第4話 登竜門
前回のあらすじ:ゲームセンター【大龍】に逃げ込んだ自称パラディン。追いかけっこの末カジがたどり着いた場所では少女二人がトラブルに巻き込まれていた。そこにもう一人少女が現れて……
「アキちゃん!?」
「げ、アキ! でも、ちょうど良かった!」
アキと呼ばれた少女が渦中のエリアに向かって歩き出すと、衆人たちは自然と彼女の進路から退き道を作った。やかましい施設内の喧騒が無くなってしまったかのように、彼らは少女の静かな挙動に注視する。一歩一歩の足音すら聞き漏らす事が許されないかの様であった。
アキと呼ばれた少女は二人の少女の前まで歩み寄る。
「やっと見つけた……さあ、学校に戻るわよ!」
少女たちにそう言い放つと、今度は騒ぎの元凶である男たちに視線を向けた。
「でも、その前に……」
少女は男たちに向かって歩き出す。
「おっおっ!? 何だ、俺か!? 俺に文句があるのか??」
クロヌキはアキの雰囲気に飲まれてたじろぐが、アキの方はクロヌキのことなど眼中に無く、彼の脇をすり抜けるとカジとパラディン(仮)の二人に近づいた。
「アッ! これはやばいナリ……」
壁際に追い詰められていたパラディン(仮)は小さく呟くが、アキは彼もスルーしてカジの目の前で足を止めた。
「へ? 俺?」
少女は緑とも水色とも言えぬような透き通った色の瞳でカジをじっと見つめる。古美術商が絵画や彫刻を鑑定する時の様に、まじまじと品定めするような視線だった。カジは何か自分の全てが見通されているような不思議な感覚を味わった。
「な、なんだアンタ!? 見ての通り、俺は今取り込み中で…」
「……へえ珍しい……やっぱり“龍”なんだ」
「……は? リュウ?」
少女はふふっと無邪気な笑みを見せる。トラブルの渦中にいる事など全く意に介さぬような仕草であった。
「これはちょっと期待できるかも!」
「え? へ? え?」
辺りに不思議な空気が滞留する。サーカスの幕間を仕切る道化のようにアキと呼ばれる少女がゲームセンター【大龍】の時間を支配しているかのようだった。次はこの少女がどう動くのか、その場の誰もが彼女の一挙動に注視していた。
「ヒロ、ちょっとこっち来て」
アキが立ち尽くすヒロに手招きをする。
「え!? アタシ?」
ヒロは困惑しつつも呼びかけに応じると恐る恐るアキに歩み寄った。
アキはヒロが近づいてくるなり、彼女のスカートの端をすばやく掴み──なんとそのままめくりあげてしまった!カジの視界には突然白く美しい生足と水色の綿100%下着が飛び込んできた。
「なあ!!!!」
「ちょっっッ!???」
一瞬の沈黙──そして……
「ヒューーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
「なんだか分からんがイイゾ~、姉ちゃん!」
「畜生! こっちからじゃ見えなかった! もう一回やってくれ!」
にわかにオーディエンスが沸き立つ。しかし、角度からして彼女の下着が見えたのはカジだけである。若い娘の生下着が見られたとあっては、正常な男性であればいかに清廉な者でもToLOVEリングは隠せないもの。しかし、カジは戸惑った表情を見せるだけで特段のToLOVEリングは見られなかった。ムッツリスケベであろうか。いや……
「アキィイ!! 何すんのよッ!!!」
「ふーん、乱れなし……か、そっちのケがあるって訳でもなさそうだけど……」
アキは激怒するヒロをスルーし、こくりと頷いて何故か感心した様子を見せた。
(な、なんだこの女たちは……一体何がしたいんだ!?)
「もうほんと何なの~ッΣ(♯`△´)ノ!!」
「ああー、ごめんねヒロ。実は…」
「オイオイオーーーイ!!!! さっきっから俺を差し置いて一体何なんだあ!?(ちくしょうパンツ見えなかったぜ!)」
半ば無視されていたクロヌキだったが、ようやく場の空気に順応し、当初の怒りを思い出して不満を爆発させた。
「あんたもこの金髪ネーチャンのツレか!?」
アキは怒った様子のクロヌキを一瞥する。
「ふーーん…………あんたはネズミね。紫のネズミ……声がでかくて悪そうな素振りをしてるけど、意外と繊細なんだ」
「は!??? んだとテメエ!!」
アキの侮辱ともとれるセリフを聞くと、クロヌキの怒りは更に増した。
「ちょっと挑発しないでよ! こいつはアタシにゲームで負けて腹を立てていて…」
「なんていうかー☆ ゲームばっかやってるネクラ君のくせにオラついててキモイっていうかー、そのゲームですら女の子に負けちゃってダサダサっていうかー、どうせいい年して彼女もいないんだろうしぃー……アラ、アナタもしかしてチェリーちゃん?」
「がっ……オ、オンナ……言ってはならぬことを……」
アキは挑発的なセリフを激昂するクロヌキに浴びせかけると、ふいに呆然と様子をみていたカジの腕をひっぱる。
「と、このアタクシの彼氏が申してました~」
「……は!???」
「アキちゃん!? 彼氏って!!」
カジにしてみれば青天の霹靂だ。再び渦中に呼び戻される。
「おうおうおう! 好き放題言ってくれるなニイちゃん! ここまでコケにされれちゃあ、男・クロヌキ!! 引き下がる訳には行かないぜ!!」
「え? え? いやいや……なに? どういうこと?」
もちろんカジはこの少女の事など知る由も無いし、ましてや彼氏彼女の関係でなどあるはずも無かった。
「若い彼女の前でイキるのは結構だがなァ、ロリコンヤロウ! 俺が対戦ゲームだけじゃなく喧嘩の実力でも全国区だということはどうやら知らなかったようだな!」
増大した怒りの矛先をカジに向かって突きつける。カジは遅ればせながら場の空気に対応し、反論を試みる。
「いや知るか! それに彼女じゃねえし! 俺は今こんなことしてる場合じゃないんだよ! あのヘンタイヤロウから書類を取り返して、一刻も早く仕事に行かなくちゃならなくてだな」
「そのヘンタイってのはどこにいるんだ?」
「どこって、お前も見てただろ。すぐそこに…」
先ほどまでパラディン(仮)がいたはずの空間に目を向けるも、彼の姿は消え失せてしまっていた。
「あーーーいない!!? アイツどこ行きやがった!??? 畜生、はやく探さないと…」
カジはすぐさまきびすを返そうとするがクロヌキに肩を掴まれる。
「オーイ、変な言い訳して逃げようとすんなよ! 今更になってびびってんのか!?」
「てめー離せよ! 面倒くせえな! ……てか君もふざけた事言ってないでコイツに説明して……誤解を……って」
今度は少女たちの方を振り向くが、アキもクロヌキにからまれていた少女二人もいなくなってしまっていた。
「あ、あれえーー? こっちもいない~!?」
気づけば渦中にはカジとクロヌキの二人だけ。20世紀初頭のバルカン半島並に複雑な問題構造は解消され、跡には何故か国際紛争の対戦カードだけが残っていた。
「ケッ! 女にも逃げられたか! どうせ金で釣って制服を着せて連れまわした挙句、変なプレイを強要して嫌われちまったんだろ!」
「なんだその具体的な妄想は! だからチェリー扱いされんだろ!」
「て、てめえ……もう許さねえぞ!」
「あっ、いかん! また余計なことを言ってしまった!」
「今日は不快なことばかりだ! お前をぶちのめして憂さ晴らしさせてもらうぜ!」
カジの周りはこれまたいつのまにか間にかオーディエンスが囲み、人垣のリングが出来ていた。
「ケンカだケンカだ! いいぞ、やれやれー!」
「俺たちは血が見たいのだ……イキったオタクとDQNのな……」
「クロヌキ~これ以上恥かくなよおー!!」
やじ馬たちの興奮も頂点だ。事ここに至ってはクロヌキも引き下がれぬだろう事はカジも理解できた。俗に言う、血を見るほかにない……という状態だった。
「ハア~~~?? な、何故こんな事にィ……」
カジは嘆きつつ、今日ここに至るまでの経緯を思い出すも、見ず知らずの男とストリートファイトする様な因果は皆目思い至らない。しかし、困惑するカジをよそにクロヌキは臨戦態勢、やる気マンマンであった。
「ニイちゃん! 覚悟しな!」
勝負は既に始まっている。今考えるべきは過去のいきさつでは無く、状況打開の方策。つまり喧嘩の勝ち方だ。
「オラァ!! くらえ!!」
クロヌキが腕を振りかぶり、カジに突進した。素人ファイターの使用技頻度ランキング第1位、利き腕の大振りフックだ。
「ちょま!!」
カジが身をひるがえすと、クロヌキの放ったフックは空を切った。回避動作でカジの上半身はのけ反ったが、右拳と下半身は既に反撃動作に入っていた。長い修練の上で会得した流れるような身のこなしだ。
「はさ……」
続いて完璧なタイミングで踏み込む。教本通りのカウンター正拳突き。しかし……
(うっ! ダメだろ今は……条件が揃っていない!)
カジは寸での所で拳を打ち込むのを止め、構えを解いた。
「ああっ??」
反撃もせず棒立ちのカジにクロヌキは面食らう。そしてカジは反撃の代わりに言葉を投げかけた。それはこの期に及んで、何とも違和感のある問いであった。
「なあ? これは勝負か?」
「ハア!?」
「そう……俺とアンタのさ……合意の上での真剣勝負かな、これは?」
「てめえがケンカ売ってきたくせに勝負もくそもあるかよ!」
既に興奮状態のクロヌキには問答は通じない。反撃の様子が見えないカジに対して再びクロヌキは突進する。
「そうか……ぐは!」
カジの腹部目掛けて放たれたパンチが今度は命中する。先ほど見せた華麗な身のこなしは鳴りを潜め、熟練の格闘家なら避けることも難しくないような攻撃にわざと当たったようにも見えた。
「なんだ~!? イキってたくせに全然弱いじゃんかよ~!」
そこからは一方的な暴行が続いた。カジは抵抗することも無くひとしきり殴打を浴びると、人混みを掻き分けてくしゃくしゃになりながら【大龍】を脱出した。
「ハハハ! ウケる~アイツよええー!」
「俺、今の動画撮ってたからネットにUPするわー」
「【悲報】イキリDQNさん、くそ弱い」
オーディエンスの嘲笑を背に受ける。ほうぼうの体という言葉がこれほど似合う様も無いだろうという無様さで……
その後、結局パラディン(仮)の行方はつかめなかった。カジは契約書とスタッフ証を盗まれたまま、先ほど勢いよく走りぬけてきた道を宛ても無く引き返していた。行きはよいよい帰りは……といった風情である。
「……なにやってんだろな俺」
お散歩デートにはうってつけの街並みだったが、やはり今のカジにはそんな景観を楽しむ余裕はない。通りのショーウィンドウに映った自分を見やる。体のあちこちにはアザと擦り傷。スーツはクシャクシャ。腕時計の時間は約束の集合時間を大幅に過ぎていることをカジに教えてくれた。
「初出勤の前にこの有様か」
カジの足は山手米洲女学院向いていたが、このまま職場に向かったとしてもどうなるというのか。初出勤で大遅刻。書類は紛失。身なりはボロボロ。3か月以上の雇用どころではない。雇い主が正気なら即刻クビが言い渡されるだろう事は疑いなかった。
「お前がそこまでバカとは知らなかった……そんなことまでフォローしきれないよ」
途方にくれて電話した倉原にも当然のように突き放された。
「自分でなんとかしろよ。お前社会人だろ?」
電話の切られ際にはき捨てられたセリフが、カジに重くのしかかる。恥ずかしさと、申し訳なさと、度重なる不運への怒り。さまざまな感情から、カジの胸中は誰かに責任を押し付けて逃げ出したい気持ちが噴出する。
「あーあー! ったくバカらしいぜ! 今回だって俺はなーんにも悪くないのにさ!」
虚空に向かって叫ぶ。
「ペコペコ頭を下げて事情を説明するのか? どうせ誰も信じてくれないのに? は~あ! やってられっかよッ!」
正当な理由が有るのならしっかり説明すればいい……と思うだろうか?しかし、自分の立場になってよく考えてほしい。学校や職場で、あなたは人の言い訳を十全に聞いて、その過失と免責の割合を理性的に判断したという経験があるだろうか?個人の込み入った事情を把握するのに十全に時間を割くだけの余裕があるだろうか?そして、例え正当な理由であることが証明されたとして、あなたは見苦しく言い訳を並べる相手にマイナス感情を抱かないで済むのだろうか?答えは確認するまでもないのだ。
「大体アイドルのマネージャーなんて元々やりたかったワケでもないし、そんなんだったらいっそバックレて……」
「社会的責任」という言葉には言い訳無用であるという意味も含まれている。その程度の事はカジも理解していた。理解してはいたが、だからと言って素直に耐える事が出来るかと言えばそうではない。だから、ここで責任を放棄し逃げるという選択肢もなくはないだろう。しかし……
(「逃げ出したいなら逃げ出せよ」)
かつてカジが誰よりも憎悪した人物の言葉がフラッシュバックする。
(「逃げ出したいなら逃げ出せよ……すべてほっぽり出してさ。一生戻ってこられなくてもいいならな」)
全て投げ出して逃げてしまえば一生戻ってこられない。人生やり直しは何度でも効くというのは虚言だ。時間は止められないし、まして戻せもしない。頭の中を反芻した言葉がカジの足をぎりぎり前に踏み留めさせた。
「………………あーーくそーー!! 行きゃあ良いんだろ行きゃあ!!」
カジは再び坂を上り、山手米洲女学園を目指した。
カジが学校の前に辿り着くと、辺りを見回した。既に夕方の時間に差し掛かっていることもあってか先ほどの用務員の姿は既に無かった。流石に入りづらく、カジは校門の前で逡巡する。しかし、ここまで来ておいて帰るという選択肢はない。
「今度こそ……行くか」
カジは意を決すると大きく息を吸い込み、門をくぐった。
「ふーん、意外と遅かったじゃん」
「えっ!?」
振り向くと門の内側の壁沿いに少女が立っていた。
「その様子だとあの後さんざんボコられちゃったのねー」
「あ、あ、アンタ、さっきのゲーセンにいた……」
先ほどゲームセンター【大龍】に突如現れた少女アキであった。
「おい、アンタのおかげでこっちは酷い目にあったんだぞ!」
「あんなやつに苦戦するようにはとても見えないけど……何か手を出せない理由があったの?」
「契約書は盗まれるし、殴られるし、スーツはクシャクシャになるし……今日は初出勤だったんだぞ! それを……それを……」
「素人には手を出さない主義とか? 乱暴者よりは遥かにいいけどねえ……まあいいか」
お互いが会話をキャッチボールするつもりもなく、言いたいことだけを喋り続ける。
「あっ! そうだ、アンタも雇い主の所に一緒に来て事情を説明してくれよ! そうだ、そうしてくれればきっと分かってもらえ…」
「雇い主なら目の前にいるわよ」
「……え?」
「まあ及第点ね」
「はあ……?」
「ミナミティのマネージャーになるための絶対条件は二つ! まず第一にミナミティに邪な感情を抱かない事!」
カジはパラディン(仮)のある言葉を思い出していた。
「……ま、まさか」
いわくミナミティのマネージャーは彼女たちの同級生であるという事……
「そして二つ目は強い事! カジさん、あなたは両方の条件を満たしている」
「マネージャー兼プロデューサーを務める同級生ってのは……」
「欲を言えば頭も良いほうがいいんだけど……まあ、それはいいとして」
アキは屈託のない笑顔を浮かべる。
「今日からアナタがミナミティの二代目マネージャーよ! ヨロシク、カジマネージャー!」