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愛し合う 10年目の再会〔第3部〕

 信一が同行する事になった社長の名前と社名を紹介しなければならないだろう。社長の名前は渋谷賢一〔しぶたに けんいち〕社名は社長の名前を採って渋谷土建といたって普通の会社だった。社員数は30名ほどで多くの場合は自社ではなく協力会社との共同受注で工事規模に合わせて入札に参加していた。その協力会社は北海道各地に存在していて、地方都市の公共事業の受注率が100%である事の裏返しでもあった。社長はウトロ漁港の発注を地元業者に一任して進めていて、後は仕事の詰めを話すだけの状況であった。工事の開始日は半年後、つまり社長は今後の仕事の状況を見極めて繋げて行く為に、その旅先に存在している協力会社をくまなく訪問する予定であるのであった。


 社長の愛車は発売されたばかりのパブリカだった。この頃の道路の舗装率は、まだまだ低く砂利を敷き詰めただけの野道が多く存在し雨が降れば水溜りが出来るのだった。それ故に、車での移動は並外れた忍耐力と持久力が必要であり、自動車の耐久性能も必要であった。

「信一・・準備は言いか・・・」

 渋谷社長は自ら信一の住む貸家の前まで車で迎えに来たのであった。

「はい・・準備万端です。」

 信一は何を準備してよいかも判らないままに、心の準備でさえ儘ならなかったのである。しかし、社長は何時もの恒例行事の様なもであり、特別な準備など何も無かったのである。

「少し、荷物が多い様だけど初めてだからな・・良しとするか・・」

 社長は後部座席に信一の荷物を載せると直に出発したのであった。社長の荷物は車と一心同体であり、必要な物は全て何時も車に積み込んであり、何時でも同じ様な旅には出発できる状態であるのだった。

「不安かね・・始めてだろ・・北海道は今でも原野が多くて野生動物も多く出くわすんだ・・鹿や熊が道路に居ると自動車は大破してしまうからね・・それに、パンクなんて日常茶飯事・・目的地までの時間なんて判らないから・・何時、野宿する事になるか・・心の準備はしておいてくれ・・」

 信一は不安ではあったが亮子に少しでも近づけるのであれば心は満足だった。

「お任せします・・いや・・お願いします。」

「お願いしますと来たか・・私の車に同乗して、今の様な返事を返したのは君が始めてだ。」

「でも・・社長が連れて行ってくれなければ・・亮子とも再会できないのですから・・有り難いです。」

 社長は何も言わなかった、信一の切実な思いが痛いほど伝わって来る事に対して、軽はずみな言葉を捜す事を避けたからであった。そして、亮子と再会が出来ると言う保障が社長にも判らない事だったからである。

「それで・・何処に向かっているのですか?」

 社長は信一に行き先を告げていなかった。

「日高の武川と言う漁港だよ・・沙流川と言って上流にはアイヌの聖地が今でもある所なんだが・・その村の出身者がわが社にも勤めているんだが・・ま、今回の旅とは直接関係が無いんでな・・」

「アイヌの聖地ですか?・・・」

「行ってみたいかね?・・でも君の婚約者の情報も掴めない事は確実だがね・・」

「社長は知っているのですか?」

「想像がつくだけだ・・アイヌが北海道で どの様に暮らしているか・・どういう存在なのかを知っていれば君の婚約者が採る行動は、おおよそだが察しがつくと言う物だ・・信頼してもらえるかね・・」

 信一の心は常に亮子の方を向いている事は確かだったし、社長もその事に気づいていない筈は無かったのである。

「ええ・・社長こそが僕の希望の星であります。」

「希望の星かね・・こりゃあ・・責任重大だ・・」

 二人は強い信頼で結ばれた様に互いに瞳を見詰め合って笑い合っていた。

「あそこに古びた食堂が在るから休んで行くとしようか・・」

 鵡川と言う町には36号線、別名が弾丸道路と言って戦争時には多くの陸軍の車両が行き交った道を通って行くのである。この道路は早くから舗装が整備されて走り易く苫小牧の沼ノ端と言う分岐点までは順調な道のりであった。しかし、この分岐を過ぎると人口密度は非常に小さくなる為に道路状況も非常に悪く何時なんどき、足止めされるかが心配であったのだ。社長はその事を熟知しているので、何時もこの古びた食堂で心の準備をしてから再出発をしていたのである。

「こんちわー・・ちょっと休ましてもらうよ・・」

 社長は東京の言葉で何時も話していた。

「あれ・・誰かと思えば渋谷君か・・久しぶりだ・・何食う・・魚か・・お・・若いのも一緒かい・・」

「ああ・・じちゃん所の孫みてえなもんさ・・こっちにも食べさして呉れるかね・・」

 社長と古びた食堂の親父とは知り合いであって、気心が知れている様だった。

「山本信一です・・始めまして・・」

「おら・・若いもんが大好きでな・・自分までが若返る様に感じるんじゃ・・いっぱい食って行ってくれ・・」

 食堂の親父は厨房に向かって注文もしていない料理を せっせと作り出したのであった。この親父は既に年老いて利益よりも話し相手が欲しいだけなのである。そして、社長は年に数回だけ顔を出し北海道中の話題を話して聞かせてくれる、じっちゃんには有難い存在なのであった。初めの料理が運ばれてくるまでには5分ぐらい要した。

「今日は粋の良いカレイが入ってな・・誰に食べさせようと考えとったんだが・・渋谷君が来るとは思わんかった・・どうじゃ・・揚げて、甘酢でたれを作ったんだが・・口に会うかね」

「じっちゃんの料理は最高だから・・有難く頂くとするか・・」

 食堂と渋谷社長の話は2時間ぐらいは続いただろうか、その間、信一は渋谷社長の北海道話に聞き入る事が続いていた。信一は北海道を知るチャンスとなっているのだった。渋谷社長の話は農業から漁業、天候から建設、ロシアからの訪問者だとか熊やエゾシカ、ウサギから野鳥に至るまであらゆる話を混ぜ込んで食堂の親父の興味をそそるのだった。それ以上に、信一には新鮮であり亮子が暮らし育った、この土地の事を知る事は大変な幸福を感じる事でもあった。

「いや・・長話で・・時間を取られた・・もう行かないと・・」

 社長は自ら話に幕を下ろしたのであった。

 信一と社長は別れの挨拶をしながら、パブリカのドアを開けて出発の準備をした。パブリカのエンジンがかかると食堂の親父は今度の来る約束を取り付けようと、次の来店時期を聞いていた。しかし、パブリカのエンジン音が大きく社長の返事が食堂の親父に届いたかはさだかでは無かった。

「良いおじさんですね・・」

 少し走ってから、信一が社長に話しかけた。

「あの親父さんとは20年来の付き合いでな・・私が北海道を放浪して歩いた時の恩人さ・・」

「アイヌの青年以外にも、助けられた人が居るんですね・・」

「いいや・・あの爺さんは話し相手になってくれただけなんだよ・・でも消沈していた僕を励ましてくれて美味しいご飯を頂いて・・希望が芽生えたのさ・・あの爺さんは一人でこの広大な北海道を渡り歩いた兵なんだぞ・・尊敬する人生の先輩なんだ・・」

「だから社長の北海道の各地の話を聞く事が好きなんですね・・」

「そうさ・・爺さんは何も言わんがね・・」

 道路は凸凹が激しくなり、会話が途切れがちになってきていた。

「社長・・大変です・・お尻が・・」

「足を使って踏ん張る事だ・・」

 後部座席の信一の荷物は飛び跳ねながら、後部座席を移動していた。そんな状況が1時間ぐらいは続いただろうか行く手に海の景色が開けてくるのが判った、そう鵡川と言う猟師町に到着したのであった。鵡川と言う街は小さかった人口では4~5千人だろうかと思われた、つまり漁師の家庭以外は住んではいない様であった。

「ここで野宿ですか・・」

「ばか言うな・・ここの漁労長の家に用事があって来たんだ・・その家に泊まるんだ。」

「そうですか・・」

 小さな漁師町だったが、漁労長の家はひときわ大きく、謂わば城下町の天守閣と言った所だろうか、ひときわ目立った立派な家だった。

「すっごい・・お城の様です・・」

「漁労長と言うのは全ての責任を担う人を言うんだ・・市長・・魚場の管理・・魚の取引・・全てだ。・・・・・ここのシシャモは名物でな・・何処よりも高く取引されるんだ・・それも魚労長が居ての事だから・・納得できる造りの家が必要なわけさ・・」

「おお・・渋谷・・何しに来たんだべ・・」

 還暦とは思えない程の屈強な体つきと強面の人相、その上に東北弁訛りが海の男を思わせた。

「つれない挨拶だべ・・・何しに来たんだ?・・久しぶりに会って・・」

「そうさ・・半年振りか?・・忘れる所だけんど思い出したわ・・」

 渋谷社長が北海道で建設会社を立ち上げる時に漁労長は全面的に協力をした人だった。それには長い話が有って渋谷と漁労長は腐れ縁と言う関係なのである。

「うまい酒さ・・持ってきたが・・」

「増毛の国稀さ仕込んで来てるからよ・・今晩の肴は任せた・・」

「えらい若いのを連れて来てるか・・・」

「信一と言います・・宜しくお願いします。」

「ま・・上がってけろ・・」

 漁労長は居間に二人を通して、自分は夜の支度を下働きに言いつけに行くのであった。このお城の様な邸宅の居間と言うのは客間を兼ねていて相当な広さを有しているのであった。

「社長、この広さは尋常じゃ無いですね・・」

 信一はこの様な邸宅に招かれる事は初めてであった。

「ああ・・漁労長は人を沢山招く事が好きでな・・何時も10人からの訪問客が居るのが普通なんだ。」

「何時もですか?・・」

「もてなす金だけでも半端な額じゃない・・でもな他に娯楽もない小さな魚場だから皆が友達の様になって行くんだ。・・これも漁労長の人徳と言うやつかも知れんな・・」

 しばらくすると漁労長は社長の所へ戻って来た。

「いや・・今日は誰も来るのが居ない様だ・・おらと渋谷・・二人だけ・・なんとも寂しい夜だべ・・」

 漁労長は その日に来る人々を何時も夕刻近くに確認するのが日課になっていた。しかし、この日に限って誰も漁労長の家を訪問する予定に入っていないのであった。

「そんな日も有って良いってもんだ・・漁労長も年だから・・」

「馬鹿言うでない・・まだまだ若いもんには負けないから・・」

 この日は漁労長と社長の思い出話で杯が交わされ、信一を交えた祝宴は深夜近くまで続くのであった。ちょうど信一が眠気を覚えてウトウトとしかけた頃、漁労長は寝室へ案内を下働きに伝えたのであった。

「おい・・二人の寝室、出来上がっているが・・」

 奥の方から声が聞こえた。

「はーい・・・」

 下働きはすぐさま飛んで来て信一たちを寝室に案内をしたのであった。

「何か御ふじゅうが有りましたら、このベルを鳴らして下さい、すぐに伺いますので・・」

 下働きは そう言うと自分の持ち場に戻って行くのであった。

「社長、お休みなさい・・」

 信一は疲れたのか すぐに布団の中に潜り込んでしまった。

「社長、すごい方ですね・・」

 社長は寝室の机の前でメモを広げて何やら書き留めているようだった。

「ああ・・彼は北海道中の漁労長を動かせる人なんだ・・私も彼が居たから会社を設立して此処までこれたんだが、しかし、彼は人に恩を着せる事が嫌いな人間でな、何時も対等じゃないと気が済まないんだ、彼の周りに居る人間は彼を友達扱いをする様になったんだ。」

「それは本当に凄い・・僕も見習わなければならない所ですね・・」

 信一はそれを告げると眠りに落ちていた。

「疲れたんだろう・・慣れない旅だからな・・」

 渋谷社長も早々に寝床に入り体を休める事にするのであった。

 

 漁労長の朝は早かった。5時に起床して散歩をして風呂に入り、その日の予定を立てるのが日課になっていたのである。しかし、信一と社長は7時まで布団の中に居たのである。

「信一、朝だ・・風呂に入るぞ・・」

「おはようございます。風呂ですか?」

「漁労長と食事を取るから、風呂に入っていないと煩いんだ。」

 漁労長の朝食は何時も8時と決まっていた、そして、一緒に食卓に座る者達が風呂上りである事が漁労長には必要だったのである。それは漁師と言う仕事柄のせいでもあった。

「どんだ・・眠れだか?」

「ぐっすりだ・・相変わらず朝食から豪勢だな・・」

「おらから、これを取ったら何も残こんねえべ・・くえ・・」

「いただきまーす。」

 信一は豪華な朝食に朝から食欲が旺盛だった。

「おぉ・・若け者んはこうでねければな・・・くえ・・」

 こんな風に朝の宴は進められて、たっぷりと1時間の食事の時間が過ぎて行くのであった。信一達が次の目的地に向けて出発の準備が出来たのは10時ごろだった。漁労長は沢山の乾燥させた魚の姿干しを持たせてくれ、腹が減った時に食べろと酒も沢山持たせてくれるのだった。

「また今度・・」

 社長の挨拶は簡単だった。漁労長も「それじゃ・・」とだけ告げるだけだった。なんとも二人の関係が信一には気になるのだが、それ以上は社長に聞く事も気が引けるのだった。

「次は・・何処に向かうのですか?」

「日高の浜沿いを十勝平野まで進んで・・だな・・十勝川温泉に泊まって、中標津、知床かな・・」

「僕に判る様な説明をして下さいよ・・」

 信一には社長の話を飲み込む事が困難だった。つまり、まるで北海道の土地勘が無いのである。

「先ずは、静内によって見る事にするか・・あそこにはアイヌの知り合いが住んでいるから、ちょっとだけ信一の婚約者の事を聞いてみる事にしよう。」

「え・・亮子の事が判るんですか?」

「いや・・少しの手がかりが有るかと思ってな・・」

 信一には思いがけない事だった。温泉の仲居の仕事をしている筈の亮子の消息が温泉地と何の関係も無い町のアイヌの人から情報が聞けるかもしれないなんて信一には思いつく筈もなかったのである。

 鵡川から静内までは2時間ほどの距離で、丁度昼頃に到着する予定だった。道中の道路事情は非常に悪く振動は激しかった、鉄道も走っているのだが本数は非常に少なく、すれ違う様な車は殆ど見かける事が無いのであった。海岸線の町は日高昆布で有名な漁師町であり、その外は競走馬を育てる牧場ばかりで人口密度は非常に小さく古くまでアイヌ民族が多く暮らす所として名高い所だった。この日高地方は直に日高山脈にぶつかる為に広く開けた土地が無く、山脈を越えて反対側の十勝平野に行くには、この海岸線を通るのが一番の近道でもあったのである。

「社長、ありがとうございます。」

 信一は亮子の事を考えてくれている事に感謝したのである。それも、自分の力では思いもよらない様な方法で手がかりを見つけようとする社長は本当に神の使いの様にも感じられるのであった。

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