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雪は道草に痛みを飾る  作者: くろまりも
第三章 神の鼓動
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死神

 山々に挟まれた盆地。そこは阿鼻叫喚の地獄と化していた。何十もの異形たちの屍が積み重なり、さらにその上では新たな屍を築かんとする怪物たちが争っている。

 死体の山の中央では、巨大な牛鬼とそれを取り囲むように槍を構える魚顔の兵士たちの姿があった。全身に返り血を浴びて真っ赤に染まった牛鬼は不敵な笑みを浮かべているのに対し、向かい合う兵士たちも勇猛果敢に挑んでいくものの明らかに形勢が悪そうだった。

 突如、ごふり、と血を吐いて、鬼が笑みの表情のまま、ゆっくりと崩れ落ちる。

 その背後から現れたのは、体躯二メートルを超える大男だ。大男は武器を持たないが、その右手は赤く染まり、牛鬼から抜き取ったばかりの心臓が握られている。

 牛鬼と向かい合っていた兵士たちの顔に歓喜の表情が浮かぶ。


「タマフネ殿!」

「やはり生きておられたか!ご助力感謝いたします!」


 兵士たちが尊敬と感謝の面持ちを向けるがしかし、タマフネの方はつまらなそうな顔で手についた血を拭いとる。


「これで終わりか?どれくらい殺られた?」

「六十名ほど。想定以上に被害が大きいです」

「ったく、ナマズ坊の奴、もっとマシな連中よこせよな。途中で俺が合流してなかったらどうするつもりだったんだよ。ほとんど俺一人で殺ってんじゃねえか」


 辛辣な言葉に、兵士たちは黙り込む。

 彼らとて血の滲むような訓練を経た兵士であり、命懸けで戦ったのだが、それでもほとんど成果を得られなかった。タマフネという男が別格に過ぎるのだ。


「ナマズ坊さまは慎重でいらっしゃるので、できるだけ自分の傍から手練れを離したくなかったのでしょう。まぁ、部隊を託された私としましては、飛行船が墜落した程度でタマフネ殿は死なないと思っておりましたので、合流する前提で動いていました」


 ベベンッと戦場に似つかわしくない三味線を弾き鳴らしながらタマフネの元へやってきたのは、これまた戦場に似つかわしくない盲目の美女だった。そこらじゅうに転がる死体に足を取られそうなものなのに、女は器用にそれらを避けながらタマフネに歩み寄る。


「慎重じゃなくて、臆病の間違いだろうが。つーか、イチ。何遊んでやがった。おまえが働いてりゃ、俺の仕事も半減してたってのによぉ」

「タマフネ殿がいらっしゃるのなら、私めの出番はないと思いまして。いい歌が思い浮かびましたので、みなの戦意高揚のために歌っておりました」

「おぉい、こいつを隊長に添えたバカは誰だ?えっ、ナマズ坊?ほんとに仕方のないお坊ちゃまだな、あいつは」


 兵士たちが反応に困って互いに顔を見合わせる。

 タマフネやイチは、どちらも千人長の地位にいる猛者だ。

 霧見一族は基本的に腕力社会であり、階級の差はそのまま戦闘能力の差を意味する。一兵卒からすれば、どちらかに味方してどちらかの機嫌を損ねれば、その場で物理的に首が飛ぶので同意することも反対することもできない。

 そんな部下たちの苦悩など露も知らず、タマフネとイチの間の空気は悪くなっていく。


「では、せっかくなので完成した曲を披露しましょう。タマフネ殿の乗った飛行船が墜落したと聞いて、その気持ちを曲にしました。曲名は『タマフネハッピーダイ』」

「相変わらずセンスの欠片もねえ曲名だな。喧嘩か?喧嘩だな?俺、喧嘩売られてんだな?間違って殺っちまったら、名誉の戦死ってことにしておいてやるよ」


 一触即発の空気に、配下の霧見一族たちの顔が青くなる。

 千人長同士の戦いが始まれば、それがお遊びであっても止められるはずがない。特にこの二人の仲の悪さは一族の中でも有名であり、馬を並べて戦わせた日には必ず同士討ちが起きると言われるほどだ。


「イチ隊長、急報です!」


 誰もが黙り込み、今にも血が流れるかという空気の中、そんなことに気付かずに陣内に飛びこんだ伝令兵が叫ぶ。タマフネやイチ、その他大勢の兵士から一斉に注目が集まり、伝令の男はぎくりと身を強張らせる。


「構いません。話してください」

「はっ!敵部隊の殲滅は完了いたしましたが、最重要目標『ユキ』は確認できませんでした。兵士たちの目撃情報を総合して考えても、誤殺や逃亡の可能性は低く、初めからこの部隊にはいなかったと考えられます」


 ぴくりとイチの眉が動く。

 今回の任務の主目的はユキの確保であって、蓮蛇の兵たちを撃破することではない。蓮蛇の兵を皆殺しにしたところで、ユキを捕らえない限り帰還することができないのは結城衆に限らず、霧見一族の兵士たちも同じなのだ。


「敵軍の頭はどうした。確か、サクラとかいう名前の、頭の悪そうで足癖の悪い、子どもみたいな外見の鬼がいたはずだが」

「あぁ、それでしたら私が遭遇して斬りましたよ。弱かったですね」


 イチがあっさりと答える。


「おまえとなら相性が良さそうだからな。しかし、あいつがいたってことはこっちが本隊なのは間違いねえ。本隊を囮にするとは、度胸あるじゃねえか。きちんと殺っといたか?」

「いいえ。止めを刺そうとしたところで、手足の長い妖怪が乱入してきて攫って行ってしまいました。追おうかとも思いましたが、ちょうど作曲の神が降りてきたため、追撃は他のものに任せて作曲に精を出していました」

「その神は邪神かなにかだから、九頭竜さまにお祓いしてもらえ。ったく、頭を逃がすと後々面倒くせえことになるぞ」


 そう言いながら、タマフネはすっと目を細め、背中へと手を伸ばす。指が獲物に触れる直前、横から差し出された三味線がそれを押しとどめた。


「落ち着いてください。味方です」


 短くそう言うイチの脇に、いつのまにか黒装束の人間が控えていた。

 タマフネとイチ以外の者は、イチの言葉で初めてその存在に気付き、ギョッとした顔になる。黒装束は末端の兵士のことなど気にも留めず、淡々と告げる。


「ご報告申し上げる。追撃を命令された、蓮蛇軍頭領の討伐を完了。また、同胞の一隊が最重要目標『ユキ』を捕捉・確保したとの報告あり」

「御苦労。殺したのは本当に頭領で間違いありませんね?」


 忍びは丸い包みを差し出すと、それを解いて中身を晒した。黒髪に二本の角を持った少女の首が、物言わぬ状態で納められている。

 タマフネは軽く鼻を鳴らす。


「多少はやる奴だったが、死ぬ時はあっけねえもんだな。結城衆も舐められねえもんだ」

「おや、結城衆をご存じで?」

「俺は刈島城の勤務だったが、へまして前線に送られるまでは実験施設の警備責任者を任されてたんだ。もっとも、前線で暴れ回る方が性に合ってたから不満はねえがな」

「なるほど。私の前任でしたか」


 イチは納得して頷き、全軍撤退の命令を下そうとする。だが、その声が発する前に、霧見一族の伝令が新たに現れ、急を告げた。


「イチさま!土胡坐駐屯兵団の出陣を確認いたしました!捜索隊の一部がこれと交戦を開始!部隊を広げてしまっているため、このままでは各個撃破されてしまいます!」


 その方向を耳にした者たちの間に動揺が走る。

 ここは敵地。しかも、九頭竜側は精兵に欠けている上、機動力を重視しているため武装が貧弱だ。いずれはこうなることはわかっていたが、実際に会敵すれば否が応にも緊張が高まる。イチは頭の中で自軍と敵軍の位置を思い描き、即座に決断を下す。


「もはや、ここに留まる意味もない。結城衆は即座に布槌まで下げ、刈島城に撤退しなさい。イチ隊はポイントD17にて集合・再編。結城衆撤退までの殿とします。結城衆は、命に代えてもユキを刈島城まで無事送り届けるように厳命します」


 霧見一族・結城衆、双方の伝令が動き、自陣がにわかに活気づく。唯一部隊に属していない遭難兵であるタマフネが緊張感のない声で問いかけた。


「おいおい、たかだか人間の忍び風情に大事な荷物を預けて、俺たち霧見一族が盾になるのかよ。役割が逆じゃねえか?」

「彼らの専門は諜報と暗殺。平地での戦闘は不得手である以上、殿など任せられるわけがないでしょう。盾役が脆くては、結局本隊の被害も大きくなるのです」

「なるほどね。まぁ、俺の部下じゃねえんだ。口出しする謂れもねえわな。俺は俺で好きに動かさせてもらうから、殿頑張ってくれよ」


 そう言って、タマフネは背を向けて立ち去ろうとする。


「おや、どちらへ?あなたも手伝ってくれると助かるのですが」

「そっちの方が楽しそうだから、手伝いたいのは山々なんだがな。俺にも立場ってものがあるし、俺には俺の任務がある。自分の尻は自分で拭わなくちゃなるめぇ」


 なるほど、とイチは首肯する。タマフネの本来の任務はユキの護送だ。今回の失態における責任追及は免れないだろう。それを少しでも軽減するために、自分自身の手でユキを護送するつもりなのだ。

 イチはタマフネのことが嫌いだったが、こんなことでタマフネが降格になるのは本意ではない。なにより、タマフネがユキを送り届けてくれるなら千人力だ。


「では、そちらはお任せいたします。結城衆がついているなら問題はないでしょうが、念には念をという言葉もありますので」

「問題はない、ね。案外全滅させられてるかもしれねえぜ?」

「? 受け取った資料からは、そこまで凶悪とも思えませんでしたが……」

「見た目はな。だが、あれが本気で暴れ出したら、俺ですら危うい」


 イチは驚く。この傲岸不遜な男が後ろ向きな言葉を言うのが信じられないのだ。


「……ユキという鬼は何者なんですか?何をそんなに恐れるのです?」

「なんだ、結城衆を知ってるのに過去の事件は知らねえのか?あれはただの鬼じゃねえ。かと言って、妖怪でもねえし、もちろん半妖でもねえ」


 当時のことを思い出したように、タマフネは苦い顔になる。


「あれは元々布槌の刈島城で飼われていた実験体だ。実験施設の研究者たちを殺し、脱走して姿をくらました……正真正銘の死神だ」

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