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雪は道草に痛みを飾る  作者: くろまりも
第二章 雪と花
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襲撃

 内蔵からあふれた血液がゴポリと口内を満たす。

 自らに噛みついて来たのが、巨大なオケラに翁のごとき顔を持つ怪物であることを確認した直後、スズランの身体は突進された勢いのまま宙に放り出された。


「ケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラ」


 翁の顔がおかしそうに笑いだす。それは人間に似ていたが、子どもくらいなら丸呑みにできるのではないかというほどに上顎と下顎が離れており、蛇のように長い牙が一対生えている。その鋭い牙からは、今しがた貫いた獲物の血が滴っている。


「スズランっ!?」


 熊の突進でも喰らったかのように遠くに弾き飛ばされた仲間を気にしつつ、メノウたちは武器を構える。生きていたとしても、あの突進と牙を喰らえば簡単には戦線復帰はできない。頭の中で冷静にそう分析し、意識を目の前の怪物に集中する。

 何体かの妖怪がユキの護衛として残る可能性は考えていたが、実際に妖怪を目の前にすると否が応にも緊張が高まる。人間と妖怪の戦いは、いつだって人間の方が分が悪い。数で優位に立っていたとしても、決して真正面から戦ってはいけない相手なのだ。

 暑さからくるものとは違う汗を流れる。彼らの周囲を藪蚊が飛んでいたが、メノウたちは微動だにせずオケラの怪物を睨み続ける。怪物はそんな様子を見て、変わらぬ顔でケラケラと笑い声を上げた。


「ひっ!?な、なんだ、これ!?と、とってくれえええええええ!!」


 突然、背後にいた仲間が悲鳴を上げたため、メノウは慌てて振り返る。

 そこには黒い塊が蠢いていた。

 最初、黒装束の仲間が暴れているのかと思ったが、すぐに違うとわかる。仲間の身体が一回り大きくなっており、何か小さな生物が大量に身体の周りに群がっているのだと気付いたのだ。加えて、周囲を満たす羽音。真夏に聞き慣れた不快な音に、メノウはその正体にすぐ思い至る。


「藪蚊っ!?」


 目の前にいるオケラ爺に背を見せるわけにもいかず、メノウが対処に迷っていると、暴れて藪蚊を追い払おうとしていた仲間の動きが徐々に鈍くなり、やがて動かなくなる。

 途端、大量の藪蚊が一斉にその場から離れ、後には黒装束を纏ったミイラのごとき死体一体だけ残った。藪蚊たちは屋根裏の暗がりへと吸い込まれていく。ただ見送ることしかできないメノウの耳に、場違いな叫び声が聞こえてきた。


「おぎゃあああああああおぎゃあああああああああ」


 赤子の泣き声。普段なら警戒に値しないことだが、この場では不気味でしかなくメノウは背筋を凍らせる。泣き声の主は、屋根裏の暗がりからゆっくりと姿を現した。

 それはまさしく赤子の顔を持っていたが、決して心癒されるものではない。六つ七つの赤子の頭のみで構成された身体に、老人のように節くれだった腕が四本生えており四つん這いで歩いていた。赤子の頭はすべて泣き顔で、泣き声を上げるたびに口から大量の藪蚊が出入りしていた。


「……待ち伏せねー」


 メノウは低くつぶやきながら、刀を抜き放つ。

 布槌の駐屯軍と結城衆による合同捜索。人海戦術によるローラー作戦だったが、自分たちの班が目標を発見したのは運が良かったのか悪かったのか。

 目標を発見する数刻前、敵の本隊と霧見一族の部隊が交戦に入ったという報せがあった。人数差から考えて、霧見一族が負けることはないだろうが、部隊のほとんどがそちらの加勢に向かっているだろう。助力は期待できそうにない。

 蓮蛇の生き残りはせいぜい数十人のはずだ。その限られた人数で本隊を囮にするとは、指揮官はとんでもない胆力の持ち主かバカだ。どちらにせよ、厄介な相手だ。


「人間はぁ、やっぱもろいなぁ」


 頭上から降ってきた言葉にぴくりと反応し、メノウは恐る恐る顔を上げる。

 壁に張り付くようにして、長い手足とぎょろりとした目を持った、節足動物を思わせる男がいた。その片手には、いつの間にかもう一人の仲間が掴まれている。ユキの背後から首筋に刃物を当てていた男だ。男の首はあらぬ方向を向いており、彼がすでに絶命していることは容易に見て取れた。


「三体ねー。美人は取り巻きも多いのねー」


 一人になってしまったメノウは刀を構え、軽く冗談を言って自分を奮い立たせる。間延びした口調は変わらないが、その表情は真剣そのものだ。勝ち筋が薄くとも、冷静さを欠けばそれすら失う。こういう時こそ、冗談を言えるようでなければならない。

 一対一でも勝率が危うい相手が三体。敵の総数は少ないはずだが、その中で三体もの護衛をユキに充てるとは、よほど彼女の存在が重要であると見える。


「……待って、ナナフシ。もう勝負はついているでしょう?見逃してあげて」


 今にも襲いかかりそうな三体の妖怪を、銀髪赤目の少女が押し留める。三体の妖怪はぴたりと動きを止め、その内の一体へと視線が集中する。ナナフシと呼ばれた長身の男が、困ったような顔で頭を掻き、迷う仕草を見せる。メノウはそれを意外に思った。

 鬼や妖怪は基本的に実力至上主義だ。見た目だけで強さを推し量ることはできないが、ユキの殺気の低さから彼女が戦闘に強いタイプとは思えない。だというのに、三体の妖怪は彼女の言葉を尊重する動きを見せている。それが意外だったのだ。


「ユキ姫さまぁ。俺たちゃあ、あんたの命令を聞く義理はねぇんですがぁ?」

「わかっているわ。だから、これは命令じゃなくてお願い。お互い納得の上で殺し合って死ぬのなら、私だってこんなことは言わない。でも、結果の見えている勝負で命を落とすなんてバカらしいでしょう?」


 なめられている……とはメノウは思わない。妥当な戦力分析だ。

 特にあの長細い虫のような体躯の男がやばい。明らかに他の二体とは格の違う殺気を放っている。前後を挟まれた現状で挑むべき相手ではない。

 それにしても不思議な連中だ。姫と呼んだり、あんたと呼んだり、話は聞く割に命令を聞く義務はないと言ったり。重要な人物であることは伺えるが、敬意の対象というわけではなさそうだ。彼らの関係性がいまいち理解できない。


「(分が悪いけど、賽を投げるなら今しかないわねー)」


 眼前では未だにユキがナナフシの説得を続けているが、メノウに撤退は許されない。

 目標を確保しない限り、撤退は許されない。それが任務を受けた際に出された条件であり、霧見一族はそれを撤回しないだろう。敵地に取り残されるということは、それすなわち死。奴隷である自分たち結城衆が生き残るためには戦うしかない。

 メノウの眼球血管が膨張し、白目部分が紅く染まる。唾液腺に気を溜めて生成した可燃性液体を霧状に変え、口から放出する。同時に肺に溜めていた四百度を超える高温気体を吐き、可燃性霧に着火。高温により周囲の酸素と結びついた霧は、猛烈な化学反応を起こしてまばゆいばかりの大炎を起こす。

 狙うは頭上のナナフシではなく、眼前のユキ。やはりというべきか、彼女は反応できずに自分に迫る炎に目を見開くのみ。オケラ爺と藪蚊赤子は反応するが、やや遅い。ならば、彼女を庇うことができるのは一体しかいない。


「おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!」


 垂直落下したナナフシの身体がユキと炎の間に割って入る。

 直接狙っていれば避けられていただろう。だからこそ、メノウはナナフシではなく、ユキを狙った。この男なら間に合ってくれると信じ、彼がユキを庇うであろうことに賭けた。そして、メノウはその賭けには勝ったのだ。

 ナナフシさえ倒してしまえば、勝率はぐんと上がる。そのためにはこの最初の奇襲を絶対成功させる必要があった。


「なめくじいいいいいいいい!!」


 だが、メノウの目論見はナナフシの言葉で掻き消される。彼の叫びと同時に地面が盛り上がり、黄色い塊が飛びだしてナナフシの身体に覆いかぶさる。

 それはナメクジと言うよりスライムに近かった。ナメクジに似た触角を持つものの、身体の形状を自由に変え、ナナフシに纏わりついていた炎を、身を呈して消火する。


「四体目ーっ!?嘘でしょーっ!?」


 驚愕しながらも二発目を放つために肺に空気を溜める。

 ここまで来たらもう後には引けない。奇襲の心理的効果が切れる前に、最低でも一体は仕留めなければ勝ちの目がなくなる。

 だが、二発目を放つ直前で、メノウの生存本能が警鐘を鳴らす。その正体を確認するより先に、メノウは左に向かって身体を捻る。その直後、彼女の足元で、爆発でも起きたかのように、砂利を飛ばしながら地面が跳ねた。

 何が起きたのかと驚くメノウの目に、バラバラに砕けた刀の破片が映る。それが自分が右手に握っていた武器の残骸だということに気付いたのは、遅れてやってきた痛みを感じ取ってからだった。


「あっ、ぐうううううううぅぅぅっ」


 骨を砕かれ、すべての指があらぬ方向を向いてしまった右手を押さえながら、メノウが苦悶の声を上げる。もし左に避けるのがほんの少しでも遅かったら、砕けていたのは自分の右手ではなく頭蓋骨だっただろう。

 妖怪たちからの距離は十分開いていたはずだ。だというのに、どの妖怪に何をされたかのすらわからない。混乱するメノウの喉を、力強い手が掴み上げる。宙に持ち上げられた彼女の眼前には、ギョロリとした一対の目があった。


「痛かったぞぉ。よくもやってくれたなぁ」

「くっ!」


 暴れて引き離そうとするも、ナナフシの腕はびくともしない。

 遠目には細長く華奢な印象を受けたが、間近で見るそれは剛猿を思わせる力強さを持っていた。半妖であると言っても、メノウの身体は基本的に人間だ。腕力では妖怪には敵わない。首の骨がメキメキと音を立てながら、ゆっくりと砕かれていくのを感じながら、それでもメノウは自分の喉を掴む手を掴み必死に抵抗する。


「ナナフシ!もう十分よ!お願い、止めて!」


 ユキが慌てて腕にしがみついて止めようとするも、赤子が親の腕にぶら下がる程度にしか感じないナナフシはびくともしない。

 しかし、メノウの首を今にも折りそうだった腕の力が緩まり、ナナフシはメノウの身体を遠くへと放り投げる。地面に激突する直前、メノウは猫のように身体をしねらせ、転がりながら受け身を取った。

 真っ赤に腫れあがった首を抑えて咳き込みながらも、彼女の瞳から戦意は消えていない。まだ動く左手にクナイを握り、白目のない目を敵へと向ける。

 ナナフシが自分の言葉を聞いて放してくれたのかとユキは思ったが、彼の手を見て、その考えを改める。ナナフシがメノウの首を掴んでいた手の平と、彼女に掴まれた手首が火ぶくれを起こしていた。ナナフシはユキの言葉を組んで解放したのではなく、熱さに耐えかねて手放したのだ。


「面白い身体だなぁ。炎ってことはぁ、紅灯愚唖(クトゥグァ)の系列かぁ」


 火傷を負った手を開閉し、感心したように言う。それは火傷を痛がるどころか、むしろ楽しんでいるかのようだった。

 メノウの左手からゆらりと陽炎が起きたかと思うと、赤い炎となってクナイごと左手を包む。左腕周辺の服が燃え、火の粉が蛍のように夜闇に舞った。ナナフシたちのところまで届く熱気が、その炎が偽物ではないと証明していたが、彼女自身にそれを熱がる様子はない。その炎はまるで、彼女自身の闘志の顕れのようだった。

 驚きで目を見張るユキを引き寄せ、ナナフシは彼女を自分の背後に下がらせる。


「聞いたことがあるぅ。霧見一族が飼ってるぅ人間のぉ隠密集団、結城衆ぅ。人間と鬼をぉ人工的にぃ外科的にぃ繋ぎ合わせてぇ、人間でありながらぁ、鬼の力を使うってなぁ。闘うのは初めてだがぁ、なかなか芸があるじゃぁねえかぁ」


 ナナフシはギョロリとした目を器用に動かし、片方をメノウに、もう片方を別方向へと向ける。何かが倒れる音とゴキブリの断末魔のような不快な悲鳴が聞こえ、ユキはナナフシが目を向けた方向へと振り返った。


「姫さまぁ、どうやらこいつぁ、『結果の見えてる勝負』じゃあ、なさそうですぜぇ」


 振り返ったそこには、翁の顔をしたオケラの怪物が地面に仰向けに倒れ、苦しげに暴れる姿があった。それはさながら死に際に暴れる蟲のようだ。

 そのすぐそばには、一人の若い忍びが立っている。

 真夏だというのに異様に分厚い厚着を来た奇妙な風体。オケラの牙に貫かれた傷口を片手で押さえ、口の端から血を流す、今にも死にそうな風体の少年だったが、手負いの獣のごとき殺意が籠った瞳でナナフシを見つめ返していた。

 ナナフシはそれに応えるように、喜色の混じった声を出す。


「少なくともぉ、こいつらはぁ、やる気満々のようだぁ」

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