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雪は道草に痛みを飾る  作者: くろまりも
終章 紅葉
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鬼は笑う

 私がその男にあったのは幼少期。結城衆はまだできたばかりの組織で、私はヤモリとイモリという蜥蜴妖怪相手に泣きべそをかくことしかできなかった。


「オタクらには3つの選択肢がある」


 スズメバチと名乗ったその男は、ヤモリたちを殺した後、私と姉さんにそう持ちかけた。

 カエデ姉さんはヤモリたちに弄ばれ、重傷を負っていた。スズメバチは応急処置を施してくれたが、治っても後遺症が残るだろうし、最悪死ぬかもしれないほどの怪我だ。

 この男が何を思って自分たちにこんな提案をしてきたのかはわからない。同情かもしれないし、気まぐれかもしれない。真相は、結局今に至るまでわからないままだ。


「1つ、このまま村に戻り、今までどおりの生活を送る」


 1つ目の提案はありえなかった。

 姉さんを生贄に捧げるような村に戻りたくはなかったし、医者もいないような村では姉さんの治療も満足に行えない。妖怪たちから姉さんを取り返すために村を飛び出たあの瞬間から、私からその選択肢は失われていた。


「2つ、俺についてきて、結城衆に入る。霧見一族の奴隷になることになるが、連中の治療を受けられる。ただし、鬼胤を埋め込める手術で死ぬ可能性も高いがな」


 聞けば、結城衆とは最近新設された実験部隊で、霧見一族は被検体となる人間を集めているとのことだ。スズメバチはその一員らしい。

 姉さんの怪我のことを考えれば、悪くない提案のように思えた。

 鬼胤を埋め込む手術というのも、むしろ望むところだ。モミジはスズメバチの強さに憧れを抱いていた。人間では勝つことなど不可能と思われていた妖怪を、二匹もあっさり殺してみせた半妖の力。妖怪に姉を傷めつけられた少女が羨望するのも無理もない。

 だが、そのために妖怪の奴隷となることには強い抵抗があった。どれだけ手厚く扱われようと、所詮奴隷は奴隷。そんな関係を受け入れるほど、彼女は腐っていない。

 人間を遥かに超える力を持った鬼たちが支配するこの残酷な世界で、それでもモミジは自由であらんとする誇り高き人間だった。いかに強い力を得ることができようとも、奴隷の身であっては本末転倒だ。

 彼女の返答を聞くまでもなく、スズメバチはモミジの瞳からその意志を読み取った。


「いいねぇ。実に俺好みの目をしている。よし、なら3つ目の選択だ」


◆◆◆◆◆◆


 スズランたちを送りだした帰り道、シオンは廃村に差し掛かった。

 かつて人間が住んでいた村だったが、今では人っ子ひとりいない。霧見一族に潰されたのか、野良妖怪に滅ぼされたのかはわからないが、彼女は見向きもしない。

 だが、中ほどに至った時、その歩みがぴたりと止まった。


「君が生まれ育った村だろう?少しは懐かしんだらどうだい?、と問うてみるよ」

「私と姉さんを見捨てた村です。恨みこそあれ、感慨など欠片もありません」

「そう、そのとおりだ。君にとってもっとも大切なのは家族であって、故郷なんてものはその付属物にもなりはしない。久しぶりに会ったが、変わりないようで安心するよ」


 傾いた屋根の下で、蜘蛛の頭を持つ鬼が茶を飲んでいた。

 シオンは彼に近寄ることもなく、直立不動の状態で受け答えする。もっとも、一歩でも動こうものなら、いつの間にか背後に立って刃物を突き付けているアオに心臓を貫かれてしまうだろう。


「よくここがわかりましたね?落ち合うのは別の場所を指定したはずですが」

「よくもそんなことをぬけぬけと……」


 背後に立つアオが、明らかな怒気を含んだ声で言う。


「なぜ土胡坐を裏切った、シオン!ユキを暗殺する機会がありながら見逃し、あまつさえ我々を謀って、嘘の合流地点を教えるとはっ!」

「本当の合流地点を教えていたら、あなたはユキを殺そうとしたでしょう。だから、教えなかったんですよ」

「だから、なぜ――」

「彼女は裏切ってないよ。そもそもシオンくんは最初から、土胡坐に忠誠心など抱いていないのだから。そして、彼女の行動原理はいつだって家族第一だ。今回も家族のために動いたんだろう?と推測を並べてみるよ」


 激昂するアオに答えを返したのは縁側に座るウチザルだった。彼はすべてを見通すような深遠なる八つの目を遠くに向けて言葉を続ける。


「アオくんにも責任の一端はあるんだよ?君、シオンくんにユキの資料を見せたろう?」

「そ、それは任務上知らせるべきだと思ったからです。敵地の中心で活動する工作員は現場判断を求められる場面が多く、そのためにも開示可能な情報は極力開示した方が――」

「うん、その判断は間違ってないし、責めるつもりもないよ。だけど、君自身の資料の読み込みが少し足りなかったようだねぇ」


 ウチザルは茶を一口すすってから、困惑するアオに告げた。


「ユキの義母は、シオンくん――モミジくんの姉に当たるカエデくんだったんだよ。と、アオくんに教えてあげるよ」


 アオは驚きに目を開き、そして、自らの過ちを瞬時に理解して顔を歪める。


「ユキが自分の姪に当たるから、裏切ったというのですか!?ですが、血が繋がっているわけではないのですよ!?それどころか、シオンの姉はユキが原因で命を落としたことになるじゃないですか!どうして、それが家族になるんですか!」

「それに関してもきちんと説明はできるけど、敢えて簡単な言葉で纏めておこう。――それが、彼女の美学だからさ」


 シオンとウチザルの間では、その言葉だけですべてが言い表せるのだろう。シオンは反論しなかったし、ウチザルもそれ以上付け加えることはなかった。ただ一人置いてけぼりにされたアオだけが、理解できないと首を振る。


「ですが、裏切ったのは事実。裏切り者として私を殺しますか?」

「嘘はいけないね、シオンくん。先刻も言ったが、君はもともと土胡坐に忠誠心なんて抱いていない。土胡坐と九頭竜、状況によってどちらの側にでも立てる立場にいたくて、土胡坐の工作員になっただけだろう?と問い正してみるよ」


 図星を言い当てられ、シオンは苦笑いを浮かべる。この状況に至ってしまえば、これ以上誤魔化しても仕方ない。彼女は正直にそれを肯定した。


「よくご存じですね。いつから?」

「スズメバチくんが君を紹介してくれた時からだよ。彼自身がそういう男だったからね。君もスズメバチくんも、鬼の下につくことを良しとする人間じゃない。だから、土胡坐と九頭竜のどちら側につくというのではなく、両方を利用する立場につくことにした。表向きは両者にいい顔をしながらも、裏ではせせら笑っていたんだろう?と憶測を並べてはみるけど、自信はないから捕捉があったらお願いしてみるよ」

「……いや、まったくそのとおりだ。頭のキレは変わらないねぇ、あんたは」


 上辺だけの敬語すら捨て、シオンは降参と言うように両手を上げる。


「自分で言うのもなんだけども、人間にしちゃ、うまくやれた方だと思ったんだけどね。どうやら初めから役者が違ったようだ」


 観念して目を閉じる。今さら命乞いをするつもりはないし、遺言や恨み事を残すようなタマでもない。最後に鬼たちを騙してユキを救えたことで満足だった。

 彼女の処遇を求めて、アオが己が主人へと目を向ける。ウチザルは飲み終わった湯呑を置いて、アオに頷いて見せた。


「僕は君たち人間を甘く見ているつもりはないよ。特に君に関しては高く評価しているんだ。だから、これからもがんばってくれ。それじゃ、帰ろうかとアオくんを促すよ」


 そう言って、衣服の埃を払いながら立ち上がり、そのまま歩いていこうとする。

 これにはアオだけでなく、シオンですらもポカンとせざるを得なかった。


「ちょっ、ウチザルさま、お待ちください!この者は殺さなくていいんですか!?」

「うん?今言った通り、彼女にはこれまでどおり土胡坐の工作員をやってもらうよ。忠誠心がないのは前からわかっていたことだし、今回の行動についても初めから予想がついていた。なら、今までと変わらないんじゃないかなと思うよ」


 当然のことのように言う主人に、アオは躊躇いながらも刃を引く。納得がいかなくとも、彼女は主人の言葉に忠実だった。

 シオンは改めてウチザルを恐ろしいと思った。彼の言う通り、シオンは土胡坐の工作員を続けざるを得ない。土胡坐とのパイプを失うわけにはいかないからだ。だが、それがわかっていたとしても、シオンを工作員として利用するには並々ならぬ度量が必要だろう。


「……ウチザル、あんたはユキを殺すつもりだったんじゃないのか?」

「それはアオくんの早とちりだねぇ。僕は初めからユキは殺さずに蓮蛇に引き渡すつもりだった。そのために僕自ら国境に出向き、蓮蛇の有力者と交渉してきたんだからねぇ。いやはや、情報戦で後手に回ると、策を凝らすのも一苦労だ、とぼやいてみるよ」

「交渉?」

「土胡坐は、ユキの引き渡しを条件に、九頭竜を打ち倒すまでの間、蓮蛇と同盟条約を結ぶ。土胡坐一国で九頭竜・蓮蛇を相手取る余力はないから、その折衷案といったところだねぇ。いやはや、これから議員たちへの説得を思うと頭が痛いよ」


 ウチザルが到着するのが遅れたのはそのためだった。この男は最初からユキを奪還して蓮蛇に引き渡す絵図を描いており、国境を越えて蓮蛇の有力者と密約を結んでいたのだ。ほんの数日でそれを実現してみせる人脈と行動力には舌を巻かざるを得ない。

 鬼たちを騙してユキを救ったつもりでいたシオンだったが、手の平の上で踊っていたのは自分自身だと気付かされる。


「だが、土胡坐にしては消極的だねぇ。あんたたちなら、二国相手にやりあう力は十分あるだろうに。私はそうするだろうと思ってたよ」

「好戦派はそう考えるだろうねぇ。だけど、現実問題として難しいんだよ。なにせ、首都を守っていた虎の子の第一師団が壊滅しちゃったからねぇ、と明かしてみるよ」

「なっ……」


 さらりと言われた驚愕の事実に、シオンはアオに目を向ける。

 だが、彼女の方も驚いた顔になっている。どうやら、その情報を知らなかったようだ。


「……バカな。土胡坐の第一師団と言えば、地上最強を自負する精鋭中の精鋭だろう。そいつらが壊滅するような戦があれば、耳に入らないはずがない」

「うん、戦争は起こっていない。ユキに対する実験をしている途中、事故で彼女の鬼神が暴走し、一都市ごと第一師団が壊滅させられただけだからね。研究施設の近くに駐留していた第一師団は運がなかったとしか言いようがないと故人の不幸を悼むよ」

「そん、な。そのような情報は私の耳に入っていません!」


 アオはウチザルの側近を務めているだけあって、土胡坐でもそれなりの地位にいる。その彼女が知らないような情報を、シオンに明かしていいのかという不安がその声には混じっていた。


「うん、この情報は戒厳令が引かれているからね。だが、いつまでも隠せることじゃないし、そろそろばれ始める頃合いだから君たちに話した。これで土胡坐がユキをあっさり手放す理由と、戦争に消極的な理由がわかっただろう?と説明するよ」


 信じがたい話ではあるが、それを事実として考えるなら、今回の土胡坐の行動で不自然に感じていた部分が理解できてしまう。シオンは納得せざるを得なかった。

 ユキは血が繋がっていなくても大切な姪っ子だ。姉も彼女のことを大切にし、存命だった頃はよく話してくれた。だから、彼女を救ったことに後悔はないが、自分はとんでもないことをしてしまったのではないかという気分になる。


「土胡坐はユキを手に入れ、体内の鬼神を操るために手を尽くした。だが、その結果、一都市と主力軍を失い、僕らはようやく気付いたんだ。これは僕らの手に負えるものじゃない。まさに、触らぬ神に祟りなし。殺す勇気もなく、彼女を手放したよ」

「……ユキはこれから、どうなるんだい?」

「何も変わらないさ。鬼神が現れようと現れまいと、人の生活は何も変わらない」


 知性ある魔人はそう言って、空に浮かぶ赤い月を見上げる。


「鬼も妖怪も人間も、鬼神さえも白痴の夢で踊る役者に過ぎない。俺は強いと誇ってみても、私は弱いと嘆いてみても、手を叩いて夢から醒めれば何も残りはしない。役どころに大した意味なんてないってことに、ほとんどの奴は気付いちゃいないんだ」


 世界を見下ろす赤い鬼神。それを見上げる男の目にあるのは羨望でも恐怖でもなく、まるで下手な役者に向ける嘲りのよう。


「誰よりも強い奴が主役の劇ほどつまらないものはないってのにね。まったく滑稽さ」


 鬼は笑った。

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