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桜の樹の下で

作者: toshi9


 あお~げば~とお~とし~わが~しの~おん~


 体育館から「仰げば尊し」のメロディが流れてくる。

 三年前に創立されたその高校では、始めての卒業式が行われていた。

 高校には、裏庭の外れに1本の古い桜の樹が植えられていた。いやその樹は高校ができるはるか昔からそこに佇んでいた。そして眠り続けている。

 桜の樹は、この地に生まれて900歳になろうとしていた。彼が若かった頃は周りに住む人間から慕われており、毎年春になると花を満開に咲かせた彼を中心にして宴が催されたものだった。

 女は舞い踊り、桜の花と舞いを愛でながら男は酒を飲む。彼自身もそんな人間の宴が大好きで、少しでも楽しんでもらおうと一生懸命に花を咲かせたものだった。


 しかし、その後人間は一人減り二人減り、気がつけばその地から誰もいなくなっていた。

 だが桜の木は、その一番楽しかった頃を忘れることはなかった。だから毎年花を咲かせながら、いつか再び人間が彼の周りに集うのを待っていた。


 700歳になった時、最初に来た人間には、花と共に人生が幸せに送れるよう彼の力を贈るつもりだった。


 でも誰も現れなかった。


 800歳になった時、最初に来た人間には、花と共に彼の持っている全ての力と宝物を与えるつもりでいた。


 でも誰も現れなかった。


「どうして誰も現れないんだ。折角花を咲かせて待っているのに。宴を、宴をしてくれよ、女たちの舞いが見たいよ」

・・・彼もまた漢であった。

 しかし永い悠久の時をじっと一人で待ち続けた彼の心はいつしか壊れていった。

「次の百年、ひとまず眠ろう。目が覚めた時、もし人間が私の前に現れたら・・・」

 彼は長い眠りに就いた。

 その後、武蔵の国のはるか山奥だったその地は、戦後に東京のベッドタウンとして大々的に開発され、彼のいる場所は現在では高校になっていたのだ。



--------------------------------------------------------



「せんぱい・・・ずっと好きでした」

 卒業式のその日、村中ゆかりは憧れの先輩だった嶋村明人に彼女の思いを告げていた。

 学校主催の卒業式の式典は厳粛に滞りなく行なわれ、卒業証書を持った男女が校庭のあちらこちらに集っていた。

 もう会えなくなる、もっと彼と一緒にいたい。2年間明人を見続けていたゆかりは、その想いを伝えるために彼を学園の裏庭のはずれにある桜の木の下に呼び出していた。

 それは古い桜の木で、学園創立前からそこに存在していたらしいのだが、春になっても花をつけることがなかった。

 そして、今年も未だつぼみを付ける気配もない。

 古い木なので危ないと、生徒達にはそこに近寄らない様にという校内通達が出ていたが、卒業式のその日二人っきりになるために、ゆかりはあえてここに明人を呼び出したのだった。


「ゆかり君、僕は・・・」

 返事も聞かずにいきなり明人の胸に抱き着くゆかり。

「言わないで、先輩。今日は少しだけこうしていさせて」


(・・・・・・・・・ ・・・ ・・ ・ ん)

   

 明人は困ったようにしていたが、必死な彼女の表情を見て振りほどくのを諦めた。

「わかったよ、今は・・いいよ」


(・・おお、人間だ、何年振りだろう)


「ありがとうございます、先輩」


(・・宴じゃ、女の舞いじゃ)


 そっと明人の背中に腕を回すゆかり。


(・・ちっ、一人は男か・・よし、それならば・・・)


 桜は突然つぼみを付け始めた。

 二人は桜の樹の下でその間もお互いを抱き締め合っている。

 つぼみはどんどんと増え、それはぽんぽんと開いていく。

 やがて桜の木は枝中に満開の花をつけた。

 二人はその下で尚も抱き合い続けている。


 花は瞬く間に散り始めた。はらはらと・・・はらはらと・・・


 二人はやっとあたりの様子がおかしいことに気が付いた。

「何だ?この桜の樹。花どころかつぼみもなかったはずなのに」

「私たちのことを祝福してくれているようね」

 さりげなく自分の都合の良いように本題をすりかえようとするゆかり。

 その間も花は絶えることなく散りつづける。はらはらと・・・はらはらと・・・彼らの姿が見えなくなる位に。

 ゆかりにさえも、目の前の明人の姿が散る花びらに隠れて、一瞬見えなくなってしまった。


 ゆかりは、その時ふと抱き締めている腕や胸に受ける感覚に違和感を覚えた。自分より背が高かったはずの明人が、いつの間にか自分と同じ位の背丈になっている。そして、胸が触れている厚い明人の胸板が、何となく柔らかくなっていると感じたかと思うと、やがて明人の胸に自分の胸を押し返す柔らかいものを感じるようになった。

「え、なに?」

 彼女が腕を回しているのは、それはやっぱり明人なのだが、どこか違う。何となく線が丸くなたような、体が柔らかくなったような印象を受ける。

 明人は目の焦点が合っていないようなぼーっとした表情を浮かべていた。

 やがて彼の腕から力が抜け、抱いていた手を徐々に緩めていった。


 腕をほどいた明人が二三歩後ずさってゆかりから離れて立った時、彼はどう見ても男子制服を着た女の子ににしか見えなかった。

 背は低くなり肩の線も狭くなって、体全体が華奢になっていた。

 詰襟はすっかりぶかぶかになり、髪は長く伸び、手が袖に隠れてしまっていた。そして、胸のあたりには二つのふくらみが盛り上がり、きつそうに制服を押し上げていた。

 それでもその時はまだ明人の学生服を着ていたので、それはまぎれもない明人だとわかったのだが、学生服だった彼の服はだんだんぼんやりとしてきて、それはいつしか薄い羽衣になっていた。


「せ、せんぱい」

 ゆかりもふと肌寒いものを感じ、自分の姿を見下ろしてみると、彼女の服も何時の間にか明人と同じ薄い羽衣になっていた。

「せんぱい・・明人さんどうしたの、しっかりして」

 しかし、明人はやがて何かに憑かれたように踊り出す。

 ゆかりの体もタトォーン、タトォーンとそれにつられて羽衣を振り、飛び上がって一緒に踊りだす。

(なにこれ!体が勝手に、いや)

 二人は桜の木の下で踊る、踊る。


(・・・は、は、は、宴じゃ宴じゃ、それそれ二人とももっともっと舞うんじゃ)


(誰か止めて!明人さん・・・)

 やがて裏庭で肌の透けそうな衣装の二人の女の子が踊っているのに気づいた男子生徒たちが、桜の木にの周りにばらばらと集まってきた。

 踊っている二人の様子がおかしいので最初は恐る恐るであったが、近寄った彼らの目は段々とトロンとしたものに変わっていき、手にはどこから現れたのか酒瓶がぶら下がっていた。


(さあ、宴じゃ宴じゃ、飲め飲め人間ども。共に楽しもうぞ)


 狂ったように踊り続ける明人とゆかり。それを前に酒盛りを始める生徒たち。

 いつしか桜の木の前は大宴会場と化していた。

 やがて桜の花が全て散ってしまった後、そこには踊り疲れて倒れ込んだ明人とゆかり、それに酒に酔いつぶれて高いびきをかいている生徒たちが残されていた。


(ああ、これでもう何も思い残すことはない。久々に楽しかったぞ、人間)



 本日のニュースです。

 都内八王子市内のM高校におきまして、集団飲酒事件が発生いたしました。

 生徒たちは、自分たちが酒を飲んでいたことをについて全く何も覚えていないと口を揃えて証言しているということです。

 警察ではこの事件の原因につきまして、さらに生徒に事情聴取を行い引き続き調査中ということです。

 次のニュース・・・



「・・・ここは」

「保健室よ。あなた桜の樹の下でずっと眠り続けていたのよ。ところで」

「え?」

「あなた、あまり見かけないけれど、どこのクラスの子だったっけ。それに制服はどうしたの」

「お、俺は、ゆかりとあの桜の樹の下で・・・あれ、思い出せない。あのゆかりは」

「村中さんはお家の方が連れて帰ったわよ。あなたどこの子かわからなかったから取り敢えずそのまま寝かしていたんだけれど、そんな格好で表に出るわけにはいかないわよね。制服の替えを持ってきたから、今日はそれを着てお家にお帰りなさい」

「あなた、えーと確か保健室の」

「工藤よ」

「あ、そうそう工藤先生ですよね」

「それにしても、ほんとあなた何年の誰さん。どうしても思い出せないんだけれど」

「三年の嶋村です」

「こんな時に冗談はやめて頂戴」

「え?」

「だってあなた・・・」


 工藤先生が壁のほうにちらりと視線を向ける。そこには彼女が持ってきたM高校の女子制服が掛けられていた。


「早くそれに着替えて帰りなさい。それに女の子が俺なんて言葉使っちゃ駄目よ」

 彼が自分の体を見下ろすと、薄絹越しに胸に二つのふくらみが盛り上がっている。

 あわてて手を当てるとそれはプニプニっと凹んでいった。

 さらさらになった髪はほほをくすぐり、もう一方の手を股間にやると・・・そこには何も無くなっていた。明人はその格好のまま固まってしまった。


「あなた、どうしたの、急に、ねぇ・・・」

「これって・・・な・・何なんだ~~~」



 裏庭に面した保健室の窓からは、遠くに桜の樹が見えていた。

 その桜の樹は・・・すっかり枯れ果て、一枚の葉っぱを残すのみだった。

 しかし明人の叫びが裏庭に響いた時、申し訳なさそうにはらりと落ちていった。


 翌日枯れてしまった桜の樹を見た人によると、その姿はどこか満足気で神々しささえ漂っていたという。


(了)

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