第8話 横浜買いもの紀行
前回のあらすじ:マネージャーの不思議な眼は人の特性を見抜ける能力があった
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「今水さん! 今水翔子さんでしょ?」
ショーコは驚いた。入学して半年、学校で人から話しかけられる事など滅多になかったからだ。
「あ、は……はい!」
ショーコがさらにもう一段大きな驚きを見せたのは、自分に話しかけてきた人物が学内でも特に有名な人物だと気付いたからだ。
「アタシの事は知ってる? 1年A組の康崎亜紀って言うんですけど」
「あ……その、知ってます! 前期のテストで学年首位だった……」
容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能──あとついでにお金持ち。康崎亜紀は一昔前の漫画のような陳腐な表現がぴったり合うパーフェクト女子で、ショーコは自分から最も縁遠い存在として彼女を記憶していた。そのスクールカースト最上位、Ms.ハニービーが地味で陰気でつまらない(と自分では思っている)ショーコに話しかけてきたのだから、古典的漫画描写もここに極まれり、という状況だった。
「そう! その康崎! で、ひとつ聞きたいんだけど、そのストラップ……」
「えっ? これ?」
アキはショーコのカバンに付いている青いロゴの入ったストラップを指さした。
「そう、そのストラップ! それ地下アイドル〝ブルー・グランパス″の会場限定グッズだよね!?」
「あ! そ、そうです! 初めてこれ知ってる人に会いました!」
ショーコは地下アイドルの応援など、アングラな趣味を複数持っていたが学校では公にしていなかった。学校という空間では未成熟な若者が限られた人数で集団を形成をしていくのだから、余計な悪目立ちは禁物。厳しいスクールカーストの争いに生き残るには、凝った趣味をオープンにするなど命取りになりかねない行為なのだ。
しかし、そんな中でも些細な小物に己の数寄者の矜持を表現し、見えざる賛同者の称賛を得ようとするのもまた悲しきオタクの性というもの。そこについては読者諸兄にも共感していただけるものと期待している。
「へえ、やっぱり今水さんもアイドル好きなんだ!」
「そうなんです! 実はアタシ小さなイベントホールやライブハウスを回るのが趣味で、今まで色々な地下アイドルを見てきたんですけど、中でも2年前に結成された〝ブルー・グランパス″は音楽・ダンス・キャラクター全てで抜きんでていると思うんですよね! 特にリーダーの椰子ノ木カナメちゃんは出身地の大阪のノリを活かした軽快なトークでテレビ受けもすると思うし、身長165cm・B84・W57・H85のプロポーションで最近はグラビアにも……」
同好の士を見つけた歓喜からかショーコは我を忘れて熱く語り始める。
「詳しっ! ウィキペディアか!」
「あっ……そ、そ、その……ごめんなさい」
我に返ったショーコがアキに謝罪するが、アキはカラッと笑ってみせる。
「ふっふ! いいのよ……でも一つだけ間違ってたね」
「え?」
「椰子ノ木カナメは活動拠点は大阪だけど、出身地は兵庫県神戸市……間違われやすいとこね」
「あ……」
「どう? 私のデータもなかなかでしょ? アイドルに関しての知識じゃ負けないから」
くだらない知識の張り合いだ。しかし、その知識の誇示こそ傾奇者たちにとっての最良のコミュニケーションであり、そうでない者たちには分からない仲間意識となる。そこについては読者諸兄にも共感していただけるものと期待している。
「やっぱ思った通り、今水さんとは濃い話が出来そうだわ!」
「あ……康崎さん、あ、あのアタシ……」
ショーコがアキに何かを伝えようとした時、休み時間の終わりを告げるベルが鳴り響いた。
「あ、始業ベル! じゃあさ、また今度話しにきてもいい?」
「……ぜ、是非!」
「ほんと? よかった! じゃあまたねショーコ!」
そう言うとアキは、ショーコに手を振り颯爽と去っていった。
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マネージャーになって1週間。カジは早くも挫折感を味わっていた。
それはつまり、彼女たちとのコミュニケーションについてである。
カジは元々アイドル事情には疎かったが、マネージャーになってからは一応彼女たちの事については調べていた。雑誌の紹介ページを読んだり、ネットで評判を検索したり、ご丁寧に倉原から届いたライブのDVDを観たりするなどしてだ。
『この3人は最高のメンバーだと思ってます! 今は一日一日がとても充実しています!』
家のモニターに映るのはヒロがインタビューに答えている映像である。
「ハキハキ喋って、ワイワイ楽しそうで……高校の文化祭の準備ではしゃぐ仲良し女子グループって感じか?」
『ライブに向けて3人で話してる時は本当に楽しいです! このメンバーなら何だって出来るんじゃないかって本気で思えてくるような……』
今度はモニターにハルヒが元気いっぱいに話す様子が流れる。
「うーん、参ったなあ……こういうタイプの女子とは今まで絡んでこなかったし、そもそも最近の女子高生って何を話したらいいんだ?」
ミナミティのインタビュー動画を眺めながらカジは、あまりに自分と毛色の違う雰囲気の彼女たちに対し、どう円滑にコミュニケーションをとろうかとシミュレーションしていた。
その結果、彼女たちが興味のありそうなものを「甘いものとかファッションの話」と断定し、「お菓子の鉄人前田が教える日本の銘菓100選」や「月刊オラオラファッション原宿編」などの本で勉強し、ズレたおっさんの感性を披露する準備を着々と進めていた。
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「ふーー練習お疲れ様でした!」
山手米洲女学院、第二室内運動場。午前中の練習メニューをこなしたミナミティのメンバーにカジはねぎらいの言葉をかけた。
「練習キツかったっすよね? 一休みするのにお茶を用意してますよ! そうそう、お茶に合うスイーツと言えば…」
「アタシ甘いものは控えているんですよね」
ヒロがそっけなく答える。カジは話の腰を折られてしまったが、めげずに別の話題を彼女たちに振ってみる。
「あっ昨日テレビで見たんですけど、最近近桜木町にすごくおしゃれなショップが出来たみたいですね!」
「桜木町なら最近ランニングでよく走るんですけど、あの町はパワーの低そうなお洒落野郎ばかりで、つまんなそうなんすよね~!」
ハルヒの切り返しで再び話の腰を折られるカジ。
「そういえば今年の冬はあったかいですね~、桜がもう咲くかもって話で……」
「……はあ」
ショーコが困惑気味に答える。
「…………えーと」
言葉に詰まるカジ。天気の話すら続かない体たらくだ。カジと彼女たちの距離感はもう1週間ずっとこのような調子だった。
(うぅ……居辛い……なんだこの空回り感は……)
先日の講演会での事は結局大事には至らなかった。学校関係者が彼女たちのキャラを理解していた為、「あいつらならしょうがないか……」と、半ばあきらめ気味に独演を認めてくれたのだ。しかし、いくら丸く収まったとは言え、カジにしてみれば勝手な行動を起こす彼女たちはレベルが高くて命令を聞かないポ●モンのようであり、忌々しくも感じられた。だが、カジは頭ごなしに怒るより先に、まずはマネージャーとして彼女たちの信頼を得ようと色々試行錯誤を繰り返していた。ただし、結果はご覧の通りである。
「ハア……じゃあ今日のスケジュールはここまででなので、解散しましょうか……」
コミュニケーションの成果を得られず肩を落とすと、カジはとぼとぼと出口に向かい歩き出す。
「あ、ちょっと待って」
思いがけずヒロがカジを呼び止める。
「今日はまだ付き合ってもらいたいんだけど」
「あれ? 今日のスケジュールはまだ何かありましたっけ?」
カジは手帳を確認するが、その日の午後の予定は記されていなかった。不思議そうに首をかしげるカジにヒロはニッと笑って答えた。
「ふふふ……お買い物♡」
*
「【ラ・ミレプラザ】! 久しぶりに来たわね!」
山手米洲女学院から車で20分。ミナミティ一行はこの地域で最大のショッピングモール【ラ・ミレプラザ横浜】に訪れていた。敷地面積はおよそ250,000㎡。年間の延べ来場人数は3,800万人以上。各種レストラン、アパレルの他、映画館や水族館、コンサートホールなども常設された関東有数のレジャースポットである。
「あの……ストーカーに狙われているんすよね? こーいう人が多いところはストーカーが紛れてるかもしれないんで、買い出しするなら俺が一人で行ってきますけど(早口)?」
カジはぶっきら棒な言い回しながら、親切心からミナミティのメンバーに提言する。
「バカ? ボディーガードが離れてどーすんの? それに買い物は自分たちでしなきゃ意味ないじゃん」
「……はあ」
ヒロはカジの発言を軽くあしらう。彼女たちは彼を運転手か荷物持ち程度にしか考えていないのだろうか。まだ、出会って日が浅いのだから信頼関係を固められないのは仕方ないと言えば仕方ないのだが、カジは自分の扱いの低さを再認識してため息をついた。
「もーヒロちゃんの毒吐き~! ムタ~! そーいう言い方は無いでしょ~! カジマネ気をつかってくれてんのにィー」
三人の中ではハルヒのみ、時折カジにフォローをしてくれる事があった。カジにとってはそれが唯一の救いであったが、優等生に庇われるいじめられっ子の様で幾分申し訳なさもあった。
「や、いいんすよ。それより……」
カジは後ろを振り向く。一行の後方、少し離れたところをショーコが俯きがちに歩いていた。
「ショーコ元気ないん? どしたん? セイリームーンなん?」
「ハル、あんたねえ……」
「オ! ここの店きたかったんじゃ~(広島弁)」
ショーコは先ほどから何か考え事でもしているのか、ほとんど発言せずに付いて来ていた。
「あ、あたしはちょっと考え事してて……気にしないで大丈夫だから」
ミナミティのメンバーの一人、今水翔子。黒髪眼鏡の正統派図書委員タイプで、たまに見せる天真爛漫な笑顔がステキ……というのがアイドル雑誌の彼女の紹介文である。確かに彼女たちの中では一番物静かな印象をカジは受けていた。
「今は新曲の作詞が上手くいってないからねえ……何か考え事するといつもあんな感じなの」
ヒロがカジに対して説明する。考え事とはすなわち歌詞作りの事を指しているのは明白であった。ショーコは三人の中でも特に詩を作る才能があり、ミナミティの楽曲の歌詞は彼女がほとんど考えていた。しかし、今回の新曲作りではその歌詞作成の工程が滞っており、レコーディングの日程を考えると既に期日はあと数日というところまで迫っていた。
「気分転換になればいいんですけど……まあ、お買い物してればそのうち元気になるかも」
ヒロは心配そうにショーコを見つめる。今回、ストーカーに狙われている危険を押しても外出したのは、彼女なりの気配りがあったのだとカジは察した。
(う~ん、考え事してる時は俺ならそっとしておいて欲しいけどなあ……女子だとそのへん違うんだろうか?)
カジはあえて自分の考えは口にせず、ミナミティのメンバーの余暇に黙って付き添うことに努めた。よくよく考えればカジにとっても、彼女たちの事を深く知るいい機会なのだ。業務を円滑に進めるには、仕事仲間と打ち解ける事が必要不可欠。カジはあまり余計な事は言わず、彼女たちの雰囲気に身を任せて動向を観察する事に徹しようと考えた。
ミナミティ一行は、彼女たちに気付いた地元ファンにだけ騒ぎにならない程度に挨拶しつつ、洋服屋や雑貨屋、フードコート等を回った。
「カジさん、あなたも服とか買ってくればいいんじゃない? 紳士服も売ってるとこあると思うけど」
「あ、俺?」
ヒロがカジに提案する。
「なんならアタシが選んであげようかな? マネージャーは背も高くてがっしりしてるし、似合う服はたくさんあると思うなー」
「えっ? そ、そっすかね~?」
彼女の発言を訳すと「付添人がダセえ服着てるとこっちも恥ずかしいからもっとマシな服を見繕ってやるよ」であるが、悲しいかなヒロの発言の真意を見抜くにはカジの女性経験はあまりに少なすぎた。
「そうだよカジマネ! あっ! あそこのお店のコートとか似合いそうじゃないスか?」
ハルヒも便乗し、近くの紳士服店のショーウィンドウを指さす。
「いやあ、でも俺は大丈夫ですよ。このコートも結構気に入ってるんでね」
カジは迷彩色の古ぼけたモッズコートを着ていた。
「そうかしら? そのコート……ボロボロだし、ミリタリーオタクみたいだし、もっとお洒落なコート買った方がいいんじゃないかしら?」
「えー、アタシはかっこいいと思うけど! 戦う男って感じで!」
「オ、ハルヒちゃんは分かってくれるか!」
道中、そんな他愛のない会話をしながらもミナミティのメンバーは買い物を楽しんだ。カジは振り回されつつも、彼女たちと僅かに親密になれたようにも感じ、少しばかり安堵していた。異性との付き合い方を疑似的に訓練する装置であれば、好感度メーターが上昇した旨のテロップが表示されたに違いない。
しかし、傍から見れば若く美しい女性たちに囲まれて買い物するアラサー男性など妬みの対象でしかない。特に彼女たちに歪んだ好意を抱く輩がこの光景を見ていたのだとしたら、どう思うかは想像に難くない。
「…………許せん」
雑踏の中──何者かの声は喧騒にかき消され、一行の耳に届くことはなかった。