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母親に強く口止めされているあのことを。それは使命感によるものだった。
「ちょっとすみません」
振り返り、恵一は言った。
男が立ち止まり、ゆっくりと恵一に顔を向けた。
「なんだね。君はいったい誰だ」
「あっ、あのう、僕は三村恵一といいます。あなたはたしか、木藤さんですよね」
きつい男の顔が、少しだけ柔らかくなった。
「三村恵一? ああ、思い出した。なんでも山の中で熊を見たとかいう高校生だね」
「違うんです!」
「?」
恵一は思わず叫んでいた。
少し離れていたところを歩いていたカップルが、二人して恵一を見た。
「違うんです。聞いてください。それは違うんです。僕が見たのは熊なんかじゃないんです。それで熊じゃないと何度も言ったのに、みんなして僕が熊を見たことにしてしまって……」
それ以上の言葉を発することが出来なくなった恵一に、木藤が声をかけた。
その顔からは想像できないほどの、優しい響きの口調で。
「違うんだね。あれは熊なんかではないと言うんだね。それじゃあ君は、いったい何を見たんだい」
恵一はしばらく木藤の顔をじっと見ていたが、やがて口を開いた。
「化け物です。あれは化け物なんです」
木藤の目つきが瞬時に変わった。
なんとも言えない、重く怖いものに。
「化け物? それはいったいどんな化け物なんだ」
「残念ながら、はっきりと見たわけじゃありません。夜だったし。暗かったし。木がいっぱい生えていたし。でも熊や猪なんかじゃないことは、間違いないです。あれはそんなものとは、まるで違います。でかいんです。とにかくでかいんです。さっきも言ったように暗かったから細かいところまではわかりませんが、でも大きさくらいはわかります。でかかったんです。熊なんかぜんぜん比べものにならないほどに、でかかったんです」
「でかかったのかい。それでそれは、どのくらいでかかったんだい?」




