scene1 不穏な報せ
「しーくん、起きて。私もう行くから。冷蔵庫に朝ごはん入れてあるからチンして食べてね、じゃ」
「…ああ…気ィつけてな…」
麻衣の声で浅い睡眠から起こされ、反射的に応える。
しーくん、というのは俺____荒木│朱貴のことだ。
寝ぼけまなこで麻衣が仕事に出ていくのを見届け、あくびをかみ殺し、タバコを咥え、火をつけた。
大きく吸って、肺に煙を充満させ、一気に吹き出す。
「あー…」
頭がなんだか重い。重いというより痛い。原因は…恐らく昨日飲んだ酒のせいだろう。やっぱり無理してサイトウさんに付き合うんじゃなかったと、少し反省する。
「…気持ちわりィ…」
軽い吐き気を催しながら、壁に掛けてある時計に目をやる。午前7時半。
だいたい記憶によると、12時過ぎまで飲んでいたのは覚えている。こうやって7階の麻衣のマンションに帰れているという事は、終電には間に合ったらしい。駅から20分の道のりを、どうやって帰ったかは謎だが。
「…何回やっても丁度いい飲み方ってのが出来ねーな、俺は…」
酒を飲むのは好きでも嫌いでもないが、飲み会の雰囲気が好きで、誘われるとつい行ってしまう。…弱いのに。自分の悪癖について│述懐しつつ、タバコを灰皿に押し付ける。そうして、いやにベトベトしたシャツを脱ぎ、ついでに身に着けているもの全てを脱ぎ、そのままシャワーを浴びに向かう。
朝のシャワーは頭皮に悪いらしい。朝は毛穴が開いており、そこに洗いのこしのシャンプーがとどまる事によって、炎症が起こりやすくなり、結果抜け毛が増え、最終的に│死に至る。
(俺の頭皮はそんなヤワじゃねーよ)
そんな事を思いつつ、手に少量のシャンプーをとる。よく泡立たせてから、ヤニくさくてベトベトした黒い髪に泡をつけ、頭皮を揉みこむ。すると、ゴツ…とした違和感を指先に感じた。しかしすぐに、それは違和感では無く、慣れ親しんだ感触である事を思い出す。
「…」
何も言わず、そっとその頭の出っ張りを指先でなぞる。
ぱっと見ただけではこの出っ張りに気づく者はなかなか居ないだろう。本当に、触って初めてわかる程度。
コブと言われても信じてしまうような、そんな小さな違和感。
しかし、この違和感こそが、自分を周りの人間から、この世界から決定的に乖離せしめているモノである。
「…やっぱり頭いてェ…」
シャワーを浴び終わり、しばらくパンツ1枚でボーッとする。そのまま、麻衣が昨日の晩飯の残りを駆使して作った朝食を、言われた通りチンして食べる。
白米と味噌汁と納豆と卵と鮭…を一つの鍋にブチ込んで調味料で味を整えたものである。見た目はまんま残飯だが、これが結構うまい。
ひとしきり食べ終えた後、テレビを付け、麻衣が洗ってくれた服に着替える。黒い無地のポロシャツに、ベージュのチノパンといういたってシンプルな服装だ。この格好を割と彼は気に入っていた。動きやすくてなおかつ、だいたいどんな所に行っても目立つことは無いからだ。
「さて…今日は何すっかな」
このころ時計の針は午前9時過ぎを示していた。
今日は平日であり、普通の人なら、特別な事情が無ければだいたいこの時間に会社なりなんなり、働いている場所に居なくてはならない時間だろう。しかし、彼には焦る様子もない。というより、二度寝しそうな勢いだ。
そう、彼は純然たるニートであった。というか、ヒモと言った方が適切か。現在進行形で、日本のGDPに何の関与もしていない。
日本の成長を妨げていると言っても間違いではないだろう。いや、さすがに言い過ぎか。
「暇だな…」
適当にテレビをザッピングし、適当にニュースを見ることにした。行方不明になった老人の事件が放送されていた。
「…昨日未明、F県のF市、NN村の□□さんが突然行方を眩ましたようです。警察は100人単位で搜索に当たっていますが、未だ見つかっておらず…」
どこかの局アナがひどく深刻そうにニュースを読み上げる。
「最近多いな」
何気なく口にしたが、取り立てて行方不明者についてなにか関心がある訳ではなかった。確かに、最近行方不明者が多いが、そのことは朱貴にとって気にかけるほどの出来事とは思えなかった。
そのあとすぐに天気予報のコーナーになり、テレビ局前の広場が映し出された。天気予報士が、今日の天気を告げる。
「…今日の天気は全国的に午前中は晴れ、午後からは雨模様になる予定です。お出かけの際は傘を持っていくのを忘れずに」
「マジか…」
傘はかさばるから持ち歩きたくない方なんだけどな。
テレビを消し、身支度をし、今日もいい日でありますようにと願いつつ、傘を持たずに家を出た。
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家は出たものの、特にやることもないので、わざわざ電車に乗って二駅離れたパチスロ屋まで行ってみた。以前にサイトウさんが、あそこの台はだいたい目押し緩いから1回行ってみろよ、ほかのとこ行けなくなるぜ、と言っていたからだ…。
サイトウさんというのは以前にバイトしていた飲食店の店長である。当時は良くしてもらっていたし、バイトを辞めてからだいぶ経った今でも仲良くさせてもらっている。20くらい年が離れているが、とても気さくで面白いおっちゃんだ。ただ、下ネタが過ぎるのがたまにキズだけど。
結局夕方まで座って2万スった。2ゲーム目でBIG引いて調子に乗って3枚掛けを連打していたら負けまくってそれまでの勝ちを吐き出した挙句やめ時をミスった。何を言ってるか分かんねーと思うが俺もよくわからない。ただ一つ解っていることは。
財布には32円しか入っていないということであり、もっと言うと札だと思っていたのはレシートの束で、俺はこれからこの小雨の降る中を二駅分歩いて帰らなくてはならないということだ。
「サイトウさん…恨むぜ…」
財布の中身を改めずに所持金を全ツッパした自分の愚行はさておき、サイトウさんに恨みの言を吐くことで自分の愚かさを省みない事に成功しつつ、タバコを咥え、火をつけた。
4本目のタバコに火をつけると、辺りが薄暗くなっていた事に気づく。
なれない道を歩いていたため、なんだか陽の暗さとは別の、暗い道に迷い込んでしまったようだ。
(あんまここら辺来ないからスルーしてたけど、結構普通に暴力沙汰多いって聞くぞ…)
悪い予感通り、ものの3分もしないうちに法治国家には似つかわしくない雰囲気の男たちに絡まれた。
5、6人はいるだろうか?
「おう兄ちゃん、1人でこんなトコ歩くんは関心しないなぁ?」
無視。
「待てやゴラァ!シカトこいてんじゃねーぞ、アァ!?」
リーダー格らしき金髪オールバックグラサンに肩を掴まれる。
「兄ちゃん、こういう時どうしたらええか解るか?許して下さいって泣いて土下座して有り金ぜんぶワシらに渡しておとなしくサンドバックになるんがスジっちゅうもんやで?」
めんどくせぇ。掴まれた手を無造作に振り払う。
「兄貴、こいつ完全にワシらの事なめくさってますよ。やっちまいましょう」
後ろのデカイ舎弟らしき男がいう。それと同時に2、3人が、薄ら笑いを浮かべてこちらにやって来る。
「死に晒せや!!」
デカイのが顔面めがけて拳を振るってくる。
拳が顔面に当たる直前の刹那に、彼は思考した。
あんまここら辺こねーしテキトーに暴れてもいいかな。
がごっ。骨が砕ける嫌な音がした。
「おい、いきなりやりすぎやで~。こっちにも回せるように考えてくれや笑」
金髪オールバックが笑う。どうやら、顔の骨が折れたと思っているようだ。
「ぐっ…がぁあああぁぁぁっっ!!」
しかし、殴ったほうであるはずの男が痛みに悶絶するところを見て、笑いが止まる。
「あ?」
「俺のッ…おっ、おれの手がぁぁぁあああ!!」
今度はこっちが笑う番だと言いたげに、うっすら朱貴は笑みを浮かべる。
「…なにしとんじゃゴラァ!!」
残りの男共がいっせいに襲いかかってくる。
手間が省けてイイね。
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とりあえず絡んできたチンピラ共をのしたあと、救急車を呼び、とっととその場から離れた。多分死んではいないだろう、1人も。2度と絡んでくる気にならない程度にはボコボコにしたが。
パチスロで負けて沈んだ気持ちが少し晴れた…と思ったが、なおのこと気分が落ちた。
(またやっちまった…)
絡まれたら返り討ちにして、その噂が街で広まって、結果同じ場所に行きづらくなる、というまったく利益にならないことを、また始めてしまった…。
(最近は控えてたんだけどな…まぁ、悪い犬に噛まれたと思うしかないか)
それに、弱いものイジメをしたみたいで気分が悪い。
「…はぁ~」
雨も強くなってきたし。最高だな。
もう今日は帰って寝よう。少し早足で歩くことにした。
ただ歩いているのも暇なので、晩飯はどうしようかと考える事にした。腹は…そんなに減ってないし、満たされているわけでもない。ようするに普通だ。今しがたチンピラの集団を病院送り(多分)にしたけれども、俺にとっては小学生の集団と大差はない。今回はわりと早い段階で手を出されたから、むしろ話の通じないヤツらと会話する疲れがなくてよかった。
そうすると、実際のカロリー消費は今歩いてるのと、パチスロのボタンを押してた右手親指分だけのものだ。
(金もねーし、麻衣に作ってもらうかー)
働いている人間に晩飯を材料費込みで作ってもらうという、小学生も真っ青の扶養思考を展開し、びしょびしょになりながら家まであと10分ほどの道を歩いていると、ふと、視線を感じた。
「…ん?」
振り返っても人の影は見当たらない。
ここは閑静な住宅街で、さらに今は人があまりいない時間帯だ。
「気のせいか…?」
再び歩き始めるが、またも視線を感じる。
(さっきのヤツら…じゃないよな…?)
気味が悪くなり、少し早歩きになる。すると、その視線も歩調に合わせるようについてくる。
(なんだよ…別に怨み買うようなことは…して無くはないけど…)
しかし、いわゆる敵意、攻撃的な感情は感じられない。ただただ無機質な視線をこちらに向けているだけだ。
そのことがより一層、朱貴の不安感を煽る。
さすがに家まで尾けられると困る。
そう考え、腹をくくった朱貴は、視線を感じる方向へ怒鳴った。
「おい、さっきからコソコソつけてきてんのは分かってんだよ、どこの誰だか知らねーが、さっさと出てきやがれ!」
すると____
「____さすがです、朱貴様」
中性的で、透き通った声が聞こえた。
「この雨の中、私の視線を感じ取るとは…。いやはや、恐悦至極、まったく感服いたしました」
声を最後まで聞き取ったかとらないか、定かでは無いタイミングで、その声の主は姿を現した。
「なっ…」
「はじめまして。」
さらっと、その鬼は言う。
「朱貴様を、お迎えに上がりました。」
雨音が、いやに大きく聞こえた。




