第35話 アイドル天下布楽
前回のあらすじ:写真のストーカー最後の一人、赤い貴婦人を撃破! しかし、その背後には更なる闇が……
カジの車が海に沈む1時間ほど前──
かながわスーパーアリーナ。ニュー武道館に並ぶ、国内最大規模のイベントホールの一つである。今日ここで開催されるイベントはセカンド・ノア──日本のトップアイドルたちが集うこの祭典には全国から多数のアイドルファンが詰めかける。その総数、実に4万人超。会場はイベント開始を待ちわびるファンたちが放つ熱気によって、まるで真夏のような暑さを感じさせた。臨界点に達する直前の炉心のように、あるいは爆発寸前の活火山のように……破滅すらも予感させるほど、彼らの興奮は最高潮に高まっていた。
そんな煮えたぎる窯のすぐ裏側──関係者専用通路からエレベーターに乗る少女の姿があった。ミナミティのメンバーとは別行動で会場に着いたアキであった。彼女は最上階でエレベーターを降りると、「特別観覧室」と書かれた扉を開けた。
「……」
そこはスタジアム全体を見下ろすガラス張りの展望室。いかにもな設計の通り、VIP専用の観覧ブースだ。そこに集っているのは広告代理店幹部や関連企業のトップマネジメント、業界の大物プロデューサーなど……この国のアイドルビジネスに少なからぬ影響力を持つ実業界の巨人たちである。その中にあって高校生の少女の姿は明らかに浮いていた。見ようによっては如何わしいパーティのようにも見える。しかし、アキは物怖じする様子は微塵もなく、海千山千のフィクサーめいた壮年男性たちが居並ぶ中を突き進み、窓際の最前席に陣取る恰幅のいい男性の前で止まった。
「凄い顔ぶれが集まってるのね。告報堂の取締役に、曙テレビの編成部長……あら、ハリプロは社長さんが直接来ているのねえ! みなさん相変わらず……」
下衆な人格獣をお持ちで……というセリフはあえて口に出さなかった。意味が伝わろうはずも無いし、彼らが己の低俗さをいちいち気に掛ける可能性も有り得なかった。
「くっくっく。この国のメディア、ひいては世論そのものを司る″大臣″たちだ」
50前後の恰幅のいい紳士然とした男はアキの方に視線を向けることなくそう答えた。口調はおだやかであるが、有無を言わさぬ圧があった。
「メディアは警察や軍隊以上の強制力を持つ支配機構……でしょ? お久しぶりね、パパ」
「アキィ~久しぶりだなァ、すこーし大きくなったんじゃないか?」
「身長は変わってないわ。パパは普段通り忙しいみたいね」
「おかげさまでな……それより、ママが心配している。俺もお前が出て行ってから寂しくて仕方がなかったぞ?」
「ふふ、相変わらず心にも無いことを話すのがうまいね」
「へっへっへ、そこはお互い様……なあ我がムスメよ。親子二人、考える事は似通うもんさ」
語気は強くないものの、お互いを疎ましく思っていることがヒシヒシと伝わる。親子同士の会話にも関わらず、彼女たちの会話に親密性は全く感じられなかった。
「もったいぶらず用件を言ってみたらどうだ?」
嫌味の応酬に飽きたのか、父・明日志はアキに問いただす。
「別に……父親としてのあなたには何の用もない……ただ一言。アイドルプロデューサー康崎明日志にただ一言、宣言しておきたくてね…」
「宣言ん~?」
─────────────────
─────────
────
「アキ、お前は何も分かってないなァ」
2年前のドル1甲子園予選会。
「アイドルの本当の実力? 本当のパフォーマンス? そんな物はな、誰も求めてやしないんだよ!」
「なっ!?」
アキは驚愕した。この国のアイドルプロデューサーとして、誰もが認める最高の権威。名伯楽と謳われたアイドル界の王から放たれたのはアイドルという存在そのものを否定するかのような言葉であった。
「アキィー、アイドルなんてな詰まるところは商品だ。ならば良いアイドルってのは何だ? 歌がうまいアイドルか? ダンスが上手いアイドルか? 違うな……良いアイドルってのは利益を上げるアイドルだ。そして、アイドルという商品を作るのがプロデューサーの仕事だ」
「パパ……」
アキは父の人格獣の姿が醜く歪むのを見た。
「消費者どもはモノの良し悪しなんて分からない。だから、誰だっていいんだよ。アイドルなんてちょっと可愛けりゃな……あとは俺たちがどう上手くラッピングして売るかだけ。スーパーの総菜となんら変わらない」
明日志の演説は続く。
「だいたい、消費者ってやつらはアイドルなんてモンに頭を使いたく無いんだ。分かりやすい歌詞、覚えやすいテンポ、明るくかわいい雰囲気、エロい衣装。やつらは俺たちが発信したハッピーな情報をただ漠然と享受する……結局それが一番売れるんだ! 幸せなんだよやつらは、それだけで!」
明日志の冷酷なアイドル論は、ある側面からは資本主義世界の本質を突いていた。無論、こんな暴論は楽屋裏だから言える事でアイドルファンには口が裂けても言えないことだ。
「アキ……俺がお前がアイドルになると言ったのを反対した理由がわかったか? 俺はお前をアイドルなんていう商品にしたくは無い。あんなのは見た目しか脳の無い女がやるものだ。娼婦となんら変わりがない。お前にはもっと幸せな道を歩んでもらいたいんだ……だから、約束どおりアイドル活動は金輪際辞めてもらうぞ」
ドル1甲子園予選──ここでアキの率いるミナミティが敗退すればアイドルの道を諦める。それが事前に取り交わされていたアキと父との約束であった。アキとしてみれば票を裏から操作されての敗北である。大会の結果に納得しようはずもない。しかし、アキは父が自分にした演説の真の意図を理解していた。すなわち、それはアキの目指していたアイドル像そのものが幻影である事。また、明日志の意向がある限り、自分のアイドル活動が成功しようはずも無いという事──
「……わかった……わかったよパパ……」
「おう、分かってくれたか?」
「約束は守る……私はアイドルを辞めるよ……でも、あのコたちは……ミナミティがアイドル活動の邪魔だけはしないで」
「ああ、お前が辞めるってんなら構わない。何なら俺がプロデュースしてやろうか? 今、ちょうど良い企画があるんだ。超ミニスカのパンチラアイドルっていう……」
「パパ! ミナミティは……もっと別の道を目指すわ!」
「ああ? じゃあ、これはどうだ、女忍者アイドル! 網タイツコスで常に生足が……」
「パパのプロデュースは必要ない! ミナミティのプロデュースはアタシがやる!」
「……アキ? 何を言ってる?」
「アタシは……アイドルのプロデューサーになる! プロデューサーになってアイドル界を変える! 純粋なエンターテイメントでアイドル界の頂点に立って見せる!」
その宣言から二年後。彼女たちは予選を勝ちあがり、ドル1甲子園で優勝を果たしたのであった。
────
─────────
─────────────────
「今度こそ勝つのはミナミティよ!」
アキは明日志の目をまっすぐ見据えてそう宣言した。
「勝つ? 勝つだって? セカンド・ノアのMVP賞を取るって事か? あんなの出来レースに決まってるだろ? もうMVPを渡すアイドルは決まってる。俺がプロデュースした【叡景美47】だ。大体、お前らのアイドルは尺も半分だし、どのTV局の放送でもカット予定。それに…」
「いちいち議論する気はないよ……パパとアタシらじゃ目的が違いすぎる」
「ああっ?」
「あたしらはアイドル界を変える。その志はあの時から変わってないよ。アイドルを純粋なエンターテイメントにする……そして、その上で、ミナミティが一番のアイドルになる」
アキはそう言うと、明日志に背を向けた。
「じゃあ宣言はしたから……お互いがんばりましょう」
「くくく、楽しみにしてるぜえ」
久しぶりの親子の会話を切り上げ、アキは特別観覧室を後にした。
*
特別観覧室を出たアキは足早に関係者専用通路を歩く。
(準備は進めてきた……! 今日こそアタシの……いや、ミナミティの真の晴れ舞台! アイドル界を変えるための第一歩! まずは、計画の第一段階を…)
「康崎亜紀さんですか?」
アキはふいに後ろから話しかけられた。振り返ると、イベントスタッフのようであった。
「ミナミティのプロデューサーの康崎亜紀さんですよね?」
スタッフの表情はどこか困惑しているようであった。
「はい……そうですが?」
「ミナミティの皆さんは今どちらです?」
「……はい?」
「ミナミティの皆さんがまだ誰も会場入りしていないみたいなんで……」
「えっ!?」
当初の手はずではもうとっくに会場入りしていないとおかしい時間であった。
「困るんですよね。ちゃんと時間通りに集まってくれないと。卒業式と被ってるっていうんで、ギリギリの時間に来ることは了承してましたけど、こんなに遅れられたんじゃイベントの進行が……って、あのちょっと!?」
アキはスタッフの話を最後まで聞くことも無く駆け出した。
(そんな!! 赤い貴婦人はカジが予定通り引き付けているはずなのに……また別のトラブルが……!? パパを警戒してミカをこっちに付けたのはまずかった? それともパパが何か手を回したって事? 流石にそこまでするとは考えにくいけど……)
彼女たちの携帯に電話するが反応は無い。ふと通路の窓からライブ会場の観客席が見える。
「……なっ!!?」
そこから見える光景にアキは愕然とした。会場の至る所に巨大な蛇や虎の人格獣。それらの人格獣の形状は毛石クラスの重犯罪者が持つレベルの危険なものであった
「こ、こんな事って……!! い、一体何が起こっているの!?」
アキはこの時、直感した。自分たちが想像を遥かに超えた災禍の中にいるという事。ミナミティに大きな危険が迫っているという事──
ライブ会場は悪鬼魔蟲が這い出そうと蠢く、蟲毒の壺のようにも見えた。




