justice #5
――緊急事態を知らせる、サイレンの甲高い音。
「ぐっ……ぐぐっ……!」
全身を絶え間なく襲う激痛で、思わず目を覚ました。
視界が赤い。力を振り絞って顔を上げた先には、一面に広がる血の跡と、倒れた同僚たちの蠢きが散乱していた。
――惨い。
折れた骨は体から無様に突き出て、何度も殴打された青白い痣は血の紅を鮮明に引き出している。口からは吐瀉物と血の塊が流れ出ていて、咳がひどく、呼吸すらままならなくなっている者もいる。
まるで、地獄だった。
――なんだ? 一体、何があったっていうんだ……?
「! うっ……!」
腹部を強烈な痛みが襲う。おそるおそる見てみると、ナイフか何かで切られたような跡が、腹のそこら中に細長く引かれている。触ろうとしていた手を弾くように離して、うめきながら痛みに耐える。
――くそっ……何があったんだ? 思い出せない――。
とにかく、今はこの状況を――誰かに知らせなければ。
ところどころについた傷に触れないように、研究服の上着のポケットに手を入れる。いつもと変わらない携帯電話の冷たい感触。よかった、落としてはいなかったようだ。
血のせいでずるずると滑る携帯電話をなんとか安定させ、開く。電波は――大丈夫。
早く、早く……誰かに、伝えるんだ……!
耳の奥に、サイレンの音がこだましている。嫌悪感を抑えて、携帯の電話帳を開く。あ、か、さ――あった。
「シドーさん――お願いだ、電話に出てくれ……!」
そう祈りながら、震える手で携帯を耳につける。プルルルル、プルルルル……。
プツッ。
『……もしもし。どうかしたか?』
「あっ――シ、シドーさんっ――」
鋭い痛みとともに、携帯が床を滑った。
「……え?」
携帯に代わって、こめかみに当てられたのは――
――拳銃?
「……すいません。こんなことをするつもりは無かったんですが」
上から聞こえてくる女の声。恐怖で頭が動かせなくなったせいで、そいつの顔を見ることも出来ない。
だが――誰の声かなのかは、分かった。いつも聞きなれている、この声。
いつもいつも聞いている報告者の業務的な声が、脳裏によみがえってくる――
『――<番犬>、本日も異常ありません。引き続き監視を進めていきます』
「――お、お前……! <監視役>か……!?」
「撃たれたくなかったら、喋らないことが懸命です」
ジャキッ。
撃鉄の音が、耳のすぐ近くで鳴る。
死が、すぐ目の前にある。
――すぐ、目の前に――。
「……それでは。私もいつまでも、ここにいれるわけではありませんので」
「ま、待て! エイ――」
「私の名前を、呼ばないで」
――こめかみに、衝撃。
視界がぐるりと回って、体を寒さが突き抜ける。
ああ、意識が――。
――<番犬>の脱走が<組織>に伝えられるのは、それからしばらく後のことになる。
畏怖は、彼らの心も体もすべて――傲慢に包み込んだ。
◇◇◇◇◇
「……火薬の量、間違えたね……?」
「……すまん。量じゃなくて、種類を……」
「どっちでもいいわこのボケええええええええええええええッ!」
「ぐっはぁ!?」
かいしんのいちげき! ぐっばいは200ダメージをうけた! ぐっばいはたおれた! ついでにきえさってまえ! むさんしろ!
……いやいや、改めて。
ふざけなさんなよこの爆弾魔ぁ……?
「ねぇねぇ、下手したら僕死んでたよね? ね? 五秒前の僕が吹っ飛ぶ姿がはっきりと見えたんだけどなぁ?」
「えーと……それはたぶん気のせうごほっいってぇ! やめろ、腹を蹴るのはやめろまじで! 謝るから!」
必死で丸くなるグッバイの体に、僕は容赦なく蹴りを入れつづける。ちなみに割と本気だ。これぐらいしないとグッバイは反省の色をまったく見せないからである。なんという問題児でしょう! ある程度は慣れたけどさ。
……このままだと、真面目にいつか殺されるっつーの。冗談じゃないよ!
「あのさぁ……このやり取り今までで何回あったか覚えてる? ん?」
「そ、そうだなぁ……五回ぐらい?」
「十八回だドアホ」
「へぶっ!」
小気味いい音がグッバイの頬から聞こえてきた。おお、平手打ちは意外と爽快感があることに気づいたぞ。どーでもいい新情報。
「そのうち六回は僕無傷」ぺしっ。「五回は軽い傷」ぺしっ。「三回は重傷レベル」ぺしっ。「二回は赤の他人が巻き添え」ぺしっ。「一回は赤の他人重傷」ぺしっ。「残りの一回は――」
「ち、ちょっ! おまっ! 説明の合間にビンタ混ぜるなよいてぇなもう! 音の軽さのわりに結構いてぇんだぞ少しは手加減しろ!」
「ふーん、そーなの? 知らなかったー」べちん。
「うおい今本気出したなてめぇ! あっすいませんもう叩かないでくださいほんとすいませんでした」
「ったくもぉ……はぁあ、これからどうすんのさぁ……」
とにかく、すぐにここから離れないといけないだろう。なにしろ、あれだけ激しく揺れたのである。すぐにでも人が集まってくるだろう。それだけは、なんとかして避けないと。
……ていうか、近くの壁にまるまる風穴が開くとか……。
何を爆発させたのさ? グッバァイ。
◇◇◇◇◇
どうして、ノートパソコンというのはこれほどまでに重いんだ。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
タッタッタッタッ。地面を蹴る音と少しずれて、肩からぶらさげたバッグが足の付け根に跳ねてはぶつかってくる。押さえていないと、痛くてまともに走れもしないほどだ。
……ああ、面倒。
どうして……どうして、僕がこんなことをしなくちゃいけないんだよ。
「はぁ……はぁ……はぁ……はあぁあ……」
せっかく早めていたスピードは、気分が下がるのと一緒にだんだんと遅くなる。ああもう、どうでもいい。どうにでもなれ。
「はぁ、はぁ、はぁっ……くっそ、くっそぉ……!」
膝に手を当てて、必死に息を整える。途端に吐き気がして、焦りながらなんとか飲み込む。横腹が痛みを訴えている。ここ最近、ほとんど何も食べていないからだろうか。もしくは、さっきの突然の揺れで盛大につまづいたのが原因か(顔に擦り傷が出来た。パソコンが地面にぶつからなかったことだけが唯一の救いだ)。
それとも、ただ単に走ったからだろうか。
しょうがない。普段から、運動なんてまったくしてないから。
「あぁ――明日は、筋肉痛かな……」
筋肉がほとんど削げ落ちてしまった太ももをさすりながら、ちらっと左手の腕時計を見る。
――丸い時計の針は、十一時五十分を指していた。
「げっ――!」
まずい。これは大いに――まずい。
『約束』の時間は、十二時ちょうどだというのに!
――ちくしょうっ! なんで僕が、こんなことをっ!
怒りを表したくても、腹痛がひどくなっていてまともに声を出すことすら困難になってしまっていた。走りを止めると余計にきつくなる。よく聞いていた情報だったが、まさか本当だったとは……。
これでは、情報屋として失格だ。
……正直言って、どうだっていいが。
「……ない……絶対に許さないぞ……<番犬>の奴……!」
――なんだか大げさに言ってはみたが、実際はそうでもなかったりする。
それでもとにかく――僕を「外」に出した罪は重いと、それだけは言っておきたい。
「はぁ……はぁ……はぁっ――うおらああああああああああああああああっ!」
その場から一気に前へと踏み出し、全力で足を動かす。風が真正面からぶつかってきて、呼吸をするのが難しい。それでも、止まろうとはしなかった。
――ああ、ああ、ああ……。
面倒だ。非常に。僕は面倒なことが嫌いなんだ――って、ずっといろんな人に言ってきたのに。『番犬』め……。
相変わらず、人のことなんてまったく考えない――はた迷惑で破天荒な奴だ。
……あ、まずい。
これは吐く。
◇◇◇◇◇
揺れの原因は、一体なんだったのだろう。
「行ってみましょう、ダーウィーさん。近くに、あの二人がまだいるかもしれないですから」
「ハローと、グッバイ……ねぇ。本当にそんな人たちがいるの?」
――もちろん、<組織>に所属してる人だっていうなら、いても全然おかしくはないけど。
<庶民>の中にそんな人たちがいるなんて、なんだか不思議な話だった。
「本当に知らないんですか……? ダーウィーさんのような人の方が珍しいですよ。まさかあの二人組を知らないなんて」
「だってさぁ……僕、昔っから逃げてばっかだったから」
逃げて、逃げて、逃げて。
他には、何にもしてなかった。うん、割と本当に。
逃げるだけでよかったんだもん、僕ってやつぁ。
「ほら、早く行きましょう! 私も、あの二人に会わないと……」
「え? ……あ、もしかして。エイルの目的っていうのはそれのことなの?」
「ああ、ええ……そうですね、その一部というか……私自身、予想外のことなんですけど」
……はて? よくわからない。けどまぁ、いいか。
「ダーウィーさん、まだ走れますか?」
「えっ? なに、また『浮く』の?」
「いやあれはやめてください」
……すごい剣幕で断られた。仕方ないけどさ。
「とにかく、せっかくのチャンスなんです――ついてきてくれますよね、ダーウィーさん?」
「エイルにそう言われたら、ついていくしかないからね」
「やっぱりロリコンなんですか?」
「価値観の歪みぃっ!」
僕の叫びを華麗にスルーして、エイルは一気に爆発地点あたりを目指して走り出した。
あー、もう。
なんで今日に限ってこんなことになるのさぁ……?
「ついてなーい……ダーウィー君、ちょーついてなーい」
……ま、誰もツッコミなんて入れませんので。
エイルの後を追って、ささっと一日を明かすことにした。
夜空に浮かぶ月の形が、なんだかすごく綺麗に見えた。
◇◇◇◇◇
私は焦っていた。
もちろん、さきほどの爆発のこともある。おそらくあれは、例の爆弾二人組の仕業なのだろうと思うが……まったく、無駄に騒ぎを起こす奴らだ。
それよりも、問題は別にところにある。だからこそ、私は困っていた。
『十二時、ジャスト。「煉獄の噴水」前で待つ』
――あの男の「魂」から読み取れた<組織>に関係のありそうな情報は、わずかにそれだけだった。
煉獄の噴水。地下では有名な広場の名前で、他愛のない同業者同士の待ち合わせや、時には取引に使われることもある。石畳の敷かれた円形の地面の広場はたいてい閑散としていて、中央にある、天使と悪魔をかたどった像の噴水の音だけが響きわたっている(名前の由来は、どうやらこの像から来ているらしい)。ここからだとせいぜい徒歩で五分といったところだろう。割と近いし、目印としては好都合だ。
――そこに行けば、きっと<組織>に関わりのある誰かがいるはずだ。
私はそう確信していた。しかし、一つの懸念が私の足を頑なに止めている。
――そう。私が抱えている問題、とは。
この情報の送信者が、誰なのかということだった。
これがただの<庶民>だとしたら、残念ではあるが安心できる。しかし――もしこれが、本当に<組織>と関わりのある情報だったとすれば――。
「――油断は、禁物だ……」
体が震える。最悪の場合を考えると、自然とそうなってしまう。目を閉じると、瞼の裏に浮かぶ、過去の記憶。
『――――』
『――――』
忌々しい、あの双子の絡み合うような声。
『――――』
『――――』
もしも、もしも――この場所に、あの双子が来ているとするなら……。
『――――!』
『――――!』
雑音が強くなる。耳が痛い。しかし、気づけばもう抑えられない場所まで――声は、近づいていた。
『――――!』
『――――!』
私の全身を、徐々に暗黒が包み込んでいき、そして――
『『――おねーちゃん、みぃつけたっ』』
「――っ!」
目を開いてすぐ、私は後ろを振り向いた。さっきまで感じていた気配はどこかに消え、捕らえられない動悸が激しくなる。無意識のうちに息を止めていたことに、そのときになってようやく気がついた。
「っぐっ……はぁっ、はぁっ……!」
慌てて息を再開する。激しい咳と苦しさが、私の喉を襲った。
――また、思い出してしまった。最悪の過去を。
閉ざされた、愚かな記憶の一片を。
あれはもう……終わったことだというのに。
私は今も――記憶に、双子に、幻想に――苦しめられている。
「うっ……ぐぅぅうッ……!」
恥だ。こんな記憶は、恥でしかない。
早く――煉獄の噴水まで、行かなければならない。
たとえそこに、私を苦しめる悪魔がいたとしても――ここで止まるわけには、行かないのだ。
『組織』に復讐を果たさなければならない。私の足を止めるものは、今や消えてしまった。
あるのは、大した邪魔にもならない――冷たく流れる夜風だけだ。
◇◇◇◇◇
――まったく別の道を歩む彼らは、こうして間もなく邂逅を果たすことになる。
逃亡者。情報屋。運命共同体。魂術師。
彼らは何かを追い、何かに追われ――吸い込まれるように、渦の中心へと引きずりこまれていく。
その先に待ち受けるのは、果たして何なのか。
<組織>か? <番犬>か? 『双子』か? それとも――もっと別の、未知なる何かか?
運命の時計は、十一時五十九分をさしている。
訪れるその瞬間に、彼らは一体何を思うのだろうか?
――月明かりは、淡々と夜の楽園を照らす。
彼らの未来と運命を、朧げに暗示しながら――。
なーんてなぁ。きひひっ。




