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雪は道草に痛みを飾る  作者: くろまりも
第五章 雪と道草
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鯰坊

 刈島城は人間の残した城郭を改装して建設された軍事施設だった。

 外見こそ城郭の趣きを残しているが、その中身はまったくの別物。城壁は戦車砲にも耐えるヒヒロカネ合金で覆われ、堀の中には大量のセンサーと機雷、見張り台には機銃が添えつけられている。施設中央の天守閣に該当する建物は飛行船の発着場となっており、墜落した灰銅鑼号と同型の堕魂号が停泊していた。

 城郭区画の隣では高い壁が広大な敷地を囲んでいるのが見える。結城衆たちが住む人間奴隷区だ。人間と一緒に暮らすことを嫌っているのか、城郭区と奴隷区はきちんと分け隔てられていた。


 天守閣の中枢に位置する大広間、その中央に巨体のタマフネと首輪と手枷を嵌められたユキが並んで鎮座していた。

 周囲では値踏みするように、大勢の人間がじろじろとユキを見つめている。人間と変わらないような姿の者もいるが、ほとんどが霧見一族特有の魚に似通った、平べったく両目の離れたずんぐりむっくりした顔をしていた。

 生気が籠っているようには見えない不気味な瞳で見つめられ、ユキは僅かな不快感から自分の身を抱く。長い囚われの生活で幾度となく経験したことだが、大勢の人間の衆目を集める感覚だけは何度味わっても慣れることはなかった。

 対して、タマフネの方は胡坐をかいて欠伸をしている。一度はユキを蓮蛇勢力に奪われ、灰銅鑼号を失った咎を受けてもおかしくないというのに堂々たるものだった。


「刈島城城主、霧見ナマズ坊さまのおなりぃ!」


 上座に控えていた男が、突然大声を張り上げる。

 ユキを観察していた者たちは一斉に居を正し、深々とお辞儀をする。それを見たユキも周囲に倣って頭を下げた。

 そんなことをする義理も義務もないのだが、こういうことを軽んじた結果、相手を怒らせて痛い目を見たことが何度もある。意味のないプライドを優先するくらいなら、頭を下げて穏便に事を進めた方がいい。長い虜囚生活で身に付けた、ユキなりの処世術だった。

 本来なら城主が着座した時点で合図があり、そこでようやく顔を上げることが許される。ユキはその合図を待っていたのだが、一向に声がかからないので、顔を伏せたまま不思議に思う。

 その時、畳がこすれるような音がして、目の先に足袋を履いた足先が見えて、ユキの心臓が跳ねあがった。

 ナマズ坊と呼ばれたこの屋敷の主は、自分の席に着座せずに、そのままユキの前まで来たのだ。顔を伏せたままでも、全身を舐めるように見つめられる視線を感じる。

 視線の主は時折顔を近づけて鼻を鳴らして匂いを嗅いだりもしながら、ユキの周囲をぐるりと回る。よく知りもしない男に匂いを嗅がれていることに、ユキは不快感を通り越して羞恥を覚えて顔を赤くさせた。


「顔を上げよ」


 ひとしきり堪能したのか、ナマズ坊が声を上げる。

 ユキを初め、大広間にいた者たちが顔を上げた。顔を上げた瞬間、ユキはギョッとなって身を固くする。

 目の前数センチという至近距離に、ナマズの顔があった。比喩ではなく、本当にナマズの顔そのものだ。

 他の者はどんなに魚に似ていても、かろうじて人間と言い張れる面相だったが、これを人間と呼ぶのはさすがに躊躇われる。平たい頭部と横に大きい口、肌は土気色をしており、表面は薄く粘液で覆われててかっていた。口元には二本鯰髭が生えており、その胴体はでっぷりと肥えてだらしない腹を突き出している。

 唯一、目だけが鯰と異なり、ぎょろりとした大きな目がユキを見つめていた。


「……は、はじめまして。ユキと、申し、ます」


 叫び声を上げることなく、声を詰まらせながらもきちんと名乗ることができた自分をユキは賞賛したかった。

 鬼の世界で生きるユキは、さまざまな異形を見慣れている。ナマズ坊も落ち着いて見れば動揺などしないが、事前情報なしで眼前に突きつけられるのはさすがに心臓に悪い。


「うむ、霧見一族本家の第十男にして、刈島城城主のナマズ坊である」


 思いのほか声は若く、発音にも澱みはない。外見は魚そのものでも、対話能力は人間と変わらないようだ。

 そこでようやく、ナマズの言葉が頭に入ってきて、ユキは疑問符を浮かべる。

 霧見一族の本家ということは、ナマズ坊は妖怪ではなく鬼のはずだ。魑魅魍魎の中でも鬼はより優遇され、要職に就くことが多い。ゆえに北部戦線の総司令を務めるジンベイのように最前線に送られるか、逆に霧見一族の本拠地である霧見港で官職を務めるかが主なのだが、刈島城の城主という立場は微妙だ。

 刈島城は三国の境界線近くにあり、北方戦線に物資を運ぶための中継拠点の一つである重要な城の一つであることは事実なのだが、前線からも本都からも離れている。そんな城の城主など、どう考えても閑職だ。

 本家当主の第十男ということは、末席ではあるが当主継承権を持つ人物のはずなのに、こんな閑職を割り当てられていることが解せない。

 だが、捕虜である身の自分がそのことを直接問いただすわけにもいかない。

 淡い期待を寄せてタマフネの方に目を向けてみるも、彼にそんな気遣いができるはずもなく、自分の耳に小指を突っ込んで耳掃除をしていた。彼が疑問に答えてくれることはなさそうだが、その態度からしてもナマズ坊がさほど敬意を払われていないのがわかる。

 さすがのタマフネも、身分が高い人間に対してはそれなりの態度を取る……はずだ、たぶん。絶対と言えないのが、判断に迷う。

 戸惑うユキに気付いているのかいないのか、ナマズ坊は興味津々といった様子でユキに手を伸ばす。


「ふぅむ……」


 ナマズ坊がその粘つく手でユキの頬に触れる。

 妖怪を見慣れているユキが外見で相手を嫌ったりすることはないが、ナマズ坊の粘液が頬や髪につくのは少し気持ち悪かった。女である以前に、風呂や着替えが自由にできる身の上ではないのだ。汚れというのには人一倍敏感である。

だが、それを顔には出さず、ユキは為されるがままでいる。

 抗議しても無駄だとは分かっているが、かといって嫌がった顔を見せて相手を喜ばせるのも嫌だ。努めて、無表情を貫こうとする。

 ナマズの手は、頬や髪に囚われず、肩・腕・胸・腰・足など、全身をくまなく無遠慮に触っていく。そのいやらしい手つきに、無表情を貫こうとしていたユキの頬が羞恥で赤くなる。身体検査のために裸に剥かれたことはあるが、衆人環視の元、服の上からこうもべたべたと触られるのは初めてだ。

 正直、ナマズ坊が何をやりたいのか理解できない。好き勝手に身体を弄ばれるユキを見て、周囲から下卑た笑い声が漏れるのが聞こえた。


「ひっ……」


 最後にナマズは、ユキの頬に舌を這わせる。さすがにこれは、ユキも微かに悲鳴を上げてしまった。ナマズは味を確かめるように舌を動かした後、ユキをじっと見つめる。

 本当に彼が何をしたいのかわからない。身体検査というわけではなさそうだし、怪我や病気を負っているようには見えないので、ユキの能力を体験したいというわけでもなさそうだ。舌で何かを感じ取る能力でも持っているのだろうか?


「美しい……」

「は、はぁ……は?」


 反射的に返事をしてしまったが、内容に気付いて小首を傾げる。そんな彼女の様子を見てさらに愛らしいと思ったナマズ坊は高らかに宣言した。


「決めた!この者を我が側室に加える!」


 しん、と広間を静寂が包む。だが、次の瞬間、ナマズ坊を除く全員が大声を上げた。


「「「はああああああああぁぁぁぁっ!?」」」

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