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語りあい パート2・・もっと深くが始まる・・

 鯨を川に呼び込もうとする発想は想像の域を遥かに超えていたし、信一もその事に気づいてはいた。

「海の魚は、川の魚ではないの・・」

 亮子は信一の話を止めようとした。

「鯨は哺乳類だから魚ではなく動物なんだ・・」

 しかし、信一は社会見学での港で見た大きな鯨が印象的で脳裏に焼きついたままだった。

「海に居る生き物は海の神様が作られたのだから、カムイチップの様に川に帰っている魚が私たちの食料として神様が下さった物なのですもの・・」

「倭人は鯨が大好きなんだ・・」

 信一は自分の事を倭人と呼んだ、アイヌとは違う存在であると確信したのだろう。

 その後、亮子の話は暫らく続いた。

「アイヌは必要以上の食料は取らないの、全てはカムイの物であるからカムイがなさる様に私達も同じ様にするだけなの。」

「倭人は欲張りだから、沢山の食料を蓄えて戦争なんかに利用するのよ・・・」

「一つの目標が達成できれば、次の目標に向かって突き進む・・最後には誰が勝つのか考えないまま・・・そして、欲望に満ちた人間は山の頂の狭い所に犇めき合って行き場を失うのよ。」

「人は何時も同じ事を繰り返すだけなんだから・・私達の先祖は文字を持たずに本来の人間の姿で生存する事を選んだのですから・・私たち子孫はそれを最後まで守らなければ成らないのです。」

「口述伝承カムイユカラは私達の祖先がこの地にやって来た時から伝わるアイヌの生き方がつづられているの・・・私はそのカムイユカラの伝承者だから破る事は許されないの。」

 いきなり、信一は話を遮った。

「ちょっと待って・・亮子って倭人の学校に通ってるし・・・勉強もトップだよね・・」

 信一はものすごく疑問だった。

「私は何時でもアイヌの娘ですわ・・どんな時でも・・」

 亮子のアイヌの血が少しだけ見えたように感じられる信一だった。

「じゃあ・・亮子は日本人じゃないんだ・・」

「そうよ・・やっと判って貰ったのかも知れないわ。」

 信一の中では亮子は、亮子でしかなかった。

 亮子がアイヌでも倭人でも、それが信一の心を動かす物では在り得なかった。

「じゃ・・僕のお嫁さんになったら・・?」

「それは・・・」

 亮子は答える事は出来なかった。

 信一にはアイヌが日本社会の中で、どんな存在なのか知る事は難しかった。アイヌ民族が日本の歴史の中でどの様に変化して来たのか、それを教える者も存在しなかった。つまり、謂れの無い誹謗中傷だけがアイヌの存在を卑下した物にしてしまっているのが現状だった。

「僕は必ず亮子をお嫁さんにする。だから、絶対に待っていて欲しいんだ。」

 信一は素直に自分の心を打ち明けていた。

「だから・・アイヌの私は信ちゃんとは結婚は出来ないの・・」

「そんな事、誰が決めたんだ・・僕は絶対に亮子の傍を離れないから・・」

 信一は既に亮子が居ない未来を考えられなくなっていた。

 その問い掛けに対して、亮子は何も答えられなかった。

 そして、お互いの距離を近くに寄り添って、お互いの存在を確認している時間だけが流れた。

 チセの明り取りの窓からは次第に傾く夕日が差し込んでいた。

「信ちゃん、もう帰らなきゃ・・ご両親が心配なさるわ・・」

「もうそんな時間なんだ・・明日も合えるよね・・」

「ええ・・・明日も来てね・・信ちゃん・・・」

 信一はチセの玄関で手を振る亮子を見ながら帰途に着いた。 


 あくる朝は静かな雨が降っていた。雨音も無いほどの微細な雨だった、信一は母の朝食を済ませると傘も持たず亮子の隠れ屋に走り出した。

「亮子は・・・今日は早く来ているだろう・・・」

「おはよう・・亮・・・・」

 久しぶりに亮子の方が先に隠れ屋に来ていた。

「お早うございます。信一さん・・・」

 亮子は囲炉裏の前で膝を突いて深々と頭を下げて挨拶した。

 今日の衣装は何時もの和風な着物ではなかった、素朴さの中にも一つの芯がある伝統を感じさせる造りの衣装だった。

「亮子・・・今日の着物は始めて見るような・・それがアイヌの衣装なのか・・・」

「そうです・・これはアッシと呼ばれるアイヌの伝統の着物です・・今では儀式の時にしか着られる事は無くなりました。」

「今日はアイヌの儀式の日なんだ・・・」

 信一は何時もと雰囲気が違う亮子の衣装に目を凝らしていた。

「いいえ・・私は今日一日、ずっとアイヌの娘で居たいのです。」

「信ちゃんにアイヌの私を知っていて欲しいのです。そして、何時までも忘れないで欲しいのです。」

チセの中に静かな沈黙の時間だけが流れた。

 信一は亮子の心の中で何が起こっているのか推測すら出来ないで居た。

「僕・・・亮子がアイヌでも,もし妖怪でも、亮の居ない未来は存在しないんだ。」

 亮子は落ち着いて信一の傍に歩み寄り話しかけた。

「今は解らなくても、きっと大きくなったら解る様になると思うの・・・その時の為に私を見ておいて欲しいの・・・」

 信一は亮子に促されるままに奥の高床の間に着いて行った。それは三つ有る高床の部屋の一番奥の家族が就寝する為の部屋だった。亮子が信一に部屋に入るように促すと其処には既に一つの布団が敷かれていた。

「亮・・夕べは此処で泊まったのか・・」

 亮子は軽く頷いた。

「ええ・・夕べはアイヌの来客が有るからと言って此方で泊まりました・・・」

 家族の寝室は明り取りの窓が小さく薄暗かった。

「信ちゃん・・・お布団の方にいらして下さい・・」

 先に信一を寝床の方に進ませた。

 亮子はそれを確認すると部屋の入り口で立ち止まり信一に背を向けて立っていた。

「私を見て頂きたいのです。」

 亮子はそう言うと着物を一枚ずつ脱ぎ始めた。

 信一は突然の思いがけない亮子の行動に冷静では居られなかった。

「ちよっと・・どうしたんだ・・」

 信一は女の裸など母親以外に見た経験は無かった、ましてや自分が心を寄せる少女の裸など見れる筈もなかった。

「そんな事、しなくても・・いいんだ・・」

 亮子は少しも止めようとはしなかった。

 無言のまま一枚一枚と着物は脱ぎ捨てられて言った。最後の腰巻が床に落ちた時、亮子は静かに信一の方に向き直った。

「どうですか・・紛れも無い私の姿です。」

 亮子は静かに信一の方に歩み出した。

「じっくり見て下さい。」

 薄暗い寝室ではあるものの白い亮子の素肌ははっきりと見て取れた。

 その姿には妖艶な光を放つ粉が吹き付けられている様に信一の視野にホログラムの様に写った。

「見てるよ・・」

 信一は亮子の素肌を凝視し続けた。

 亮子の体は12歳には思えぬ程に女性らしく、肩の筋肉と脛の筋肉が少し発達している以外は滑らかでふくよかな曲線を描いていた。

「私は何時までも信一様の心の中に存在し続けます。」

 亮子は信一の寝床の傍に跪いて静かに信一の右手を持ち上げ自分の乳房に触れさせた。亮子の体温が信一の手のひらから伝わり二人の魂が一つに成って行く様に感じられるのだった。

「お母さんのより小さいけど暖かいね・・・」

 そのまま、亮子は信一の布団にもぐりこんで互いの体温を感じあった。

 そして、静かな時間が流れた、のだが亮子は突然起き上がった。

「信ちゃん・・・今日は少し遠い所まで行って見ましょう・・」

「お弁当を用意して置いたから・・」

 亮子は裸のまま囲炉裏のある居間の方へ消えていった。

「ちょっと・・待ってよ・・置いてきぼり・・」

 信一は急いで後を追いかけた。

 既に亮子はアイヌのアッシに身を包んだアイヌの少女に変身していた。しかし、先ほどの様な重量感のある物ではなく、軽快に野山を走り抜けられる様に丈は短く膝の上までしか無く足には布が巻きつけてあった。

「さ・・行きましょう・・」

 亮子はお弁当の包みを腰に巻きつけ、肩からは弓と弓矢を担いで手には槍を持っていた。

「それって・・狩人のつもり・・・」

「いいえ・・アイヌは何時もこの様な格好で狩をするのです。」

 早足で歩き続ける亮子の後を信一は必死で着いて行くのが精一杯だった。

 10キロぐらい進んだ頃だろうか辺りは既に鬱蒼とした森の中を進んでいた。この森には余り人が入らないようで静けさが異様に迫ってくる感覚を覚えた。

「アイヌはこの森でユクを採って来たの・・それを信ちゃんに見せてあげるから・・・」

 亮子は立ち止まって信一を木の陰に隠れさせた。既に獲物の見当が付いている様に静かに亮子は進みだした。森の静けさは妙に信一を刺激していた、獣が何処から来るのか気配すら判らなかった。

 ざざざ・・・

 熊笹の擦れる音がした。亮子は弓を構えて近づいていた。

 しゅー・・・・

 弓が風を切る音がしたと思うと笹薮の向こうで獣が暴れる音が聞こえた。

 亮子の放った弓矢は見事に獲物を捕らえていた。

「信ちゃん・・行きましょ・・小鹿を捕まえたわ・・」

 熊笹の中を歩いて行くと未だ生まれて間もない様な小鹿が倒れていた。

「さ・・・これを食べましょう・・・」

「え・・・?」

 信一は亮子の行動が理解できなかった。わざわざ小鹿を捕らえて信一に食べさせようとする、そんな事をしなくても食べる物は沢山有る筈なのであった。

「アイヌは鹿をユクと呼んで一番の食料としていたのよ・・」

 亮子は腰の小刀を取り出して鹿を手際良くさばき始めた。その手早さは残酷さを感じさせる以前に食料である為の生き物である事を理解させるに十分な演技だと感じられた。

「あのー・・僕も食べるの・・・」

 信一にしてみれば少し衝撃的な話で今一つ理解の外に現実が存在していた。しかし、何時も亮子の行動に本王的な理解をしていた信一には受入れ難いほどの衝撃ではなかった。

 亮子は細分された小鹿の肉は持ち易い様に木の枝に縛り肩に担いで歩き出した。

「内臓と頭は置いておくの・・後で熊か鷹がお掃除してくれるから・・」

 亮子の後を付いて行くと広い岩場に到着した。亮子は直に薪を集め火を起こして、取ったばかりの小鹿の肉を調理し始めた。

「なんか・・バーベキューの様だね・・」

 信一は空腹を感じ目の前で焼かれている小鹿の肉が何時ものバーベキューに見えているのだった。

 亮子は腰の包みを取り出して広げて見せた。

「今日のお弁当はアイヌが何時も狩の時に食べていた食事なのよ・・」

 亮子が取り出したのはお結びだった。それも、お米で作られているのでは無く稗や泡などの雑穀を炊いたものだった。

「はい、どうぞ・・」

 亮子は小鹿の肉を小刀で切り分け信一の分の笹の葉に包まれたお結びに添えて手渡した。

 開け放たれた岩場は見通しも良く、朝からの愚図ついた天気も少し良くなり、時折、強い日差しが照りつけるのであった。しかし、風は穏やかで清々しく小雨で蒸した森の匂いを運んで来ていた。

「いや・・小鹿をさばいている亮子を見た時はビックリしたけど・・これは最高の食事かな?」

 亮子は美味しそうに食べる信一を微笑みながら見ていた。

「この小鹿の肉は狩人しか口に出来ない特別な部位なのよ・・」

「へー・・・」

「僕が取った訳でもないのに、食べてもいいの・・?」

 亮子は再び笑みを浮かべながら信一を見つめるだけだった。

「なんだか・・眠くなってきた・・」

 信一は食事が済むと、これまで歩いた疲れや色々な初めての経験で眠気に襲われていた。

 亮子はそっと信一の頭を自分の膝に乗せて優しく頭を撫でて、小さく呟く様にアイヌの歌を歌っていた。

「カムイが歌う・・カムイが歌う・・」

 信一は亮子の匂いと歌声に包まれながら深い眠りに落ちて行くのだった。その幸福感は今までに味わった事の無い様な物で信一は空を舞う鳥になった様に大空を駆け巡っていた。やがて日は傾き夕暮れの時間が近づくまで信一は地上に舞い戻る事は無かったのである。

「信ちゃん・・もう帰らないと・・日暮れまでに戻れないよ・・・」

「うん・・あーーー・・よく寝た・・」

 信一は既に家に帰る事など忘れ、このまま時間が止まってしまえば良いのにと思うばかりだった。

 信一と亮子の冒険的な一日は、こうして幕を下ろしたのである。



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