妖怪屋敷
霧見一族の人間奴隷区には、常時妖怪が滞在している巨大建築物が存在する。ここでは結城衆の監視や人間を使った実験、そして結城衆に命令を下す際の中継施設として使われていた。結城衆の代表たちがここで霧見一族と接触するのだが、鬼や妖怪にいい感情を抱いていない彼らは、この建築物を密かに『妖怪屋敷』と呼んでいた。
そんな妖怪屋敷から、ぞろぞろと十名ほどの人間が雑談を交わしながら出てくる。評定衆と呼ばれる結城衆の代表たちだ。みな鋭い瞳をしており、その表情は重そうだ。
その中の一人、比較的若い中年女性のみが、退屈そうに欠伸をしていた。横にいた老人がそれに気付き、声をかける。
「シオン、評定衆の仕事は退屈か?此度の任の重要性、わかっているのだろうな?」
「はいはい、わかってるわかってる。だいたい私はこういうのに向かないからって断ったのに、無理やり引き入れたのはあんたたちだろうが。もうすぐ孫の誕生日で準備に忙しい中、きちんと参加してやっただけでも感謝してほしいね」
そういって懐から木材と刃物を取り出し、削っていく。木彫り人形は刃物の訓練になる上、安上がりな玩具であるため、結城衆の間では定番の贈り物だった。
シオンが手際良く木を削っていく様子を見て、老人は軽く鼻で笑う。
「鬼より恐ろしいと言われた先代羅刹のおまえが孫バカか。羅刹としての実戦経験と新しい羅刹を三名も育てた手腕。それだけの実績があるのであれば、評定衆に入れぬわけにもいかんよ。育てるコツがあるなら教えて欲しいものだ」
「そりゃもう愛だよ、愛。ほどほどの運動と豊かな食事。あとはたっぷりの愛を込めて育ててやれば、誰だって強くなるんだ」
「……うちの孫をおまえさんに預けたら、一か月で瀕死にさせられたんだが、あれがほどほどの運動か?食事も小刀一本で山に放り込まれただけと言っておったが」
「死んでないうちはほどほどだろ?それに山は食い物の宝庫なんだから、食べ放題で豊かな食事じゃないか。わざと猛獣や毒草を繁殖させた山だから、いい野外訓練にもなる」
本当の鬼はこいつじゃないかという白い目で老人はシオンを見たが、彼女はどこ吹く風で木を削っていた。評定衆の仕事や若手の訓練より、孫のことで頭がいっぱいの様子だ。
「おばあちゃーん。会議終わったのー?」
妖怪屋敷から出て、それぞれが自分たちの村に戻る途中の道で、赤みがかった髪の少女が手を振りながらシオンの方へと近づいてきた。それを見た途端、シオンの顔がくしゃっと潰れ、顔全体で喜びを伝えるようなデレデレした様子になる。
「おぉ、メノウっ!わざわざ迎えに来てくれたのかい?ありがとうねぇ」
「うぅん、いいのー。どのみち、ここに来るように言われてたしー。あと、来る途中で変なもの拾ったから、持ってきちゃったー」
そう言ってメノウは、手に持っていた二つの物体を掲げる。一つは気絶しているスズラン。もう一つは息絶えている狸の死体だ。スズランの方は脚絆の裾を掴んで引き摺られてきたので、かなりドロドロになっている。
シオンはニコニコとした表情を崩さずに言う。
「こらこら、メノウ。ゴミを拾ってきちゃ駄目だって言っただろう?元あった場所に捨ててきなさい。もう一つの方はちゃんとお墓を造ってあげようね」
「ま、まだ死んでないんで、勘弁してくれませんかねぇ。シオン師匠」
「バーカ、ゴミはおまえの方に決まってるだろう」
「俺の価値は狸の死体以下ですか!?あんたこそ、良心ってものをどこかで拾ってきた方がいいんじゃないですけねぇ。どうせ捨てちゃうんだろうけどっ!」
スズランの主張を無視して、シオンとメノウは楽しく談笑しながら井戸端へと向かう。スズランは二人に脚絆の裾を片方ずつ掴まれて、引き摺られながら連れて行かれた。ひどい扱いだったが、放置されるよりはましなので、スズランはそれに対して文句は言わなかった。一言でももの申せば、こいつらは本気で自分を放置していく。
「おばあちゃーん、スズランはこのまま井戸に落とそうかー?」
「駄目だよ、メノウ。井戸は他の人も使うんだから、スズランで汚染しちゃったら迷惑だろう?頭から水をぶっかけとけばいいさね」
そう言って、桶で組んだ水を本当に頭からざばりと盛大にかける。鼻と器官に水が入って咳き込んだスズランだったが、少ししてからゆっくりと体を起こす。
ずぶ濡れになった頭巾をとった下にあったのは、色白で目の下に深い隈のある若い男だった。男は頭巾を絞って被り直しながら、半目になってシオンを見つめる。
「人を病原菌か何かと一緒にするとは、ひどい師匠もいたもんですなぁ。シオン菌に感染すると、良心が消滅して血を浴びるのが趣味になるって噂聞いたけど、マジ?」
「スズラン菌に感染して、危機感が絶滅するよりは遥かにマシだろう。この季節は熱中症に気をつけろと忠告したのを忘れたのか。特におまえはな」
「いやはや、反論の余地がなくて耳が痛いことで。良心の呵責のせいか、ついでに目眩と吐き気までするわ。ほら、俺って、シオン師匠と違って良心の塊だから」
「スズランー。それ、ただの熱中症ー。もっと水飲んでー」
水桶を受け取ったスズランは、それをガブガブ飲み干す。本気で熱中症で死にかけていたことを察して、シオンは呆れながらも井戸端に腰掛ける。
「……おまえ、そんだけ弱ってるのに、よく舌が回るな。まぁ、いい。そのままでいいから聞け。私たちに新しい任務が下りてきたから伝える」
告げられた言葉に、スズランとメノウは顔を見合わせる。もともとそのために来たのだから、任務の話が出ること自体は驚くことではないが、こんな人通りの多い場所でされるとは思っていなかった。
「おいおい、師匠、ボケるにはまだ早いでしょ。仲間内であっても任務の内容を軽々しく話すなってのが信条でしょうが。井戸端会議のおばさんですか、あんたは」
「それにー、私たちってことはー、おばあちゃんも一緒なのー?おばあちゃん、評定衆になってからー、実戦からは手を引いたはずでしょー?」
「もっともな疑問だが、今回は例外だ。秘匿もくそもないし、時間もあまりないから、この場でさっさと話す。まずは順を追って説明しよう。質問はその後で受け付ける」
ピタリと黙って、二人は次の言葉を待つ。まだ個性が強すぎて扱いが難しい二人だが、仕事に関してはプロだ。柔軟性を残しつつも、上官の命令にはきちんと従う。
二人の反応に満足し、一つ頷いてからシオンが続ける。
「昨夜、夕刈山に霧見一族の飛行船が墜落した。北部遠征中だったジンベイ軍の飛行船『灰銅鑼号』だ。戦利品を積んで帰還する途中だったが、蓮蛇の飛行部隊に襲われたらしい」
蓮蛇というのは鬼神の名前だ。スズランたちが住まう人間奴隷区は布槌という名前の土地だが、ここは九頭竜・蓮蛇・土胡坐という三体の鬼神がそれぞれ治めている領地の境界付近に当たる。三体の鬼神は互いにいがみ合っており、いつ戦争が発生してもおかしくない要衝地であると同時に、諜報合戦の激戦区でもある。
現在、九頭竜は土胡坐と停戦協定を結び、北方戦線で蓮蛇と戦争中だ。蓮蛇の飛行部隊が九頭竜の飛行船を落としたとしてもおかしいことではないが、スズランは頭の中に地図を思い浮かべて疑問符を浮かべる。それを察したシオンが先んじて言った。
「気付いていると思うが、夕刈山は土胡坐領だ。停戦協定を結んでいるとはいえ、土胡坐領で軍船を飛ばすことは重大な協定違反に当たる。土胡坐との停戦協定には数年かかったが、今回の戦闘で白紙に戻った。戦略絵図が大きく狂っただろうから、今首都ではその対応にてんやわんやだろうな」
「……確か、蓮蛇も土胡坐と停戦協定結んでたはずだろ?立場は向こうも同じだろうけど、一番とばっちり喰らってるのは土胡坐だな。苦労して締結させたはずの停戦協定を、二国が同時に破り捨てたわけだ。土胡坐のお偉いさんはぶちぎれてるだろうねぇ」
口を差し挟まないつもりだったが、事態の大きさに思わず口出ししてしまった。
国家間の約束事を破るというのは、とてつもなく重い違反行為だ。多額の賠償金を支払って済むのならまだいい方で、最悪の場合は戦争に発展する。戦争中の九頭竜と蓮蛇にとって、土胡坐という敵を背後に作ってしまったことは多大な損益になるだろう。
「逆に言えば、一国を敵に回す危険を理解した上で、それを帳消しにできるだけの意味がこの戦闘にあったのだと推測することができる」
「意味?」
「おそらく、九頭竜は土胡坐領を中継することで、安全に積み荷を運ぶことを狙ったのだろうさ。見つかれば協定違反だが、見つからなければ問題ない。大胆な作戦だが、蓮蛇の裏をかけるし、仮に情報が漏れても蓮蛇は簡単に戦闘を仕掛けられない」
「でもー、予想に反して戦闘になっちゃったのねー」
スズランたちは所詮奴隷であり、鬼神同士の事情に詳しいわけではないが、それが尋常ではない事態であるということはわかる。九頭竜・蓮蛇の両陣営が、他国との協定よりも積み荷の確保を優先させたのだ。片方だけなら指揮官の頭が悪かった可能性もあるが、両方となるとその確率は低くなる。
「あー、大体読めてきた。ようするに、密かに土胡坐領に潜入して、その積み荷を回収して来いっていうのが俺たちの任務だろ?捕まっても知らぬ存ぜぬを通しますので、遠慮なく死んで来てくださいませっていう、気遣いたっぷりの優しい任務だ。泣けますねぇ」
「惜しいが少し違うね。私たちだけの任務ではなく、霧見一族の正規軍と結城衆のほぼ全員を導入した、大規模な捜索任務だ。もちろん、土胡坐領でな」
「…………は?」
今度こそ、スズランとメノウは開いた口が塞がらなかった。
停戦協定を破った上に、無許可で敵国の土地に軍隊を送り込むのだ。これはもはや戦争になるかもしれないというレベルの話ではなく、確実に戦争まで発展させてしまう行為だ。
そも、結城衆をほぼ全員導入した作戦というのが前代未聞だ。人海戦術のための頭数合わせに加え、いざという時は正規軍を守るための捨て駒にする魂胆が見え見えだった。
……ぶっちゃけ、参加したくない。スズランとメノウは思った。
「当然、捜索中に現地兵との交戦もありうる。人海戦術で迅速に目標を確保し、大軍が送り込まれる前に即離脱する。目標の確保まで撤退は認められず、逃げ遅れた奴は見捨てる。第一陣は一時間後に出発だ。私たちは第一陣で行く。……質問は?」
スズランとメノウが揃って手を上げたため、シオンはメノウを指名した。
「おばあちゃんが不幸にあったのでー、忌引き休暇申請していいですかー?」
「んー、ごめんなぁ。申請受けてあげたいのは山々なんだけど、上からの命令だから無理なんだよ。あと、実のおばあちゃんを目の前にして、その嘘はちょっと苦しいぞ?」
「ちぇー」
不満そうに口を尖らせるメノウも可愛いなぁとシオンは目尻を下げる。続いて挙手するスズランに目線を移すと、すぐに真剣な瞳に切り替えて頷く。
「よし、これ以上質問もないようだし、準備に取り掛かってくれ」
「あれぇっ!?俺は無視ですかっ!?このババア、仮にも評定衆の一人だっていうのに、身内びいきが過ぎるんじゃないですかねぇ!?」
「は?世界で一番可愛い子の一万倍可愛いメノウと、ドブ鼠が死んで腐って蛆が湧いた上に馬糞を乗せられてできあがったような怪生物を一緒に扱うわけがないだろう?」
「それでもオタクの口汚さよりはよっぽど綺麗だっての。……いや、これ、冗談抜きで聞いておきたいんだけど、俺たちが確保する目標ってのはなんなの?」
問われ、シオンは忘れていたといったふうに一つ手を打ち、懐から小さな紙を取り出す。
紙に描かれていたのは似顔絵のようだったが、まるで本人がそこにいるかのように精密で色まで付いている。鬼神の持ち込んだ新技術の一つ『写真』というやつだろう。
そこに描かれていた少女はどこかの貴族のように美しかったが、普通の人間とは違って銀髪赤目、そして額に一本の角が生えていた。
「その鬼の名はユキ。九頭竜と蓮蛇が他国との戦争覚悟で確保しようとしている鬼だ」