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雪は道草に痛みを飾る  作者: くろまりも
序章 蠢く月
1/39

結城

 その夜の月は赤く染まった満月だった。

 月が薄黄色ではなく、鮮血を思わせる赤色へと変貌したのはいつからだったろう?元々あった美しい月の形は失われ、新しい月面は地を覆う蟲の群れのごとく蠢いている。それが天体ではなく、一個の生命体であるという事実を思うだけで気が狂いそうになる。

 もし、あれが地表に落ちてきたとしたら、人類は無事でいられるのか?

 常ならばそのように考えさせられるおぞましい光景であったが、モミジにはそんな仮定の脅威を案じていられるほどの心の余裕はなかった。彼女にとって恐怖の対象たらしめるのは三十八万キロ先の怪星ではなく、一寸先に立ち塞がる闇であった。

 カタカタと震える左手で、丸い石のようなものをお守りのように握りしめ、モミジは緊張でカラカラに乾いた喉で囁く。


「か、神さま仏さま……私に姉さんを助ける力と勇気をください」


 仏教や神道に縋る者は少なくなったが、それでも少女は祈りの対象としてそれらを選んだ。子どもの頃に村で信仰されていたのは仏さまだったし、何よりここは荒れ果ててしまったとはいえ寺だ。

 門を潜る際、上を向くまいと堪えようとしたが努めたが、つい好奇心に負けて頭上を見てしまう。そこに吊るされていたのは僧服に身を包んだ木乃伊。落ち窪んだ目と自分の目が合ってしまい、モミジは激しく後悔した。

 かつてこの寺を任されていた住職のなれの果てだ。仏に仕えた者の末路を改めて見てしまい、仏に祈ることの無意味さを実感してしまう。

 身体の震えは止まらなかったが、それでもモミジは足を止めず、右手に蝋燭、左手に石のようなものを握って門を潜る。

 モミジは武家の生まれであり、時代が時代なら大名の妻になっていたかもしれない。加えて、姉を除けば、一族でもっとも責任感が強く勇敢な人間だと言えよう。

 生贄を求められた時、姉は進んで名乗り出た。民を守るのが武家の役目だと言い、弱音一つ吐くことなく、自分の足でこの廃寺に向かい……そして帰って来なかった。


「た、助けなきゃ。私が姉さんを……」


 一族や村の人間に頼ることはできない。言えば確実に止められる。領主に助けを求めることもできない。|領主は人間ではないのだ《・・・・・・・・・・・》。手助けなんて期待できない。

 諦めて次の生贄に自分が選ばれないように祈り続けるか、自分一人の力で立ち向かうしかない。村人たちは前者を選び、少女は後者を選んだ。

 ふわりと視界の端で何かが動いたのを捉えて、モミジは軽く悲鳴を上げてそちらに蝋燭を向ける。

 そこにあったのは風で揺れるすすきだった。幽霊の正体見たり枯れ尾花と言うが、本気で緊張しているとどんなものでも恐ろしく見えてしまうようだ。

 モミジはほっと一息吐く。


「だ、大丈夫。怖くない。これがあれば、姉さんを助けられる……」


 気温は肌寒いくらいだというのに、少女はすでに緊張で汗だくだった。お守りの石を握る手はびしょびしょで、手が滑らないように強く握りしめる。頬にかかる髪を邪魔に思って掻き上げようとしたところ、その頬をざらりとした生温かいものが這った。

 それが舌の感触だと気付くより早く、モミジは腹の底から絶叫を上げる。姉を救いに来たという使命感も忘れて腰を抜かし、持っていた蝋燭も取り落としてしまった。


「可愛い悲鳴よなぁ。やはり子どもはこうでなくてはなぁ、イモリ?」

「ほんとになぁ。だが、小便は漏らさなかったぞ。賭けは俺の勝ちだぞ、ヤモリ?」


 床に落ちた蝋燭が照らし出したのは見目麗しい男女の顔だ。

 だが、それを美しいと感じることはできなかった。なぜなら美しいのは頭だけで、その胴体は爬虫類のような鱗に覆われており、その様はまさにトカゲそのものだったからだ。


「お、鬼……」


 床から立ち上がれないまま、少女は震える声で言う。

 伝説上の怪物。鬼神招来以降たびたび見かけるようにはなった存在だが、そのおぞましさに慣れるようなことはない。

 だが、鬼呼ばわりされた人面トカゲたちは、不愉快そうな目を少女に向ける。


「やれやれ、鬼と妖怪の区別もつかぬのか。人間の童は教養がなさすぎていけない。このまま喰ってしまおうか」

「待て待て。賭けを忘れたか、ヤモリ。こやつは私の獲物ぞ」


 男顔の方のトカゲが、ゆっくりと少女に近づく。

 心を恐怖に支配されたモミジは今すぐにでも逃げ出したい気持だったが、足に力が入らず、立ち上がることすらできそうになかった。


「や、やめろ。く、来る、な……」


 倒れたまま後ずさる少女の手が、固い感触に触れる。お守り代わりにずっと握りしめていたものだ。


「(そ、そうだ。逃げちゃいけない。私が姉さんを助けるんだ!)」


 それは以前、偶然古戦場で手に入れたものだ。

 彼女はその楕円形の石のようなものを握り締め、這い寄ってくる人面トカゲに向ける。


「避けろ、イモリ!」


 女の人面トカゲの方が鋭い声を上げると同時に、モミジの石から紫電が走る。

 電撃はまっすぐ男の人面トカゲに向かったが、怪物は素早い動きで飛びのき、それを紙一重でかわした。二発目を撃とうとして構えなおす少女の手を、人面トカゲの尻尾が強かに打ち、電撃を放った物体を叩き落した。


「あっ!?」


 拾い直そうと慌てて手を伸ばしたが、その前に人面トカゲの太い足が振り下ろされ、石は粉々に砕かれ中の機械を散乱させる。


「イ=ス族の電撃銃か。さすがにこれを喰らえば、我々でもただでは済まぬ」

「どこで拾って来たのか知らぬが、無策でやってきたわけではないようだなぁ。勇気があるだけでなく、頭も回る。この間の娘より素質はありそうだ」


 言葉は賞賛に近いが、声音には嘲笑が混じっている。だが、モミジはそんな侮辱よりも、言葉の内容の方が気になった。


「か、カエデ姉さんをどこにやった!返せ!」


 人面トカゲたちが顔を見合わせ、数瞬の後に互いに笑みを浮かべる。


「おぉおぉ、似ていると思ったら、この間の娘の妹か。姉を救いに来たというわけだな」

「姉妹は考えも似てるなぁ。おまえの姉も短刀を持ち、我々に斬りかかってきたわ」


 その様子を思い出したのか、ニヤニヤとサディスティックな笑みを深くする。


「だが、我らの鱗に刃は通らず、弾かれて」

「なおも抵抗。殴りかかってくる腕を折り」

「次は逃走。逃げようとする足を折り」

「最後は命乞い。髪を振り乱し、目や股間から液を流して、幼子のように泣きじゃくっておったわ。強気な顔が歪む様は、それはそれは見物であったわ」


 両側から囁くように告げられた内容に、モミジは顔から血の気が引き、気絶しそうになる。あの勇敢で男勝りだった自慢の姉が心折られるような行為に、自分は耐えられるのか?


「や、やめ、助け、て……」

「なんだ、もう命乞いか。姉と違って早いのぉ」

「だが、用意はいい。他に武器を持っているかもしれん。まずは服を剥いでやろう」


 男の人面トカゲが少女の衣服に手をかける。村娘が着るような安物の小袖は容易く破かれ、その下にある幼い膨らみが月明かりの下に晒された。


「いや!やめてっ!見ないでっ!!」


 まだ初潮すら来ておらず、家族以外には見せたことのない裸身を怪物にねめつけられ、頬が羞恥で赤く染まった。必死に暴れるも、幼い女の力では抜け出ることなどできない。

 その様が嗜虐心を刺激したのだろう。二匹のトカゲは楽しそうな笑い声を上げる。


「ヒヒヒヒヒヒヒ……ヒ?ひぎゃああああああっ!?」


 だが、その笑い声は突如悲鳴に変わった。悲鳴を上げたトカゲの手……というより、前足には一枚の手裏剣が刺さっていた。


「ありゃりゃ、普通に刺さるじゃないですか、刃。嘘吐きは鬼の始まりですよ、オタク。まぁ、元から鬼だけど。トカゲの割に舌の回りはよくないねぇ」


 突然背後からかけられた言葉に、ヤモリはぎょっとなって振り返る。そこにはいつの間にか黒装束の男が立っており、手の上で数枚の手裏剣を弄んでいた。


「どうも、結城衆のす……」

「霧見一族子飼いの隠密衆か!」


 言葉の途中で、すでにヤモリは男に襲いかかっていた。少女を相手取った時とは違う本気の攻撃だ。矢より速いのではないかと思えるほどの素早い動きで男に飛びかかり、鋭い爪を振り下ろす。鎧すら斬り裂く強力な一撃を受け、盛大な血飛沫が舞った。


「ぐぉおおお、いてぇよぉ。ヤモリぃ、そいつは俺によこせぇ!頭から食い尽くしてやりでもしないと気がすまねぇ!」


 怒りに満ちた表情で怨嗟の声を出すイモリに、相棒のトカゲは返事をしない。ヤモリの身体はぐらりと揺れ、鮮血の中にを沈んだ。


「ヤモリ!?」

「えぇっと、どこまで話したっけ?まっ、どうでもいいや。鬼神伊具配下のヤモリとイモリであってるよねぇ、オタクら?厳正なる抽選と袖の下の結果、オタクらは見事賞金首に選ばれました!抽選券(いのち)と引き換えに、賞金(えいみん)が手に入りますよっと。おめでとさん」


 何事もなかったのように立ち上がり、人を食ったような物言いをする黒装束に人面トカゲは息を飲む。


「馬鹿な。俺たち妖怪が、人間に負けるなんてありえない。貴様、人間じゃないのか!?」

「妖怪っていうのは、鬼と人間の間にできた子どものことを言うらしいねぇ。なぜか、鬼と人間は遺伝子的相性がよく、二種族の間に生まれた子どもも鬼のような身体能力や特殊能力を持つことができるとか」


 淡々と告げながら、男はクナイを取り出して構える。


「遺伝子的に相性がいいなら、人間に鬼の肉体を繋ぎ合わせることもできる。臓器移植と同じ考えだ。うまくいけば、人間のまま鬼や妖怪の能力を使うことができる」


 男の瞳が、夜闇に浮かぶ鬼火のように光る。

 その姿を見て、イモリは自分の過ちに気付く。目の前にいる存在を人間と思うべきではなかった。目の前にいるこいつは――


「そうして造られたのが俺たち、半妖の隠密集団『結城衆』だ」


 ――人間の姿をした鬼だった。

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