第15話 朝もや
前回のあらすじ:一難去って……
日曜日の朝7時───接待ゴルフに向かう営業戦士か女児向けアニメ番組を視聴する残念紳士でない限り、アラサー男性が起きている事は少ないであろう時間帯。夜の冷たい空気が残る中、寒さを感じさせない活発さで走る男女の姿があった。二人は競うように坂道を駆け上る。
「ハア、ハア、ハア…………ふーーー! ゴーーール! あたしのかちー! 朝ごはんはカジマネのおごり決定ー!」
勾配の頂上を駆け抜けると、赤みがかったショートボブの少女が高らかに宣言する。
「ハア、ハア! ちょっと走り方のコツを教えただけなのに……速すぎないか~、ハルヒちゃん!」
数秒遅れて男が息を切らせながら坂の上に到着した。
「へっへっへー! ハマの登り最速と言われたこのハルヒ様を舐めたらいけませんぜ!」
「なんだそりゃ……ハア、いやしかし……この前のパラディン野郎との追いかけっこもそうだが、気づかぬうちに大分なまっちまってるようだ。実戦を離れても鍛錬は怠っていた訳じゃないんだがなァ」
「カジマネもまだまだパワー不足ね! 精進したまえよぉー」
「ちぇっ、今日のところは言わせておくぜ」
カジとハルヒ──二人は早朝トレーニング中に公園で出くわしてからというもの、ちょくちょく合同トレーニングを行うようになっていた。警護の観点でもその方が都合がいいという事もあったが、お互い肉体派+直情径行型な性格でけっこうウマが合っていたのだ。カジは武道の経験からハルヒに体の効率的な動かし方をアドバイスし、ハルヒも空手の体捌きをダンスに活かそうと熱心に彼のアドバイスを聞いた。
「ねえねえ、あたしら最近朝よく会ってるよね~」
「ああ」
「これからゴハンも食べいくよねえ~」
「おお、そうだなー」
「これってさ、周りから見るとアヤシイ関係に見えるんじゃない?」
「はあ? なーに言ってんだ、ガキが色気づいちゃってよォ……ってあれ? でも言われてみると確かに?」
「カジマネこないだはショーコともデートしてたし……結構エロオヤジなんじゃないの~?」
「なっ……違わい!」
「ミセイネンインコウだ!!」
「わわ! 叫ぶなって! 本当に誤解されるだろ!」
他愛のない会話をしつつ、二人は真紅のレンガ塀伝いを山手米洲女学院に向かって歩く。
2月も後半に差し掛かったこのシーズン。山手米洲女学院は現在3学期中であるが、ハルヒたち卒業を控えた3年生は既に学位の取得を終えているため授業への参加は免除されていた。そのため本来彼女たちは学校に用事は無いのだが、生徒の自主性を重んじる学校の計らいで、スポーツや課外活動を続ける卒業生たちは日中も様々な学内施設を利用できることになっていた。
「そんじゃーシャワー室行ってくるから、30分後に校門前で待ち合わせね!」
「へいへい」
「覗きに来ちゃダメよー」
「行かんわ」
ただし部外者かつ男性であるカジは、施設に入る事は出来ないのでお約束を期待する諸兄のご希望には沿えない。
「アラ、あんたたちも朝っぱらから元気だねえ」
カジたちの前に用務員の佐伯が通りかかった。
「ああ佐伯さん、おはざっす。俺たち、も?」
佐伯が校庭の方を指さす。校庭脇のベンチにはスポーツドリンクを飲む黒髪の少女の姿があった。
「あれー、ショーコじゃん! 今日は早いね~!」
ミナミティのメンバー今水翔子である。長髪をポニーテールにまとめ、常用の銀縁メガネではなく競技用メガネを着用したスポーティな格好は普段よりも快活で自信に満ちたイメージをカジに与えた。
「あっ! ハルちゃん! ……と、カジマネージャー…………ど、どうも、おはようございます」
ショーコもカジたちに気付き挨拶を交わした。
「ショーコちゃんも朝練かい?」
「そ、そうなんです……あたしもハルヒちゃんに習ってもっと体を動かそうと思って」
「おおー! ついにショーコもパワーを身につける事の素晴らしさに気付いたかー! はっはー! 関心関心!」
あっけらかんと笑うハルヒ。カジは頭を掻く。
「それにセカンド・ノアまであと1か月も無いし……練習できる時に練習しとかないとね」
セカンド・ノア──日本の選ばれしトップアイドルたちが一堂に会してパフォーマンスを行う祭典で、いわばアイドルのオールスターゲームといえるイベントだ。
毎年3月下旬に開かれるこのイベントの注目度は今や大晦日の紅白歌合戦以上に高いと言われている。そして、毎年ドル1甲子園の優勝グループにはその出場権が与えられる決まりとなっており、ミナミティもこのイベントに参加する予定になっていた。当面のミナミティの大目標はこのセカンド・ノアで名を上げ、あわよくばMVPを獲得する事にあった。
「やれやれ、気持ちは分かるけど君たちストーカーに狙われているんだぜ? 一人で行動するのはなるべく控えて貰わないと」
「あ、ごめんなさい……」
ショーコが下を向く。
「ハア……なので、ストーカー事件が解決するまでは朝練は俺と一緒にするよーに!」
「え……ぜひ!」
カジの提案を聞くとショーコは心底嬉しそうに笑った。
「あっそうだ! これからカジマネのおごりで朝ごはん食べ行くんだけど、ショーコもどう?」
「それもぜひ!」
「なっ、おい!」
「いいでしょー? おごんなかったらアタシが二人分食べるだけだし~」
「ったく、しょうがねえな~」
結局カジはこの後、二人を連れて近隣のファミレスに移動し、モーニングセット(トースト、スクランブルエッグ、コーヒー)490円二人分を奢らされた。
「そんでねー! カジマネったら、アタシと朝帰りしようとして「家まで送ってくぜ(低音)」なんて言ってきてさー!」
「前提がおかしいだろ! 朝帰りもなにも会ったのが朝じゃねーか!」
「水族館でショーコとデートした時もやらしー事しようとしてたんじゃないの?」
「デートだなんてそんな///」
「してね~」
ファミレスで朝のひと時を、それなりに楽しく談笑しながら過ごす。しかしカジは談笑しながらも周囲に気を配り、怪しい者が出入りしないかをチェックする。【ラ・ミレプラザ】での一件では、パラディン(仮)に気を取られてストーカーの接近を許してしまったカジ。特にその事を咎められた訳では無かったが、自省もあってかあれ以降はやや過敏すぎる程にミナミティの接近者を警戒していた。
「カジマネ、明日は暇っすか?」
「え、明日?」
「そう、明日の休みはヒロの提案でボードゲームカフェに行こうって事になっててね。カジマネもどうかと思ってさ」
「いや俺は……」
誘いを受けたカジは一瞬回答をためらった後、「明日は先約がある」とぎこちなく答えた。
「そうですか……ボードゲーム楽しいのに……残念」
「じゃあヒロを誘おっか! あ、でもヒロはあんまりオフに誘っても来てくれないかんなー」
ここにはいないもう一人のメンバー石竹尋。アイドルしかり、芸能活動のグループはプライベートではあまり仲良くしない事もあると聞くが、彼女もそうなのだろうか。いずれにせよカジはヒロとは仕事以外の事を話したことはほとんど無かった。ショーコ、ハルヒとは敬語を外して話していたが、彼女に対してはまだ敬語のままでもある。
(明日は特に予定も無かったけど……あまり深入りし過ぎるのも、な……いつまで続くとも分からない仕事だし)
カジがミナミティのマネージャーを始めてはや2週間。彼女たちとは完全に打ち解けたというレベルではないかもしれないが、このようにある程度なごやかに話すことが出来る関係性を築けていた。彼自身も彼女たちといて決して居心地が悪いわけでは無かったし、彼女たちの方もカジに対して心を開き始めているように見えた。しかし、情の部分とは別にカジは年相応のリアリスティックな打算をすることもあった。
(彼女たちの破天荒さ、破滅と隣り合わせな無謀さ……アイドルへの並々ならぬ想い……俺のような人間にゃ推し量れないものがあるのだろう……だが、俺には俺の生き方や考え方もあるし……)
ここ数日カジはこのような不安を悶々と考える日々が続いていた。年齢差や性別差とは別に彼女たちとの間にある大きな隔たり。故に彼女たちと仕事以上の繋がりを求めるかどうか疑問に感じていたのだ。その不安の元はむろん、あの事件がきっかけである。
カジは角刈りリュックこと新藤裕太の家に突撃した夜の事を回想していた。




