その1
クロード=ファマスという男がいる。ファマス子爵家の三男として生まれたが、体格に恵まれたお蔭で実力で王国騎士団の部隊長にまで上り詰めた男だ。ちなみに最上位は将軍、その次が騎士団長となりその下に八つの部隊がある。クロードは第八部隊の隊長で千人の部下を従えていた。
その部下たちも様々な形の小隊に分かれているが、クロードが従えるのは荒くれ者や厄介者が集うとされる第八部隊だ。お蔭で苦労が絶えず、しかしながら面倒見の良い性格が災いして問題が起きても部下を排除できずに、問題の解決に自ら走り回って仕事を増やす始末。だがそのお蔭で第八部隊の厄介者たちからは慕われ、クロードの為なら命を投げ出していいとすらいう輩も多々存在していた。
そのクロード、今年で二十七歳になるが十代の頃から変わらぬささやかな夢を持ち続けていた。それは心優しく可愛らしい、無骨な自分を愛してくれる女性と結婚をして穏やかな家庭を築くことだ。
貴族の出ながら第八部隊に配属されたお蔭で穏やかな生活とは無縁の軍生活を強いられてきた。見かけは筋肉隆々で見上げるほど大きく、戦いで負った傷だらけの体に鋭い眼光、いかつい顔つきで女性には敬遠されがちだが、もともとの心根は穏やかで純朴な男なのだ。それなのに功績を上げる度に名声と共に傷も増え、今ではすっかり女性が寄り付かなくなってしまっていた。
子爵家の三男で爵位は継げないが功績を上げた騎士であるがゆえに一代限りの爵位は貰っていたし、ケチではないが無駄遣いしない質のせいでもらった給与や報奨は膨大な額になってしまっている。確かに財産目当てに寄ってくる女性がいてくれることにはいてくれるのだが、運が悪いことにクロードの周りには素行はよくなくとも見目麗しい騎士と魔法使いの悪友が存在していたのである。
金目当てで寄って来た女たちも、ふと気付けはその悪友のどちらかと床を共にし朝を迎えているのだ。寝取られるのが何だ、そんなのには目を瞑ると声を大にしても見た目は重要なようで、麗しい騎士と魔法使いに奪われた女は彼らと別れても二度とクロードの元に戻ってきてはくれなかった。
だがそんなクロードにもようやく春が訪れる。
つい十日ほど前に付き合い出した恋人のシェリーが子供が出来たと告白してきたのだ。シェリーに悪いとは思ったものの狙ってやって命中しただけにクロードは飛び上がらんばかりに歓喜した。
「何も心配するなシェリー、急いで式をあげよう。ああそれよりもご両親への挨拶が先だな。お父上には殴られるだろうが喜んで受けさせてもらう。それよりも先に君に妻問いを―――」
歓喜するクロードは跪きシェリーの手を取りながら明るい未来に花を咲かせていたが、シェリーは浮かれるクロードから取られた手を抜き取ると素早く一歩後ずさってしまう。
「シェリー?」
「あなたの子じゃないの。」
「シェリー、何を言って―――」
「だからあなたの子じゃなくてアトロボスの子なの。」
シェリーが口にしたのは親友である身目麗しい騎士の名だった。
「そんな訳だから別れてちょうだい。」
浮かれていたクロードは恋人の告白に唖然として言い淀む。
「いや、でも……俺の子かも知れないだろ?」
縋る視線で見上げられ、シェリーは冗談は嫌だわと艶やかに微笑んだ。
「あなたとしてから十日も経ってないのにそんな訳ないでしょ。一度寝て相手にされなくなったからあなたに目をつけたんだけど、子供が出来てたんで責任取ってもらう事にしたの。ごめんねクロード、本命は彼なのよ。」
「そんな―――嘘だ!」
「あなたもわたしを愛してくれたんなら祝福してちょうだい。」
祝福なんてそんな……絶望に打ちひしがれるクロードの目に美貌の騎士が映り込んだ。相変わらず綺麗な顔で陽気に手を振っている。ふつふつと湧いた怒りをクロードは押し止めなかった。
「アトロボス貴様っ!!!」
「あれぇ、クロード何怒ってんだよ。あ、シェリー、子供が出来たんだって。おめでとう。」
「あなたの子よアトロボス。責任取ってくれるんでしょう?」
「責任取れよアトロボスっ!」
にっこりと勝ち誇ったかに微笑むシェリーと、怖い顔で両目から滝のような涙を流すクロードを前に「何馬鹿なこと言ってるの」とアトロボスは爽やかに笑う。
「俺の避妊は完璧だから。ああそうだ、疑うならモイライの診断受ける?」
声を上げて名を呼べばさらにもう一人、魔法使いの証明でもある漆黒のローブに身を包んだ美しい青年が姿を現した。
「なんだよアトロボス、お前にかかわると碌なことにならないからあんまり呼ばないで欲しいんだけど。」
不機嫌を隠そうともせずモイライは、跪いたまま目から滝の様な涙を流すクロードとアトロボス、そしてクロードの恋人であるはずのシェリーをぐるりと見渡しすぐに踵を返してしまった。
「おいちょっと待て。」
「いやだね、また厄介事じゃないか。」
襟首を掴まれたモイライは嫌そうに頭一つ分大きなアトロボスを恨めしそうに見上げる。
「いやいやいや、今回は大丈夫。シェリーの腹の子が誰の子なのか視て欲しいだけだから。」
爽やか笑顔を崩さないアトロボスに滝の涙を流すクロード、そして勝ち誇ったかの満面の笑顔のシェリーを再度順番に見まわしたモイライは、
「……クロードのでいいんじゃない?」
と彼らから視線を外した。
「だよな!?」
「アトロボスの子に決まってるでしょ!」
「もしかしてあの避妊薬は失敗作だったのかなぁ?」
シェリーが付き合っているのはクロードだ、それでいいじゃないかと宣うモイライに同意したのはクロード一人で。シェリーは腹の子の父親はアトロボスだと大声で騒ぎまくるし、アトロボスは笑顔で避妊薬の製作者たるモイライを見下ろしている。
女に耳元で騒がれるのは苛つかされるばかりで嫌いだ。それ以上に我慢ならないのはアトロボスの物言い。
仕方なく向き直ったモイライは男にしては細く白い手をローブの袖から出してシェリーの腹部に触れさせた。自信のあるシェリーは余裕の表情でアトロボスを見上げていたが、アトロボスの方も余裕で微笑みを浮かべてシェリーを見下ろしている。クロードは祈るように両手を合わせており、目の前の現実に一番目を背けて都合よく変換しているクロードに呆れつつ、モイライは魔法を使ってシェリーの腹の子が誰であるかを探った。暫くするとシェリーに触れていたモイライは考えるように首を傾げる。
「えっと、誰だっけ?」
う~んう~んと唸っていたモイライだったが、ようやく謎が解けたようでぱっと顔を上げると瞳を輝かせた。
「そう、ロイズ! 腹の子の父親は間違いなく馬番のロイズだよ!」
自信満々に紡がれたモイライの言葉にアトロボスはほら見ろという視線をシェリーに送ったが、シェリーは唖然とした後に顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。
「そんなわけない、子供の父親はアトロボスに決まっているの。何が馬番のロイズよ、インチキ魔法使い!」
「国一番の魔法使いたる僕の透視がインチキだって?! 淫売のくせに生意気言うな。全部見えたからな、お前が手を付けた男たち全員ここで暴露してやろうかっ!」
自他共に認められている実力を馬鹿にされ怒りを露わにするモイライを前に、シェリーは『ひっ!』と悲鳴を上げて逃げ出した。普段は穏やかな美貌の魔法使いだが、実力と美貌を貶されると常識など吹っ飛んで手が付けられなくなるのは誰もが知っている事実だ。殺気立つモイライから漏れた魔力が近くを歩いていた女性の体を吹き飛ばすが、ご立腹のモイライは自分を怒らせたシェリーが悪いと謝りもしない。こういう時は決まってアトロボスが繕うと決まっていたが、クロードの方が近かったというのもあり地面に転げた女性にクロードが手を差し伸べた。
「怪我はないか?」
粗末な衣服に大きなエプロンをつけた姿は騎士団舎で働く下女の姿だ。助け起こした女性の体は小さく、湿った地面のせいで泥だらけになってしまっていた。触れた手は荒れてガサガサであかぎれもあった。女性は直ぐに手を引っ込めると小さな声で「大丈夫です」と返事をしてくれたが、俯いたまま取り落として散らばった洗濯物を掻き集め早足に行ってしまう。クロードは寂しそうに下女の後姿を見送るばかりだ。
「今のはお前を嫌って逃げた訳じゃないぞ。」
「確かに。クロードをちらりとも見なかったからね。相手がアトロボスでも同じ反応だよ。」
助け起こすのが見目好く女性の扱いに慣れたアトロボスなら、いかなる女性であろうと頬を染め恋に落ちるのだ。顔はともかく、騎士という職業は女性にもてるのにと落ち込むクロードを前にモイライまでもが慰めの言葉をくれる。クロードは別に気にしてないと強がり、見えなくなった下女から二人に視線を向けた。
*****
転んだせいで目が覚めた。着ている服は泥で汚れてしまったがもともと汚れていたので洗う口実になる。貧乏がたたり働き詰めで仕事中だというのに睡魔に襲われ歩きながら眠ってしまっていたのか。体に衝撃を受け目が覚める。大丈夫かと声をかけられ驚いたが何とか返事をして逃げるようにその場を離れた。仕事中の居眠りを注意されるのは避けたい。仕事を失うのは死を意味するからだ。この世界でラキシスが頼れる人は誰一人として存在しないのだから。
ラキシスは特別裕福ではないがそれなりの一般的な庶民の家庭に生まれ育った。もと魔法使いの母親と小さな商いを営む父親。優しい両親の愛に包まれ穏やかに過ごしていたが、その両親は夜盗に襲われラキシスが十歳の時に殺されてしまった。その後は母親の親戚が末端貴族に名を連ねており、その紹介で騎士団宿舎の下女としての仕事を得ることが叶う。就学したばかりであったので読み書きはできたが大した学はない。だが母親譲りの魔力を持ってはいたので訓練を受ければ将来的に魔法使いとしてやっていくことはできただろう。しかし見習い期間は学費がかかる上に、学業に身をやつしていては収入の見込みもなくあっさり断念した。仕事を紹介してくれた親戚から両親は財産を残していないと教えられ、これ以上頼られても困るからと縁を切られている。貸家からも追い出され、小さな子供が住まうには常識外れの粗末なあばら家に身を寄せた。仕事を得たせいで孤児院への入所は認められなかった。その日から六年、ラキシスはたった一人で必死に生き残ってきたのだ。
仕事は主に入寮者から出される洗濯物の始末だが、集めて洗って干して畳んでまでがラキシスの役目だ。綺麗になった洗濯物を運んで感謝をされるのは身なりの綺麗な下働きの娘と決められていた。
たった一人で何百人分もの洗濯を片付けるのはかなりの重労働だが、さぼったり仕事が不味かったりすれば解雇されてしまうとの強迫観念が働き気が抜けない。陽が昇る前に仕事を始め、陽が暮れて辺りが寝静まるまで洗濯をしているのなんてほぼ毎日だ。
安い給金で家を借り、もしもの為に少ないながら貯金もしていた。食事は賄として出される僅かな分で補っている。だから十日に一度の休みは賄がないので苦痛だ。お腹がすき過ぎて耐えられない時は仕方なく食べ物を購入する。そんな生活を既に六年続けていたが、栄養不足で痩せてはいるが大きな病気もせずにこれまで生きて来れた。子供の頃に得た職だけがラキシスの全てで、給金の少なさは管理人にくすねられていると気付けるだけの知識を持ち合わせておらず、これが当たり前なのだと文句も言わずに必死に生きる事だけに懸命になっていた。
一人で洗濯をするのだ、一日中洗って干すのが夜中になる分もある。夜の帳が降りてようやく仕事を終えたラキシスはすっかり疲れ果て地面に座り込んだ。今日は忙しすぎて夕ご飯にありつけなかったせいか眩暈も酷い。転んで汚れた自分の服は洗えず仕舞いで乾いた土が付着したままになっていた。
もう無理だ、一歩も動けない。ひと眠りすれば少しはましになるだろうかと、地面に蹲ったまま目を閉じたラキシスの頭上に声が落される。
「おい、こんな所でどうした?」
突然の事に体がびくりと弾けた。顔を上げると月明かりを受け大きな男が影を落としてる。
「足でも捻ったか?」
「いえ、あのっ……」
男が腰を落とすと同時にラキシスの腹が鳴った。しかも小さな体に似合わず盛大に。
「―――腹が減ってるのか?」
「いえっ、違います。」
真っ赤になって首を横に振るがまたもや腹が鳴る。目の前にしゃがんだ男は騎士服を着ていた。厄介になったのが露見して管理人の怒りを買ってはいけないと必死に首を振るが、男はラキシスの腕を掴んで立ち上がらせる。
「歩けるか?」
しゃがんだ男が間近でラキシスを覗き込む。顔には傷があって眼光が鋭く人相が悪かったが、ラキシスの周囲にいる人たちと違って目の奥はとても穏やかで温かかった。
「嫌でなければ背負ってやるが?」
ふらつくラキシスに恐る恐るといった感じで向けられた大きな背中に鼓動が打つ。両親を亡くしてからは周囲の大人たちから向けられる悪意ある感情を敏感に察するようになっていた。そうしなければ生きていけないから。だから久し振りに向けられた善意しかない感覚に戸惑っていると、男は立ち上がってラキシスを促した。
「飯食わしてやるからついて来い。」
その言葉に残っていた力の全てが反応した。
*****
闇の中に小さな影が蠢き、敵の間者でも侵入したかと気配を消せば地面に倒れた。すぐに子供と気付いて声をかけると、返ってきた声色から昼間モイライの魔法のとばっちりで転んだ下女だと気付く。体が小さいせいで間違えそうになるが、灯りの下に出せば成人したての女性だと解った。
宿舎の洗濯をしているらしいが、ラキシスと名乗った娘をクロードは今まで見たことがない。しかも頭の先から足の先まで汚れているし、警戒する彼女から慎重に話を聞きだすと過酷な労働を請け負わされているようだった。これはクロードの管轄外だが騎士団舎内での話でもある。よく調べてみなければと考えながら小さな口に匙を運ぶ娘に釘付けだ。
下女だとしても酷く汚れて着ている衣服も粗末すぎた。けれど汚れているがよく見れば人を和ませる可愛らしい容姿をしている。彼女の話を信じるならだが、置かれた状況が不当なものだとも気付かず素直に、懸命に生きる幸薄い娘に心打たれた。と同時に、見た目に反し成人していると知ってどうやって囲い込もうかと腹黒くも算段を立てる己に気付いて気持ちを押し止める。こういう娘を誑かすようではお終いだ。冷静になると騎士としての良識が許さない。
よほど腹を空かしていたのだろう、必死といった感じで食べていたラキシスの手が不意に止まり辺りを見回して息を飲む。叱られるとでも思ったのか、薄暗い騎士団専用の食堂で顔色を悪くしていた。
「俺と一緒だ、咎を受けたりはしないから安心して食べろ。」
怖がらせないよう注意しながら穏やかに微笑めば、ラキシスはびくりと体を震わせ訝しげに視線を向ける。人からの好意に慣れていないようで、子供の様な見かけも相まって庇護欲がそそられた。
*****
クロードと名乗った騎士に出会ってからラキシスはいいことだらけだ。翌日出勤した時にはいた管理人が夕方には他の人に変わっており、ラキシスが貰うべき給金が前の管理人にくすね取られていたと説明を受ける。本来の給金は現在貰っている分の三倍だ。驚くラキシスに新たな管理人は、前管理人がくすねていた給金も出来るだけ回収して返金すると約束までしてくれた。それだけではない。一人でやっていた仕事だが、本来なら洗った洗濯物を届ける役目の娘たちも一緒にしなければならなかったらしく、さぼり続けた娘たちは解雇され新たな人員が翌日から配属されることになっているのだという。翌日になると新たな管理人の言葉通り、これまでラキシス一人で行っていた仕事は五人で一緒にすることになった。
仕事が楽になり生活も楽になる。貯金も増えてお腹を空かせ倒れることもなくなった。時折クロードに誘われ街に出て食事をご馳走になる日もある。体は大きくて怖い顔をしているが、穏やかで優しい人柄に両親を思い出し重ねてしまう事もあった。
仕事が終わって帰ろうとすると、暗くなってから女一人で歩くのは危険だからと家まで送ってくれるのも日課のようになっていた。同僚から仕事を押し付けられていた事実を知るまでは深夜まで仕事をして帰る毎日だった。だから大丈夫だと断っても大きな手で背を押され送り届けられる。包み込むような気遣いと優しさは両親を亡くしてからは初めて向けられるものだ。寂しく一人生きて来た小娘が憧れを抱き、それを好意に変換させないでいられる訳がない。
「もしかして貴方のお蔭ですか?」
「何がだ?」
高い位置から見下ろされ自然と立ち止まる。何だと首を傾げたクロードに、仕事の事だと問えば違うと首を横に振られた。
「悪い輩を裁く部署がある、そこが動いたからだ。」
自分ではないと歩き出したクロードの背を追うラキシスにいつの間にか笑顔が浮かんでいた。恩を売って取り込みたくはないと誠実を着飾ろうとするクロードはその笑みに気付かなかったが、ラキシスはクロードの気遣いを正確に受け止めていた。
「ありがとうございます。」
「だから俺じゃない。お前が真面目に働いていたから報われただけだ。」
一回り近く年上の大きな騎士様が下女相手に何を照れるのだろう。暗闇でもわかるくらいに赤くなった耳を後ろから見上げ、ラキシスは心の奥に温もりを感じて穏やかな気持ちになれた。
「ありがとうございます。」
「だから違うと―――」
「送って下さって、ありがとうございます。」
「―――ああ、女の一人歩きは危ないからな。騎士として当然だ。」
子爵家の出身で王国騎士団の部隊長が洗濯係の下女に気を使うなんておかしな話だ。けれどラキシスは嬉しくて、図々しくも父親の様な母親の様な兄の様な、そして物語に出てくる王子様の様な存在のクロードの好意を好ましく感じ、何の疑いもなく素直に受け取っていた。




