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雪は道草に痛みを飾る  作者: くろまりも
第四章 霧見の英雄
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離別

 ユキの手に力がこもり、首から血があふれるのをタマフネの超人的動体視力が捉える。

 彼は即座にスズランを手放し、ユキの手首を握ってそれ以上刃が進むことを喰いとめる。ユキの首の傷は、もう少しで頸動脈が斬れるところまで来ていた。

 常人なら動くことすらできずに自害を見届けるしかなかったであろうが、タマフネの人並み外れた身体能力が阻止を可能とした。

 彼女が本気で死のうとしていたことを察したタマフネの額に冷や汗が流れる。


「雑魚が調子乗るんじゃねえぞ。これ以上邪魔できないように、手足折られてぇのか、こら。てめえがいくら傷つこうが、こっちは、てめえが生きてさえいればいいんだぞ」

「手足を折られても、舌を噛み切ることはできる。猿轡を噛ませられても、石に頭をぶつけることはできる。あなたの言う通り、私は弱い。強いあなたと違って、私は簡単に死ぬことができるのよ?」


 ユキの瞳に本気を読み取り、タマフネは舌打ちする。

 蓮蛇勢力にユキを奪われた失態は、ユキを生きたまま連れ帰ることでしか挽回する方法がない。彼女に死なれてしまえば、降格どころか死刑に処させる可能性すらある。

 いや、自分が死ぬだけならまだいい。ユキに死なれるともっと困った事態になる。


「(誰に吹き込まれたか知らないが、こいつ知ってやがるな?)」


 でなければ、自分の命を取引のカードに持ち出そうとしないだろう。

 自殺できないように拘束する手段などいくらでもあるが、絶対に死なないという保証はない。タマフネには計りきれない事柄だ。


「……あいつを見逃せば、大人しくついてくるんだな?」

「えぇ、従うわ」


 女の言うことに従うのは癪だし、不完全燃焼の気分だったが、タマフネはユキの提案に乗ることにした。

 もともと大人しく引き渡すなら、戦うつもりのなかった相手だ。自殺するようなしぐさを見せればスズランを殺すと言っておけば、逆に自害防止の手段となりうる。

 タマフネは頭に血が昇りやすい性格だが、仮にも千人の部下を従える千人長だ。それくらいの算盤勘定はできる。諦めたように溜息をついて頷いてみせた。


「いいぜ、交渉成立だ。おい、姉ちゃん、こいつの面倒は任せるぜ」


 顎で指され、メノウは大人しく頷く。もはやまともに戦闘ができる状態ではないスズランなど眼中にないらしく、縛り上げようとすらしない。


「待て、よ……」


 片手を突いて立ち上がろうとするも、うまく力が入らず上半身が僅かに持ちあがるだけで終わる。そこで初めて片腕が折れていることに気がついた。

 なぜ、俺はこんなに必死になっている?

 自分はこんな人間じゃなかったはずだ。何事も斜に構え、皮肉で煙に巻き、ほどほどでことを済ませてしまうのがスズランという人間ではなかったか。


「スズラン……」


 倒れたスズランに駆け寄ろうとするのを、タマフネが押しとどめた。


「おっと、治療はなしだ。また暴れられても面倒なんでね。次立ち上がられたら、殺すつもりはなくても、不可抗力で殺っちまうかもしれないぜ?」

「……わかっているわ。最低限の応急手当だけよ」


 大男の手を振り払い、ユキはスズランの傍らに屈みこむ。


「ありがとう、スズラン。私を守ろうとしてくれて」


 宣言通り、命を繋ぐだけの応急手当だけを行っていく。その一つ一つを自分の記憶に刻みつけるように丁寧に行いながら、ユキはスズランに優しく語りかけた。


「あなたは自分が思っている以上に優しい人よ。それに、昔と変わらず強い心を持つ人。ねぇ、私に聞いたわよね?私たちは昔会ったことがあるんじゃないかって」


 スズランの傷は深い。意識は朦朧としていて、ユキの声も表情も遠いもののように感じる。だが、その言葉の裏に諦めが隠れていることだけはわかった。

 まるで今生の別れのようだ。きっと彼女はそういう別れを何度も経験したことがあるのだろう。その度に苦しみを味わい、繰り返すごとにその気持ちは薄れ、最後に諦めだけが残った。

 ……俺は自分の中で渦巻く感情の一部を理解する。俺は彼女がそんなふうに感じることが許せなかった。彼女という(ひと)が幸せを感じていないということに対して、強い怒りを感じているのだ。


「えぇ、会ったことがあるわ。あなたは覚えていないでしょうけど、あなたは私を救ってくれたのよ?今と同じように」


 スズランの顔を包むようにユキの手が添えられた。彼女の治癒能力が発動し、脳を蕩かすような感覚とともに痛覚が戻ってくる。


 ――その感覚を、頭ではなく体が記憶に残していた。


 痛みこそが、生きていることの証。失敗作の烙印を押され、腐海の地獄に落ちて死ぬはずだった俺を、生者の世界に引き戻してくれたのは優しい痛みだった。

 痛みのない世界など、死んでいることと何の違いがあろうか。そんなもの影法師と同じだ。人間に合わせて滑稽に踊って見せても、薄っぺらなのっぺらぼうに過ぎない。奴らは痛みに顔を歪ませることはないが、喜びで笑うことだってありはしない。

 彼女に再会するまで忘れかけていた渇望。もっと彼女に触れて欲しい。ずっと彼女に傍にいて欲しい。夜空の星に手を伸ばすがごとく、スズランは震える手をユキに向ける。


「行く、な、ユキ」


 ユキは曖昧な笑みを浮かべ、懐から木彫りの人形を取り出し、それをスズランの手にそっと握らせる。


「このお守りをあげるわ。私に優しくしてくれた養母がくれたものなの。私のことは忘れてくれていいけど、時々でいいからそれを見て思い出して」

「待て、ユ、キ……」


 聞きたいことがたくさんあった。話したいことがたくさんあった。

 しかし、治癒の副作用として発生する疲労感と大量出血による貧血が、スズランの意識を容赦なく刈り取っていく。

 ユキは幼子を寝かしつける母親のような慈愛に満ちた表情で、そんなスズランの前髪を撫でつける。


「さよなら、スズラン。最後にもう一度、あなたに会えて嬉しかったわ」


 動けないスズランの顔に、ユキが顔を近づける。

 二人の影が重なり、スズランはどこか懐かしい香りに包まれて意識を失った。

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