第1話 リクルーター面談
「いよ~! こっち、こっち!」
居酒屋チェーン店「魚松」。カジが店内で待ち合わせの人物を探していると、奥の個室席から声が聞こえた。カジは呼び声を頼りに廊下を進み、個室のすだれを潜る。
寛ぎダイニングとは名ばかりの1畳半の座席ブースは、鎮座した厳つい男の威圧感も相まってまるで独房のようだった。
「よお、倉原」
がっちりした体格に不釣り合いな薄ピンクのキャラものTシャツ。薄地の背広。側頭を剃り上げ、前髪だけを伸ばした奇抜な髪形はこの男の以前と変わらぬ自己顕示欲の高さをカジに悟らせた。
「久しぶり……なあ兄弟!」
倉原と呼ばれた男は満面の笑みで立ち上がると、カジとがっちり握手し抱擁を交わした。
「いわゆる娑婆で飲む酒ってやつだ。ビールでいいかい?」
「大げさだな……刑務所に入っていたわけじゃないし。祝杯を上げるほどじゃないって」
カジは少し戸惑いながらもそう答える。その様子を見た倉原は何かを察したように笑みを浮かべる。
「ん? ハハハ、おごるって今日は!」
「いやいや」
「仕事を首になって金はあまりないんだろ? 遠慮すんなって! あ、すいませーん、生ビール二つ!」
ズケズケした物言いと態度。カジは正直なところ、この倉原という旧友の事を好いてはいない。それでもこの男と今日会うことにしたのは親睦を深めるためではなく、もっと別の理由があったからだ。
「ああ、じゃあお言葉に甘えて……」
倉原とカジは酒をあおると、しばし他愛のない世間話や思い出話に興じた。
「しかし、いくらなんでも警官を殴っちまったのは不味かったなあ」
「ぐっ……」
小1時間ほどして、双方いい具合に酔いが回ったタイミング。倉原がおもむろに話を切り出した。
「ああ、確かに軽率だったよ……反省してる」
カジはバツが悪そうにそう答えた。
昨年末の出来事だ。カジは口論の末にアイドルファン10人と警察官1人を殴り倒し、増援として駆け付けた他の警察官に取り押さえられた。アウトロー雑誌の武勇伝特集ばりの大暴れ。公務執行妨害および傷害容疑の現行犯はあえなく留置所で最悪のクリスマスを迎えることとなった。
「だが、聞いてくれよ倉原! あれには事情があったんだ!」
ただし、彼の行動のきっかけは傍若無人なカツアゲ犯を制するためのものであり、乱闘に至った経緯が分かると情状の余地ありとして留置所からは解放された。しかし、元々素行がよろしい方ではなかった事も災いし、騒動を起こした責任として雇われていた警備会社は解雇にされた。そして現在は絶賛就職活動中という訳である。
「やつら集団でカツアゲしてたんだよ! それを俺は止めようとしてさァ……そしたらやつらが先に俺を殴ってきて、それで…」
「カジ!!」
カジの話を倉原は手で遮る。
「カジ……なあ、カジよお……お前さん今年いくつになるんだ? ん?」
まるで悪さして職員室に呼び出された中学生を諭すかのような口調だ。
「いやさ、お前にしてみりゃ軽~くどついたつもりなのかもしれんよ? でも殴られる方はたまったもんじゃないんだよ。お前さんの強さはそんじょそこいらの空手家とは違うんだからさ。その辺、もう少し自覚持ってくれって」
「ぬぐぐ、いや……確かにその点は、反省している……が、しかしだな……」
カジは反論しようとしたが倉原の憐むような目を見て言葉を止めた。
「なあカジ……俺たち、もういい大人なんだぜ? 社会的責任がある。昔みたくゴンタくれてばっかいられないんだよ」
確かにカジの行動理由には信義があり、情状の余地があった。しかし、どんな信義に則った行動であろうと「周囲に迷惑がかかった」という一点において、非難を免れないのが大人の世界。ましてカジは誰かに庇ってもらえるような優しい生き方をしてきた人間でもなかった。
「お前が極めた空手はそんな事の為に使うもんだったのか?」
先日、自身がアイドルファンに言い放ったのと同じセリフが突き刺さる。
「…………いや、お前の言う通りだ」
「はあー、まったくよー。お前は俺たち門下生の希望の星だったんだぜ? それが今じゃ下らない喧嘩で空手を使ってしょっ引かれ、仕事もクビ……なあ、頼むからこれ以上周りを落胆させないでくれよ」
友情ゆえの激励とも取れる言葉だ。しかし、今のカジには受け入れ難く、あまりに辛辣な言い回しである。カジは返す言葉も見当たらず、ただ俯きながら小さく「すまん」と呟くしかなかった。
「……まあいいか。今日はお説教するために来たわけじゃねーしな」
そう、今日の会合の目的は旧交を温める為でも倫理・道徳のセミナーでもなかった。彼らが会ったのはもっと利害がはっきりしたビジネスライクな目的によってだった。
「ああ、倉原ありがとう。お前が就職斡旋の仕事をしていてくれて本当に助かったよ」
倉原は職業斡旋を請け負う仕事をしていた。いわゆる人材ビジネスというやつである。カジが今日彼と会ったのも彼に働き口を紹介してもらう事が主な目的であった。
「気にするな。俺も仕事だからな」
そう言うと倉原は革のビジネスバッグからクリアファイルに入れられた求人票を抜き出した。
「カジ、お前は運がいい。ちょうど最高の条件の仕事が入ったところだ……これを見てみろ」
カジは手渡された求人票に目をやった。求人票の見方などカジはロクに知らなかったが、書面に記された仕事内容の欄を見て驚いた。
「お、おいコレって……!!」
「ん、どうした? 給料に不満でもあるのか?」
「あ、いや……」
月給情報の欄にはカジの今までの仕事の2~3か月分ほどに相当する金額が記載されていた。問題を起こして会社をクビになった人間には破格の条件だった。
「俺なんかにしたら信じられない程の高給……それは有難い。でもな!」
「そう、良い条件の仕事だろ? さらに経験も面接も不問ときた……この求人が貰えたのは大学の先輩のコネなんだ」
「それにしたって変じゃないか? 俺のような経歴にキズがある人間にこんな…」
「ふっふっふ、感謝しろよ! 俺は前科者や不祥事で経歴に傷がついた人間のセカンドキャリアのために職業斡旋をやっているんだよ」
「……ああ? いや、それは本当に感謝してるんだが」
「なるべく好条件の仕事を斡旋するよう心掛けていてな。最近は活動が自治体にも認められて助成金が支給され…」
「ちゃんと話を聞いてくれ! なんか裏がある仕事じゃないのかって聞いてるんだよ!」
話の噛み合わない倉原にいら立ち、声を荒げたカジだがすぐに後悔する。カジは倉原に対して頭を下げねばならぬ立場である。気分を損ねて仕事の斡旋を断られては困るのだ。一瞬の沈黙の後、カジは続く言葉を努めて冷静に切り出した。
「いや、その……俺はまっとうに生きたいんだ……後ろ指さされる様な仕事はしたくねえ」
「( ̄∇ ̄)ノハッハッハ、おいおい! 求人内容をよく見てくれよ!」
倉原が求人票の募集会社欄を指さす。
「天下の大企業パークス・アミューズメントの下請けだぜ? 変な仕事なんてあるわけないだろ? ただ、ちょっとばかし特殊な契約でな……もちろん違法な事やいかがわしい事はないが、この業界は今どこも人手不足なんだ。その分給料が高いってだけさ。不安なら裏に詳しい雇用条件の書いた文章があるから読んでみろよ」
カジはパークス・アミューズメントなんて知らなかったが有名な企業なのだろうし、あとで調べれば分かる事なので敢えて自分の無知をさらすような発言はしなかった。
「俺がこんな書類を端から読んでも、内容が分かるわけねえだろ……だいたい、こういう仕事なら俺より向いてる奴がたくさんいるんじゃないのか? なんでわざわざ俺に紹介するんだよ?」
カジの返答はあくまで懐疑的……というより紹介された仕事内容にやや否定的なニュアンスが込められている様にも聞こえた。
「言っただろ。この仕事を貰えたのは先輩のコネだって」
倉原はカジの不満げな態度を無視しつつ得意そうに答える。
「大企業と言っても働いているのは機械じゃなくて人間だ。効率とか公正さだけが判断基準じゃないんだよ……彼らにだって情や欲はある。見栄や打算もな」
「もう少し分かるように話してくれないか? つまり……どういうこと?」
遠回しな話し方に苛立ちつつ、カジは倉原に聞き返した。
「ハハハ、分からない? 早い話がやつら、身内で利益が出るようにうまく仕事を回してるのさ! 俺も先輩の人脈を使ってその身内に入れてもらえたってワケよ」
自由競争を謳う資本主義の矛盾をついた辛辣かつ、何ともありがちな理屈だ。だがある意味では財産も才能もない者が努力だけで社会の上層にのし上がれるという無責任な謳い文句に比べれば、多少なりとも救いがあるかもしれない。
「ビジネスで勝つには勝ってるやつらの身内になるのが一番早い! もちろん、この仕事の斡旋が決まれば俺には多額の成果報酬が入る。そしてお前も高い給料を貰える。WIN-WINの関係ってやつだ!」
「そんなものか」
「そんなものさ! だからいつまでも無頼漢気取ってないで俺と一緒に勝ち馬に乗れよ! これは親切で言ってるんだぜ?」
話を聞く限りでは今のカジには喉から手が出るほど魅力的な提案だった。それは頭では理解出来た。それでもカジは心に漠然とした引っ掛かりを感じ、どうしてもその提案に乗り気にはなれなかった。
「しかし……いくらなんだってな…………他の仕事は無いのかい?」
「今のところお前に紹介できる仕事はこれだけだ」
カジは「そんなワケあるか」と思わないでもなかったが、そう断言されてしまえば言い返しようもなかった。
「まあ嫌っていうなら無理強いはできない。お前がやらないって言うなら他を当たるだけさ。こんな好条件の仕事なら引き合いはいくらでもつく事だし」
続けてカジの判断を急かすような倉原の発言。人手が足りないのに引き合いが多い……どこか矛盾しているような気もするが、切羽詰っている今のカジには倉原の真意を見抜く判断力はなかった。
「カジよ、この機を逃すなよ? 日本経済は深刻なスタグフレーションで実質賃金は下がる一方だと多くのエコノミストが言っているし、近い将来この国の有効求人倍率は…」
「いいよ、やめろ! 難しいコトバ並べて知識をひけらかすんじゃない! いい大学出たから頭が良いって訳じゃないだろーが!」
カジはうんざりした顔で倉原の話をさえ切る。
「んああ、そりゃそうだ…………で、どうするんだ?」
この時カジは、倉原が一瞬侮蔑的な眼差しを向けたように感じた。無識者を見下し、愚かさをなじるような眼だ。
「…………少し考えさせてくれ」
カジは倉原のペースに飲まれないよう、その場での即答を避けた。というより、現時点ではそれ以外にカジが選べる選択肢はなかった。
「ああ、勿論構わない。だけど明日中には返事をくれよ? 何しろ急募なもんで時間がない。先方にはすぐ連絡しないといけなくてね……」
カジはその日家に帰ると、出来る限りの情報をインターネットで集めた。パークス・アミューズメントInc.はアメリカに本社を置く企業。連結資本金7億6,700万ドル、本社はアメリカ・デラウェア州。ECサイト運営事業、ゲーム事業、ショースポーツ事業、芸能マネジメント事業など、幅広い分野で世界的にビジネスを展開。黒い噂もいくつか目に入った。脱税疑惑、ショースポーツの八百長疑惑、怪しい団体との関連性──しかし調べていくうちに「大企業なのだから少しくらいの不祥事や汚い面はあるのだろう。それくらいは目をつむっても良いのでは?」という思考にカジはいつしか行きついていた。
(この仕事を断ってこれ以上の条件の仕事が見つかるか? 見つかるとしてそれはいつの事か? それまで俺は無職のまま? 生活はどうするんだ?)
様々な不安が思考を妨げる。
そして、結局は都合のいい理屈にすがりつく。
「まっとうな仕事」と「高額の給料」。この二つの誘惑には抗しきれず、カジは仕事を受けることに決め、翌日倉原に電話でその旨を伝えた。
「そう! まあ、そう言うと思ってたよ! 普通に考えれば断る理由もないしね! 詳しい話はまた明日にでも会って話そう……って、え、なに? まだそんなコト気にしてんの? 大丈夫だって、経験は不問だし、仕事はそんな難しいものじゃないよ!」
倉原は終始楽観的な態度であったが、カジは胸中不安でいっぱいであった。電話を切るとカジは受け取った求人票に再び目をみやる。
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募集会社:パークス・アミューズメントInc.
募集職種:芸能マネージャー
職務内容:日本のフリーランスアイドルグループ「ミナミティ」のマネージャーとして、彼女たちのサポートを行う事。
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「ハア……まさか俺がアイドルのマネージャーとはね」
後年、カジは何度も自問する事になる。混迷の歯車は動き出したのはこの時だったのだろうかと。
しかしその答えは否である。すでに動き出している巨大なからくり仕掛け──その部品に彼という小さな歯車がこの時一つ加わっただけなのだから。