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愛し合う ・・・10年後の再会・・・

 信一が中学を卒業したのは昭和34年の春だった。信一は父と同じ帝国大で土木工学を学ぶ為に都立の進学校に入学した、その頃、亮子には大きな問題が起こっていたのだが、遠く離れた信一には知る術が無かったのである。

 その亮子の問題と言うのは、アイヌの血筋である事が文科省の方針にそぐわないと言う根本的な理由からなのだった。天野中佐の養子になり倭人の戸籍を持っている事が事実でもアイヌの血を根本的に否定しない亮子の姿は、どうしても認められないものだった。しかし、亮子の父に恩義の有る中佐は簡単には断念せず、せめて高等教育だけでもと条件付でも叶えて欲しいと嘆願したのであった。国府の最高機関が亮子の第二女学校への入学を許可する代わりに天野中佐の遠方への転属と寮生活の規律の強化を条件に付け加えられたのであった。


   ・・・・・・・・手紙・・・・・・・・

 拝啓、信一様へ如何お過ごしされているのでしょうか?私は女学校を卒業して旭川の高等女学校へ入学する事に成りました。お父様は札幌の学校を強く希望されたのですが、アイヌである私が倭人の優秀な学校に入学する事は国府が許す事が無いと拒否されました。どうしても高等教育を希望するのであれば旭川に有る第二高等女学校で寄宿舎で管理されての勉学であれば許されると言う事でした。私は信一さんの為にも勉学に励みたいと思い倭人の人々との寄宿舎生活を選んだのです。

 ただ寄宿舎は完全に密閉状態だそうです、外部との連絡は倭人の方々のみに年に数回だけ許される事だそうでアイヌの私には許されないとの事でした。ですから、お手紙も書けなくなり、また、信一さんからのお手紙も受け取れなくなるのです。この手紙が信一さんに送る最後の手紙になるかもしれないのです。

 信一様は希望通りの学校に進まれたとの事で喜んでおります。お体の方も元気でいらっしゃるとの事、信一さんなら希望の大学にも合格されてきっと立派な社会人に成られる事でしょう。早くそのお姿を一目でも拝見したく、これからの寄宿舎生活を頑張って行きたいと思います。

 これから、お手紙も拝見できなくなるのは少し寂しいですが、あと5年と思えば心も休まります。しかし、隠れ屋の桜は面倒見れなくなります。信一さんと離れて暮らすようになって3年ですが、あの桜の苗木は程よく生長しましたから、少しですがお花もつける様に成っているのです。まだまだ幼木の状態ではありますが、引き継いであのお屋敷に住まわれる方が育てて頂けるか心配です。

 実は中佐は九州の部隊に転属が急遽決まったのです。私の高等女学校入学の件で国府の偉い方と一悶着あった様なのです。ですから、中佐を頼る事も今後は難しくなるのだろうと考えています。これからは私の力で生きて行かねば成らないのです。こんなアイヌの娘を好いていてくれる信一さんがカムイの様に感じられるのは、それだけ私の心の中で信一さまが大きなものに成っている証拠なのです。もし望みが叶わなくても私は運命を恨んだりはしません。信一さんが私の心の中に存在する限り、私はその姿を大切にして生きて行こうと思っています。どうぞ無理なさらぬようお体に気おつけられてください。

 一目だけでも、お姿を拝見できる事を願いながらお別れの挨拶にしたいと思います。

                                                  敬具



 この手紙が最後に届いたのは信一が都立の高校に通い始めた頃だった。

「亮子・・」

 信一はアイヌの迫害に必死で耐える亮子の姿を思い浮かべては、自分が行くべき道を再度確認するのであった。

「5年ぐらい直ぐに過ぎるさ・・」

 その後、亮子からの手紙は一切届かなかった。女学校を卒業する5年が過ぎても亮子からは手紙が来なかった。そして、亮子が何処で暮らしているかも判らなくなってしまったのである。亮子が高等女学校に入学する頃に中佐の家族は遠い九州に配属になり一家共々に九州へ引っ越してしまった事は中佐の奥様が手紙で伝えてもらっていたのであるが亮子の身の振り方までは記されてはいなかったのである。

 信一は大学の3年生に成っていた、亮子の消息を絶たれてしまった信一は不安な毎日を過ごす以外に方法は無かったのである。それでも、諦めと言う心情は信一の心に入る余地が全く無かったのである。大学4年になり卒業が近づいてくると就職活動が始まるが信一は都内での就職活動を一切しなかった。北海道へ行く以外に進路を考えては居なかったのである。そして、年が明け卒業間近になると、アルバイトなどで貯めたお金を持って北海道に出発したのである。信一は高校時代から、この日の為に少しづつお金を貯めていたので可也の金額が貯金できていたのであった。

 年明け早々の北海道は真冬である。雪深い道を信一は昔に亮子と過ごした隠れ屋を目指して歩いていた。亮子の消息が少しでも判るだろうかと思ったのである。しかし、隠れ屋も桜の木も残っていたが邸宅の主は中佐との関係を表にしたくなさそうで亮子の消息も知るようではなかったのである。桜の木の背丈は既に普通の家の屋根ぐらいの高さまで成長していた。根元からすっぽりと雪に埋まっている桜の幹は未だ細く弱々しかったが、その冬を耐えしのぐ様が亮子の姿の様に見えて信一は心を痛めていた。

 その日、信一は札幌市内に宿を取って明日の予定を考えていた。明日は旭川へ行って亮子の通っていた女学校へ言ってみようと、ホテルの人に列車の時間などを尋ねていた。

 次の日の列車は6時発の旭川行きだった。札幌と旭川を結ぶ列車はかなり多く旭川地方の人口の多さを感じさせた。信一が旭川に着いたのは8時30分、そのまま学校へ向かえば取り次いでもらえる時間だった。旭川駅から亮子の通っていた女学校まではバスで10分ほどしか離れていなかった。

「ここが亮子の通っていた女学校かなんか歴史を感じさせる建物だな・・」

信一は重厚な造りの校門を潜って学校の方へ進んでいった。

「ちょっと待ちなさい・・」

正面の入り口付近から女性の甲高い声がした。

「女学校に無断で男子は入校できません」

信一は女学校である事を、すっかり忘れてしまっていた。

「すみません、でも人を探しているのです。先生にお会いできないでしょうか?」

信一の心は切実だった、何処に尋ねて行けば亮子の消息がつかめるのか見当が無かった。

「あら誰なのかしら・・」

顔を出した先生は大学を卒業して間もない、信一と同じ位の歳の女性だった。

「亮子って言うアイヌの女性なんです。」

若い先生は首を傾げて暫く考え込んでいたが、静かに返事を返した。

「アイヌの女性・・そう言えば初めてこの学校にアイヌの女性が入学したって他の先生から聞いた事がありますわ・・それは優秀で事実上では主席で卒業されたとか・・でもアイヌだから3番目ぐらいに格下げされたらしいけど・・」

信一の顔は一気に綻んで明るくなった。

「そうです、優秀です。僕は亮子の小学校の時の同級生なんです。」

「あなたもアイヌなの?」

「いえ・・僕は東京出身なんです。1年だけ転校で同級生だったのです。」

「そうなんですか・・それで・・」

「彼女の消息が分らなくなって・・困っているのです。」

「それは私にも分りかねますし・・知っている人は居ないと思います。」

信一の顔は俄かに掻き曇った。

「え・・どういう事で・・」

「それが卒業式の日に騒動があって、亮子さんは逃げる様に姿を消されたのです。」

「騒動って?」

「養父の陸軍中佐がお見えになって、亮子様の将来を先生と話された時のことなんです。」

「詳しく話してください。」

信一と歳が近いと言う親近感からか先生は親身になって話そうと心がけているようだった。

「卒業以前から将来を嘱望された亮子さんでしたから、陸軍中佐は各界のお知り合いを連れられていらしたのです。しかし、当の亮子さんは中佐が思う様な仕事に就く事を嫌って言い争いになって・・挙句に卒業式の途中で居なくなってしまわれたのです。」

信一も腑に落ちなかった、中佐の事を信頼していた筈の亮子であるのに何故か分らなかった。

「と言う事は・・中佐本人も知らないと言う事なんですか?」

「たぶんそうだと思います。この話は職員の間では有名で誰もが知っている事なんですが・・亮子さんの所在を知っている人は居ないと思います。」

信一には続ける言葉が思い浮かばなかった。ただ、路頭に迷ったさすらい人の様に彷徨い続けるしかなかった。

「そうですか・・ありがとうございました。」

信一は深々と頭を下げると静かに学校を後にした。

旭川駅に戻る道すがら信一は後の手がかりを考えてみた、そして、夏休みに行った叔母さんを思い出したのであった。信一は直ぐに登別行きの切符を購入して一番早い列車に乗ったのである。

 列車は正午発の札幌行き、乗り継ぎは6時発の上野行きの寝台列車だった。登別到着は夜の9時になる予定で、それから叔母さんの家に行くには余りに遅すぎる時間だった。しかし、信一は待て無かった、列車が登別に到着するや否や叔母さんの家に向けて走り出したのである。冬の北海道は夜になれば氷点下10度以下まで下がりちょっとした事で命の危険が待ち構えているのである。しかし、信一はそんな事を考える余裕など無かったのである。冷たい夜の道をひたすら走った信一の体は叔母さんの家に着く頃には冷え切っていた。それでも力を尽くして叔母さんの家のドアをたたいて呼び起こそうとしたのである。

「叔母さん・・僕です信一です・・起きてますか?」

暫くすると叔母は玄関に姿を現して信一を迎え入れたのである。いや信一でなくても叔母は迎え入れたであろうと思われた。この極寒の大地に放置されれば命が尽きるのを待つ他に無い事を一番知っている人だからである。

「信一くんかい・・・・早く入って暖まりなさい・・」

「叔母さん・・亮子が消息不明なんだ・・知らないかい・・」

信一の心は既に暴走していた、それだけ疲労を伴って叔母の家に辿り着いていたのである。

「判った・・早く入って暖まりなさい・・」

叔母も信一の事が心配で仕方がなかった。しかし、亮子の事は少しも心配はしていなかった。亮子の事を熟知している叔母にとっては亮子は既に自分よりも信頼できる人間に成長していると感じていたのである。

「まずは落ち着いて・・暖まる事が肝心よ・・」

「判りました・・」

やっと叔母の言葉が信一に届いたのであった。信一は弾んだ呼吸を整える様に静かに居間に上がって暖を取った。叔母の家にはストーブが無かった火鉢が一つあるだけで火は何時も継ぎ足していたのである。この頃の倭人の家でも殆どが薪で暖房をしていたのである。だから、火鉢は当然、囲炉裏のある家もまだまだ多く残っていた、鋳造式の大きな薪ストーブを使っているのは裕福な家庭に限定されていたし、ましてや暖炉となると邸宅に住む様なお金持ちの家以外は無かったのである。

「はらアッシを羽織んな・・暖まるぞ・・今、汁作ってやから・・」

叔母は台所へと消えていった。

一人残った信一は静かに火鉢の温かみを感じて亮子の顔を思い浮かべていた。しかし、写真が高価な時代だけに昔の少女だった亮子の顔しか知らない信一だった。

「熱いキノコ汁だ・・シカ肉もおまけしといたから・・あったまっぞー・・」

信一は叔母の出してくれたキノコ汁をゆっくり食べ始めた。

「この汁って・・昔食べた事がある・・亮子が作ってくれたのと同じ味だ・・」

叔母はちょっと威張った風体で答えた。

「わしゃ・・亮子の母親も同じだべ・・亮子に作り方教えたのもわしに決まっとる。」

信一は当然である事に感動した訳ではなかったが、亮子の作った汁に今始めて感動をおぼえていた。

「あの時、こうなる事を予感して亮子が僕に作ってくれたのか・・」

「あんたは10年経っても変わらんな・・馬鹿と言うか・・正直と言うか・・倭人の子供かね?」

「叔母さん・・褒めてくれてるの?」

叔母は少しあきれた顔になった。

「さあね・・」

「所でお前さんは亮子の消息を知りたくて、こんなに遅くわしの家に来たんじゃなかったか?」

「そうです・・」

「残念だの・・わしが知っとる筈が無かろう・・亮子が居なくなったのは中佐から身を隠す為じゃ・・身元がわかっとる叔母に行き先を教えれば直ぐに連れ戻されるじゃろ・・」

信一は妙に納得して叔母の話に聞き入っていた。

「たぶん北海道の温泉地で仲居の仕事をしとるか、漁師町で使われとるかじゃ・・わしは温泉の仲居が怪しいと思うがな・・」

「何処の温泉ですか?」

「北海道に温泉地は幾つ在る?・・2から30は有るじゃろ・・その中で仲居の仕事でと言う事になれば見つけるのが大変じゃ・・」

信一は激怒した顔で言い返していた。

「馬鹿にしてんですか?・・真剣に聞いているのに・・」

「あんたには・・冷静に物事を判断する心がまだ備わっていない様だ・・亮子の人となりを知っていれば亮子の行動に予測はつきそうな物じゃがな・・」

叔母の話し方は今まで通り穏やかで冷静だった。

「つまり・・亮子は僕が見つけてくれる事を信じて身を隠したと・・」

「大正解じゃ・・お前が始めに見つけ出さんとな・・亮子は他所に連れてかれるかも・・」

「ありがとう・・」

信一は席を立って登別の駅に向かう準備をしようとしていた。

「何もわかっとらんの・・それじゃ無理じゃ・・諦め・・」

「僕の気持ちも知らないで・・行かしてくれ・・」

「この寒空に出て行けば凍死する事は間違いない、つまりは亮子を探す事すらできない。お前は、明日の朝、わしの家で朝食を食べて朝一の列車で札幌に戻り仕事を見つけるんじゃ・・そうすれば札幌に勤務が出来るじゃろ・・それから亮子を探すんじゃ・・」

信一は叔母の言う事が正しいのは理解していたが、心が邪魔をして言う事が聞かないのだった。

しかし、直に自分の選択肢の中に叔母が言う段取りしかない事に気づくのであった。

「僕は・・亮子には勿体無い・・恥ずかしい・・」

「人は成長する様に出来ているんだ、初めから大人は居ないんだよ・・」

「ありがとう・・叔母さん・・」

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