第2話 初出勤は元気よく
前回のあらすじ:カジはアイドルグループ「ミナミティ」のマネージャーに就職する事になった
「ふう……結構坂がきついな」
浜風がさしこむ緑豊かな丘陵地。異国情緒あふれる海沿いの街は陸地に行くほど斜面となり、見晴らしのいい高台には富裕層の宅地や文教地区が立ち並ぶ。絵画のようなモダンな街並み──その中でもひときわ目を引く建物があった。
「女子高……だよな? ここって……」
赤いレンガの塀に囲まれた敷地に、中世ヨーロッパと近未来的なデザインが融合したような中低層の建物。この施設の正式名称は山手米洲女学院高等学校といい、100年以上前に開校されたという由緒ある私立女子高校だそうだ。独創性を重んじる校風で広く知られ、「行きたい女子高ランキング(関東版)」には常に上位に名を連ねる人気校だ。偏差値は66、制服は校章の七草をあしらったブレザーだ。
(いいのかこんなん……俺今年で30だぜ?)
その施設を恥ずかしそうに見上げて、二度三度と深呼吸を繰り返す男がいた。
(アラサーのオッサンが女子高の前って……凄くイケナイ事をしてる気がするぜ)
由緒正しき女子高には何とも似つかわしくない風体──上下黒のスーツに、深緑のネクタイ。180㎝を超える均整の取れた体躯に精悍な顔つきだが、まとまりの悪そうな焦げ茶色の髪が左右に飛び跳ね、どこかだらしない印象を与える。件の暴力警備員カジだ。彼がマネージャーとなるアイドルグループ「ミナミティ」はこの学校に在籍しており、今日カジが訪れたのも、彼女たちと顔合わせする事が目的だった。
(クライアントは3月までは現役女子高生っつっても……待ち合わせ場所まで学校じゃなくてもいいだろーに……)
憂鬱そうにため息をつく。カジは事前に郵送されてきた雇用契約書の文面に目を向けた。そこには面接は不要だが、3か月以上の契約延長は業務態度を見て判断……と書かれていた。
「うーむ、長続きする自信は無いけど……しかし、ここまで来てビビっていてもしょうがないか」
どうせ死ぬまで働く気も無いわけで、2、3年適当にやれればいいだろう。カジが自分にそう言い聞かせ、校門をくぐろうと意を決した時──
「そこの真っ黒スーツの男! ちょっといいかい?」
どこからか不意に声がした。
カジが声のした方向を見ると、校門脇の通用口から怪訝そうな表情の中年女性が半身を出していた。念のため周りを見渡すも、付近に真っ黒スーツを着込んだ男は他に見当たらなかった。
「えーと、なんでしょう?」
「あたしゃ、ここの用務員で佐伯ってものだけど……あんた、ひょっとしてミナミティに会いにきた人かい?」
「……そうですけど、何故それを?」
カジは来訪目的を見ず知らずの中年女性に知られていたことを不思議に思ったが正直に返答した。すると佐伯と名乗る用務員は大きな溜息をついて見せた。
「あっ、やっぱりそう……でもねアンタ、あれ見てみ」
カジは佐伯の指さした先を見る。塀に何やら貼り紙がしてあるようだった。
「うん? なになに……【ミナミティの出待ち禁止!悪質な場合は通報します】【ストーカーは犯罪行為!最大2年の懲役または200万円の罰金】【ノーモアロリコンノーモア性犯罪者】…………ってええ!? 俺……じゃなくて私はそういう追っかけとかストーカーでは断じてなく! ミナミティのマネージャー……になる予定のものでして!」
カジは焦ってストーカー疑惑を否定するが、佐伯のカジを見る目は危険な性犯罪者を見るそれであった。
「ハア~~こんどはマネージャーと来たかい……今まで何人もいたんだよ、あのコたちに会いたくて適当な事を言う男どもがね! 自称兄、自称彼氏、自称前世で仕えていた王宮のナイトetc……」
どうやらこの佐伯という用務員の女性は山手米洲女学院に通うミナミティのメンバーとは旧知の仲であるようだった。
「いやいや! 俺は本当にそういうんじゃなく、正式にマネージャーとして雇われて来たんです……ああ、そうだ、契約書を見せますよ! そうすれば信じてもらえますよね? ちょっと待ってください、今鞄から出しますんで…」
「キイーーーー!! NG~~~!!! オマエ、マナー違反じゃあ!!!!」
再び不意に声がした。今度は背後、学校外の路上からだ。
「わっ!? 今度はなんだよ!」
振り返るとそこには緑のサングラスに白いニット帽、赤赤しいジャケットとやや派手ないで立ちの男が肩をわなつかせて立っていた。
「ファンはアイドルのプライベートに立ち入らない!!」
「は、はあ……?」
男は選手にレッドカードを提示するレフェリーのようにつかつかとカジに歩み寄った。その様子を眺めていた佐伯はあきれた様子で呟く。
「ああーはじまったよ…オタク同士の小競り合いが」
アント・ファイト──働き蟻同士の戦い。女王蟻に使える働き蟻同士は序列に差がなく、本来争いは起こりえない。しかし絶対に叶わぬ地位を得るため、働き蟻同士で無益な争いが行われることが稀にあり、転じてアイドルオタク同士の哀れな争いのことを指すスラングとして使われる。同担拒否とも言う。
「ストーカー行為はご法度中のご法度! まったく、同じミナミティファンの一人として……いや一人の男として、そのような卑劣な行為は見過ごせないな!」
男が凄まじい剣幕でカジを非難する。
「い、いや、だから俺はファンじゃ無いんだって……」
「ああ、そうさ! お前はミナミティのファン失格さ!」
「そうじゃねえよ!? 俺はミナミティのマネージャー(予定)だ!」
カジも弁明しようとするが、男は全く聞く耳を持たない。
「ハッ! 語るに落ちたな! その発言でキサマが嘘つきストーカー豚だと証明された訳だ!」
「はァ? どういうことだよ?」
カジは訳が分からず男に聞き返す。
「はああ~! これだからニワカは! 知らないようなら教えてやるよ! ミナミティのジャーマネは彼女たちの同級生でプロデューサーも兼任する康崎亜紀氏だ! ミナミティの3人にも負けない美貌とスタイルに加え、渉外やプロデュース業務を一手に引き受ける才媛! 彼女のファンも存在するほどで身長は162.8cm、血液型はAB型、趣味はエスニック料理を作ることで、スリーサイズは…」
「詳しっ! ウィキペディアかっ!」
「フッ……! ファンならこれくらい知っていて当然……それすら知らないお前のようなニワカ野郎が追っかけするなんざ50年早いんだよ!」
「だーかーらー、違うって言ってんだろ! どうして誰も人の話を信じないんだぁ!? 第一、お前は何者だ? お前こそ、ここで何してたんだよ!」
カジからの問いかけを受けると、男はニヤッと笑みを浮かべ得意満面に語りだす。
「僕か? 僕は単なる良心的なファンのお兄さんさ! ただ、お前のような豚がミナミティにちょっかいを出さぬよう、ファンを代表して彼女たちを監視する任を自らに課している! ライブやイベントの時だけじゃなく、私生活からこうして彼女たちの成長を見守っているのだよ!」
「お前の方が完全にストーカーじゃねーか!!」
思わず突っ込むカジ。しかし、男は意にも介す様子もない。
「僕は近くで見守ってるだけだからいいのさ!! 決して彼女たちのプライベートには干渉しない!! それにボクは前世でもミナミティを守るために影ながら仕えていた光のパラディンで、大魔司教ガリウスとの戦いでは彼女たちの盾として…」
「ナイトお前かよ!! あーー、もういいからこれを見ろ!!」
カジはカバンから契約書類とスタッフ証を取り出すと、男に突き付けた。
「ナイトじゃなくてパラディン! あっいや、賢者だったかも……て、なになに、専属マネージャー契約書……?」
突きつけられた契約書を手に取ると男は内容を読み上げる。
「契約者は下記内容に基づき専らアイドルグループミナミティのマネージャー業に従事するものとする云々……」
「な! 分かったろ! 俺はミナミティの専属マネージャーとして雇われて来たんだよ! 今日は初顔合わせで来たの! この契約書と……こっちのスタッフ証! これがある限り、怪しかろうと何だろうとミナミティには会わしてもらうからな!」
「ス、スタッフ証だと……! 貸せ! 見せてみろ!」
首かけのカードホルダーに収められたスタッフ証には確かに所属プロモーション会社の名称とミナミティ専属マネージャーである旨が記載されていた。
「こ、これがミナミティ関係者の証明……?」
「ああ、そうだ」
「これがあるからミナミティに自由に会える……と?」
「そうだ」
「ミナミティに会って、あんな事やこんな事もできる……と?」
「いや、あんな事やこんな事はしないが……分かったんだったら早く返してくれ。俺はこれからそれを持ってミナミティに会わなきゃならないんだよ…………って、んん?」
「これさえあれば……堂々とミナミティに会える……」
そういうと自称パラディン男は契約書とスタッフ証を手にしたまま後ずさり始める。
「は? いやいや無理に決まってんだろ? 俺の名前と写真が入ってるんだし……」
「ミナミティに会う権利……ついにこの手に……」
「なあ待て待て落ち着け! 俺はもう面倒ごとは……って、ア! おい!」
「ミナミティに会い放題だあ!!」
パラディン男はそう叫ぶと後ろを振り向き、全速力で走り出した。
「おおいィ!? ざけんなよッ!? 何でいきなりこんなことになるんだあ!? ちくしょう、待てコラァ!!」
カジもすかさずそれを追い、二人の男は校門を背に走り去っていった。佐伯はその光景を何も言わず、憮然とした表情で眺めていた。
「やれやれ、最近の若者は……これじゃあのコたちも大変だねえ」
「これがあれば! これさえあれば! ミナミティに会える! これさえあればミナミティに……!」
パラディン(自称)は呪文のようにブツブツと呟きながらも、意外なほどの健脚で逃走する。
「止まれこらああああああ!!!!」
その後ろ数メートルを追走するカジ。その様子は、さながら伝統的キッズアニメのネズミと猫のようであった。二人は山手米洲女学院のある丘陵地帯から転がる様に坂を下る。奇声・気勢をまき散らしながら駆け抜ける二人にすれ違う人々は奇異の目を向けた。
「なんだありゃ~、だせー!」
塾通いの少年。
「ヤダ、なにあのオッサンたち? キモくね?」
下校中の女子学生。
「下品な連中……どこの珍走団かしら?」
井戸端会議の主婦たち。
「ハッ、ハッ……んー? あれえ?」
ランニング中の少女……
「ちくしょーー! 目立ってるゥーー!」
カジは悪目立ちしている事を嘆くが、嘆いても追いかけっこは終わらない。坂の終点第一コーナーを曲がると、不毛なレースは駅周辺の商業地域に突入していった。
*
「ハッ、ハッ、ハッ……ふう~、ゴーーーール!」
先ほどカジたちとすれ違った少女はそのまま坂を登り切り、山手米洲女学院の校門前に到着していた。
「あら、ハルヒちゃん! ランニングの帰りかい?」
校門の前にいた佐伯が少女に話しかける。
「あ、佐伯さん! おはよっす!」
ランニングウェア姿の少女も息を整えながら、佐伯に挨拶を返す。
「おはようって……もう15時だけど」
「気持ちはいつでも朝いちばん! お昼過ぎでもおはようございますでございます! ってね! あ、それよりさっき坂を走ってった人たち、佐伯さんも見ました?」
「ああ、またいつもの追っかけ連中さ……追っかけというより、ストーカーって言った方が近いかもだけどねえ」
「あーそうなんだ~。今日は新しいマネージャーさんが来るってアキが言ってたから、もしかしたらもう来てたのかもって思ったんだけどなあ!」
「ん? マネージャー? そういえばさっきのストーカーも、そんなコト言っていたような……」
佐伯は二人の走っていった方角に目を向ける。しかし、既に男たちの姿は見えなくなってしまっていた。