女の子を助けました!!
こんにちわ。
初めましての方は初めまして。
大賞応募を目指して執筆しているオリジナル作品となります。
群像劇になる様に書いております。
まずは第一部(10万文字)を完了させる為に書ききります。
割りと面白いと感じていただければ幸甚です。
◆
──大平洋 洋上 快晴 昼──
轟々と甲板を揺らすエンジン音と、波を割って行く飛沫の音が響くクルーザーの上で、サングラスを掛けた少女は旅先での事を思い返していた。
先日まで滞在していた都市、ホンコでは自身のお眼鏡に敵うモノは存在し無かった。何処かに自身の琴線に触れるモノは無いのだろうか、そもそも夢物語なのだろうか、いっそのこと父の云う通りにするべきなのか。
溜め息と共に紫煙を吐き出す。少女の手の中で煙を燻らせる物はトスカーノ・バニラ、母国ナガグツではポピュラーな葉巻である。
少女、エムエル・トラパネーゼはうっくつとした気分で空を見上げると、群れを成して翔ぶカモメを睨む。
(ピィピィ五月蝿ぇ鳥だなぁ。オーブンにブチ込んで食ってやろうか)
エムエルはシルク仕立てのスーツの内側に手を入れ得物を掴み取り出した。
──トカレフTTー33──
エムエルのお気に入りである。その銃口を上空へ向け引き金を引く。火薬が弾ける音が銃声となって洋上に響き渡った。上空を飛んでいたカモメ達は、音に驚き飛び去って行く。エムエルは火薬の香りと潮の香りを嗅ぐと飛び立ったカモメを目で追ってから呟いた。
『いい加減見つかってくれると良いんだけどな』
『……銃声がしましたが、どうしました?』
船内へのドアを開いて出てきた男がこちらに向かって云う。男もまたエムエルと同じく、スーツにサングラスを身に付けている。これは自分達なりの正装である。エムエルは煩わしく感じながらも男へ返事をする。
『ピィピィ五月蝿ぇ鳥野郎を追っ払っただけさ』
そう云ってトスカーノの紫煙を船首へと吐く。煙は風に流され、直ぐに視界から消えて行った。エムエルは進行方向、目的地であるジャポンの未だ見ぬ土地に期待を膨らませていた。
◆
──ジャポン 都内 快晴 朝──
退屈な国だ。
それがエムエルの抱いた率直なジャポンと云う国に対する感想だ。
ジャポンへの密入国から既に3日経過していた。ジャポンに来て思った事は、すれ違う人々が全て平和に惚けていて、ギラついた奴が全く居ないと云う事だ。
エムエルは今、ジャポンの首都トキオにある都市の1つシンジュにいた。シンジュは海外旅行者に人気のジャポン有数の大都会である。
(こりゃあそもそも選択ミスしちまったか)
エムエルは自動販売機でコーヒーを買い、次の目的地を考えようとする。
すると、突然男が話し掛けて来た。男は何やら話しているのだが、生憎とエムエルにはジャポン語は判らない。
相手にする事もせずに下を向き無視を続けていると、男が何かを叫び出した。エムエルが煩わしくなって顔を上げると、そこには顔を茹でダコの様に赤くした男が何かを叫んでいる。
極東の国ジャポン、平和ボケしたこの国にも悪の組織と云うものは存在する。観光客は、そう云った関係の人間には近付いてはならない。それは、世界中のどの国々でも共通する常識であり、その暗黙のルールを無視したら最後、良くて大怪我、最悪死亡が待っている。
ただ、この平和ボケした国ではちょっとしたルール無視であれば、いきなり大怪我と云う事も無いらしい。つくづく甘い不抜けた国であるとエムエルは思う。
(平和だから、こんな無意味な言葉だけの恫喝から始めるってのかねぇ?)
目の前に立つジャケットを着た強面の男は、骨を鳴らす様に首を回し、コキっと乾いた音が鳴る。
エムエルは男の姿を見て、得物の位置を確認する。見慣れたシルエットは確認できなかったが、男が蹴り付けている壁からは、コンクリートの破片が落ちている。ローファーに鉄板でも装着しているのだろう、そんな男に思わず溜息が出る。
『トカレフくらいチラつかせて恫喝しろってんだよ、この三下ぁ』
男からの返事は無い。それも当然で、エムエルが発した言葉はジャポン語では無く、母国ナガグツのものである。だがエムエル自身は気にも留めない、男に返事など期待していなかったし、三下の悪党などに興味も無かった。しかし、雰囲気は伝わったのだろう、男は上から覗き込むようにこちらを見下ろし、ジャポン語で何か云っている。忙しなく左右に振られる首は、威嚇のつもりなのだろうか、鳩の様に滑稽だとエムエルは笑った。一頻り笑うと、次に苛立ちが込み上げてくる。
『チッ……いい加減消えろっての』
やはりジャポンでも何も見つからないのだろう。エムエルの目に留まる様なものは存在しなかった。父からは「身内から」と言われていたが、生憎、人に決められて従う様な性分では無い。
面倒だなと首を回すと、路地を抜けた所にいた中々の色男と目が合った。
(おお、中々の色男じゃないか!)
少年はこちらに向かって駆け出して来る。彼は慣れた手つきで眼前の男に背後から黒い袋を被せる。少年はその隙にこちらの手を引き、一気に反対側の路地まで連れて行かれた。
少年は路地の隙間から先程の男を覗き見て、ジャポン語でこちらに優しい声音で話掛けて来る。
エムエルはそれがとても奇妙な行動に思えた。
やはりこの国は平和ボケをしている、とその様に思ったのだ。何故ならば、利害関係も無い人間に対して見返りも求めずに手を差し伸べるなど、母国では在り得ない。だから、少年に対して云ってやる。賞賛を込めて、煽り無しの言葉を。
すると彼はナガグツ国でも公用語の1つとなっているクイーン語で話して来た。
(へえ、ジャポン国の人間は鎖国的でグローバリズムには疎いと聞いていたけど……クイーン語を嗜む教養のある奴もいるのか)
エムエルは少年を観察する。それは値踏みだ。許容か非許容か、どれ程の価値があるのか、今判断して良いのかについても考える。
(見返りを求めて助けに来る奴は平和ボケしたジャポンにも居るかも知れない、しかしこいつは何も求めて来ない。なんてクールな奴だ!)
少年はスクールへ向かうと云う、こちらに背を向けて歩き出す。エムエルはそんな彼の後を追い、値踏みを続ける事にした。
(なるほど……仁義を通す色男か。これは当たりを引いたか? こいつを逃すと厄介だ。観光に来て小物に絡まれただけで終わってしまう、そんなことジョークにもなりゃしない)
すると少年は急に走り出し、スクールの中へと掛けて行ってしまう。その時、彼はジャポン語を呟いていた。
呟いた言葉を思い返す。
──「いとしきもの」──
ジャポン語は全く判らない。その言葉をしっかりと心に刻み、エムエルは少年の入って行ったスクールを見つめた。そして、スーツのポケットから携帯電話を取り出し電話を掛ける。
◆
──ジャポン 都内 快晴 朝──
20代半ば位の出で立ちの男は頭を抱えていた。男はグローバルファーストフードチェーン、エッグナルドの2階、喫煙ルームにいる。
男はシガーケースからトスカーノ・クラシコを取り出す。ケースからナイフを取り、それを使ってトスカーノを半分に切り、片方を咥え火を付ける。吹かすとケンタッキー葉の香りが心地良い。
ジャポンの気候は葉巻には悪く無い、湿気が多すぎる訳でも無く、乾燥しすぎている訳でも無いからだ。
「お嬢」のお目付役でジャポンへの観光に同行していたのだが、今朝方トイレに行って来ると行ったきり帰って来ない。
(元々お転婆でしたからねぇ。いざとなれば携帯で電話すれば済む話ではありますが)
溜息と共に紫煙を吐き出す。視線を感じ辺りを見やると、同室の数名が珍しそうにこちらを見ていた。彼らは目が合うと、気不味そうに視線を逸らす。
ジャポンの国民と云うのはどこか余所余所しいと感じる。周りを気にし過ぎていると云っても良い。男は手にした葉巻に視線を移し考える。
(トスカーノが珍しいからですかねぇ。それとも、私がジャポン人じゃ無いからですかねぇ)
1本目のトスカーノを消し、2本目を手に取った所で携帯電話が鳴り、画面の表示を見る。「お嬢」からの着信であった。迎えに来いとかそう云う話だろうか、と想像しながら電話にでる。
『ああ。アルテージか、今どこにいる?』
『今朝方のエッグナルドでお花畑から戻られるのを待っているとこですよ。お嬢』
『ジャポン語で「いとしきもの」と云うのはどういう意味だ?』
『愛おしい者と云う所でしょうか。一般的には使わないでしょうねぇ。ここぞと云う時の口説き文句。と云った所でありましょうか』
『こいつはクールだなっ! おいアルテージ、車両用意しな。後、船回せ』
『もうお帰りになられるんですか?』
『ああ、観光も終いだよ』
通話は突然切られる。
一方的な物言いに対し、アルテージに不満は特段無い。幼少の頃から相手をしているのだ。その程度で不満がある様ではまず心が持たないだろう。
2本目のトスカーノをシガーケースへ戻し席を立つ。アルテージはジャポンには何度も来た事があり、商売仲間も多く居る。その内の1人に連絡し、車両の手配を行うために店を後にした。
──ジャポン 都内 快晴 昼──
車両を借りる相手は、シンジュの隣の街であるフクロに店を構えていた。アルテージは店に入ると、主人に挨拶をし、頼んでおいた車両を確認する。
「アルテージさん! 久し振りだね、元気にしてたかい?」
「ああ、元気ですよ。それよりも連絡していた件ですが……」
「この車だよ。アルテージさん、こいつぁ良いもんだよっ、対物ライフル位の得物で無くっちゃあ穴も空かない合金製さ!」
「なるほど、試して良いか?」
「ああっと! マグナムも駄目だったわ!」
アルテージは意地悪をしてやろうとそう云うと、懐から拳銃を取り出す。
──コルト・パイソン──
対人に使うには余りに威力の高すぎる銃である。それを見た店の主人は慌てた様子で、顔を青くして云う。
主人から融通して貰った車両は黒いバンで、フルスモーク仕様になっている。
(まぁ多少は丈夫、と云った所にしておきましょうかねぇ)
「それと、カモフラージュシステム内蔵しといたぜ! これでバレやしないってもんだ」
主人は車両のダッシュボードを叩きながら「ダッシュボードにスイッチを付けてるぜ」と説明する。
「じゃあ店主、代金は置いておきますよ」
「まいど! またいつでも連絡くださいね」
そう云ってキーを渡してくる主人に手を振り、アルテージはエンジンを掛ける。そして、「お嬢」が待っていると云う場所まで車を飛ばした。
──ジャポン 都内 快晴 夕──
アルテージはバックミラーでバンの外にいる少女を見る。彼女は苛立ちも隠さず、寧ろ全面に、物理的に吐き出していた。その苛立ちは車内に響く打撃音となり、こちらの耳に届く。
半分に切れたトスカーノを咥え火を付けて吹かす。吐出された紫煙は車外に出る事が出来ずに車内を漂う。煙が充満する中、窓を開ける気にはなら無かった。何故ならば、苛つく「お嬢」には関わら無い。それが仲間内の常識だからだ。
その時、車を停めていた横の建物からメロディが鳴る。ジャポンのスクールが、その日のカリキュラムを終えた合図か何かだろう。メロディの余韻が残っている中、ドアが勢い良く開き「お嬢」が乗って来る。
『来たぜ、アレだ』
エムエルが云って指をさした先には男女3人のグループが見える。アルテージが「あの3人ですか?」と聞くと、「お嬢」は「そうだ」と短く答える。
アクセルを軽く踏み、彼らの後ろを見失わないギリギリの距離で追う。車通りが多く無い道で、徐行した車と云うのは中々に怪しいと考え、アルテージは店の主人の言葉を思い出す。ヤツは「カモフラージュシステム内蔵しといたぜ! これでバレやしないってもんだ」と云っていた。それならば、と多少のカモフラージュをして、目立た無くしようと、ダッシュボードの上に置いてあるスイッチを押す。
「た〜けや~、さおだけ~!」
すると大音量の音声が流れた。横を歩いている学生達も、先を行くターゲット達も振り返りこちらを向く。
(……畜生っ! あの野郎嵌めやがったな!)
『うおぃテメェ! アルテージっ! 何やってんだっての。風穴空けられたいってぇのか!?』
運転席のシートを蹴り付けるエムエルをルームミラー越しに見ると、鬼の様な形相のお嬢が映る。非常に不味い展開になっていると考え、取り敢えず適当に誤魔化すことにする。
『あ、いや! 違いますお嬢! これはジャポンじゃポピュラーなヤツでしてね! 全然目立たないっていいますか!?』
『滅茶苦茶見られてんじゃないか、このマヌケっ!』
『いや、ほら……ね?』
一瞬注目の的になった車両も今は興味の外にある様だ。咄嗟の嘘も、ジャポンでは正解だったのだろうと胸を撫で下ろす。後ろに座る彼女もそれ確認したのか納得行かない様子で『ジャポンは不思議な国だ……』と云って静かになる。
そのまま10分程進むと、ターゲットはビルの中へと入っていった。
◆
──ジャポン 都内 快晴 朝──
極東の国ジャポン、島国であるここは国境を地続きとする国同士の紛争と云った厄介事に巻き込まれ辛い。そのこともあって、ジャポンの国民は平和ボケしていると世界中から揶揄されていた。事実、世界中で起きる紛争やテロリズムに関しても、どこか映画の様な感覚で見てしまっている。しかし、平和ボケと云う事は決して蔑まされるばかりでは無い。都会に在って、築40年のボロアパートに母と二人暮らしである18歳の少年、能登・ジェスはそう考えていた。
ジェスは貧乏である。彼が身に付けている服は学ランだが、その下はシャツでは無くスウェットであり、上下セットで1000円と云う代物だ。
天井にはLEDの時代に逆らう様な裸電球、傘の回りにはアルミホイルの玉が幾つもぶら下がり、ジェスは哀愁のシャンデリアと呼んでいた。玄関の扉は木製で、覗き窓すら無い。先程まで包まれていた煎餅布団は、空気を全て吐き出した様に小さい。壁はベニヤ板で薄っぺらく、架かっているのは修学旅行先で買ったよく判らないタペストリーで、9月も過ぎているのにしまっていない五月人形もあった。
狭い部屋にそれだけの物で溢れていると小汚ないと思う。自分を含め誰も片付けをしていないからだろう。
(平和だから、こんなオンボロアパートの雑な鍵でも空き巣被害とか心配しないで良いんだよなぁ)
玄関扉の丸型ノブに空いた鍵穴に、簡素な鍵を入れて回す。コツっと軽い音を立て施錠が完了する。ジェスは扉を軽く引き、開かない事を確認する。扉は開きこそしなかったが、扉の下部からは、朽ちた木片が落ちてくる。小さい鼠であれば通り抜ける事が出来そうな穴を見つめ、押し寄せる悲壮感に堪らず溜息を吐く。
「いってきまーす」
扉に向かって挨拶するが返事は無い。それもそのはずで、一緒に暮らしている母親はまだ帰宅していない。彼女は所謂夜の蝶であり、外国人バーで働いていた。ジェス自身、純ジャポン人では無く、ミャン国人の血が入っているハーフだ。誰もいない扉に向かって挨拶する事は、せめてもの防犯程度に考えていた。
アパートの階段を下りると、錆だらけ乾いた金属が軽い音を鳴らす。夏休みを終えた今日、学校は新学期に入る。久しぶりの学友達との再開は楽しみだ。学校への道すがら自販機を見つめて歩く。ジェスは只管に貧乏である、自販機のチェックは欠かせない金策であった。
「チッ……誰か忘れろっての」
本日も収獲ゼロを記録する。夏休み中も暇があれば自販機のチェックを行っていたが、収穫は300円程だった。アルバイトは校則で禁止されており、当然、お小遣いなど貰える家庭では無い。唯一の収入源が自販機なのだ。次の自販機に目を向ける為に首を回すと、路地で女の子が柄の悪い男と云い争っているのが見えた。
(謝礼チャンス到来じゃないですか!)
自販機漁り以外にもジェスには金策がある。その一つが人助けである。――その結果に謝礼を貰う事を前提とした不純な動機によるものではあるが。ジェスは学ランのポケットから仕事道具を取り出す。人助けの神器の一つだ。
ジェスは女の子に向かってしつこく絡んでいる男へ素早く忍び寄り、背後から襲う。暗闇の練習曲、神速の秘技は相手を暗闇に誘う。
「早くこっちに!」
『ちょっと! えっ!?』
ジェスは少女の手を取り、走り出す。暗闇の練習曲の効果時間は短い、出来るだけ早くこの場を離れる必要がある。
急いで路地を離れ、交差点を渡る。そのまま別の路地に入り、黒服の男を影から見張る。男の怒号が響く、男は被されていたポリ袋を乱暴に剥ぎ取り叩き付ける。ジェス達を見失った男は壁を蹴り付け、通行人に当たり散らしながら去って行く。
「やぁ、危ない所だったね、お嬢さん」
少女はブロンズロングヘアで、高そうなサングラスを掛けていた。彼女は突然何を思ったのか、こちらを見て大笑いする。
【いやぁ、お前の方がもしかしたら危ない状況に陥る所だったのかも知れねぇのに、お前は馬鹿なのか勇敢なのか。こりゃ傑作だなぁ】
――ジェスには聞き覚えの無い言語で話し掛けられる。
ジェスはジャポン人では無い事を察し、母親から教わったクイーン語で話し掛ける事にした。
『あぁジャポンの人じゃないのね』
(つまりセレブって奴じゃないですか、今までに無い高額謝礼チャンスじゃないですか!)
ジェスは、少女の身なりをチェックする。服はどこのブランドか、煌びやかアクセサリはイミテーションで無いか、品定めをする鑑定士の様に真剣に見つめる。貧乏で服もアクセサリも全然持ってないジェスだが、ファンション誌やブランド情報誌は入念にチェックしているのだ。
対する少女もジェスを熱心に見つめてくる。ジェスの人助けの作法は謝礼を強要をせず、相手から謝礼をしたいと云い出す事を待つ事だ。これで今まで、お年寄りを中心に謝礼を頂いて来た。多くは今川焼きであったのだけれども。
(勝ちパターンはクールに去る。そして声が掛けられるのを待つ、だ)
『じゃあ僕は学校行かなきゃならないんで、気を付けてね』
ジェスはそう云うと、学校の方向に向かって歩き始める。決して振り返らず、何の見返りも求め無い聖者の様に。100m位歩いただろうか、ジェスはもどかしさを感じ始めていた。
(おかしい……謝礼無しなんですか? 外れを引いたとか? これで遅刻でもしたら最悪じゃないか。骨折り損のくたびれ儲けもいいとこだ)
実際の所、ジェスの経験では人助けをして謝礼を貰える確立は、自販機の小銭を見付ける事に比べ、圧倒的に低い。しかし、幻想的な報酬が手に入るのだ。――今までは今川焼きだったけれども。
そして今回もまた不発だったのだろうと、考えを切り替えようとするが上手く行かない。集中できない原因は直ぐ後ろの存在である。
(謝礼も出さないのに、何でこの人付いて来るんですか!? 怖いってこの人)
ジェスは怖くなって、学校の校門へと走る。「さらば小銭」と云い捨てて、校門を通り校舎へと入っていく。
ジェスが教室に入るや否や左手から声が掛かる。
「よぉジェス、久しぶりー」
「よぉ健二、久しぶり、ちょっと日焼けし過ぎじゃない?」
ジェスが健二と呼ぶ少年は茶色の頭髪に、餡パンの表面の様な焦げ茶色をした肌の持ち主だ。当然、頭髪の色は校則違反であったが、彼の場合に限って半ば黙認されていた。と云うのも、以前注意された時に「地毛だっての!」と反抗し、ご丁寧に染め上げた下の毛を披露する荒業を繰り出しクラスの担任(未婚三十路女子)を黙らせた事が大きい。その頃から、クラス担任は健二に甘くなった様に感じていた。
健二の顔を見ていると、彼はこちらを見て嘆息した。
「俺もジェス見たく地毛で茶髪とかならなぁ。毛染め代もバカになんねぇべ。マジ羨ましいっすわ」
「いっそ地毛《、、》に戻すってのも有りじゃない?」
「はぁっ!? いや、ねぇっしょねぇっしょっ! そんなことしたらトオシマ区の連中に舐められんべ。唯でさえアイツら最近、幅きかせてんだから。この前だって、1高にカチコミが来たんだってよ」
席から立ち上がり両手を広げて訴える健二、彼の云うトオシマ区とは、ジャポンの首都であるトキオの23区の1つだ。ジェス達の住むシンジュ区と隣接していて、区間抗争が近年加熱していた。抗争と云っても、学生間の喧嘩であり、重大な事件にまで発展はしていない。1高と云うのはシンジュ区立第一高等学校の事である。
健二はジェスを見上げ「それよりさ」とボールを投げる様に手首を捻る。
「今日久しぶりに行こーぜ。持って来てんだろ?」
ジェスはそれだけで何を意味したものか承知する。ジェスは「おっけぃ」と返すと、居ない事を祈りつつ窓際の席を見る。
(良かった……まだ来て無いな。ダーツって云うと絶対来るもんなアイツ)
「おやおやぁ~? 何やら楽しそうな話を、してるじゃあないか諸君っ! ワタシを混ぜない話は、コンソメを入れないコンソメスープより味気無いだろぉ」
「うわぁっ! マトイっち、急に来るなよ……」
カラカラと笑いながら云うマトイは、教室の入り口、つまりジェスの真後ろにいた。
黒髪のポニーテールが可愛らしい、伊達眼鏡を掛けた少女である。黙っていれば可愛い女子で通るのだが、喋り出すとこのザマだ。喋り方が特徴的であり、お世辞にも可愛い話し方では無い。
「ジェェス。行くんだろぅ? ダーツ。それならワタシも連れて行けぇ。で、今日のゲームとレートはぁ?」
「いつも通り、スタンダードクリケットの20ラウンド、点10だな。それで良いだろ、ジェス?」
そう云う健二は意地の悪い笑みを浮かべている。ジェスはそんな健二を半眼で見つめ「何でもいいよ」と云い捨てる。
「新学期早々負けそうになって落ち込んでるだろ〜お前?」
(健二のヤツ、マトイっちが来ると絶対自分は観客決め込むからなぁ)
「健二だったら楽勝なんだけどね」
「じゃあ今度勝負してやるって、今回は出費覚悟でマトイとやるしかないな」
3人は放課後、駅前の馴染みのダーツバーに向かう約束をし、それぞれの席に付く。ジェスは新学期早々出費がある事に溜め息を吐いたのだった。
──ジャポン 都内 快晴 夕──
下校のチャイムが鳴り響くと同時、健二とマトイがジェスの席へとやって来る。他の生徒達も一斉に立ち上がり、雑談を楽しんでいる者もいれば、教室を出ていく者もいた。
「行こーぜジェス」
「ジェェス、200戦110勝目を飾ってやろぅ! ハッハッハ」
ジェスは、鞄を手に席を立つ。学校からダーツバーまでは徒歩10分程で着く。急いで行かなければ、店が始まってからだと補導されるか、店側に指導が入ってしまう。そうなるとその場所で遊ぶ事が出来なくなる。
(今日こそは小遣い減らさないようにしたいけど、無理かなぁ)
横目でマトイを見る。ここの所、彼女との勝負は敗けが続いている。敗因としては、どうにも後半の集中力が持たないのだ。マトイとの勝負は集中力が先に切れた方が負けるチキンレース見たいな物だと考えている。
校門を出て3人並んで歩く。同じ様に校舎を出ていく人数はそれ程多くない。と云うのも、多くの生徒は部活で汗を流したり、委員会で知恵を出し合っている。ジェス達は所謂帰宅部であり、不健全な遊びで汗を流している部類になる。それでも青春は謳歌出来ているし何の問題も無い。
学校の脇を通る道を歩いている途中、「たけやさおだけ」の聞き慣れた音声が響く、ジェスは振り返って車を見る。健二も釣られて振り返り、誰と無く云う。
「Kトラじゃねーたけやさおだけって珍しくね? 初めて見たかも」
「そう云えばそうかも、黒のバンかぁ」
「て云うかぁ、音がぁメチャクチャデカく無いかぁ?」
「たしかに、ちょっとビックリしたね」
「あれじゃあ、廃品も全然積めなさそうだしな」
「バンだし中に入れるのかも。でもKトラの方が絶対効率良いよなぁ」
「そう云うもんかねぇー。まぁ行こうぜジェス」
駅ビルに着いた3人はダーツバーの入り口に立つ。外側からガラス越しにダーツゲームの筐体が見える〈ビーショット〉と云う名前のバーは、準備中と看板を掲げている。つまり、遊んで良い時間と云う訳だ。まずは健二がドアを開き挨拶する。
「ちわーす」
少し間を置いて返事が返ってくる。その声は呆れ半分、怒り半分と云った所で、つまり歓迎はされていない。
「準備中って書いてあったろうが、この不良ども」
返事はドアを入って左手のカウンターから聞こえる。白のワイシャツに黒のチョッキを着たドレッドヘアの男が面倒臭そうにしている。このバーのマスター兼バーテンだ。マスターは煙草を吹かしていた。
「まぁまぁマスター、店始まるまでには出ていくよぉ」
マトイはそう云ってダーツゲームの筐体の電源を慣れた手つきで入れる。大きめのサウンドが部屋に響く、それをBGMにしてマトイは鞄からダーツケースを取り出す。ピンク色で統一されたダーツを見るだけで彼女の物と判る。
「電気代もタダじゃねーんだぞ不良ども」
「出世払い出世払い」
健二はそう云うと、カウンターの椅子に腰掛ける。ジェスもマトイと同様、鞄からダーツケースを取り出す。銀色のシンプルなダーツだが、ジェスのお気に入りである。それを見て健二が云う。
「ジェス、まだそれ使うのかよ? そろそろ新しいの買えば?」
「金が勿体無いよ。それに困っても無いしね」
「ジェェス……私と健二がプレゼントした物だから一生使うって事かぁっ! 素晴らしい友情だなぁ。感無量だぞぉ」
マトイの云う通り、このダーツもケースも彼らからのプレゼントだ。今年の誕生日に貰ったのだ。勿論、宝物だと感じていたし、一生使っても良いかも知れないと考えていた。しかし、そう云う事を口にするのは恥ずかしい。
「んじゃあ、練習無しの本番って事で良いかねジェェス?」
「うん、始めよう」
マトイとの勝負は拮抗していた。お互いにミスをする事は無く、ナンバーの奪い合いだ。クローズさえしていない。
「判っちゃいたけど、お前らの勝負はいつもブルの奪い合いになるのな。それって面白いの? クローズさえしないってどうよ」
健二は呆れた様子で意見する。それもその筈で、スタンダードクリケットと云うのは名ばかりの椅子取りゲームと化した勝負は、ブルを取られたらブルに重ねて相殺するだけのゲームが続いている。勿論、プレイしているこちらとしても面白くは無いし疲れるだけだ。只、マトイだけはこれが非常に面白いのだと云う。
お互いのスコアは0のまま10投目、ジェスの順番である。
(ここらで集中力が限界なんだよなぁ。もうこれ無理だろうなぁ)
ジェスの投げたダーツはブルから外れた。マトイは、それを特に気にもせずブルへと当てる。ジェスはクローズされまいと再びブルを狙う。
20投目が終わる頃にはジェスは大差を付けられて完敗した。マトイとやるといつもこうなる。片付けを始めているマトイがドヤ顔で、こちらへ声を掛ける。
「集中力が切れたときが、日頃の研鑽の成果が出るのだよぉ。目を瞑ってでも当てれる位にならないとダメでしょぉ」
(自分だって百発百中じゃ無い癖によく云うよ……)
「そろそろ店開ける時間だから出てけよー」
そう告げるマスターに従い、ジェス達は店を出る。マスターに挨拶を済ませた健二が店を出て来て云う。
「最近、フクロの方で柄の悪ぃ奴等が幅聞かせてるらしい、って兄貴が云ってたぜ。トオシマ区は本当、どうなっちまったんだろうな。まぁ、二人ともき気ぃ付けて帰れよー」
ジェス達は別れ、それぞれの家路に就く。
◆
『どこに行ったんだ? おい、アルテージあそこは何だ』
「お嬢」の言葉にアルテージは車を建物のすぐ横に付ける。彼らが入っていった店について「お嬢」へ説明する。
『バーでありますね。それもカウンターがシッカリとある様な、ショットバーか何かでしょうか。こんな早くからやってるとは思えませんがね』
その説明に「お嬢」は上機嫌に笑う。
『そいつはクールだっ! スクール帰りにアルコールを呷るってかっ。最高だな!』
平和なジャポンにも不良少年達はいるんだな、と感心する。アルテージは助手席に置いていたジェラルミンケースを手に取り、ケースを開ける。ケースの中には、小瓶が数本と脱脂綿が数枚入っている。アルテージは「お嬢」に確認する。
『お嬢、本当にいいんですかね。ボスに叱られませんかね』
『何をビクビクしてんだっ! 情け無い声出してんじゃねぇよ!』
アルテージは肩を竦めてやり過ごす。アルテージとしては、「お嬢」のお目付け役での世界観光も悪くは無かったが、そろそろ母国の風が恋しい。トスカーノのストックもそろそろ尽きそうだ。ジャポンでも売っているには売っているが、どうせなら母国で買いたいものだ。
『ちょっと下見行って来ます』
アルテージは、そう言うと車から出る。一頻り歩いて周り、地形を確認する。駅前には人が多く、騒ぎを起こすと注目の的になるだろう。こんな平和ボケした国で捕まる様な失態をしてしまったら最後、母国の土地は踏めないだろう。最悪、破門になりかねない。そもそも母国ですら捕まった事の無い自分である、連続シャバ記録保持の為にもヘマは出来ない。
車まで戻って来た彼は、ターゲットが店から出てくる所に鉢合わせた。アルテージは車へと急ぎ足で戻り、「お嬢」へ云う。
『お嬢、来ました。始めます』
『……下手すんじゃねぇぞ』
アルテージ達の乗る車は、少年の後を付いて行く。少年が気怠そうにこちらの車を見る。駅前にはまだまだ人が多い。
(さて、どうしたものか……)
すると車のドアが内側から開かれる。アルテージが後ろを振り返ると、「お嬢」が外に出た所だった。
彼女は久し振りに会った友人を相手にする様に、気安く少年に近付いて思いきり抱きついた。すると、少年はそのまま白目を剥いて昏倒する。「お嬢」はまるで冗談を言い合っている様に笑いながら、少年をバンへと連れ込み、ドアを閉める。彼女はブロンズヘアを束ねていたシュシュを外し、アルテージへ云う。
『これにクロロホルムを染み込ませて置いたんだ。クールだろ? ……さぁて、帰ろうか』
アルテージがルームミラーで見た「お嬢」はとても満足そうな表情をしていた。眠っている少年に心の中で同情すると、車を走らせ船へと向かった。
◆
──ナガグツ 某所 快晴 朝──
長いテーブルがある部屋の椅子に座る2人の間には長い沈黙が沈黙があった。
アルテージはドアの前に直立不動の姿勢で立ち、その様子を見守る。
先日、遥か東の国であるジャポンから母国ナガグツまで連れて来た少年の件についての話し合いの場だ。
強面に無精髭の大柄な男は、我ら〈トラパネーゼ〉を取り仕切るボスだ。対する少女は今にも噛み付かんと云うばかりの形相で、ボスを睨み付けているエムエルである。彼女は痺れを切らしテーブルを叩く。
『だ、か、らっ! アタシが見初めた男なんだってのっ。そこらの芋野郎どもよりよっぽどクールなんだよっ!』
エムエルは手にしていたトスカーノを乱暴に灰皿に押し付け、少し間を置いて声のトーンを下げて続ける。
『大体もうガキじゃあ無いんだ、いつまでもパパの云う事ばかり聞いてられないね』
その表情にアルテージも複雑な気持ちになる。その反抗の証に、遥か海外まで旅をして来たのだ。
ボスは少女が何も続け無い事を察して口を開く。憤りをぶつけて来るエムエルとは対照的に、落ち着いた声だ。
『エムエル、お前は私の娘であると云う事の意味を判っていない。母さんもいなくなった今、我が一族は、私とお前だけだ。〈トラパネーゼ〉は私の曾祖父から続いているマフィア、お前の結婚と云うのは、一族の今後を考えて行わなければならん。……お前の気が晴れるかもと思い、海外観光には反対し無かったが、男を探し回っていたとは信じられん愚行だ』
エムエルは納得が行かない様子で反抗する。
『だからパパの紹介する芋野郎どもと一緒になれってかっ?』
『芋野郎では無い、お前の従兄弟だ。今は〈カチャトーラ〉で腕利きと云う話も聞く。向こうもこの件に関しては前向きに考えているらしいぞ』
『はっ! よりによってチキン集団〈カチャトーラ〉かっ! そんな奴等とネンゴロになって何になるってんだ。芋野郎より鶏野郎はお断りだっての』
ボスはアルテージを呼び、トスカーノに火を着けさせる。そして一口含み、ゆっくりと吐き出す。
『そうは云うが、ジャポンから連れてきた平和ボケの鳩野郎よりは何倍もマシだと誰もが考えるだろう。鳩野郎はこっちで処分しておいてやろう。もう諦めなさい』
エムエルは『そうかい』と云うと席を立ち、ボスの元へと近付いていく。そしてボスの前に立つと云い放つ。
『アイツはなぁ、アタシがジャポンマフィアに絡まれてた時に、礼も求めずに助けてくれたんだよ。その恩を仇で返すってのがうちら〈トラパネーゼ〉の信念って云うのかい?』
『見返りも求めずにマフィアと敵対する奴などいるものか』
『それがいたんだよっ! 平和ボケしてる鳩の中にはな!』
ボスは紫煙を吐き出し、エムエルを見て云う。
『なら、送り返す。命までは取らないでいてやろう。それでいいな?』
『そういう事云ってんじゃねぇだろ糞ジジイっ!』
エムエルはボスの胸ぐらを掴み、締め上げる。ボスはそれに動じる様子も無く云う。
『……どの道、腕も立たぬ奴じゃあマフィアはやれん』
『アイツはジャポンマフィアもあっと云う間に煙に巻く凄腕だ!』
『ワインの味も知らんガキにマフィアが勤まるか』
『アイツはスクールの帰りにショットバーに行く様なイカれた野郎だ!』
『口では幾らでも云える。この話は終わりだ。』
『だったら、アイツがマフィア潰す所見せてやるよ! それだけのタマなら文句無いだろ!』
『馬鹿馬鹿しい。やれるものならやって見ろ。1ヶ月だ、それだけ待ってやる。それが過ぎたら諦めろ』
『上等だっ! ……行くぞアルテージ』
声を掛けられたアルテージはボスへ一礼をし、ドアを開ける。そこにはジャポンから拉致して来た少年が、メイドに連れられて立っていた。
◆
──ナガグツ 某所 快晴 朝──
ジェスが目を覚ますと、見知らぬ天井が見えた。高い天井だ。学校の教室よりも高い、ジェスの自宅とは比べるまでも無い。
(それに、何ですかこのフカフカは……! 白くて体を包んでいる、布団の様な物)
「何ですかこのフカフカはっ!!」
「それは布団です。若」
クイーン語で急に話し掛けられる。それが布団だと云う事実に驚き、急に話し掛けられた事にも驚いてジェスはベッドから落ちる。ベッドから落ちたが痛みは無い。それもその筈で、布団以上にフカフカしたラグが敷き詰められていた。これは何か生き物なのだろうか、そう思いラグを撫でるが無機質な抵抗感を手に感じる。どうやらこれは床の上に敷かれた、異常にフカフカの只のラグの様だ。辺りを見回すと、彼の実家の5倍位の大きさの部屋にいた。どうにも落ち着かない感じが先程からする。
「ここはどこ? あなたは誰?」
記憶喪失の患者が云う様な台詞を吐いた。しかし、実際にここがどこかが不明であるし、目の前にいるメイド服を着た人物を見た事は無い。そのメイドは軽くお辞儀をした後に続ける。
「ここは〈トラパネーゼ〉ファミリーのお屋敷になります。そして私はメイドを勤めさせて頂いております、ベルコーレと申します。この度、お嬢様より、若の身の回りの世話をする様にと仰せつかりました」
全く状況を理解出来ないジェスは立ち上がる。どういう事だと抗議する為にだ。何やら|肌に当たる〈、、、、、〉ラグの綿がこそばゆい。その感覚に違和感を覚えて、首を曲げて体を見下ろす。
「小汚ねぇジャポンのネズミ野郎に、私の洗った布団が汚される何て堪ったもんじゃねぇぞ糞が、と云う事もあり僭越ながら、お体を拭かせて頂きました」
ベルコーレはニッコリと微笑みながら云う。ジェスは発言の内容が、彼女の表情と全く合わない事から自身のリスニング力が不足しているのかと考えてしまう。そして思春期の心に、羞恥心の波が押し寄せた。
「ちょっとっ! 意味判らないでしょ。大体その、トラパ何とかって何なんですか!?」
「我がナガグツ国で一番の都市であります」
(ナガグツだと!? いやいや、この間までジャポンにいたじゃないか)
夢か何かだろうと思いたいジェスだったが、薄々諦めている。こう云う事に限って夢では無い事ばかりなのは想像に容易い。では、何故ナガグツにいるのだろうか、ベルコーレに聞く。
「さて? アルテージに担がれた若を、お嬢様がこの屋敷に招き入れたと云う事しか存じません」
「さっきから云っている、その若、と云うのは何ですか?」
「お嬢様から、そう呼ぶように指示されております。それよりも、その粗悪品をさっさとしまわねぇと、葡萄宜しくもぎ取るぞ、と云いたくなってしまいます」
ベルコーレはそう云ってジェスの股間を指差す。彼女の発言は、ジェスのリスニング能力に問題が無いとすれば、非常に危険な事を云っている。
ジェスは短い悲鳴を挙げ、服を探す。
(ヤバいヤバいヤバい! 服も無い! ……このキャビネにも無い! こっちにも無い! くっそ、もう何なんだよ)
裸のまま部屋中を走り回るジェスを眺めていたベルコーレは、思い出した様に手を叩き云う。
「そういえば若の服は洗濯したので、ここにはありませんでした。少々お待ちを」
彼女はお辞儀の後、部屋を出て行き、30畳程の部屋はジェスだけになる。ジェスはここに来る前の事を思い出す。頭に浮かぶのは黒いバンとブロンズヘアの少女だ。彼女の髪はとても良い香りがしたと思う、甘いバニラの様な匂いだった。抱き締められてドキドキもした。しかし、覚えているのはそこまでであり、気が付いたらここにいた。
(確かあの子、登校中にチンピラに絡まれていたセレブだよなぁ……)
ジェスはナガグツ国まで観光旅行が謝礼なのかも知れない、と考えはじめる。助けた少女が身に付けていた服も装飾品も、セレブ御用達の品々ばかりだった。自分と歳がそれ程離れているとは思えない彼女が、そんな高級品を身に付けていると云う事は、それなりのお家の令嬢と思った。
しかし、金持ちがこれ程とは思っても見なかった。
天井には理解不能な位宝石で装飾されたシャンデリア、壁は大理石だろう。両開きの扉は木製で、細かい彫刻が沢山ある。先程まで包まれていたフカフカの布団は、空気で膨らましている様に大きく体積を持っていた。壁に架かっているのは鹿の首で、西洋甲冑もあった。
それだけの物で溢れているにも関わらず、下品さは無く小綺麗に纏まっている印象だ。先程の少女が片付けをしているからだろうか。
ジェスとしては海外旅行なんて初めてであったし、パスポートすら持って無かったのだ。
(ん、パスポートって無くても海外旅行出来るもんなのかな? ……ならパスポートって何の為にあるんだろ……)
そんな事を考えながら、裸で待つこと数分。扉を開けてベルコーレが入って来る。ベルコーレはジェスの前にしゃがみ、手にしていた着替えを床に並べる。ジェスは股間近くに来た彼女の頭の位置に気が気では無い。吐く息が当たりそうだ。
(こ、この……アングル は不味いでしょ!)
ベルコーレは、硬直したジェスの足を持ち上げパンツを履かせる。ジェスは堪らなくなって飛び退く。
「ちょっとたんまっ! 一人でやれるから! いいです!」
「承知しました。あ、そうでした。上着とズボンはクリーニングをしてありますが、インナーは穴だらけの酷い状態でしたので破棄しました。代わりに最高級シルクを使用したドレスシャツをお持ちしました」
「ええっ! あのスウェットまだまだ使えたでしょ!? 上下セット1000円なんて滅多に無いんだよ!?」
(んん、しかしこのシャツ、腕の通りが凄くいいなぁ)
ドレスシャツに袖を通しつつ、文句を云うジェスに対してベルコーレは、こちらを見つめ腕を組み頭を横に倒す。そして一呼吸の後云う。
「それは失礼しました。近々手配いたします。所でそのドレスシャツは、ジャポン通貨にして10万円となりますが、若用に誂えた物となりますので、売ってスウェットを購入されても構いませんよ?」
(……家賃3ヶ月分じゃないですか! セレブってすげぇな)
学ランを羽織り、着替えを終えたジェスはベルコーレに手招きされる。彼女は近くにあった箱を開けて黒光りするローファーを取り出す。
「若用のお履き物になります。以前の物はソールが無くなっておりましたので、破棄しました」
「でも、これもお高いんでしょう?」
「さて? 物事の価格には疎いものですから……ジャポン通貨にして30万円程でしょうか?」
「わぁ……」
「取り敢えずお履きになってください。お目覚めになられたことをお嬢様へお伝えしなければなりません」
ベルコーレに従いローファーを履くと驚く程サイズが合う。ジェスはベルコーレに聞く。
「あの……シャツも靴もピッタリ何ですけど」
「お目覚めになられる前に採寸を済ませております」
「……ですよねぇ」
最早プライバシーは失われたのだ。「ではこちらへ」と云うベルコーレの後に続いて部屋を出たジェスは、通路の長さに驚く。100メートルはあろう通路は、カーペットが敷かれており、壁には等間隔で高そうな絵画が飾られている。通路の幅も奥行き3メートルはある。扉はあまり無い事が各部屋の大きさを物語っている。
ベルコーレは突き当たりの扉の前で止まり「こちらの部屋にお嬢様がいらっしやいます」と告げる。扉の向こうからはクイーン語では無い言葉で言い合いをしている声が聞こえる。恐らくナガグツ語だろう、ジェスはベルコーレに聞く。
「なんか、取り込み中みたいだけど? 不味いんじゃ無いかな?」
ベルコーレは「そうですね」と頷き、「ナガグツ語はお判りになられますか?」と聞いて来る。
「いや、僕はジャポン語とクイーン語しか判らないよ」
「そうですか、なら私が通訳いたしましょう」
彼女は小振りな胸をトンと叩き、扉に耳を付ける。時に頷き、時に考える様子で話し始めた。
「だからパパの紹介する軟弱な人と一緒になれと?」
ベルコーレは扉に耳を当てたまま続ける。ジェスはそれが、中でのやり取りを翻訳してくれていると云う事を把握する。
「……お前の従兄弟で〈カチャトーラ〉の腕利きの男だ。……相手もその気である」
「……〈カチャトーラ〉は……ちょっと困ります……むむ……」
ベルコーレは難しい顔で続ける。内側から聞こえて来る声は結構白熱している様に聞こえるが、翻訳されているから今一つ緊張感を感じない。
「……そうは云うがジャポンのヘッポコ芋虫鳩野郎に比べれば月と鼈、地中海に今すぐ沈めてやるから覚悟しろ芋虫っ!」
ベルコーレはジェスを見上げて云う。急に流暢に喋り出した彼女と、その発言の内容に嫌な汗が流れるのを感じ「勘弁してくれ」と呟く。こちらの表情にベルコーレは満足気な笑みを浮かべ、翻訳を続ける。
「……あの方は私がジャポンマフィアに絡まれていた時に、何の見返りも求めず救ってくださったのです! ……そんな方に対するその仕打ちは〈トラパネーゼ〉の信念に反する物なのでは無いでしょうか!?」
ベルコーレは手を組み嘆願する様に、芝居じみて云う。ジェスはその発言の内容に汗が止まらない。
(これ、僕の事を話してるのか!? いや、見返りは求めていたんだけどね……)
「……見返りも求めずにマフィアと敵対する者はいない」
(ごもっとです……)
「……それがいたのです。……ああ、あれはまるで白馬の王子様の様でした」
(誇張が過ぎるよそれは!)
「……なら、大変遺憾ではあるが、命は見逃してやろう糞ネズミが!」
再びジェスを見つめて云うベルコーレにジェスは苦笑いする。ジェスとしては何故こんな事になっているのか問い詰めたい所である。
「……パパ、……そう云う話ではありません」
再び難しい表情で云うベルコーレ。
「……どの道貧弱なジャポンのガキにマフィアはやれん! 一昨日来やがれ!」
(何かベルコーレさん、僕を罵倒する時は凄く自然で、活き活きしてるなぁ。……って云うか、マフィアをやる? 何それ)
「……あのお方はジャポンマフィアをあっという間に煙に巻く戦闘のプロです!」
(いやいやいやっ! 戦闘のプロはゴミ袋なんて使わないからっ! そこ云って、そこ大事だからっ!)
「……酒の味も判らんガキにマフィアが務まるか」
(そうだ! そうだ!)
「……あのお方はスクール帰りにショットバーで酒樽を飲み干す酒豪です!」
(いやそれダーツバーだから、飲んでないし……)
「……お前がどれ程好いていても、それは所詮一方通行だっ! 身分相応を考えろ鳩野郎っ!」
(ベルコーレさん、恐いんですけど)
「……いいえ! 私と彼は…… 相思相愛、……彼は愛の言葉を去り際に云う程だったのだから」
ベルコーレは「うわぁ……引きますわぁ」と云わんばかりの表情でこちらを見て、「引きますわぁ……」と実際に口にする。根も葉もない話だと否定したいが、この話の流れでは信じて貰えそうに無い。陰鬱な気持ちが顔にも出ている事だろう。
「……だったらあの方がマフィアを潰すところをご覧いれましょう。それでしたら文句は無いでしょう?」
ジェスはその言葉を疑った。そもそも途中から胡散臭い訳に感じていたのだ。彼はベルコーレに向かって云う。
「……冗談でしょ?」
ベルコーレは立ち上がると扉から3歩離れ、こちらを向く。そして涼しげな顔で云う。
「さて? 私はまごころ込めて通訳しただけですので」
ベルコーレがそう云うと、扉が内側から勢いよく開かれる。ジェスの視界には、登校中に助けた時は少し雰囲気の違う少女が立っている。輝く様なブロンズヘアを靡かせ、風に甘いバニラの香りを乗せて、彼女は天使の様に微笑む。
「ご機嫌よう。自己紹介がまだでしたね。私はエムエル、この屋敷を統べるマフィア〈トラパネーゼ〉のボスの一人娘ですわっ。急にこの様な場所に連れてきてしまい申し訳ありませんっ!」
笑顔から一転、瞳に涙を溜めてエムエルは頭を下げる。髪が動く度に甘い女の子の臭いがする。ジェスはその可憐さに驚き「僕はジェスです!」と短く返すのが精一杯だった。エムエルの横に立つ男は目を丸くして、信じられ無い物を見た様な表情をしており、ジェスの横に立つベルコーレは胸の前で右手の拳をグッと引き寄せ「完璧に御座います」と呟いたのだった。