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雪は道草に痛みを飾る  作者: くろまりも
第七章 高空の決戦
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紫苑

 刈島城の奴隷地区から数キロ南に行った場所に、森に隣接する大岩がある。その横にある小岩に一人の中年女性が腰かけていた。

 岩の上に座った中年女性は、刃物を手に木材で彫り物をしている。

 彼女がふと眼を上げて空を見ると、やや離れた場所に、今朝がた刈島城を出発したはずの堕魂号が浮かんでいるのが見えた。堕魂号はしばらく森上空を旋回した後、どこか遠くに向かって飛んで行ってしまった。

 それを見た彼女は口の端を上げ、木材を削る速度をやや上げる。すでにほぼ完成の段階に入っており、躍動感のある見事な狼が出来上がりつつあった。


「さて、不安要素は多かったが、ここまでは順調。……仕上げだね」


 それは木彫りのことを言っているのか、別のことを言っているのか。少しして満足のいく出来になったのか、軽くやすりをかけた後に息を吹きかけて木屑を飛ばす。木彫りの人形と刃物をしまうと、シオンはゆっくりと立ち上がった。

 彼女の立ち上がりと同時に、森から姿を現した者たちがいた。


「……うわぁ、本当にいたよ。こうも簡単に奴隷地区から抜け出せるとはねぇ」


 厚着姿に戻ったスズランに、ユキ、サクラ、ナナフシの四名だ。みな、疲労の色が濃いが、一人も欠けることなく辿り着くことができた。奪った飛行船で直接国境に向かうのではなく、一度この大岩で落ち合うというのは元々の計画だったが、封鎖されているはずの人間奴隷地区から平然と抜け出しているシオンを目にしたスズランがやや呆れ顔になる。

 ユキがいることを確認したシオンは、胸の内を計られないように、努めて平静を装いながら言葉を返す。


「土胡坐の手先になった恩恵だよ。刈島城の城主が無能なおかげもあって、数時間程度なら外で活動することも簡単さね。奴ら、人間が反逆することなんて毛ほども考えてない」

「舐められてるねぇ。情報戦なら、土胡坐が頭一つ抜き出てるか」

「さて、それはどうかねぇ。技術力なら九頭竜が上だから、一概には言えんさ」

シオンはスズランの隣に立つ童女姿の鬼に目を向ける。

「指示した通り、飛行船は捨ててきただろうね?」

「うむ、飛行船は遅くて目立つからな。この付近に立ち寄らせた後は、自動操縦で霧見港に向かうようにしておいた。しばらく露見することはあるまい」

「それでいい。飛行船ではどうあっても国境付近で捕まってしまう。この程度の人数なら、もっと小回りが利いて足の速い乗り物の方が逃亡には向いているさね」


 シオンが近くにあった木の洞に手を突っ込み、そこに隠されたスイッチを押す。すると、すぐ横にあった大岩の形が歪み、人間数名が横になって通れるほどの穴が開いた。


「……技術力なら九頭竜の方が上なんだよな?」

「何を驚いておる?光学迷彩など大した技術でもなかろう?サクラさまはあまり使わぬが、蓮蛇軍にも似たような技術はあるぞ?」

「……あぁ、なるほど。遅れてるのは九頭竜じゃなくて、人間の方ってわけね。こりゃ勝てるわけねえわって話ですよ、まったく」


 溜息を吐きながら、スズランが穴の中を覗く。

 穴の中には、蟻と蜥蜴を足して二で割ったような外見の、蝙蝠に似た羽を持つ異形の怪物が二体いた。怪物たちはスズランたちの存在に気付くと、ちろちろと長い舌を伸ばして見せた。


「すげぇな。親に隠れて虫を飼ってる子どもみたいだ。まさにシオン師匠の精神性をそのまま表したかのような凛々しい外見ですこと」

「虫の餌にしてやろうか、このバカ弟子」

「ほほぉ、あれは天馬じゃな。蓮蛇さまの勢力下でなければうまく育たんし、調教も難しいはずじゃが、よく用意できたものじゃ」

「本来は現場工作員の緊急連絡用あるいは緊急脱出用に用意されたものだ。希少だから二体しかいないが、分乗すれば四人くらいは運べるだろう」


 サクラは即座に天馬に駆け寄る。見知らぬ鬼に対して、初めは警戒心を持った様子の天馬たちだったが、彼女が撫でたり語りかけたりとスキンシップを取ると途端に大人しくなった。彼女は元々天馬部隊の隊長であるため、天馬の扱いは手慣れたものだった。

 彼女たちが馬具の装着などを行っている間、ユキがシオンの元へと駆け寄ってきた。彼女はシオンの前に立つと、丁寧にお辞儀をした。


「あの、シオンさん、ですよね?スズランたちから話は聞いています。このたびは私を助けるために尽力してくださり、ありがとうございました」


 かしこまった様子のユキに、シオンは少し困った笑いを浮かべる。


「気にすることはないさ。私には私の事情があった。ただ、それだけのことさね」

「事情?」


 スズランたちの方に目を向けると、彼らは旅の準備を進めており、こちらのことは気にも留めていない。まったく、暗殺には長けていても、暗殺を防ぐことには未熟な弟子だ、とシオンは苦笑いを浮かべる。


 ――緊張が緩んでいる今この時ほど、暗殺に都合がいい瞬間はないだろうに。


 シオンは懐から二つの木彫り人形を取り出すと、それをユキに手渡した。反射的に受け取ったユキは、それを見て目を丸くする。


「これ、私がスズランに渡したはずの――」

「結城衆で押収していてね。あんたに返しておくよ。もう一つの狼は私が作ったものさね。旅のお守りに持っていきな」


 手渡されたそれらを、ユキは壊れ物でも扱うように大切に撫でる。その様子を見つめるシオンの瞳には慈愛が込められていた。


「ありがとうございます。この兎の人形は義母から貰ったもので、大切なものなんです。それに加えて、こんな素敵なものまで……」

「そういう大切なものは、簡単に人に渡しちゃいけないよ。それが惚れた男でもね。特にスズランは、あぁ見えて結構すごくかなりとてつもなく異様に抜けてるからねぇ」

「そ、そんなに抜けているとは思いませんけど……気をつけます」


 惚れた男と言われて、ユキの頬に朱が差す。スズランにはもったいなさすぎるほど可愛らしく優しい娘だ。メノウといい、あの男のどこがそんなにいいのかさっぱりわからない。

 だが、これからこの娘を守るのはスズランの役割だ。この世界で人間が生きていくのは難しいが、誰か一人に彼女を預けるとしたら誰かと問われれば、シオンは迷わずスズランの名を挙げるだろう。なにせ、彼は自慢の弟子なのだから。

 準備が整った旨を伝える声が上がる。最後に一礼してスズランたちの元へと向かおうとしたユキを呼び止め、その耳元で彼女にしか聞こえない声で小さくつぶやいた。


「一ついいことを教えてやろう。スズランって言うのは、結城衆内での通り名みたいなもんでね。本名は別にあるんだ。あいつは絶対自分で言わないから、私が教えてやる」


 ぼそぼそと告げられたそれを聞いて、ユキは少し驚いた顔になった後、くすりと笑った。


「え?それ、本当にスズランの本名なの?冗談じゃなくて?」

「本気も本気さね。今後、あいつがあんたを怒らせるようなことをしたら、その名で呼んでからかってやりな。あの子の心底嫌そうな顔は見物だよ」


 共通の秘密を持った二人は、年の離れた友人でもできたようにくすくすと笑い合う。

 ひとしきり笑ったと、ユキはシオンに向かってぺこりと頭を下げた。


「シオンさん。見ず知らずの私のために、何から何までありがとうございます」

「なぁに、先刻も言ったが私には私の事情があるだけさ。気にすることはないよ」

「それでも、ありがとうございます。……シオンさんというのも通り名なんですか?もしよければ、恩人の本名も教えていただきたいのですが」


 シオンはにっこり笑って答えた。


「モミジだよ。元は武家の生まれで、時代が時代なら大名の妻になっていた女さね」

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