第3話 ランデヴーポイント
前回のあらすじ:カジの書類を奪って逃走する自称パラディンとそれを追うカジ
「ああああ~! ミナミティの皆~! 今会いに行くから待っててくれよなァ~!」
「どこまで逃げるんだッ! くそ! ちくしょお! 何だってまたこんなトラブルになってんだよッ!!」
こ洒落たショップが立ち並ぶ西欧風のショーウィンドウ街。坂を下り終えたカジは、繁華街の雑踏の中を未だ激走していた。
お散歩デートにはうってつけの街並みだったが、当然今のカジにはそんな景観を楽しむ余裕はない。
(「ほら、カジ! へばって無いで走んなさいよ! アタシに追いつけたらご褒美にチューして上げるからさ!」)
ふとカジの脳裏には少年時代の修業風景が浮かぶ。カジは体に負荷がかかると反射的に空手道場での過酷な体験を思い出すのであった。ただがむしゃらに目標に向かっていた若かりし頃の記憶。美しい青春時代と呼ぶには血反吐と挫折にまみれ過ぎていたが、苦しいだけのトラウマと呼ぶにはあまりにも希望に満ちた──そんな在りし日の情景だ。
「ちっ! こんな時に何を思い出してんだ、俺は!」
表通りを走り抜け、1km近く続いた不毛な追いかけっこは閑散とした裏通りにまで達した。
「ハアハア! しつこい~!」
徐々に狭い道に追い詰められたパラディン(仮)は通りの角にあるゲームセンター【大龍】に駆け込んでいった。
「あのヤロ……お姉さん! そこどいて!」
ゲームセンターに入店しようとしていた少女をかわし、カジもそれに続く。少女は慌ただしく視界に飛び込んできた男たちに驚いたが、黒スーツの怪しげな男の姿を確認すると何かに気が付いた様な素振りを見せる。
「んん? 今の人って……? ふふふ! これは面白いことになるかも……!」
少女の呟きは嵐のように過ぎ去ったカジの耳には届かなかった。
ゲームセンター【大龍】──施設内は薄暗く、幾重もの電子音が鳴り響いていた。
「クソッ、面倒なところに逃げ込みやがって!」
カジは悪態をつきつつも、パラディン(仮)を見失う事なく追跡を継続する。通路は学生を中心に多くの利用客でごった返していた為、両者とも自由に走り回るのは困難であった。しかし、これはどちらかと言えば追跡側に有利に働き、徐々にカジは距離を詰めていった。
「ぬぅ……はあ、はあ……」
「くぉの……ハア、いい加減止まれ……!」
墓石のように整然と並ぶゲーム筐体群の間をカジとパラディンは縫うように走り抜ける──
さて、ここで二人の追いかけっこからは一旦目を離し、ゲームセンターの内部に目を向けてみよう。家庭用ゲームでのオンライン対戦が全盛のこの時代、ゲームセンターには専ら体感型VRゲームの大型筐体が置かれる事が多い。【VRヨーヨー釣り】【ファイナンスファイター】【戦国の絆】等、人気筐体の周りには待機列や観戦者がひしめきあい、乱射するディスプレイや照明の電子光と相まって小さな銀河系のようにすら見えた。中でも最深部付近にひときわ人混みを形成する巨大なゲーム筐体があった。ファンの間では通称ストツーと呼ばれる対戦型格闘ゲーム【ストライク・ツーリング~木星デスロード~】(発売キャプコム)だ。近未来世界、木星の輪を一周する宇宙自転車レース「ツールドジュピター」で優勝するため、自転車に乗りながら対戦相手と格闘を繰り広げる……という設定のゲームで、VRバイザーと自転車グリップ型コントローラーを用いて操作を行う。世界大会では賞金数十万ドルが出される程の超ビッグコンテンツで、ここゲームセンター【大龍】でも盛んに対戦が行われていた。
「なんだこの女! 俺は、全日本大会であの“ビースト”ユメハラと渡り合った腕だぞぉ! それを……うおぉ!?」
「ふふん♪」
人だかりの中では今日もストツーの対戦が行われている。一人はいかにも玄人そうな雰囲気の男性で、相手は高校生ほどの年齢の金髪の少女であった。少女は濃い目の色眼鏡とニット帽で全体の雰囲気が掴みづらかったが、その状態でも一目で分かるレベルの美貌を持っていた。
「おおおっとォ!! ここで超難度9割コンボが決まったァ!! 全日本ベスト8のクロヌキ氏、まったく手が出せなああい!!!」
少女の背後には、メガネ・キャップ・マスク姿といういでたちのハイテンションな実況解説者がいた。対戦ゲーム界隈では所謂「解説くん」と呼ばれるタイプであるが、体格・声等からしてどうやら女性であるようだ。
「ここでクロヌキ氏意地の反撃ィ! あっあっ!? しかし、これは読まれていた~! 超必殺技をブロックし、すかさずカウンター……き、決まったァ~~!!」
おおお!っと大きな歓声が上がる。対戦ゲームで強豪として知られる選手が野良試合とはいえ一方的に敗れたのであるから、オーディエンスの驚き様も頷ける。
「……ふうっ! ま、こんなところねえ!」
対戦を終えた金髪の少女は背後にいた解説少女に話しかける。
「ショーコ、なかなかこのゲーム面白かったよ。ヒマがあったらまた遊ぶのも悪くないかもね」
対戦相手を一蹴し、金髪の少女は上機嫌な様子であった。
「でしょぉ! ストツーは数ある格ゲーの中でも最高峰とされていて総プレイ人口は全世界でおよそ4,500万人! 野球の競技人口の約1.5倍にもなるの! ヒロちゃんがゲーム好きだって知ってたらもっと早く連れてきたのに……あっ別のゲームでも面白いのがあるんだよね! 向こうにあるダイナマイト刑事VRっていう……」
ショーコと呼ばれた少女は興奮気味にまくしたてる。
「いやいや、もういいって! それに私はゲームが好きっていうかなんていうか……たまたま付き合いでちょっとやった事があっただけっていうか……まあ、嫌いではないんだけど……ってそんな事より、もう行くよ! これ以上遊んでるとアキに怒られちゃうし!」
「え? あっ、もうこんな時間!? 学校戻って練習しなきゃだ! じゃ、ほかのゲームはまた今度の機会ってことで……」
少女二人組は予定が詰まっているらしく、対戦ブースから離れようと歩き出した。すると彼女たちの前に大柄な男が現れ、立ち塞がる形で帰り路を阻んだ。
「いやあー、ネーちゃん強いねえ! 強すぎて俺、感動しちゃったよ!」
対戦相手のクロヌキ(ハンドルネーム)である。筐体の反対側対戦席から回りこみ、わざわざ彼女たちに話しかけたのだ。その動機が彼女たちにとって好意的なもので無いことは一目見て明らかであった。
「あら、それはどうも……」
ヒロと呼ばれた少女は目を合わせず、抑揚のない声で答える。
「【大龍】じゃ見ない顔だけど、今日は遠征してきたの? それとも普段は家ゲー派とか? 大会常連や強いヤツラのグループは大抵知ってるけど、君みたいなコは見たこと無いなあ~……あっ、俺のことは知ってるよね? 昨年のストツー全国大会ベスト8の…」
クロヌキがぺらぺらと喋りだす。何やら回りくどい言い回しであるが、彼女たちにとってはあまり興味の無さそうな話であった。
「いえ、知りませんし、興味ないですし……今日は急いでいるんで、さようなら~」
ヒロはショーコの手を引っ張りながら足早にその場を立ち去ろうとするも、クロヌキが彼女たちの進路を再び塞ぐ。
「何? どいてくんない? あたしら帰りたいんだけど」
「くっくっく、つれないねー。ワンクレ放棄して帰っちゃうってことはないんでないの? もうちょっと遊んでいこーよ。そっちの散々煽ってくれたコも一緒にねえ……」
対戦ゲームの敗北者が勝利者に対し因縁をつける──ゲームセンター特有の店内トラブルだ。ゲームセンターではクラスや職場で肩身の狭いゲームオタクたちが普段開放することのできない闘争心を過剰に発散させるケースが多く見られる。そこに空間の閉鎖性、スポーツにはほど遠い競技マナーの未発達さなども起因し、ほかの遊戯施設ではありえない頻度でトラブルが発生するのだ。
「ヒ、ヒロちゃん……」
「ハア? 何こいつ? アタシら忙しいんだけど」
ましてや若い女性が絡むケースだ。ゲームセンターの男女比はどの地域でもおよそ9:1。男女比率が極端に偏る集団ではそうでない集団に比べてトラブル発生率が飛躍的に上がるという研究結果が出ているとか。そして、このような予期せぬトラブル時には更に留意すべき点がある。それは──
「ククク、いいからつべこべ言わず…」
「ぬおおおおおおおおおッ!! そこどけえええええ!!!」
トラブルは別のトラブルを連鎖的に呼び込む事があるという点だ。
「ああ!?」
二人の男がストツーの巨大筐体の前、ヒロとクロヌキが対峙するちょうど真ん中あたりに飛び込んできた。
「ハア、ハア……やっと追い詰めたぜ……」
「ぬぐぐぅ~~」
カジとパラディンである。かくしてカジの追いかけっこは最悪の場所で終着を迎えた。お互いに意図したことでは無いとはいえ、現在彼らの半径数メートルは暴力事件発生確率が通常値の100倍ほどまで上昇していた。
「ふうー……てめえ……意外と足が速いじゃないか……おら、さっさと契約書とスタッフ証を返せ!!」
「ぐうう! 渡さぬう……これは命に代えてもぉ……」
「もう~! オタクはすぐ命に代えたがる~!」
突然の乱入者の登場に一時面食らっていたクロヌキであったが、数秒して我に返る。
「おうおう何だ、いきなり! 揉めるんならヨソでやんな!」
クロヌキが場の主導権を奪い返そうと二人のやり取りに介入した。
「あ!? 俺は今取り込み中なんだ! お前こそあっち行ってろ!」
カジからしてもこれ以上の面倒は望まざる所。追い払おうとクロヌキに対して食って掛かる。
「はあー、めんどくさっ……なによ、コレ~?」
「あわわわ、えーと、えっと……」
少女たちも新たに飛び込んできたトラブルに困惑する。そして、その異様な様子にゲームセンターに集まった順番待ちのプレイヤーや観戦者たちの注目が次第に集まっていった。
「なんだなんだ? またクロヌキの癇癪かあ?」
「ケンカだ……ケンカがおきるぞ……」
「やれ、どちらかが死ぬまでな」
「うひょー面白い写真をツイッタワーに上げられるかもしれないぞぉ~」
周囲の人だかりはゲームの観戦者から事件の無慈悲な傍観者へと変わっていく。この状況を端的に表せば混沌。20世紀初頭のバルカン半島並みに緊迫した【大龍】の空気は激発の機運が高まり、一同の緊張感は最高潮に達していた。
「ショーコ!! ヒロ!!」
入口方面からふいに声がした。集まったすべての人間が振り返ると、そこには凛とした空気を纏う一人の少女が立っていた。先ほどカジと入り口付近ですれ違った少女だった。