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ドンパチ始めました!

──トラパネーゼの屋敷 食堂 朝方──


 アルテージは〈トラパネーゼ〉の屋敷に戻った後、エムエル達を食堂に呼び、状況の整理と今後の方針について会話しようと考えていた。

 アルテージ自身は既に食堂に居り、使用人に他の面子を呼ぶように指示を出していた。

 シガーケースからトスカーノを取り出して吹かす。

 〈ボロネーゼ〉の街を占領したとして、民衆の暴動は起き辛いと見ている。

 一握りの金持ち達には出て行くかどうかを選択させれば良い。

 どう攻めるのが効果的かを考える。

 市街地では隠れる場所が多過ぎる事と、そもそも向こうの首領がそこまで出て来るかが判らない。そして、人数では向こうに軍配が上がるだろう。


(ボスも中々無茶な要求をされる)


 アルテージ達がファミリーから貸し出された兵隊の数は20人だ。この手持ちでやれる事など高々知れている。今回の場合であれば、電光的に結果を出す必要があるだろう。

 ノックの音が響き、使用人が入って来る。

 彼女の後ろからは、エムエル、ベルコーレ、ジェスが続く。

 ベルコーレが使用人に「ご苦労様、下がって良い」と云うと、使用人は軽く頭を下げて部屋を出る。

 ベルコーレはエムエルとジェスの椅子を引き、彼女達を座らせた。本人は座る気は無いらしく、手を腹の下で交差させて真っ直ぐに立っている。

 エムエルは咳払いを1つしてこちらを向く。その視線に脊柱を撫でられた様な感覚を覚え、反射的に背筋を正す。当の彼女はこちらの様子など気にも止めずに云う。


「アルテージ、どうしたのですか?」

「……はい。今回の実地調査の結果報告と、今後の方針についてお話し出来ればと思いまして」

「そう。なら始めてください」


 そう云って黙るエムエルと、こちらを見つめるベルコーレとジェスをそれぞれ見て説明を始める。


「まず、〈ボロネーゼ〉の街は貧乏人と富豪の対立が酷い。貧困区域では不満もかなりある様で、数年前には結構な規模の反乱があったらしいんですよ」

「確かに、私も横柄な富豪の男に絡まれて散々でしたわ。思い返しただけでも身の毛がよだちます」

「エムエルさん、大丈夫だったの? 何かされたりしたの?」


 エムエルに向かいジェスが声を掛ける。

 無事に決まっている。何かされてでもしたら、その男とやらは間違いなく死んでいる。

 エムエルはと云えばジェスの掛けた言葉に満更でも無い様子で、2人の背後に立つベルコーレもまたご満悦である。


(女心は良く判りませんねぇ……)


「私は富豪に属する側の人々と少々交流しましたわ。普通の親子と云った様子でしたわね。ショッピング街で暗そうに歩いて居たのは貧困街の人々でしょう。街の雰囲気は少々(いびつ)な感じでした」

「僕達も富豪に絡まれましたね」

「後、若が幼女を毒牙にかけようと……」

「してません! って、エムエルさん怖いよ顔が!」


 エムエルの表情が素に戻っている。凍てつく様な視線にジェスだけでなく、こちらの肝も冷える。ジェスは慌てた様子で話題を変える。


「絡まれた所を女の子が助けてくれたんですよ。顔は見れなかったけど」

「顔が割れては面倒と思い退散した次第です」

「そんな事があったんですねぇ。ベルコーレの判断は正解だったかも知れません。恐らくその女の子ってぇのは〈ボロネーゼ〉ファミリーのボスの娘でしょう。彼女は貧困区域の人曰く、富豪に歯向かう方の様です。また、ボスの方は彼女の事を大層気に掛けているとか」


 それを聞いたジェスが控え目に手を挙げる。彼を見て頷き発言を促す。


「マフィアでも親子の情って云うのは人並みにあるもん何ですか?」

「そりゃあ跡目がその子しか居なければ大事にするでしょうねぇ」

「〈ボロネーゼ〉ファミリーのボスに他に子供は?」

「一人娘と聞いています。うちと同じですね」


 そう云ってエムエルを見ると彼女は何とも退屈と云う様子で話を聞いていた。ジェスはなにかを考える様に俯き、暫くして顔を上げて云った。


「彼女を人質にとって〈ボロネーゼ〉を脅せば交渉出来ませんかね?」

「……交渉ですか」

「争いを回避するには良いかと思うんですけど」


 交渉の内容にも依るだろうが、今回の件ではそれも望みは薄いだろう。云ってしまえばファミリーの取り壊しに賛同しろと云う事だ。

 ただ、ジェスの積極的な姿勢は汲んでやりたいと思えたし、自分の考えが正解なのかを本人に感じて欲しいと思った。


「まぁ、若がそう云うのであれば、その方針で行ってみましょう」

「当日の編成は如何様に?」


 ベルコーレが聞いてくる。それについての考えは既に終わっていたので説明する。


「まず、市街地で暴れて〈ボロネーゼ〉ファミリーの連中を屋敷から誘い出す部隊と、その間に屋敷に潜入する部隊に分けます。我々の中では、お嬢が市街地部隊で残りは潜入部隊です。潜入はここにいる3人だけで行きます」

『……何でアタシが市街地なんだよ?』


 交渉とやらが無ければ同行して貰う予定だったが、交渉となれば話は変わる。血の気の多いエムエルの事だ。出会って即射殺なんて事は想像に容易い。

 しかし、面と向かってそんな事は云える筈も無く、即席の言い訳を云う。


「市街地の部隊が重要なんですよ。敵を引き寄せる必要がありますし、士気を高く保つ必要もあります。また、略奪などが起きない様にプレッシャーも必要ですからねぇ」

「……そう云う事であれば判りました」


(絶対納得してないですよねぇ)


 ジェスには見えぬ様に頭を擦る振りをして、彼女は凍てつく瞳を向けてくる。それに気付かない振りをしつつ説明を切り上げ、この場を解散させる。

 素人のジェスを潜入部隊に入れた事が唯一の心配として残ったが、成るようになるだろう。


──ボロネーゼ 市街 決行日 11:00──


 作戦決行日、エムエルはSUVの1台から降りた。

 右手には愛銃トカレフ、左手はMP5も持ち、今日は正装の黒いスーツに身を包んでいる。

 自身と行動を共にする部下達が5台のSUVからわらわらと降りて来て、それを見た〈ボロネーゼ〉の市民は何事かと云った様子でこちらを見ている。

 その間抜けな阿呆面に笑ってしまう。

 そして手にしたトカレフを上空に向けて発砲する。

 その音が一層人々の注目を集める事になった。


『〈トラパネーゼ〉ファミリーがこれより〈ボロネーゼ〉ファミリーをぶち壊す! 一般人に興味はねぇからさっさと道を開けやがれ!』


 もう1度引き金を引く。

 それが合図となった。

 人々は阿鼻叫喚の悲鳴を上げて逃げ惑う。それを見て、部下に命令する。


『お前等、もう少し屋敷に近い所まで行くぞ。スーツを着てる奴は問答無用で撃ち殺せ!』



 ショッピング街を通る。

 あのメリーニとか云う少女は上手く逃げただろうか。そんな疑問が頭に過る。彼女と買ったお揃いのネックレスはシャツの下に身に付けていた。


(あのガキ、下手こいて逃げれて無かったら叱ってやらねぇとな)


 ネックレスをシャツ越しに撫でて思うのはメリーニの安否で、この騒動で彼女に怪我があったら夢見が悪い。

 とは云えこの騒動も、彼女が怪我をするかも知れないのも、自身が招いた物だ。しかし、そんな些細な事を気にする奴はマフィアには居ないと思う。少なくとも自分は気にしない。


『お嬢!』

『あん? 何だ、云え』

『頭のネジが外れた野郎が暴れてますぜ』


 面白そうに話す部下の指差す方を向く。

 そこにはナイフを振り回し、何かを叫びながら逃げる市民を切り付けて回る男が居た。

 男は体じゅうに包帯を巻いていて、包帯は傷が癒えて無いのだろう赤く染まっていた。その男の顔には見覚えがあった。


(あの時のチャラ男じゃねぇか。ちったぁマシな面構えになった様だな)


 男が切り付けようとしていた女が悲鳴を上げる。

 その声もまた覚えがあり、背筋に冷や水が垂れる様な感じを覚える。

 気が付けば走り出していた。

 部下の驚く声が聞こえる。自分でさえ驚いている。自分は一般人を助ける為に冷静さを失うマフィアでは無い筈だ。


『糞野郎が! 待ちやがれ!』


 骨を砕き肉を裂く音が聞こえる。

 富豪の男が突き刺したナイフは、メリーニの母親の胸を貫いていた。

 そして聞こえる幼い悲鳴。

 引き金を引く。

 男の腕に当り、ドロリとした血が湧き出し垂れた。

 男はこちらを一瞥しただけで、直ぐにメリーニに向かいナイフを切り下ろす。


『糞が!』


 引き金を引く瞬間、男は泣き叫ぶメリーニを引き寄せる。撃たれた痛みはアドレナリンの分泌により麻痺しているのか、その動きに躊躇は無い。

 強引に引っ張られたメリーニはこちらを向く様に体返される。

 メリーニと目が合う。

 もう、人差し指は戻らない。

 メリーニの胸に弾丸が当り、彼女の体が衝撃で仰け反る。

 富豪の男が笑いながら背を向けて逃げ出す。

 目の前にはまだ息絶えてはいない彼女の母親が、娘に向かい手を伸ばす。口からは止めどなく溢れる血。流れた血の量から見て、もう長くは無いだろう。


『おい! 誰かこの子を頼む』

『……母親の方は?』

『楽にしてやれ。……アタシはあの糞野郎を追う』



──ボロネーゼの屋敷 勝手口前 決行日 11:30──


 アルテージは、ジェスとベルコーレを伴い屋敷の勝手口前に居て、扉の向こうで〈ボロネーゼ〉ファミリーの連中が響かせる怒号を聞いていた。


『〈トラパネーゼ〉の連中が攻めて来たらしいぞ!』

『アイツ等何を考えてんだ!』


 そんな言葉が途切れる時を待つ。

 使用人が勝手口から出てくる事は今の所無い。出て来た場合に備えてサイレンサーを付けた銃を構えている。

 ジェスの前で人を殺すのは気が引けるが、どの道血は流れるだろう。それが遅いか早いかの違いしか無い。

 慌ただしい屋敷の様子も落ち着いた頃、アルテージはジェスとベルコーレに向かい話し掛ける。


「そろそろ向かいましょう。ある程度兵隊は減っているでしょうからねぇ。所で若、本当に得物無しで良いんですかい?」


 ジェスは銃を持つ事を拒否していた。それには流石のお嬢も理解出来ないと抗議した程だ。しかし、彼は「殺しに行くんじゃないから」と云い張り聞かなかった。

 頷く少年を眺めた後、勝手口から中への潜入を開始した──


──ボロネーゼの屋敷 パールの自室 決行日 11:25──


 屋敷の廊下を駆ける音が1つ、2つ。忙しない様子は庭先も同じだ。怒号を響かせる身内の姿を想像すると5年前の記憶が喚起される。

 窓から外の様子を窺う。

 身内共は正門から外に出て行き、彼等の手には得物が握られている。


(……出入りかしら? あれは……)


 正門から視線を大きく外し、出窓から僅かに覗く事が出来る場所には3人の人影が見える。その姿に見覚えは無い。つまり、身内以外の人間だ。

 胸が高鳴るのを感じる。

 今回の騒ぎは、あの侵入者達によって引き起こされたのだろう。

 大願を果たす時が来たのかも知れない。ケータイから、オルネライラを呼び出す。


『外が騒がしいですね、何かあったのかしら?』

『はい。〈トラパネーゼ〉の連中が出入りに来た様です』

『争いの火種はあったのかしら?』

『いえ。今回の件は電撃的な物。停戦中であったマフィア抗争が再開されたと云う事でしょう。そこに火種があるとすれば、何十年も前に消し忘れた火であるかと』

『そこに薪をくべるおバカさんが居たと云う事かしら』

『燃え方からすると藁かと』


 火種も無く攻めて来るのであれば、目的は強奪か占領のどちらかだろう。藁は勢い良く燃えるが所詮短時間的な物である。放っておけば直に消える。

 しかし、占領が目的であるとすれば放ってはおけない。〈トラパネーゼ〉の支配が、自分の目指す所に至っていない場合に打開する術が失われてしまうからだ。今は首領の娘と云う立場で自由に動けているが、この街が奪われるとなると最悪の場合、処刑される事になるだろう。


『藁なら直ぐに消えます』

『では早急に消火に当たりましょう』

『いいのオルネライラ、この藁の火を松明に移して我が大願の道を照らす灯りとします。まずは〈トラパネーゼ〉の目的を探ります』


 勝手口から中へと進む()共を見つめたまま、オルネライラに指示を飛ばす。


『勝手口から3人来ます。私も向かいます。まずは分断なさい』

『仰せのままに』

『オルネライラ』

『何でしょう?』

『今日でここを掌握する事になります。5年前の憂さ晴らしをしましょう』


 オルネライラの返事を待たずに通話を終え、勝手口から侵入して来る連中を観察する。

 自分と同じ歳か歳下だろう少年が見えた。気弱そうにも見える彼から色々と聞き出すのが早そうだ。

 壁に掛けたナイフをベルトに挿していく。それを〈にゃんとっと〉のワンピースの上から巻き付け、その上から同じブランドのアウターを羽織ると勝手口へ通じる道へ歩き出す。


──ボロネーゼの屋敷 勝手口 決行日 11:35──


「ちょっと2人共速いですよ」


 勝手口から屋敷に入る。その後にはジェスが離れて付いて来ており、回りを落ち着きなく見回していた。もう少し速く歩けよ鈍亀め、とは思っていても口には出さない。それが淑女道なのだ。

 「出来る淑女は口から」とは、愛読雑誌である〈メイドポスト〉の特集で学んだ。今ではエムエルの訓練にも大役立ちである。


『誰かいるのか?』


 その声に反応し、扉の中へと身を隠す。ジェスはまだ外だ。ベルコーレは舌打ちをし、アルテージに云う。


『不味いですね……』

『若を拾ってからにするか?』


 アルテージはそう云うが、屋敷の通路で待つ訳にもいくまい。鈍亀鳩野郎が気掛かりではあるが、先に目的を済ませば問題は無いと判断する。


『最悪、人質さえ確保出来れば若の解放も可能です。このままターゲットを探します』

『お嬢にどやされるのだけは勘弁願いたい物だな』


 エムエルに知られる前にどうにか合流したいのはこちらも同感だ。もっとも、アルテージと違い「どやされる事」を危惧している訳ではない。


(お嬢様が淑女に成られようとして居られるのです)


 エムエルに幼少の頃から従って来た同性の者だからこそ判る事がある。彼女は普通の女の子になりたかったのだ。

 その気持ちを尊重してあげたかったし、最近の彼女の頑張りには感涙を覚える。淑女道を愚直に進んで居られるのだ。

 その切っ掛けは鳩野郎だが、彼女にとって彼は必要とされている。ジェスの次は恐らく無い。それは何となく判っている。

 理不尽な大人達の都合に振り回されるしか無かった主を思いつつ、屋敷の奥へと進む。


──ボロネーゼの屋敷 勝手口前 決行日 11:38──


(どうしよう……帰って良いかな?)


 ジェスは勝手口前の茂みに隠れてそんな事を考えていた。

 もっと2人に近付いておけば良かったと後悔する。

 先程の声の主は、背の高い女性で口元を大きなマスクで覆っていたのが茂みから覗けた。彼女は付近を見回した後、屋敷の扉を開けて中へと消えて行った。

 いつまでも隠れている訳にもいかず、茂みから身を出す。回りには人の気配は無い。屋敷への扉を見るが、先程の女性と鉢合わせになると思うと進む気にはなれなかった。

 仕方無く別の入り口を探す為に屋敷の裏手を歩く。丁度屋敷の中央辺りまで歩くと、人が通れそうなサイズの窓が見つかる。

 恐る恐る窓から中の様子を見るが、人の姿は無い。そこは厨房の様で、鍋やら何やらが置かれていた。


『そこから入ると目立ちますよ?』


 聞こえてくるナガグツ語に心臓を吐き出しそうになる。声の主に背中を向けたまま両手を上げる。


『〈トラパネーゼ〉の兵隊かしら?』


 女性の声、それも以前聞いた事のある声だった。どこで聞いた声だろうか。


(トラパネーゼって云ったよな……? こりゃあ不味い、不味い不味い!)


 ゆっくりと振り返ると同じ年頃の少女が、穏やかな笑みを浮かべて立っている。手に武器は持っていない事を確認すると少し気が緩む。


『怯えて何も喋れないのかしら?』

「すみません道に迷ってしまって」


 咄嗟に出るのは苦しい言い訳だ。何とか殺されないようにしなければならない。


「ああ。ナガグツ語を話せないのね。それで、何をしているのかしら? ここが何処だか判っているのかしら?」

「あ、いや。えっと……」

「何をしに来たのかしら?」


 下手な嘘を重ねるのは墓穴を掘り兼ねない。正直に話して敵意が無い事を示そう。


「〈ボロネーゼ〉ファミリーのボスの娘さんに会いに来て……」

「何の為に?」

「マフィア同士がこれ以上血を流さなくても済むように」

「貴方達が来なければこんな事態にはなっていないのに、それは矛盾してないかしら?」

「それは……僕にはこの抗争を止める力は無い。だけど抗争を早く終わらせる事は出来ると思っていて……」

「どうやって?」

「ボスには一人娘が居るらしくって、彼女に手伝って貰うつもりで……」

「協力してもらえると?」

「彼女は今の市政に不満があるらしいから、現状の改善には協力して貰えると思う」

「〈トラパネーゼ〉が支配する様になればこの街は改善すると云うのかしら?」

「少なくとも金持ちが貧乏人を差別するのが当たり前では無くなる筈だと思う」

「具体的にはどうやって?」

「それは……」

「具体策も無しに協力してもらえると? そんな物は何の意味も無い打算です。それに貴方には覚悟が無い。本当にこの街の状況を変えようとする覚悟が。所詮は勢力を広げたいだけの詭弁にしか聞こえませんわ」


 その時だった。裏口にもう1人の男が現れたのは──


──ボロネーゼの屋敷 裏手 決行日 11:40──


 少年の考えは随分と甘い考えだと思った。彼の考えは昔の自分と何ら変わらない。つまり幼稚な物でしかない。

 〈トラパネーゼ〉が自分を探していると云う事は判った。

 次に考えたのは少年の利用価値についてだ。

 敵対組織を把握している訳ではないが、この少年はマフィアらしくない。少なくとも自分の知るマフィアと比べると覚悟と云う物が圧倒的に足りていない。

 確かに、死ぬかも知れない状況ではあったが、こんなに内情をさらけ出す事は普通やらないだろう。

 なら駒使いだろうか? そうであれば利用価値も無い。人質にした所で捨てられて終わりだろう。しかし、巻き込まれた一般人である可能性もある。そうだとすると、命を奪うのは夢見が悪い。


『いつかの……ジャポン人じゃれぇか。コイツはついてれなぁ』


 呂律の回らない声が横から掛かる。

 その声に振り向くと、包帯を赤く染めた男が立っている。この男は以前、私刑を与えた富豪だ。男の左手からは、包帯越しにも見てとれる量の血液が滴っている。そして、右手に持ったナイフにはまだ渇かない血糊が付いていた。


『パァーうにはお仕置きしらいと……』


 酒臭い息を垂れ流す様は嫌悪感を抱くには十分だった。

 覚束ない足取りで歩く男を見たまま、アウターの下に忍ばせたナイフを掴む。

 男がナイフを振りかぶり突進して来る。しかし、私怨に任せたその一撃は避けるに容易い。

 大きく空振りをした男の右目にナイフを突き刺す。

 男は痛みを感じぬ様子でこちらを向き笑う。目からは血の涙を流し、その異常性が際立つ。

 次に男は、〈トラパネーゼ〉の少年に振り向きナイフを振り上げる。

 その動きは俊敏で、首を狙った一撃は彼の命を容易く奪うだろう。

 呆けた少年はもう死ぬのだ。

 彼がマフィアであろうと無かろうと、この街が生んだ理不尽によって。

 それは見過ごして良い物だろうか? いや、良くないだろう。

 少年を押し倒したのはギリギリのタイミングだ。

 少年は厨房の窓に頭をぶつけ、姿勢を崩した彼はこちらを驚いた様に見る。その目には涙が滲んでいた。涙は痛みからなのか、恐怖からなのかは判らない。


(情けない顔…… やっぱりマフィアなんかじゃありませんね)


 そんな彼を右目(、、)で見る。

 直ぐに、溶けた鉄を目に流し込む様な痛みが襲って来た。

 痛む目を左手で抑え、ナイフを取ろうと右手を伸ばす。

 手がナイフに触れるよりも男の蹴りの方が速く、腹を蹴られて転がる。

 男は笑いながらこちらに足を進める。


(少々不味いかしら……)


 片方の視界を奪われた事は少なからず動揺を呼ぶ。その上距離も把握し辛い。

 男の歩みが止まる。少年が男の足にしがみつき拘束した為だ。男の大腿部を抱き込む形となった少年に対し、男はナイフを降り下ろす。


(もう良い。男から離れて)


 少年の額が割れた。

 彼の額から鮮血が溢れる。

 それでも少年は手を放さない。


(早くその手を放しなさい)


 男は少年の腕を切り付ける。

 服は切り裂かれ、肌が露出される。

 それでも少年は手を放さない。


「もう良い! 放して!」


 男の蹴った爪先が少年の左目に刺さる。

 少年は苦痛に悲鳴を上げる。

 それでも少年は手を放さない。


「何で……」


『ジェス様ーっ』

 そこに4人目の叫び声が聞こえた。それは女の子の叫びだ。

 銃声が響き、男の体が震える。

 それでも男は切り付ける手を休めない。


『畜生が! くたばれってんだ!』


 銃声が鳴る。

 男の胸に穴が開く。

 それでも男の蹴りは少年の目を抉る事を止めない。


『早く死ね! 死ね、死ね、死ねよ糞が!』


 銃声が鳴る。

 男の頭が曲がる。

 銃声が鳴る。

 銃声が鳴る。


『糞、糞、糞っ!』


 男が倒れる。

 それでも銃声は止まない。


 撃たれる度に反動で男の体が揺れる。

 それでも少女は引き金を引く手を止めない。


──ボロネーゼの屋敷 裏手 決行日 11:47──


 女の子を守りたかったんだと思う。

 ナイフが額を切った時、何でこんな事をしているんだろうと思ったし、逃げれば良かったと思った。けど、自分を庇って血を流す少女を見て、守らないと駄目だとも思った。

 誰かが騒ぎを聞き付けてやって来るまで我慢すれば良いのだと自分に云い聞かせた。

 左目に男の爪先がめり込んだ時、これは死ぬだろう、殺されるだろうと思った。

 それでも、手は放さないと決めていた。

 腕を切られた時、痛みはもうどうでも良くなった。

 聞いた事のある声が叫びを上げるのを聞いた。

 声色はよく知った物だったが、その響きは獣の咆哮の様に聞こえた。

 何度も何度も銃声が聞こえた。

 こちらを傷付ける男が倒れたのだと知った後も、何度も何度も銃声は響く。

 それは彼女の代わりに銃が泣いている様に思えた。

 腕の血は、傷が浅かったのか乾き出していた。その血だらけの腕を支えにして立ち上がる。

 引き金を引く少女の手に、自分の手をかさねて止めさせて、獣の様に息を吐く彼女に向かって云う。


「ありがとう。もう、大丈夫だから」


 こちらを見るエムエルの顔は色々な感情が溶け合わさった物であり、怒り、悲しみ、安堵が混ざった声音でナガグツ語で何か云った。


『テメェが死んだら何の意味も無くなっちまうだろうが』


「エムエルさん何て云ったの?」

「……いえ、ご無事で何よりと云ったのですよ」


 勝手口とは逆の方向から声が響く。


『居たぞ! ぶっ殺せ!』


 振り向いた先には10人程の男達、恐らく先程の銃声を聞き付けたのだろう。

 彼らを見て、エムエルは肩掛けしていたサブマシンガンを手に取り云う。


「ジェス様、一旦退きましょう」


 そう云う彼女は、まだ起き上がらないもう1人の少女に向けて云う。明らかにドスの効いた声でだ。


『オイ! あばずれ。テメェも来い』

『随分な変わり様ですわね。可笑しな人……』


 銃声が響き、倒れ込んだ少女の眼前の土が弾ける。


『早くしろよ糞売女クソばいた


 少女は起き上がる。

 エムエルは後方に向けて掃射しながら走る。

 後を追いかける為に走ると、足が地面に着く度に頭が割れそうになる。

 その時、ガラスの割れる音が大きく響いた。


──ボロネーゼの屋敷 2階 決行日 11:45──


 アルテージとベルコーレは今、屋敷の2階にいる。勝手口から近い所で待機していたかったのだが、潜入がばれない事を最優先に考えて行動した結果、距離を取る事を繰り返して行く内に2階に来た。


(意図的に2階に追いやられた感じも否めませんねぇ……)


 誰かがジェスとこちらを分断しようとしている可能性は十分考えられる。

 何せ彼は素人だ。見た目も一般人と変わらないし風格も無い。

 交渉役を勝って出た彼の意志を尊重して連れてきたが、それが悪い方に転がったらしい。


『何者かに動きがバレてる感じがするな』

『ふむ。確かに……アルテージ謀ったな?』

『……んな訳ないだろ』


 外で銃声が聞こえた。

 ジェスは銃を持っていない。別の人間が外で発砲したのだ。隣を歩くベルコーレへ云う。


『おいベルコーレ、今の若じゃねぇか?』

『そう思うなら慌てて見せなさいアルテージ。まずは確認します』


 彼女はそう云うと外に面する窓を確認する為に扉を蹴破る。中には数人の男達が見えた。

 彼女は手にした得物の引き金を引く。

 サイレンサーの音が響き、空気を抜く様な短い音が生まれる。

 次に、人が倒れる大きな音が生まれた。

 アルテージも潜入用に持って来た得物を使う。

 大きな声を上げられる前に掃討した。ベルコーレと窓の下を見ると、血だらけのジェスと横たわる男の返り血を浴びたエムエルの姿が見えた。少し離れた所に、こちらも血を流してた少女がいる。


『不味い』

『はい。若が傷だらけ、と云うか死んでる? もう、アルテージは墓に入る事になりそうですね』

『いや、じゃなくて。あの銃声で向こうもやって来るだろうって話な』

『あら、あの女……』


 ベルコーレは倒れている少女を指差して云う。


『あれ、〈ボロネーゼ〉ファミリーのボスの娘ですよ』

『何だと!?』

『敵もやって来ましたね。向こうから』

『若は生きてる見たいだな。お嬢達の退却を援護するぞ』


 窓ガラスを割り、地上へ向けて掃射する。ベルコーレには部屋の入り口から敵が入って来ないか見張って貰う。お嬢達を追おうとしていた連中の何人かはこちらの銃弾に倒れた。


『俺達も勝手口へ戻るぞ!』


──ボロネーゼの屋敷 4階通路 決行日 12:20──


 ジェス達は勝手口に入って直ぐの部屋で、簡単な応急処置を済ませた後、屋敷の通路を歩いていた。

 先頭を歩く少女はパールと云い、彼女は頭から目元までを乱暴に巻いた包帯に包まれていた。それは自分も同じで、お互いを庇い合った結果だ。

 彼女の直ぐ後ろからはアルテージが歩き、手にした拳銃を突き付けている。


「アルテージさん、そこまでやらなくても……」

「若、このお嬢さんは貴方と違って素人じゃあない。それに……」


 通路の右側から飛び出してきた男がパールの姿を見て怯む。何かを云おうとする前に男は倒れた。ベルコーレの撃った弾が男の眉間に当たったのだ。


「掃除も楽に出来ますからね」

『テメェの案内がチンタラすればするだけ、犠牲が増えるんだよ。さっさと父親の元に連れて行けよ』

『今向かっているでしょう。本当、品も無ければ気も短い。酷い人ね』

『んだとテメェ』


 エムエルとパールは何やら言い合いを始めた。

 エムエルは銃を振り回していて、パールは対称的にアウターのポケットに手を入れて歩いている。


(後頭部に拳銃を突き付けられているとは思えない態度だな……この国の女性は逞しいなぁ)


 4階にある部屋の前でパールは止まった。ここに来るまでに使用人も含めて、多くの〈ボロネーゼ〉の人を殺していた。

 それでも、パールの表情に変わりは無く、彼女の心の闇を垣間見た気分になる。


「さて、ここが父の居る部屋ですわ」

「……開けろ」


 アルテージの指示に従い扉を開けたパールはそのまま中へと入って行く。

 そこは、広くない部屋であり、〈トラパネーゼ〉の屋敷でジェスに与えられた部屋の方がよっぽど広いだろう。

 部屋の中程には衝立があり、奥は見えない。


『お父様、お客様ですわ』

『パールか。外が騒がしい様だが怪我は無いかね?』


 優しい雰囲気の声が聞こえた。

 何を云っているのかは判らないが、親が子を気に掛けている時にあの様に風に話すのかも知れない。

 パールは衝立に手を掛けて引き倒す。その動きに、ジェス以外の3人は銃を構える。

 衝立の向こうには初老の男が1人座っていた。彼はパールを見ると直ぐに立ち上がり近付いて云う。


『これは……何があった! コイツらは何者だ。パール、大丈夫か?』

「俺達は〈トラパネーゼ〉ファミリーだ。悪いがここからはクイーン語で頼むぜ? なぁに、うちの若頭がアンタと話がしたいんだと」

『話し合いだと! この状況でよく云う!』


 アルテージが撃った弾は倒れた衝立を弾く。


「クイーン語でと頼んだだろう? 次に舐めた真似してみろ。娘を殺す」


 〈ボロネーゼ〉のボスはアルテージの言葉を受けてパールの姿を見る。こちらが本気だと伝わったのだろう。

 彼女の怪我は威嚇の域を超えている。例えそれが自分達がやった事では無いにせよ、アルテージら利用出来る物は利用すると云った算段に違いない。


「判った。云う通りにする。だから娘には手を出すな。後生だ!」

「それはアンタ次第だな」


 アルテージは左手で葉巻を取り出して咥え、ライターで火を付け吹かす。隣ではエムエルも同様に葉巻を吹かしていた。彼女の吸う葉巻はバニラの香りがする物で、彼女は常に甘い香りがしているのだ。

 アルテージはこちらを向くと軽く頷いた。


「若、どうぞ」

「ああ。ええと。急にすみません。実は折り入ってお願いがありまして」

「……お願いだと?」

「はい。〈トラパネーゼ〉に敗けた事を宣言してください。それでこの騒動は治まります」

「何を寝惚けた事を云っているんだ。そんな事がまかり通るか! 敗北を認めた所で何があると云う」

「殺されたりはしないでしょう?」

「殺される事など恐れているものか。権利の喪失の方が余程恐ろしい。それを失えば生きていても意味が無い」

「それは貴方の考えでしょう。戦いを止めたがっている人だって〈ボロネーゼ〉には居るかも知れないじゃないか」

「そんな奴はファミリーじゃないさ。それに」


 ボスは二の句を告げなかった。

 驚いた様に目を剥いたまま、崩れ落ちる。

 アルテージが銃を手にしたままで云う。その目はとても冷たく感じた。


「もう、良いでしょう。仕舞いです」


 そう云うとパールに銃を向ける。

 殺すつもりだと云うのだろうか?

 ジェスは彼女に助けて貰った時の事を思い返す。そして自分もまた、彼女を助けた。

 その彼女がまた殺されそうになっている。

 彼女は微笑む。その表情からは、今から死ぬかも知れないと云う事に対する恐怖心は感じられない。


「これが〈トラパネーゼ〉のやり方かしら? こんな事で民衆の支持を得られると?」

「民衆の支持を今は必要としない」


 アルテージはパールに銃を向けたまま話す。彼女は「そうですか」と短く返事をすると、こちらを見つめる。


「それはつまり、彼の支持(、、、、)も必要ないと云う事ですね」


 パールは目を瞑る。それはまるで、死を受け入れる様に見えた。彼女が死ぬ必要なんてない。

 アルテージを止めなければと声を上げる為に息を吸う。

 突然、激しい光が部屋を照らした。同時にガラスの割れる音が聞こえる。体は自分の意思とは関係なしに前方へ何者かに依って引かれた。

 背中には柔らかい人の感触があり、耳元には女の息遣いを感じた。

 頭は混乱していて、その淫靡いんびとも云える吐息に場所も省みず胸が高鳴りする。

 そして、こめかみには鉛の様な感触があった──


──ボロネーゼの屋敷 ボスの部屋 決行日 12:35──


 父の死は呆気なかった。

 それについて、嘆く様な事も無い。考える事は1つ、5年前に失敗した大願についてだ。

 父の死を切っ掛けに、大きくパールの計画は回り始めるはずに違いない。しかし、父を殺したマフィアは次にこちらを殺そうとしている。

 そうなってしまっては計画も何も始まらない。

 〈トラパネーゼ〉の連中が間抜けで良かった。ナイフを携帯していたベルトは奪われたが、

 アウターには手も触れなかったのだ。

 通話中のままの携帯の電源を落とす。それは合図だ。

 そして、ポケットには細工をしてある。

 穴の開いたポケットに入れておいたフラッシュグレネードを落とす。

 目を閉じた瞼越しに閃光を感じ、合図と共に窓ガラスを割ってオルネライラが部屋へ入ってくる。

 オルネライラはジェスを人質に取り、こちらの隣に立つ。

 ジェスと云う少年はどうやら〈トラパネーゼ〉にとって大事な人間であるらしい。


(利用させて頂きましょう)


「形勢逆転と云う所かしら? 藁の火種は飛び火するのよ。丁度こんな感じにね」

「……アンタが何を云ってんのか判らないが、若を離して貰おうか」


 閃光の拘束から逃れた〈トラパネーゼ〉の連中は苦虫を潰した様な顔を見せる。ジェスと云う少年が捨て駒なら、自分の命もここまでだ。


「動かないで貰える? この人、殺すわよ?」

「……お嬢」

「主導権はこちらに移りましたわ」


 〈トラパネーゼ〉の男は、横に立つ女に向かって云う。どうするのかを判断して貰うつもりなのだろう。


『……テメェ! ジェスを放せ』

「放せと云われて放すマフィアがどこに居るのかしら? 今すぐ帰りなさい。街で暴れてる部下も全て連れてね」

「お嬢様、ここは一旦」

『パールつったか。テメェの事は忘れねぇからな。……引くぞお前等』


 〈トラパネーゼ〉の連中はそう云い残して部屋を出る。隣では茫然自失のジェスがいて、そんな彼に云う。


「貴方に価値があった様で良かったですわ」


 そう微笑むと少年は苦笑いを返したのだった。



──トラパネーゼの屋敷 エムエルの部屋 決行日 15:00──


 蹴り付けた壁が鈍い音を立てる。

 〈トラパネーゼ〉ファミリーの屋敷にある自室の壁には黒い蹴り跡が付き、それを見た扉の横に立つベルコーレは落ち着いた様子でこちらに話し掛けてくる。


『お嬢様、そんなに蹴り付けられると壁の清掃を行う使用人が憐れでなりません』


 使用人の代表としての発言は耳に痛い。昂る感情を抑える為にトスカーノ吹かす。

 さっさと娘も始末するべきだった。アルテージを待たずに自分でやる事も出来た筈だ。しかし、自分は彼女を殺す事を躊躇って居たのかも知れない。ジェスの恩人だと云う少女を始末すれば、夫婦の今後の関係に影響しただろう。

 どうせだったら恋愛とかして見たい。鴛鴦夫婦と云うヤツだ。

 らしくない考えが出てきてかぶりを振るう。どうもジェス用の態度の影響が深層心理にまで及んでいる様だ。自分はこんな人間だったろうか。否、粗野粗暴も良い所、決して乙女らしい事など云わない。そんな人間であった筈だ。しかし、淑女道を進むには粗暴も改善していかなければ……


 扉をノックする音が聞こえ、ベルコーレが扉を開ける。

 アルテージは入って来るなり『お嬢、落ち着いて聞いてください』と前置きして云う。


『ボスは鳩野郎の為に割く兵隊なんざ居ないと云ってまして』


 苛立ちを投げ飛ばす様に右手を振るう。火が付いたままのトスカーノはアルテージにぶつかる。

 アルテージは『危ないですよ!』と慌てて飛び退く。ベルコーレが落ちた葉巻を拾い、携帯灰皿へ放り込んだ。


(いかん。淑女たるものクールにしないとならねぇ……)


『後、〈ボロネーゼ〉から連れ帰った少女が目を覚ましたらしいですよ』


 その一言は、怒りに燃え続けていた心に雨を降らせた。

 ジェスの事は心配だが、殺される事は無いだろう。父との約束の期限までは後3週間だ。それまでにジェスを救出し〈ボロネーゼ〉を叩き壊せば良い。

 今はメリーニの見舞いに行く事にしよう。彼女には謝らなければならない。彼女を撃ったのは自分なのだから。


『その子の元へ行く』


 それを聞いてこちらを見たアルテージやベルコーレは驚いた様な目をしている。


(コイツ等はアタシを何だと思っているんだ……)


 そんな自分の考えも含めて可笑しな事だと思い笑う。アルテージとベルコーレは笑いこそしなかったが、優しい目をしていた様に感じた。



──ボロネーゼの屋敷 一室 決行日から一週間 昼──


「傷はまだ痛むのかしら?」


 パールはこちらに向かい、心配そうに聞いて来る。ここは〈ボロネーゼ〉の屋敷にある部屋の1つで、自分に宛がわれた物だ。

 左目は眼球が無くなっていて、光を映す事は二度と無いだろう。手で瞼を撫でると窪んでいるのが判る。

 視線の先の少女も左目を眼帯で覆っていた。彼女の左目もまた、視力を失っている。彼女の場合は眼球は残っていると云う違いはあったが視力を失っている事に違いは無い。

 彼女の目は自分を庇ったせいであり、自分の目は彼女を庇ったせいである。

 そんな彼女の目を見ているとパールは顔を横に向けて視線を逸らす。


「淑女をそんなに凝視するのは失礼じゃないかしら」

「あっ、えっと。ゴメン!」

 

 何だか恥ずかしくなり頭を掻く。

 この目の傷を負ってから1週間、痛みもかなり引いている。

 視覚の喪失には堪えたが、同じ状態のパールが毅然と振る舞う姿を見ていると、立ち止まって居られない様な気がしたのだ。


「目はマシだよ」


 ノックの音が響き、使用人であるオルネライラが入ってくる。彼女は手に小さな箱を持っていた。


「失礼します。ジェスさん、そのままでは形が悪く見えてしまいますのでこれを」


 彼女は手にした箱をこちらに渡して来る。

 箱を開けるとピンポン球の様な眼球を模した義眼が入っていた。


「ご自身で挿れられますか?」

「多分、大丈夫」


 手で義眼を掴み、瞳のある方を外側に向けて瞼を開いて入れる。

 奇妙な感触がある。目を動かす動作に合わせてゴロゴロと動くのを感じる。慣れるまでは暫く掛かりそうだ。

 この1週間、パールは優しく接してくれた。それが、彼女に考えがあっての事だと云うのは何となく察していた。それでもその扱いや気遣いには感謝しているし、オルネライラも身の回りの世話を良くしてくれた。


(こうやってると、この人達がマフィアだなんて思えないよな……)


「お嬢様、先代の死亡と共に街を出た人数ですが、全体1割程との事です」

「まぁ、庇護者を失ったのだから当然でしょうね」

「加えて、ファミリーから抜けた者が全体の半数近くおります。この者達に制裁は必要ですか?」

「捨て置きなさい」


 ボスの死による影響は少なくない様だ。その場に居合わせた事で申し訳無い気持ちになる。


「僕達のせいで大変な事に……すみません」

「謝るくらいなら最初からしなければ良いのです。結果を見て、後悔するのであればね。後悔などされれば父は死して尚、恥をかく事になるでしょう」


 自分は殺すつもりなど無かった。そんな言葉は云えない。パールの顔に、親を失った悲しみなどは見えない。


「それに、父が居なくなって好都合です。この街を変える為には必要な事でしたから」

「この街を変える?」

「富豪であれば理不尽に持たざる者を虐げても良いと云う体質を変えるんです。それが私のやりたかった事ですから。私はジャポンが好きです。私はこの街をあの国の様に平和で平等な街にしたい」


 彼女の願いは細やかな物に違いない。それは、ジェスにとっては当たり前だった世界だ。彼女が目指しているのはそんな世界なのだろう。彼女はこちらに思いを伝える様に続ける。


「街のどんな家のこども同士でも楽しく遊べる様な、街の人々がお互いの顔色を伺いながら暮らさなくて良い様な街にしたいのです」

「〈トラパネーゼ〉に服従すると出来ない物なのかな?」

「〈トラパネーゼ〉の施政事態は悪くありません。でもそれは、今がそうなだけ。今後、方針が変わった時に、口を出せる地位に居なければ元の木阿弥です。施政に関わるなら、併合されない方が良いでしょう」


 その言葉に対して大丈夫と云える程、自分は〈トラパネーゼ〉と云うマフィアを知らない。しかし、彼女の夢は障害がまだ残っている。

 恐らくエムエル達は、自分を救出しに来る。そうなった場合、半数が居なくなった〈ボロネーゼ〉に勝ち目はあるのだろうか。


「〈トラパネーゼ〉はまた来ます。降伏しないと今度こそ殺されますよ……」

「一月もあれば、別のマフィアに話を通して停戦を持ち掛ける事も出来ます。今回の件は長い均衡を破る奇襲でしたし、現在安定を望んでいるマフィアもあるでしょうから」

「いや、後2週間もすれば彼女達は来ます」


 エムエルに課せられた期限は一月だ。そして今は月の半ばである。

 あの少女の事だ。必ずここに来るだろう。パールはそれを聞いて何かを考える様に黙る。

 暫くしても彼女が口を開く事は無かった。


 パールとジェスの会話を眺めながらオルネライラは考える。

 ファミリーの中でも、古株でパールに忠誠を誓う者が半数程残った。〈ボロネーゼ〉ファミリー全体では2割が死亡して、3割は街を後にした。

 現状〈トラパネーゼ〉に対して街を防衛出来るかと云うと勝率は低いだろう。

 それでもパールの叶えたいことを叶えてあげたい。それは5年前に出来なかったことだ。今度こそは成功させなければならない。

 そこにジェスの言葉が入る。


「〈トラパネーゼ〉に降伏してください。これ以上戦いを続けては本当に死んじゃいますよ……」

「父の言葉の通り、権利が失われれば死んだも同じです」


 誰がの敷いたレールを走るのはうんざりだとパールは以前話していた。人に任せると云う事をとても嫌う人である。彼女もまた5年前の目的を果たそうとしているのだ。少年の方は5年前の事など知らない。彼が単純に我々を心配して云っているのは間違いないだろう。


「表向きは〈トラパネーゼ〉に取り込まれた形で主権はパールさん達が持てる様にすれば大丈夫じゃないですか?」


 主権を残すなんて簡単に云うが、只の構成員如きにその様な権限はない。見通しのない、けれど甘美な蜜の様な提案だ。パールもまた彼の云う言葉の見通しを待っているのだろう。


「僕はジャポンから誘拐されて〈トラパネーゼ〉に来ました」

「……誘拐?」

「〈トラパネーゼ〉ファミリーのボスの娘、エムエルさんに見初められたって話です」

「自己中心的な酷い人ね」

「彼女と僕が婚約すると、ファミリーの次期当主になる事も出来る筈だ。そうすれば、僕の提案も蔑ろにはされないと思う。僕は君に〈ボロネーゼ〉の主権を渡すよ」

「……」


 少年が嘘を付いている様には思えない。パールから聞いた話では、彼は愚かにも人を騙せない人間なのかも知れないとの事だ。良く云えば素直な人間である。パールが口を開く。


「貴方は好きでもない人と婚約なさるのかしら?」

「どの道もう選択肢は無いんだろうなぁって思ってた。それに、君の夢を叶えたいなぁって思ったんだよ」

「私を言い訳に使わないでください」

「それにエムエルさんも、珠に怖いけど基本的には淑やかで優しい人だよ。だから嫌いって事もない。君を言い訳にはしてないでしょ? 嫌いじゃないんだから」

「でも……そう、貴方が次期当主に認められるかはまだ不明ですし、婚約だって向こうの親から反対されるかも知れませんし!」

「〈ボロネーゼ〉を潰せば認められるらしいよ」

「だからこの街に来たのね」

「潰せと云われたけど、再建するなとは云われてない。マフィアには兄弟の契りって云うのがあるんでしょ? ベルコーレが云ってた。君と僕とで兄弟の契りを交わそう。そうすれば僕が当主になるまでの間、君に手出しは出来なくなる」

「……なんだか、思ったより覚悟があるのね」

「そりゃあ目を失う程度には覚悟してるさ」


 我々は結局、〈トラパネーゼ〉への降伏を選択した。それにしても、ジェスと云う少年は変わっている。酷く利他的な人間と云えるだろう。

 兄弟の契りを交わすと云う事は、オルネライラ自身にとっても彼が特別な存在になると云う事だ。

 左目に眼帯を付けた2人を見ていると本当に兄弟の様に思えてくる。

 次の日、彼等は早くも兄弟喧嘩を始めていた。それはどちらが兄、姉になるかと云う物であった。パールは19歳、ジェスが18歳であり、常識的に考えればパールが姉と云う事になる。それをジェスが云うも、パール自身は「妹ですし」と云って聞かない。

 結局、ジェスが根負けし、兄妹の契りを交わしたのだった。

  

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