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ある女の子の思い出です!!

──〈ボロネーゼ〉某所 少女の部屋 夜──

──あなたの稚拙考えによって出た犠牲なんですよ──

 もう随分と前に云われた言葉を思い出す。何かを変えられると夢見てがむしゃらだった頃の記憶だ。あの頃とは考えも変わってはしまっている。

 自室のベットに仰向けに寝転んで、少女は思い出す。


 ──金持ちの子ども達と遊ぶ事は、自身にとって非常に退屈な物であった。それは、行儀の良いおままごとや、カフェテリアでの団欒などである。対して、貧困区域の子ども達はとても強かであり、その遊びもスリル満点で楽しさを感じる物であった。だから、貧困区域の生まれでは無かったが、彼等と遊ぶ事の方が多かった。


 その日も溜まり場で仲間達と集まって、缶けりや、球投げをして遊んでいた。仲間の1人が息を切らせて溜まり場へやって来くる。

 まだあどけなさが残る顔立ちの少年は、駆け寄って来ると、煤で汚れた服を気にする様子も無く周囲に話し掛ける。


『おい皆、これ見てみろよっ!』


 〈ボロネーゼ〉の町でも貧困区域と呼ばれていた場所にある廃ビルには、声を上げた少年と同じ位の歳の子ども達が集まっていた。

 その内の何人かが少年に近付き、わっと歓声を上げる。どうやら少年が持ってきた物は大層な物らしい。

 少年はこちらに気付くと手招きをして云う。


『パールも来いよ! マジですげぇんだから』


 他の仲間達も、彼に倣いこちらへ手招きをする。

 彼等の元へ行くと、少年の手にはピストルが握られていた。少年は、重そうにその鉄の塊を持っている。自分にとってピストルは珍しい物では無かったが、貧困区域の子ども達は初めて目の当たりにしたのだろう。とても興奮している様子で話す。


『パイソン、これ何処で見付けたんだよ』


 少年の隣からピストルを見ていた仲間がの1人が問う。パイソンと呼ばれた少年は得意気な顔をして『いいか』と前置きして続ける。


『ナブーの屋敷で見付けたんだぜ!』

『ナブーだって!?』


 ナブーと云うのは〈ボロネーゼ〉の町でも指折りの金持ちである男の名前である。この町の金持ちにおける定義に違わず、自分より金を持っていない者に執拗に嫌がらせを行う事で有名だ。その為、貧困区域では毛嫌いされていたし、町で見かけた時は直ぐにその場を離れる事が推奨される人物でもある。パール自身も彼の事は嫌いだった。

 この町の金持ちは陰湿な人物が多い。ひと度目を付けられよう物なら、暫く嫌がらせを受け続ける事は必至だ。その事が心配になり、パイソンに聞く。


『ナブーに近付いたのかしら』


 パイソンは『まさか!』と驚き、煤で汚れた服を指差して云う。汚れた理由を話すのだろう。


『町でアイツを見掛けてさ、急いでアイツの家の煙突から忍び込んで、くすねて来たんだよ。今頃は大騒ぎしてるんじゃないか?』


 パイソンはそう云うと、ナブーの慌てた顔でも想像したのだろう、にやにやと笑う。仲間達もつられて笑う。パール自身もナブーの取り乱したさまを想像して笑ったのだった──



 パールは5年も昔の記憶を思い返していた。今年で19歳になる、同世代の中でも良いスタイルを持つ部類に入る体を包んでいるのは、お気に入りのジャポンブランド〈にゃんとっと〉のスウェットだ。

 幼ないあの頃には無かった、様々な経験が過去の出来事を「馬鹿な行為」であったと結論付けて数年が経つ。その「馬鹿な行為」を諌める為に、こうして過去を振り返る事はパールの習慣となっていた。今夜もその後悔の記憶を遡る。


 次に思い出すのは、パイソンが金持ちの家に空き巣に入ってから1月程が経過したある日の事だ。



 ──その日は暖かく乾燥していた。太陽は真上からその熱を照射し、肌を焼く熱が心地好く感じる。強い日差しを避ける様に鍔広つばびろの帽子を被っている。

 鍔の下から見える景色には男が見える。わざとらしく咳払いを繰り返すその男は、下卑た笑みを浮かべながら話していた。男の名はナブー、〈ボロネーゼ〉の金持ちの中でも屈指の名士である。


『我輩がこの様な臭い臭い所に来たのには、深い深い理由があるのである。事もあろうか我輩の屋敷に盗みに入った輩が居たのだ。これより其奴を見付け出し、我が屋敷に連れて帰るのである』


 ナブーは盗まれた事に対して腹を立てている様子は無い。その表情は相変わらず厭らしい物で、良くない事がこれから起きるのを楽しみに待っていると云った様に見えた。

 パールは貧困区域にある大衆酒場のテラス席で、ランチを食べながらナブーの話を聞いていた。


『盗まれた物は、金持ちなら盗む事はあり得ない少額の物である。つまり、貧乏な貴様等の誰かが盗んだのであろう? さぁ、早く名乗り出よ』


 ナブーの物云いは一方的であり、思い込みに依る物でしか無い事は明らかだ。その言葉に対して、群衆の中から1人の男が異を唱える。


『待ってくれ。きちんと警察に捜査を頼んでから俺達がやったと云っているのか?』

『いいや? 我輩の直感である。これでも名探偵で通っているのである』

『……ふざけるな! そんなの当てになるか! ちゃんと……』


 男の言葉はそこで途切れる。

 鳴り響いた銃声が耳鳴りを生む。

 男は足から血を流し、呻き声を上げていた。


『この男は共謀者であった為、連れて帰るのである。

 ……ん? まだ共謀者がいるのであるか?』


 ナブーはそう云いながら周囲を威嚇する様に見回す。集まっていた人々は目を伏せ屈服した様に見える。紅茶を飲みその様子を眺めていた。沸々と怒りが込み上げて来るのを感じる。


『さぁて、貧乏人のゴミ共に告ぐ。盗人よ直ぐに出て来たまえ。もしくは、盗人を知っている者は出て来たまえ。謝礼は用意しよう。……そうだな、この様な臭い臭い貧困区域で生活なんぞしなくても良い程度の金はくれてやろう』


 ナブーの提案に声を上げる者は居ない。

 金品をチラつかせた所で、貧困区域の者が身内を売る事は無いのだ。それは貧困区域の常識ではあったけれど、所謂ローカルルールと云う物であり、金持ち達が知っている筈は無い。

 パールはそう云った人情をとても気に入っていた。手にしていたティーカップを見つめながら思う事はこの街の行く末だ。

 貧困区域の人達がもっと大切にされれば、〈ボロネーゼ〉はもっと素敵な街に変わるのだ。その為にはナブーの様な傲慢な人間をどうにかする必要がある。それは決して不可能な事では無いと思っているし、この街の未来を諦めないと云う事だ。

 その時、群衆が急に騒がしくなる。ティーカップから目を離し、騒ぎに目をやると、ナブーが銃を周囲に振り回していた。


(口を割らせる為の見せしめに殺そうと云うことかしら?)


 この様な無茶をする金持ちが居るから、自分の夢は遠ざかるのだ。それはとても悲しく、同時に苛立つ事だった。こんな日常は変えて行かなければならない。そして変えて行けるのは恐らく自分だけだ。父だって、云い続けていればきっと判ってくれるに違いない。


 金持ちの子どもだろうと、貧困区域の子どもだろうと、皆が等しく遊べる様な街にして行く。その決意を胸に立ち上がる。


『そこまでです!』


 ナブーに聞こえる様に大きな声で云う。群衆の注目を一斉に集めた事で、緊張した様に鼓動が速くなるのを感じる。決して大人に歯向かう事による恐怖では無いと思いたい。声が震えぬ様に注意して注げる。


『先程から見ていると、云い掛かりも甚だしいのでは無いかしら?』


 こちらを見るナブーの目は細められ、こちらが何を云っているか理解が出来ていない様に見えた。


『取り敢えず、それを片付けてください。それとも、そんな者に頼らなければ、金持ちの方々は貧困区域をまともに歩く事すら出来無いのかしら?』

『な、な……何だと! このナブー様に逆らうとは死にたいらしいのである!』

『ふぅん。このパール様に逆らうとは、死にたいのかしら?』

『ぬぬっ?……パール、どこかで聞いた様な』


 それはそうだろう、聞いた事が無いなど有り得ない。鍔を掴んで帽子を取り、ナブーに向かって云う。


『〈ボロネーゼ〉ファミリー当主の娘、パール・ボロネーゼに逆らうのかしら?』

『な、何故、この様な場所に』

『逆らう気がないなら今直ぐ消えてください』


 ナブーは茹でダコの様に真っ赤な顔を怒りで歪ませて踵を返す。群衆に対して『何を見ているのか!』と喚き散らして貧困区域から足早に離れていった。群衆は歓声を上げた後、撃たれて倒れている男の手当てに移る。金持ちですら恐れる存在、〈ボロネーゼ〉ファミリーの威を借りれば容易い事だった──



 ──それから1年が過ぎた頃、事件は起きる。

 ナブーの買い付けた積み荷を運んでいた車が市内で事故を起こした事が切っ掛けだった。

 街のメインストリートを走っていた車が貧困区域の男性と接触事故を起こした。幸いにして男性は軽症だったらしい。運転手は男性を避ける為にハンドルを切り、街路樹へぶつかった。その際にナブーが遠方から仕入れた調度品の壺が割れたのだ。

 駆け付けたナブーは怒り狂い、運転手と被害者の男性をその場で射殺した。その事件の顛末は〈ボロネーゼ〉市内にあっという間に広がった。


「もう勘弁ならねぇ。金持ちの奴等の振る舞いにはうんざりだ!」


 貧困区域の広場で一人の男が吠える。彼はナブーに殺された男の弟だと云った。そして彼は拳を振り上げて宣言する。


「この街は金持ちだけのものじゃねぇ! 奴等をこの街から追い出そう!」


 その言葉を皮切りにして、貧困区域での抵抗活動が始まった。その日の内に抵抗組織が作られ、区域の中でも腕に自信のある者を中心に40名程集まった。

 その情報はパイソンから伝えられた。彼はまだ15歳と云う事もあって、組織への加入を認められ無かった事を悔しがっていた。それでも、貧困区域が立ち上がったと云う事実は彼を興奮させるのに十分な物だった様で、熱を帯びた説明をしてくれた。

 パールは貧困区域に結成された抵抗組織のアジトに来ていた。と云うのも、パイソンからの説明の中であった話が切っ掛けであった。

 抵抗組織からマフィア側の動きを知らせて欲しいと懇願されたのである。パールは貧困区域の人間では無かったが、彼等から仲間として認めていたと云う事だろう。自分自身もこの街の状況を改善したいと願う人間の1人であった為、彼等への助力は精力的に行おうと思っていた。

 組織のリーダー格である男が云う。


「仲間を売る事になるんだ。嫌だったら断ってくれて構わないぜ。但し、この事はここ以外では他言無用だ」

「嫌だなんて事はありません。私もまた、この街の現状に不満がある人間ですから」

「ありがてぇ」

「それで、私は何をすれば良いのかしら?」

「まずは直近の定例会合の日時が知りたい」

「調べておきましょう。他には?」

「潜入に使えそうな入り口を知りたい」

「屋敷には3つの入り口があります。他に使えそうな物が無いかは調べます。他は?」

「当日の水先案内人を頼みたい」


 男は申し訳無いと云う表情で云った。彼が云っている事は、火中の栗を拾えと云う様な物だ。それを高々14歳の子ども、それも華奢な女子に頼む事が自尊心を傷付けるのだろう。


「拝承しました。では、調べがついたらまた来ます」



 翌日、パールは再び抵抗組織のアジトへと足を運んだ。そしてリーダー格の男に告げる。


「明後日に、屋敷で貴族との定例会合があります。市内の富豪は全て集まるでしょう」


 抵抗組織の皆はこちらの言葉を真剣な面持ちで聞いている。パールは今回の行動で、父を含めたファミリーの掌握を主目的に据えていた。一度破壊し尽くす必要があると考えた為だ。

 それは、父が抱えるマフィア間抗争などを度外視した稚拙な考えであった。


「前回も話した様に、屋敷の入り口は4つあります。その内の3つは当日の会合中に閉鎖されますが、1つは開いているはずです。その入り口が今回の潜入経路の起点となると考えてください」


 屋敷の入り口の内、閉鎖される部分は表向きに出入り口とされている所だ。残りの1つはパールが幼少の頃に見付けた物であり、下水道から屋敷の地下に至る道だ。元々点検用の通路とされており、ファミリーの構成員はおろか、使用人ですら知る者は少ない。パールは今回の協力者を思い出す。それはここに集まっている貧困区域の人々では無く、〈ボロネーゼ〉ファミリーに仕える使用人の妙齢の女性である。


「今回の件にファミリーから1人、協力を申し出てくれた人がいます。当日は私と彼女がそれぞれ先導しますので、編成を予め検討しておいてください」


 使用人の女性はオルネライラと云う。幼少の頃から母親代わりに接してくれた、心を許せる数少ない人物である。彼女はこちらの話を聞いた当初、とても困惑した表情で言葉を無くしていた。後日になり彼女から協力の申し出があったのは、つい先日の事だ。彼女は次期当主に従う事が自分の役目だと云っていた。


「パールさん、その人は信頼出来るんですか?」

「ファミリーの中で最も信頼している人です。安心してください」

「そうは云ってもなぁ……」


 無理も無いだろう。彼女と自分は付き合いも長く、信頼関係があると断言出来る。しかし、ここの皆にはその様な繋がりが無い。ただ、パール1人で道案内をするよりは、彼女の助力を受けて挟撃なり、退路の確保なりを行った方が効率が良いだろう。


「彼女は屋敷の使用人ですので、1日の人の出入りなどを把握出来ています。彼女が居るのと居ないでは、作戦の成功確率に大きな差が出るのでは無いかしら?」


 人々はヒソヒソとざわつき、やがて普通に意見の交換を始めた。その内容は「やめておこう」や「信用出来ない」であったりしたが、「心強い」や「パールさんを信じよう」と云う物もあった。暫くして落ち着きを取り戻した構成員達の内、リーダー格の男が云う。


「パールさんを信じるぜ。その人の協力も有り難く受けようじゃあないか」


 当日の集合場所を伝え、その日は解散となった。



 潜入日当日の夕暮れ時、屋敷の裏山に集合した抵抗組織の構成員は40人を数える。彼らの前に立つのはパールと、オルネライラだ。先ずは皆に彼女を紹介する。


「彼女が別動隊を率いてくれる屋敷の使用人、オルネライラです。予定通り2つのチームに分かれてください」

「お初にお目に掛かります。紹介に預かりましたオルネライラと申します。ライラとお呼びください。お嬢様のご意向と、皆様の意志を尊重する次第です」


 オルネライラは綺麗な顔立ちの女性である。恭しく頭を下げた彼女に、仲間達の中から感嘆の吐息が漏れるのを聞く。彼女と一回り近く離れている自分は、彼等からすれば子どもの域を出ないのだろう。それは女として少々不服ではあった。


 屋敷へ通じる下水道は酷いカビの臭いが充満していた。暗闇を照らすのは手にしたランタンの小さな灯りだけだ。靴音がコツコツと響く道を抜けると、屋敷の庭先に出た。

 そこからオルネライラと分かれて、会合が行われている大広間の裏口を目指す。彼女達か広間の入り口から入り、こちらが裏手から入る。電光石火で中の人々を掌握する作戦だ。


 広間の裏口に着き、扉越しに中の様子を探る。聞こえて来るのは談笑の声だ。この声が悲鳴や怒号に変わる瞬間を待つ。しかし、それから数分が経っても談笑は続いていた。


「……パールさん。あっちの部隊、遅過ぎやしないか?」

「そうですね。もう配置には付いていても良い頃合いですけど、何かトラブルでもあったのかしら?」


 その言葉に、一同の顔に緊張の色が濃くなる。パール自身も緊張で鼓動が速くなるのを感じた。今日の作戦は屋敷の人間には、オルネライラを除いて伝えていない。こちらの動きは把握されていないはずだった。

 それから、10分以上経過しても、広間の談笑が止む事は無かった──



 記憶の回想はドアのノックで中断された。ベッドから起き上がりドアを開ける。そこには、鼻から口元までを大きく覆うマスクをした使用人が立っていた。


「こんな時間に何の用かしら、オルネライラ?」

「はい。今しがた富豪の1人が屋敷に来まして、お嬢様へお目通りを願いたいと」


 マフィアの当主に取り入ろうとする富豪は少なく無い。しかし、夜も9時を回ったこの時間にやってくる者などは居ない。どう云う世間知らずか見てみたい欲求に駆られる。


「お引き取り願いましょうか?」

「いえ、どんな方か見てみたいので案内してくれるかしら? ただそうですね。あの部屋を使いましょう」

「承知しました。ではそこまで案内して来ますので、お嬢様はお先に向かわれますよう」


 そこは窓の無い鬱蒼とした雰囲気の部屋だ。客人を招き入れるには相応しくない。ここはパールの私室の1つであり、ある目的の為に用意された場所である。


「失礼します」


 ノックと共に部屋に入って来たオルネライラは、男を連れていた。その男には見覚えがある。先日のショッピングモール近くで揉め事を起こした人物だ。男は部屋を見るなり云う。


「パール様のご趣味に口を出すつもりはありませんが、穏やかでは無い部屋ですね」

「そうかしら? 私は結構気に入ってますのよ?」


 オルネライラは部屋の扉を閉め、男を前へ押し出す。男はその扱いに気分を害したのだろう。


「使用人の分際で何をする!」


 睨み付ける男に対し、オルネライラは気にする様子も無く扉の鍵を掛ける。静かな部屋に施錠の音が響く。


「この部屋、防音も十分な作りですし」

「……防音?」


 聞き返す男に向かい、壁に幾つも飾られているナイフの1つを手に取り投げ付ける。短い悲鳴を上げた男は驚愕に目を開く。


「貴方、先日街で騒ぎを起こした人ですよね?」

「そ、そうです。覚えていてくださり光栄です」

「忘れる訳無いじゃありませんか」


 もう1つナイフを手に取り投げ付ける。ナイフは男の足に突き刺さる。悲鳴が部屋に響く。その様子に冷たい感情が頭に広がる。思わず笑いが溢れ、男に告げてやる。


「だって私、貴方の様な富豪が大嫌いなんですから」

「な、何のつもりですか! お止めください、お止めください!」

「貴方は貧困区域の人間が、今の貴方の様に制止を求めて来た時、止めるのかしら?」


 再びナイフを投げ付ける。今度は肩に刺さった。悲鳴が再び上がる。

 ナイフ自体は刃渡りの短い物で、どこに刺さろうが死に至る事は無いだろう。

 この部屋は、私刑部屋と呼んでいた。自身の描く理想に対し、障害となるだろう者──つまり横柄な富豪──を矯正する為に使っている。


「お父上に云い付けます! この様な扱いは不当だ!」

「自らの場合のみ、正当さを訴えるその心……」


 ナイフが刺さった足の別の箇所に次の1投を決める。


「それを挫いて私はこの街を再生させるのです」


 それから深夜に至るまで延々と罰を与え続けた。男は最後に気絶した。結局男が何をしに来たのかたど、判らず終いだったが何1つ興味が無い。

 オルネライラがその男を別の使用人に運ばせているのを見送った後、部屋へと戻りベッドに身を投げる。


 オルネライラは気絶した男を部下に任せ、宛がわれた部屋に戻っていた。自身は住み込みの使用人であり、パール専属である。

 部屋に備え付いている鏡に映る顔を見る。そして5年前の日を思い返す。


 ──パール達と分かれて、自分が先頭を歩き、屋敷の庭を進んで行く。同行者達の会話が耳に入ってくる。


「いいのか、ヴァサリオ。お前の家は子どもがまだ小さいだろう。それなのにこんな危険な所に来て」

「良いんですよ。メリーニは妻がちゃんと見てくれています」

「それでも無理して来る事も無かっただろうに」

「無理なんてしてませんよ。それに死ぬつもりもありません」


 そう話す男は優しそうな顔をしており、体つきも細く頼りない。そんな彼でさえ、現状の改善の為に命を掛けている。

 オルネライラとしては、パールの意向が彼等の手伝いと云うだけでしか無かった今回の件だが、多少は頑張ってやりたいと思えた。


 この時間、見回りの者は屋敷に居ないと云う事は下調べ済みであった。その為、会合の行われている母家の前までは何事も無く進んだ。 

 慎重に進んで行く中、突如銃声が響いた。その音に振り返ると、男達が云い合っている。


「ヴァサリオ何やってんだ!」

「う、後ろから追われています!」

「バレたって事かよ!」


 銃声を聞き付けて母家の脇の小屋から、ファミリーの人間が出て来る。それも数人では無く、こちらの人数を上回る勢いだ。その中の1人がこちらを指差し云う。


「おい、オルネライラ。そいつ等は何だ?」

「……」

「身形から云って、富豪じゃあ無さそうだが?」

「……」

「お嬢様のお気に入りだからってシカト決め込むってのはどうなんだ? あん?」


 やり取りに割って入る様に銃声が響く。銃を撃ったのはヴァサリオだ。彼は冷静な表情で云う。


「すみませんね。本当に」

「……ヴァサリオ?」


 ヴァサリオに話し掛けた男が力無く崩れる。彼の撃った銃が胸を貫いた為だ。ファミリーの男が笑う。


「そいつ等が何者かなんて、とっくに知ってたけどな?」


 そう云って拳銃の引き金を引く。銃声が花火の様に鳴り響き、火薬の臭いが周囲に充満する。

 周囲には横たわる抵抗組織の人々と、その中で唯一立っていたヴァサリオであった。彼は銃を懐に仕舞った後に話し出す。


「これで相応の待遇で迎えられるんですよね?」

「ああ。そう云う話だからな」


 ヴァサリオはこちらを見て申し訳なさそうな表情で云う。


「我が子には幸せになって欲しいのが親の性と云う物です。その為なら悪魔にだって身を売るんですよ」

「ふん、悪魔とは云いやがる」


 そう云って笑うファミリーの男は、一頻り笑った後に、こちらへと告げる。


「オルネライラ、お前の処分は追って伝える。殺しはしないさ。お嬢様が何を云うか判ったもんじゃないからな」


 何も云えず、男を見送る。その後を付いて行くヴァサリオがこちらに振り向き云った。


「オルネライラさん、これから宜しくお願いします」


 横たわる亡骸の中、立っているのはオルネライラだけになった──


 先程の富豪の件で、多少気が晴れた気がする。

 しかし、自分がやった事は、金持ちが貧困区域の人々にやっている行為と同じ様な物だ。気は晴れたが、自己嫌悪が代わりにやって来る。

 自分は何をやっているのだろう。この街を変える等と大口を叩いているにも関わらず、やっている事は安全圏からの私刑でしか無い。

 私刑の目的は只の憂さ晴らしでは無い。自分が決めた敵に対しての甘さと優しさを殺す訓練で始めた。5年前の様な甘さを捨てる為に、必要であれば身内でも容赦無く切り捨てる覚悟を得る必要があるのだ。あの頃の記憶が甦る。


 ──いくら待てどもオルネライラ達の合流の気配は無かった。抵抗組織の仲間達もざわつき始める。ここは一旦引いて、オルネライラ達と合流しよう。そう思った矢先であった。


「こんな所で何をされているのですかお嬢様?」


 声の主はパールの良く知るファミリーの1人だ。彼の後ろには複数の男達が控えている。

 彼は驚く様子も見せずに告げる。


「侵入者がお嬢様を拉致しようとしているぞ。排除しろ」


 銃声は雷の様に響き、薬莢の落下は窓に当たる雹の様に音を鳴らす。抵抗組織の仲間達は、呻き倒れて行く。ファミリーに向かい拳銃を構えると、それを見た男は云う。


「おや? 何の真似ですかね。もうそこで寝転がっている有象無象は助かりませんよ」

「それでも、事を成す必要があります」

「困りましたね。お嬢様には貧困区域の住人に無理強いされている必要がありますから」


 男は言葉とは裏腹に、何1つ困っていない様子で云う。


「今頃、オルネライラの拘束も済んでいるでしょう。彼女がこの先どうなるかは、お嬢様の誠意次第なんですよ?」

「ライラが? ……貴方達、最初から知っていたのかしら?」

「ええ。内通者が居ましたので。少しは気が晴れましたか?」

「……」

「お嬢様、老婆心ながら云わせて貰いますが、人を簡単に信用せん事です。特にこの街の人間はね。金の欲しさに平気で身内を売りますから。まぁ、良い勉強になったでしょう。この者どもは、本来死ぬ事も無かったでしょう。我々は悪側の人間です。だから、これらを排除する事に胸を痛める事もありません。しかし、希望をチラつかせて、戦場へ煽動する事もまた悪側の人間の所業ですよ」


 その言葉と通路の光景が胃の中の物を押し上げる。吐瀉物と涙にまみれて嗚咽を漏らす。悔しさと申し訳なさ、そして自分に対する激しい怒りが込み上げる。


「ここで私を怒りに任せて殺すのも1つの正解ですよ。しかし、そうなった場合、オルネライラにも罰を与えた上で同行して貰いますがね」

「……」

「市政的は高くない勉強料ですので、そこまでのお叱りも有りますまい。良いですかお嬢様、あなたの稚拙な考えによって出た犠牲なんですよ。今後は考えを改めたられますよう」


 男の目は蔑むでも、憐れむでも無くこちらを只見つめるだけだ。男は部下達に向かい「お連れしろ」と命令する。

 パールはその日、自分の甘さを知った。そして人間の欲と云う物を知った。オルネライラとはそれから1週間会う事は無かった──



 父に謝罪すると、こちらが怪我をして無くて良かったと笑っていたのを今でも覚えている。

 また、あの時の内通者であるヴァサリオはファミリーの中でも中堅として働いている。

 そして、オルネライラは命こそ奪われ無かったが、罰として顔に焼いた鉄の棒を押し当てられたと云う。その傷は治る事は無く、彼女は大きなマスクでそれを隠す様に生活している。

 あの日以来、貧困区域へ顔は出していない。彼等の家族に会わせる顔が無い。もし、それが叶うとするのであれば、それはきっと抵抗組織の仲間と見た大願を果たした時だろう。


 この街は相変わらず金持ちが貧民を虐げる。変革の意志はあの頃から変わってはいない。ただし、どうにかなるだろう、と云う稚拙な考えは無くなっていた。

伏線の貼り方、難しいですね。


上手く機能しているでしょうか。

「そうなるのか!」なんて、読者の皆さんに思ってもらえれば幸せですね。


10万文字と云う掲げた目標は、ここに来て非常に高い物だなぁと感じました。

その縛りから開放されれば、もう少しテンポアップ出来るかも知れません。

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