコドコドコドコ、うるせえんだよ!
「だ、大丈夫だから!ほっぺたも心臓も、絶好調で死にそうなくらいだぜ!」
「それは、大丈夫といえるの?」
お嬢様の顔の位置が近いです。
心配そうに、俺を見つめるお嬢様から目が離せない。
なんだこれ、ナンダコレ。
嘘だろ、俺は……。だって、俺はリミルちゃんと……。
「大丈夫そうね。まったく、自分で自分を殴るなんて馬鹿なことしないでちょうだい。心臓が止まるかと思ったわ」
俺は現在進行形で、心臓が止まりそうです!
「早く行きましょう。売り切れてしまうかもしれないわ」
お嬢様が俺の袖を引っ張る。
その勢いでお嬢様の手が袖から離れた。
「「あ……」」
離さねえ!
俺は咄嗟にお嬢様の手を掴んで、そしてやらかしたことに気づく。
貴族のお嬢様の、いや、お嬢様の手を握ってしまった。
ままま、まずくないか?!
庶民の俺に手を握られるなんて、お嬢様からしたら屈辱なんじゃ……。
また平手打ちの刑かも。
ああ、でも、この細くて柔らかい手を、今すぐ自分から離すなんてできそうもない。
も、もう少し、この感触を堪能してからでも、いいですか……!?
でも、お嬢様は、俺の手を振り払わなかった。
それどころか、逆に俺の指を少し握り返して、こう言ったんだ。
「こうして……手を繋いで恋人同士のふりをする方が、不自然ではなくていいかもしれないわね」
え、えええ!?
「え、えええ!?」
思わず心の叫びが口をついて出た。
お嬢様が顔を真っ赤にして、俺を睨む。
「黙りなさいっ。……い、嫌なの?」
「嫌なわけありませんん!!」
「そう。だったら構わないわね!」
お嬢様が俺の手を引いて先々歩いていく。
いや、お嬢様、街中を歩かないんだから、お店の位置がどこか知らないだろ!
ちょ、そっちじゃねえよ!
「お嬢様、こっち!お店はこっちだから!」
俺の制止の声に赤い顔で振り向いて、「なら、あなたがさっさと歩いて先導なさいよ」と恥ずかしそうに抗議するお嬢様は、この世で一番可愛くて……。
今度は俺が、お嬢様の手をしっかり握って歩き出す。
もうすぐ店が見えてくるはずだ。
離したくねえな……。
俺……、お嬢様が好きみたいだ。
うおおおお!
リア充、爆ぜろ!!!(魂のシャウト)