第41話 舞台裏のカーニバル(後編)
前回のあらすじ:カジとツウゴの暗躍によってミナミティの処刑は阻止された。そして、舞台上でセカンド・ノアの煌びやかなイベントが始まる中、舞台裏でもカジたちとストーカーの最後の戦いが始まる……!
「ふウ~~~!!! ハアッッーーーーーア!!!」
怪しげなカプセル錠を噛み砕いて飲み込んだ手廻の身体は痙攣を始め、肌は熱湯でもかけられたかのように真っ赤に変色し、上半身の筋肉が目に見えて隆起してきているのが見えた。
「……ッ! 人格獣のカタチが更に凶悪に……!」
「お嬢様、後ろにお下がりください!」
どう考えてもまともな薬ではない。最後の切り札である事を彼が匂わせていた事からも、副作用の激しい諸刃の剣である事が伺えた。
しかし、それ故に変異した彼の姿は決してハッタリではなく、戦闘能力を飛躍的に向上させたこともまた間違いないようであった。
「おい、くノ一」
「……何だ?」
カジがミカに視線を向ける。
(今までミナミティの周囲で感じていた気配はコイツだったんだな……まさかプロデューサーが忍者まで雇っていたとはな)
「ここはもういい。プロデューサーとミナミティのいる空調機室に行ってくれ」
「なっ!? 私の主はアキお嬢様で、お前の指図は……」
「ミカ! カジマネージャーの言う通り、早くあのコたちのところへ行きましょう!」
「しかし……」
「早く!」
「……御意ッ!」
そう言うとミカとアキはスタッフルームDの扉に向かった。
「おっと、どこに行くんですかァ?」
手廻は二人を追おうとしたが、その前にカジが立ち塞がる。
「てめーの相手は俺だ」
「クァックァックァックァ!! 面白い!! では、まずは貴方をブチ殺して差し上げましょう…………貴方の得意な空手でねえ!!」
手廻は興奮状態のまま中腰に構える。腰だめに正拳を構えるその姿は紛れもなく空手使いのそれであった。
「ほー、お前も空手か……ではこれは"勝負"だな」
「その通り!! 私は極彩館空手"緑帯"!! 【超人薬】で強化された私の技は防げませんよォ!!」
【超人薬】とは彼が服用したドーピングの名前らしかった。カジは手廻を見据え、構えを取る。
「極彩館の帯持ちか……ならばこちらもガチだ! 奥の手を使わしてもらうぜ!」
*
「「「 あ、危ない!!! 」」」
一方、空調機室のミナミティサイドでも荒事は始まっていた。
「死ねえ! 偽ヒーロー!」
興奮状態の本郷は拳銃を構えて射撃準備態勢に入る。
対してツウゴも本郷に対して猛突進!
「……一つ訂正してもらおう」
迫るツウゴに対して本郷が発砲する!
銃弾はツウゴの左肩上段部をえぐるように貫通!
「ぬゥ!!」
しかし、大型動物の突進を拳銃程度では止められないように、38口径の銃弾では猛獣と化したツウゴを止めることはできなかった。
「な、なにィ!?」
本郷はツウゴの勢いに怯んだ。
ツウゴはそのスキを見逃さず一気に距離をつめ、勢いのままに本郷に組み付いた。
「僕はヒーローじゃない」
がしっと組み付いたまま、右足を本郷の右足に掛けた。
次の瞬間──
「ぬおッ!!??」
本郷の身体が磁器の狂った方位磁石の様に──
あるいは映画でタイムスリップを表現する時の高速回転する時計の針のように。足と頭が高速反転し、地面に凄まじい速度で叩きつけられた。
「こ……おっ…………オ…………」
本郷は受身も取れずコンクリートに全身を強く打ち付けられ、口をパクパクと動かしながら痙攣していた。見事な一本である。
「い、今のは……大外刈り!! 柔道の技です!!」
格闘技マニアのショーコが叫ぶ。そう、ツウゴが仕掛けた技は柔道の大外刈り……現代柔道ではメジャーかつ実戦向きの技として広く知られている技だ。
「柔道!? ほんとこの人何者なのよ!?」
ヒロも驚きの声を上げる。本郷は紛いなりにも警察官であるからして、柔道の心得もあった。その本郷に対してこうも鮮やかに技を決めたのであるから、ツウゴの実力が一様ではないことは明白であった。
「ツウゴさん、つよ~!」
ハルヒの賞賛の声にツウゴは振り返って答えることなく、倒れた本郷を見下ろして言い放った。
「僕はヒーローじゃない……"パラディン"だ」
*
スタッフルームDではカジが奥義を放つための準備動作に入っていた。まずは両拳を身体の前でクロスさせた状態で深呼吸する。
「すっぅーーーー………………"剛-GO-"!!!!」
そして、掛け声とともに目をカッと見開く!
カジの肉体からはオーラのような湯気立ち上った。
「"楼-Low-"………………」
再び目を閉じ、精神統一。
「……"槓-Can-"!!!!」
最後の掛け声とともにクロスした両拳を開け放つ!
同時にカジの身体が白く硬質に変化し、手廻と同じように全身の筋肉が隆起した。
「ぬゥ!! なんたる圧!!」
手廻が叫ぶ。
身体強化には身体強化──これこそカジの最終奥義"剛楼槓"であった。
①"剛"で脳内麻薬を大量分泌させ、いわゆる「火事場の馬鹿力」を発動。
②"楼"で超集中により判断力を研ぎ澄まし、「ゾーン」に突入。
③"槓"で体細胞レベルで肉体を変質。筋力アップに留まらず皮膚や骨の硬化や局所的な間接部の軟化など人知を超えた「超人化」を体に及ぼす。
もはや格闘技の域を超えた絶技であるが、それゆえにリスクも大きい。発動時間は最大で20秒までであり、それ以上の使用は肉体を崩壊させる。また発動時間の長さによっては、発動後の後遺症も残るというまさに荒業である。
「コオオ……!! 梶宮ニュートン流・梶雪男……参る!」
故に決着を長引かすことはできない。カジは一気呵成に手廻に攻め込んだ!
「バカな! なんと非人間的な身のこなし!」
手廻が驚愕の声を上げたのも、無理からぬ事である。
カジの凄まじい身のこなしはまるで密林を縦横無尽に跳びはねるネコ科動物のようにも見えた。同じ身体強化を施した両者であったがその運動能力の差は歴然であった。
(くっ……目で追いきれません! ならば……)
手廻は両手を前に出し、重心を深く落とす独特の構えを見せた。
「【緑面堤防】・"泰山の極意"!!」
極彩館空手の有段者は得意とする戦闘スタイルによって赤・青・黄・緑・橙・藍・紫の七色の帯に大別される。中でも緑帯の有段者は「防御・受け技」を得意とする帯であり、免許皆伝者は【緑面堤防】と呼ばれる技術体系を伝授される。"泰山の極意"はその技術体系の一つであり、回避とカウンターを捨てる代わりに背後天地を含めた全方位に28種の受け技を行使できる絶対防御の構えであった。
(クックック! どこからでも来なさい……上でも下でも背後でもね!)
かつて瓦数十枚を一撃で打ち抜き、【神の拳】と称された伝説の空手王にさえ破れなかったとされる極彩館緑帯が誇る秘技中の秘技だ。果たしてカジに破る術はあるのか。
「さあ、あなたのパンチは瓦何枚壊せますか?」
手廻はカジの大技は長続き出来ない種類の技と看破し、勝負を長引かせるための持久戦に移行しようと企図したのだ。彼の戦術は概ね正しかった。
「フッ! 瓦か……」
この時、カジの脳裏によぎったのはやはり修行時代に聞いた師の言葉であった。
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「えっ? 瓦割り? あんなの何の役にも立たないわよ」
「いや、俺もああいうパフォーマンスは好きじゃないんだけどさ。ウチの流派も名を上げるなら、そーいうのもやった方がいいんじゃないかと思って」
「バカバカしい! ウチは実戦流派だから、そんな日常で役に立たない事はやらないよ」
「まあ、そりゃそうだけど……」
「だいたい今時家の屋根に瓦なんて使わないからさ。割るのはもっと別の建材じゃないと実戦的じゃないわね」
「そういう問題!?」
「まあ、割るんならもっと最新の建材がいいよね……例えば、ガルバリウム鋼板とかね」
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「な!? 正面!? まだ加速!?」
縦横無尽に動きを見せたカジであったが、手廻の絶対防御構えに対して取った戦術はただの正面突破──つまりはゴリ押しだ。戦術もへったくれもない。手廻の戦術は正しかったが、彼はカジの圧倒的なまでの加速にもう一段先がある事を見誤ったのだ。
「 "ガルバ割り正拳"ッ !!!! 」
クシャッッッ!!
乾いた音が室内に反響した。胸骨が砕かれ、骨片が粉塵となった音である。
「…………ぶァっ……ごフ!!」
手廻が防御のために使おうとした両腕は一部肉がえぐれていた。
カジの拳は恐るべき速度で打ち出され、相手のガードを貫通し肋骨をも砕き、内臓に直接大ダメージを与えた。
辺りは静まり返る。沈黙ではない。ただ音や熱を伝える空気が止まっていたのだ。まるで、人知を超越した神のような存在がこの決着の瞬間を空間ごと保存させようとしているかのように……熾烈極まる速度で打ち込まれ、非道な破壊を人体にもたらしはずのカジの右拳は既に腰だめに返り、その姿勢はルネッサンスの美術品のような優雅な美しさに満ちていた。
数秒後……時間が動き出し、手廻がゆっくりと前のめりに倒れるとカジも構えを解いた。カジの身体をまとっていたオーラのような湯気も既に消えており、カジは大きく息を吐いた後に小さくつぶやいた。
「…………押忍」




