第13話 火の用心
前回のあらすじ:ミナミティのプロモーション企画とは?何やらまた不穏な気配……
「うがああああああああああああああ!!! ちくしょおおおおおおおおおおおおお!!!」
閑静な夜の住宅街。25坪ほどの区画に建つ何の変哲もない一軒家から、ただならぬ奇声が発せられる。
「何だよ! 何だよ! 何が高校生アイドルだよ! 何が未だ男性とはお付き合いしたことはありませんっ(週刊アイドル小僧9月号より抜粋)だよ! 結局男がいるんじゃねえかよ! ビッチじゃねえかよ! 中古なのかよちくしょうめ!」
声の主はこの家に住む一家の長男だ。彼は精神に激しい負荷がかかると2階の自室に籠り、時折このような大声を張り上げてはストレスを発散させるのだが、今日の癇癪にはいつに無く激しい怒りの色が感じ取られた。
『この後ミナミティの生配信! それまでは私たちの曲を聴いて待っててね!』
部屋に置かれたPCからミナミティの楽曲が流れ始める。アイドル情報専用サイト「あいどるch」──国内最大級のポータルサイトで、様々なアイドル情報が日夜発信されている。この部屋の主はミナミティ関連の情報を「あいどるch」でチェックするのが日課であり、人生唯一の楽しみと言っても過言ではなかった。しかし、それも昨日までの事。
「あああーーーーウゼえーーー! どうしてくれんだよ、ホントよお!」
彼が彼女たちに向ける関心は既に憧憬から憎悪へと変貌してしまっていた。今なお彼女たちの動向をネットで調べるのは、理不尽な怒りを直接的にぶつける機会を探るために他ならなかった。そう、昼間の【ラ・ミレプラザ】での出来事のように。
『教えてほしい大人のレディー♪ 最初のキスはどんな味? 初恋はまだこれから~ラララ♪』
「何が初恋はまだじゃ!! むかつくんだよ、クソアマァ!!」
男は絶叫と共に机やベッド、壁などを手あたり次第に蹴りまくる。家が軋むほどの暴れっぷりだ。すると遠慮がちなノック音と「裕太くん」という自身のファーストネームを呼ぶか細い声がドアの向こうから聞こえた。男と同居する彼の母親の声であった。
「今日はどこに行ってたの? いつも昼間はお部屋にいるのに、いなくなってたから……お父さんも私も心配してたのよ?」
息子である部屋の主へ扉越しに語り掛ける。我が子を心配する母のやさしさと、保護者としての義務感、そして世間体を気にする大人の打算が3:3:4程でブレンドされた言葉であったが、裕太にその真意を汲み取るだけの社会性はない。彼女の問い掛けはただ息子の神経を逆なでさせるだけの結果となった。
「ゔああああああああああああああああああ!!! うるさいうるさいうるさいうるさい! 俺が外でちゃ悪いか! エエッ!? このクソババア!」
先ほどにも増して凄まじい癇癪。電電太鼓のように頭と腕を激しく振り回す。
彼にとって他人から掛けられる言葉とは、イコール彼の存在の否定であり、耳障りで受け入れ難い、ノイズ以外の何ものでもなかった。それは彼自身が「自分は何の価値も可能性もない人間」であると断定してしまっているからに他ならないが、彼の母親は息子のその絶望と諦観を理解出来ずにいた。
「ああ、ごめんなさい、ごめんなさいね……ごはんが冷蔵庫に入ってるから……今日は裕太くんの好きなハンバーグにしたから……あとでチンして食べてね……」
「いらねえよ! クソが! どーでもいいんだよ、そんな事! 言いたい事があるならいつも通り紙に書けよ!」
彼の言う紙とは彼らの家の1階リビングに据え置かれたメモ用紙の事だ。何か主張したいことがあれば、お互いがいない時にリビングを訪れ、そのメモ用紙に内容を記入し確認する。30年前の駅の伝言板のようなシステムだが、彼らの家ではそれが親子がコミュニケーションをとるための唯一の手段となっていた。同じ家に住みながら顔を突き合わせて会話をする事はほとんど無い。はじめからそうであったわけでは無いはずだが、彼らの家ではいつの間にかそれが当たり前になっていた。
「ああ、そうね、ゴメンね……でもダメよ? ちゃんと食べないと体を壊してしまうから……元気な体でいれば今日みたくお外にも出ていけるし、いつかお仕事だって…」
「うわあああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーッ!!! しねしねしねしねしねッ!!! 早くどっかいけよ、畜生もおおおおおおおおおおお!!!」
そうまくしたてると彼は自分の聖域の前から母親を追い払った。
目を覆うような光景である。
どこぞの王族でも貴族でもない彼のような身分の男が、思い通りにならない事があれば現実から目を背け、かようなまでに癇癪をまき散らす。それで果たして、現実は自身の思い通りになるのだろうか?我に返った時に押し寄せる途方も無いむさしさには耐える事が出来るのだろうか?
答えは否である。そんな行為では何も満たされない。何一つ願望が実現される事は無いのである。そして、そんな事は彼自身も重々理解しているのだ。
「なにやってんだよ俺……くそ! こんな……こんなはずじゃ無かったのに、くそお……」
彼自身、人並みの願望がない訳ではない。できる事なら手に入れたい物も叶えたい夢もある。しかし、彼に限らず誰でもそうだが、何かを得ようとするならその過程で自分のどこかを変化させなければならない。変化には痛みが伴い、変化しなければいけない箇所の多さによって、痛みも強く大きくなる。つまるところ、彼は変化の激痛に耐え得るだけの防御力が欠落しているのだ。そして、人生でほとんど願望を叶えられないまま30年近くが経過していった。
『男は誰しも欲望ウルフ♪ どうかお願い、近寄らないで♪』
「うるせえ!!!」
PCから流れるミナミティの歌声に癇癪を飛ばす。が、もちろん反応などあるはずも無い。
人間はどんな形であれ、願望を叶えていかなければ自己を保てない。ならば、ほとんど願望を叶えられない彼の場合はどうするのか。自己を否定されぬため、相手を拒絶し己に干渉させないのだ。得られぬならせめてこれ以上痛みを感じないようにする。その為に唯一、人並みに持っている大人の肉体を駆使し、大声を叫んで、手足をばたつかせる。それが、今の彼に選択できる行動のほぼ全てであり、獲得する事の出来るほとんど唯一の成果なのだ。
しかし──それすらも今、限界を迎えつつあった。
「何で皆、無責任なんだ……お、俺がこうなった責任はこの家族にあるのにさぁ! 息子をこんなダメにしといて、俺がダメな事は知ってるくせにさぁ……今更……今更、今更、今更! 今更働けってなんだよ! 有り得ないだろ! 俺が働ける訳なんかないのに……そんなの中学ん時から決まってるのに! あの時は俺の言うことを聞いてくれなかったのに……助けてくれって……言ってないかもしれないけど……確かに言ったのに! あの時俺を助けてくれてたらこんな事にはなってなかったのに! 自分たちだけ言いたい事言ってさ……働け働けって……許されないだろ、今更俺に働けなんてさ!! ああああ~!! 今度こそだめだ!! あ、あいつら、もうホントだめだ……! やっぱり、今度こそ……こ、殺さなきゃ……そうだ、あいつら殺してやる! 責任を取らせてやる! 俺は何も失うものは無いんだから……最後に報いをくれてやるんだよ! 俺にはまだ“あの武器”がある! 誰かがチャンスをくれたんだ! 俺にだって出来るんだよ! 最初に下のババアとジジィぶっ殺して家に火をつけてやる! 次にあのミナミティとかいう糞売女ども! あと、今まで俺をダメにしたやつら全員だ! 中1ン時のクラスの鈴木と金子! それから…」
『ピンポーン』
鳴り響くインターホンの音。裕太の呪詛の詠唱はぴたりと止まる。
(だ、誰だこんな時間に!?)
彼は同居する家族に当たり散らす事には慣れていたが、外からの来訪者に対しては別である。先ほどまでの威勢をみるみる失い、ベッドにダイブし布団を被った。
(カウンセラーは今日来ないはずだし、また近所の連中の苦情か!? それとも、まさか外出の時の事がバレて警察が来たのか??? い、いやもっと最悪なのは……親戚のジジイども!!! アイツらは怒鳴ってもなかなか消えないし、また正月みたく俺に説教をする気なんじゃないのか!!!???)
裕太は戦々恐々としながら聞き耳を立てると、階下で母親が応対する来訪者の声がかすかに聞こえてきた。
「……ハイ! そうです、おたくの裕太君です! いつも白い服で小学生の遠足みたいなリュックしょってる……彼に用なんです、ハイ!」
「は……? あ、あの……どういうコトですか? うちの裕太が何かしたのですか? ……あっ、ちょっと! そっちは!」
どしどしと階段を上る足音があっと言う間に裕太の部屋の前まで迫る。
(えっ?? えっ???! 今の声って……!? えっ!? こっちに……だ、誰が!?)
裕太が何かを考え判断するより早く、扉は勢いよく開かれた。
「どーーーも!! 裕太くん!! ミナミティのハルヒちゃんです☆」
「っっっアッ!??!?」
衝撃と硬直。
突如、自分がストーキングしていた相手が目の前に現れたのだ。心臓が血液に代わり液化窒素を送り出す器官となり──彼の身体は一瞬で凍り付く。
「……お、お、お……アア?!! な、な、な、な、なん……ぬエ??」
思考回路と言語機能は完全に破綻。彼の代わりにハルヒの背後にいた母親が、動転しつつも彼女に問い掛けた。
「あなた誰なの!? いきなり入ってきて!! ゆ、裕太くんのお友だち……なの?」
ハルヒはにこっと笑い、鞄から取り出したタブレットと外付けマイクを操作しながらその問いに答えた。
「友達っていうかー、あたしストーカーなんですっ! 裕太君の!」
「えっ!? す、ストーカー??」
ピコーン♪という撮影開始の電子音。ハルヒはおもむろにタブレットに向かって話し始めた。
「グッドイヴニンッ! あいどるchをご覧の皆さま! お待たせしました! 高校生アイドルの……あっ4月からは普通のアイドルのォ……ミナミティ! 浜星遥陽、18歳でっす!』
扉とは反対方向の裕太の背後からも全く同じ声が聞こえる。「あいどるch」にアクセスしたままのPCからであった。
『なんとなんと、今日は! あたしがストーカーしているファンさんのお家にお邪魔しちゃってまーす!」
「……は、はああああああああああああっ!??」
裕太は自分の置かれた状況に気が付いたが、時既に遅し。彼にとっては悪夢でしかない「アイドルが自分のストーカーの家に逆ストーカーした様子をネットで生配信スペシャル」は既に始まってしまっていた。
『という事で今日は不法侵入しましたこの家でぇ、ハルヒちゃんが色々な事に挑戦していきたいと思いまーす!」
「あ、あ、あ、ざけんな……」
PCディスプレーに表示されたリアルタイムコメント表示機能に視聴者からのコメントが雪崩れ込む。
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:キターーーーーーーーーーー!!!!
:祭、確定w!
:ハルヒちゃんすこすこのすこなんだ
:キモオタキモ過ぎて草
:これ完全にヤベーやつじゃんw
:ハルヒちゃんと一緒に映ってるやつ完全におまえらでワロタ
:お母さんもかわええ、即ハボやん!
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漢字二文字。
いま、皆さんの頭に共通の漢字二文字がよぎったことだろう。
*
「きっつい……これは陰キャには、きつすぎる」
角刈りリュック邸の脇につけた車の中。カジはノートPCから邸内の様子を見ており、あまりの惨状に両目を掌で覆い下を向いた。
「ふふふ、どう? このプロモーション……話題性抜群でしょ? バッズバズにバズるわよ~」
「にしても、ちょっとやりすぎじゃないの~?」
ヒロがアキに問いかける。車内にはカジの他にアキとヒロ、そしてショーコが同乗していた。
「アキちゃん、ストーカーさん凄く困ってるよぉ……それに、話題と言ってもこれじゃあ…」
「ああ……こんなバカげた事をネットで発信しちまったら確実に……」
そう、こんな事をしてしまえば確実にアレの対象となる。国民総配信者時代の魔女狩り、石打ち刑、集団分極化の最たるところ、平たく言えば……
「炎上だぜッ!!!!」
「うーん、ノン、ノン! 炎上じゃなく、大・炎・上♪」
「余計悪い! それに、ストーカーの前にハルヒちゃん一人で本当にいいんすか? 今からでも俺が行った方が…」
「ふふふ、安心して。今、角刈りリュックは人を襲う心理状態じゃない……それに万が一の事は考えてあるから」
アキはそう言うと、再びPCのディスプレーを注視する。
*
『それでは早速、裕太くんにインタビューいってみましょー!』
「うわああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
ハルヒにマイクを向けられた裕太は絶叫して部屋を飛び出すと、階段を駆け下りて家の外に走り出た。
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:キモオタ逃げたーーーー!
:涙目敗走w
:ワイ、キモオタの心境を察しむせび泣く
:声甲高過ぎて草
:ハルヒちゃん鬼畜過ぎィ!!
:またワイラ勝ってしまったんか…
:オイオイオイ、死んだわアイツ
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この光景を見た読者諸氏は、呆れ慄いたかもしれない。
彼女たちの行いのなんと愚かしい事かと。なんとイキッたDQNかと。確かに彼女たちの選択する行動の多くは、無節操と自尊心と勘違いで満ちていた。周囲の迷惑などほとんど度外視。時には法令すらも二の次となる程の狂気である。
しかし、それ故に耐えられもするのだ。失敗し批判される恐怖にも……己を変化させる強烈な痛みにも。つまり彼女たちは資質を持っていた。
善であれ悪であれ、この世界で天下を掴むための──スターの才能をである。




