justice #6
すべてが嘘なら、よかった。
僕が過ごすこの日常も、僕が過ごしてきたこの日常も、すべて嘘なら。
もしも――もしもそうだったなら……一体、僕の運命はどうなっていたのだろう?
暴力ばかりの生活に飽き飽きして、ただ毎日を怠けながら過ごすだけの退屈な人生。
血を見ては目を閉じて、悲鳴を聞いては耳をふさぐ。
助けるようともしないで。ただひたすらに、心の中で謝りつづける。
ごめんね、ごめんね、ごめんね――。
僕の過ごしてきたそんなくだらない時間が――すべて、嘘だったなら?
――壊しても浮かぶ、希望という名の幻想。
結局、それを手に入れることなんて出来なくて……触れることも、そしていずれは見ることすら……出来なくなるんだ。
光はなくて、希望もなくて、誰もいなくて、何もない。
夢は夢のままだ。ここには現実しかない。
そうだ――だから僕は、逃げたんだ。
逃げるしかなかったから――そうするしか、生きる道がなかったから。
だから――。
――抜け出せると、信じてた。彼女と一緒なら。
◇◇◇◇◇
水の音が、広場の空気に反響する。
久しぶりに訪れたこの場所は今、湿った夜の闇で満たされていた。人の気配はまったくなく、生ぬるい風も静かに流れていく。
――ここが、待ち合わせの場所……なのか?
あの男から吸い取った「魂」は、たしかにそう残していたが……。
噴水の横に立っている柱時計を見上げる。約束の時間まで、あと一分しかない。
――まだ誰も来ていない……はずだ。やはり、ただの間違いか?
そういえば、男の「魂」の残滓には時間のことは読み込まれていたが、肝心の日にちはどこにもなかった。もしかすると、約束は別の日のことなのかもしれない。
焦りは油断を呼ぶ。わかっていたつもりだったというのに――やはり、甘かった。
ずっとここにいては怪しまれる。すぐにでも立ち去らなければ……。
そう考えて、急いで広場を離れようとした――そのとき。
「――っはぁっ、……はぁっ、……はぁっ……!」
反射的に、噴水の影に隠れた。
――誰だ?
「やっ、やっと……っはぁ、着いた……はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
低い声。荒い息をした人間が、転がり込むように広場へと入ってきた。
隠れているせいで姿は見えないが、どうやら男のようだ。待ち合わせの件と関係がある人物――なのか?
「はぁ……はぁ……。あぁ、危なかった……。なんとか、間に合った……はぁ……」
その言葉で私は確信する。少なくとも、こいつは何らかの形でこの件に関わっている人物に違いない、と。
さて――どうする?
考えるよりも先に、体は勝手に動いていた。
噴水の影からゆっくりと出ていき――わずかな距離の向こうにいる男に、声をかける。
「――貴様、何者だ?」
◇◇◇◇◇
一瞬で背筋が凍りつくような声が、背後から聞こえてきた。
ようやく整ってきた息と動悸が、また激しくなってくる。
「だ、誰だっ!」
振り向きざまにそう叫ぶと――暗がりの中にひっそりと立っている、ローブ姿の影がそこにはあった。
「私の質問に答えてもらおうか。あいにく、私も長くここにいられるわけではないのでね」
また声が聞こえてくる。明らかに常人ではない……化け物の鳴き声。
ローブ姿の女は、影に隠れて見えづらくなっている顔をわずかにうつむかせたまま、質問を返してくる。
「い、いやだ……! 教えない、教えないぞっ!」
恐怖にあおられながらも、僕はそいつに逆らうことをやめなかった。
理由はもちろん――<番犬>だ。
――これでもし、あいつとの約束を破りでもしたら……。
体が異常に震えた。現実との相乗効果で、不安はさらに増していく。
「ふん、強情な奴め……まあいい。貴様に聞かずとも――貴様の魂に直接聞けば済む話だ」
「たっ、魂……?」
その台詞には、なにか引っかかるものがあった。思い出すような暇さえくれずに、ローブを引きずりながらそいつは近寄ってくる。僕は後ろ足にじりじりと逃げながら、記憶の回路に精一杯の電流を流す。
思い出せ――思い出せ。僕は、何かを覚えてるはずだ。
魂。たましい。タマシイ。こん。コン?
――<魂術士>?
全身を雷に打たれたかのような衝撃を感じながら、僕はすぐさま走って影から逃げる。
おそらく、相手もこうなることは承知の上だったのだろう。後ろから、今度は走って迫ってきているらしい。
――とにかく、どこかに隠れないと……!
ちょっとしたわき道でいい。落ち着いて作業できる場でなければ、こいつには勝てない。
疲れで痛む足を抑えながら、僕は全力で走りぬけた。
◇◇◇◇◇
エイルと一緒に向かった先には、大きな穴の開いた壁があった。
「うわぁ……ひっどいなぁ。これ、さっきの爆発で開いたのかな?」
「そうだと思います。……なるほど、どうりであれだけ揺れるわけですね……」
忍び足で壁までにじり寄ったエイルは、壊れた壁の破片をそれとなく眺めている。
「何を調べてるの?」
そうたずねると、エイルはあまり興味のなさそうな顔で僕のところまで戻ってきた。
「いえ、特に何も。とりあえずここにはもういないみたいですね。早いうちに、あの二人の後を追うべき……なんですが」
ちらちらと、そこらじゅうに視線を彷徨わせるエイル。……ん、どうしたんだろ?
「ダーウィーさん、唐突ですけど――今が何時か、分かりますか?」
「えっ? えーと……わかんない」
正直にそう答えた。エイルは少し落胆したような顔を見せたが、すぐさま持ち直す。
「じゃあ、私についてきてください。もう時間が来ているかも……しれません」
「あの二人を追うの?」
「それは、後に回します。とりあえず一緒に来てください」
「はぁ……まぁ、いいけど」
僕が答えると、すぐさま僕に背を向けて、どこかへと走っていくエイル。……うーん、何がしたいんだろう。
まぁ、守ると約束した身だから、ちゃんと着いてくけどさ。
「――ここは、どこ?」
「煉獄の噴水、です。知りませんでしたか? ダーウィーさん」
れんごくのふんすい。うん、知らない。初めて聞いた。
もはや侮辱するような目線しか投げつけてこなくなったエイル。ちょっと悲しいけど、これはこれで……よくないね!
それにしても――すごく静かだ。
見た目的には、銅像のある広場のような印象がある。中央に小さめの噴水が足されただけで、後はいたってそれと変わりない。かといって僕が想像していたような活気のようなものはそこにはなくて(まあなにしろ「ここ」だし、夜だからかもしれないけど)、むしろ長年使われていない物置のような雰囲気すらある。
こんな場所にきて、エイルは一体何をするというのだろう?
「……もう、十二時過ぎてますね」
エイルが指をさす。その先には、黒と白の色がついた柱時計が立っていた。
十二時三分。すでに、日付は変わっていたらしい。
「ああ、こんな夜遅くまで起きてたのって、久しぶりかもしれない」
「いやそれはどうでもいいんですが」
「あ、そーですよね……」
ちょっと申し訳なさを感じた。いや、思ったことそのまんま言っただけなんですけど。
こういうのを「一言多い」というのだろうか。なんか違う気がする。
「――いませんね。誰も」
きょろきょろと、周りを見渡すエイル。僕も見てみるけど、そこには人影どころか気配すら感じられない。
「誰か待ってるの? もしかして、追っ手がくるかもしれない、とか……」
「いえ、違います。もっと大事な人です」
「大事な人、って……じゃあ、エイルのいう目的っていうのに関係がある人……ってことかな?」
「ええ――その通りです」
今までにない、希望に満ち溢れたようなエイルの微笑を見て、僕は内心、言いようのない嬉しさで一杯だった。
あー、かわいーなエイル……。
言い過ぎると本格的に駄目な気がしてきたので、留めておいた。
「私の目的は、その人に会うこと。元々は一緒にいたんですが……とあることが原因で、一度はなればなれになりました」
「……はなればなれ、か」
「ただ、それも作戦のうち、というか……一緒に行くことは出来なかったので、後で落ち合うという話だったんです。それで、ここに」
そう言い切ると、今度は悲しそうな顔をしながら周りを見ている。その仕草は今までよりも子供らしく、母親を探しているかのような様子だった。
「じゃあ……どうする? ここで待ってる?」
「……ダーウィーさんは、どうしますか?」
「どうしますか、って……。そりゃあ、エイルが待つなら、僕も待つよ」
「そう、ですか……ありがとう、ございます」
不安な気持ちを隠そうともせず、ぎこちなく礼を告げるエイルの後姿は、なんだか切なく見えた。
――早く、その大事な人が来てくれたらいいのに。
かすかに胸を痛ませながら、僕はエイルの小さな背中を見守ることにした。
◇◇◇◇◇
魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士。
「魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士……」
ぶつぶつと、自分でも驚くぐらいの小さな声でずっとその名前を呟く。
忘れちゃいけない。そういう心積もりでやっているだけだけど、他人が見たらきっと不可解な光景なんだろう。
でも今は、そんなことを気にしている暇はない。
「魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士」
こんじゅつしこんじゅつしこんじゅつしこんじゅつし――。
影の気配は、さきほど撒いて以来まだ感じていない。目の前のノートパソコンの光にだけ、じっと目を向ける。出来るだけ音が出ないように、弱く、それでも速く、指を叩きつけていく。
「魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士魂術士」
もう少しだ。
もう少しで――答えが出る。
急げ、急げ……速く!
一瞬、わずかな眩暈に襲われる。画面の色合いが変わった。
やった……! ついに成功だ!
目を大きく開けて画面を見ようとした、その瞬間――
「……見つけたぞ」
顔をあげると――そこには、ローブ姿の奴がいた。
「うっ――うわあっ!」
悲鳴を上げて、思わず反動でパソコンを落としてしまった。ふっと画面が消えて、真っ暗になる。寒気が全身を襲った。
間に合わなか、った?
あと、もう少しのところだった……のに。
「先ほどから何をしているのか知らんが……やはり貴様も、この件に関わっているようだな? これでようやく確信した」
「こ、この件……って、なんだ? 何の話だ!」
恐怖を紛らわせるために大声で叫ぶ。こいつが何を言っているのか、僕にはさっぱり分からない。
「ふん、やはりしらばっくれるか。だがもう問題ない。後は貴様の魂を吸いこんで、残滓を読み取るだけだ。それですべてが終わる」
そいつは僕の目の前に手を伸ばすと――ゆっくりと、握るような動作をする。
――体が、宙に浮かんだような気がした。
「うっ……う、うあぁ……」
力が抜けていく。固く握っていた手のひらはどんどん開いていき、下がっていく。
――ああ、駄目だ……。
これじゃあ……<番犬>になんと言われるか、分かったものじゃない。
しかし、抜けていく力をコントロールすることは、出来ない。
腕から完全に力が抜けて――体を滑り落ち、地面へとぶつかる――
ガツン。
「――えっ……?」
固い音で、一気に目が覚めた。
感覚の薄れていた右手に、さきほど落ちたノートパソコンがぶつかったようだ。
画面は――また、光を取り戻している。
「――!」
あった。あった、あった、あったあったあったあったあった。
ようやく、見つけた。
「……くっ、く、くはっ」
「……?」
怪訝な様子でこちらを見つける奴の姿が見えた。体が、感覚をだんだん取り戻してきている。
「くっ、はひっ、はははっ、くははははははっ! ははははっ、あはっ、あはっ、きひひひはははははは」
ああ、笑いが止まらない。
頭がおかしくなったのか、とでも言うように奴は僕をいぶかしんでいる。――だが、そろそろこいつも気づいているはずだ。
<魂術士>、クロネ=クロマ。
お前の力は――もう、僕には効いていないということを。
「……っ!?」
僕の眼光にようやく真実を悟ったのか、手をさっと戻して後ろに下がる。その姿を見て、また笑いがこみ上げてきた。
「貴様ッ……! どうして私の術が効かない!?」
「ふふ、あははは、はっはっはっはっ……教えてやろうか? <魂術士>さん」
「どっ――どうして、それを……!」
「ああもう分かったよ、全部全部全部分かった。お前のこともお前の術のことも全て――分かったんだよ。すごいだろう?」
地面に落ちていたパソコンを抱きかかえるようにして、奴に向ける。そこには、奴に関するすべてのことが書かれていた。
情報屋としての――僕の、特別な能力。
それが今、僕の勝利を確信へと導いたのだ。
◇◇◇◇◇
「! ま、まさか貴様は――<情報屋>、レコード!?」
その名前を口にした途端――奴の笑みは、もっと不気味なものに変わった。
「ご名答! あっはっは、ひひひはははは……ああ、可笑しいなあ……。やっぱりさ、僕に勝てる奴なんて誰一人いないんじゃないかなぁって僕は思うんだけど、あんたはどう思う? だってさ、相手のこと全部わかっちゃうんだよ? これで勝てない方がむしろありえないよねぇ……相手のことが全部分かってるってさ、アドバンテージどころかワイルドカードだよねぇ! 反則だ反則。……でも僕に勝てる奴はどこにもいないんだ。だったら、たとえ反則でも合法に変わる。そうだと思わない? くっくっく、ああ可笑しい……」
先ほどとは、うってかわって別人のように――レコードは高笑いをしている。
くそッ……! どうする? どうすればいい!?
もう奴に術は効かない。すでにそう確信した。なら、一体どうすれば……?
――道が、ない。
逃げるしか……だが、逃げられるのか?
目の前の、細く弱々しいだけの男が――今はなぜか、もっと強大で邪悪な存在のように思えている。
どうすれば、いい?
「……おや、もう選択肢が無くなっちゃったの? あはははは、どうしてそうなるのか教えてあげようか? それはね……君の戦い方は、いつもワンパターンだからだよ」
「……なんだと?」
「あれぇ、気づいてないの? じゃあ教えてあげよう。君は自分の能力に絶対的な信頼を持っているね。そりゃそうだ、今までその能力が効かない人間なんていなかったんだから。でもそれが命取りなんだよ……最強の武器というのはね、魂術士さん――つねに、最強の防具に備えておかなくちゃならないものなんだ」
説明口調になりながら、レコードは話を続ける。
「矛盾はね、例外なんだ。人間は矛盾に答えが出せない。だからそれを後回しにしたり、考えないようにしたりする。――でもそれじゃあ、何にもならない。現実は矛盾に答えを出せるんだ。机上では考えられないようなことを、現実は容易く解決してしまうんだよ。いくら最強の武器を持っていたって、いったん壊されてしまえば……それで、終わりだ」
「…………」
「後はもうどうしようもない。小さな小さな針が武器だとしても、君は殺されちゃうんだよ。最強の武器を封じられれば、もう後がない。だから駄目だったんだ」
「ぐっ……!」
腹の立つ言い様だ。しかし――まったく反論できないのも、また真実。
私は完全に、レコードのペースに取り込まれていた。
「自分の失敗が分かったかい? それじゃあ、僕はそろそろ行かなくちゃならないから。次に会ったら――そのときは、承知しないからね」
――自分の体の震えに、ようやく気がついた。
この私が――恐れを、感じている?
……ふと気がつくと、すでにレコードは遠くの方まで駆け出してしまっていた。
もう、私には少しも興味がないかのように。
「…………っ……!」
抑えようのない怒りが、体中を駆け巡る。
この私の能力が――失敗だと?
よくも言ってくれたな……<情報屋>。
誰にも恐れたことのないこの私のことを――ここまで、コケにしてくれるとは――
「――許さん――許さん……! ――許さんぞっ、レコードォォォォオォオッ!」
走り去っていく見えない影を、私は追う。
許さない――その一心だけを、心に携えながら――。
◇◇◇◇◇
「……えーと……」
「……なんて言ったらいいんだろうな……この状況」
「とりあえず、風がすごいよね」
「ああ……寒いな」
「あと、目が追いつかない」
「ああ……寒いな」
「それと……あのっ、喋ることすらままならないっ!」
「ああ……寒いな」
「……グッバイ、君さっきからどうしたの?」
「聞くな。この際だからはっきり言うが……俺は酔いそうだ」
「そりゃあねぇ……これだけ速いバイクに乗ってたら、ねぇ……」
「――おいッ、てめぇらさっきからグダグダとやかましいぞッ! つべこべ言わずにしがみついとけ、振り落とされても知らねぇからなッ!」
「「はっ、はいぃっ!」」
「……どーなるの、これぇ?」
「うぇっぷ」
「わあああっ、グッバーイッ!」




