justice #4
「――ちくしょうっ、どこだっ!? どこに逃げやがったッ!」
若い男の怒声が、遠くの方から聞こえる。
曲がり角に身を隠し、気配を潜めた。どうやら、男は誰かを探しているらしい。この場所ではよくある話だ。
「くっそ、ふざけんじゃねぇよあの坊主っ! 生意気なことしやがってぇ……! 次に会ったらぜってー殺してやるっ!」
その暴言の拙さに、私は思わず吹き出しそうになった。慌てて気配を隠しなおし、男の暴言に耳を傾ける。
――ふん。所詮はただの雑魚か。
心の中でそう呟いた。薄い影は少しも揺れない。
「どこだっ、どこだっ、どこだぁっ! さっさと出てきやがれっ、イカレ頭どもがぁっ!」
……相変わらず、男の品のない言葉には辟易させられる。出てこないのは自分が探せていないからであって、追われる側の責任ではないだろうに。何をあんなに怒っているのだろう。情けない輩もいたものだ。
「ぜってぇ捕まえてやるぞ……もう二度と逃がしはしねえからなっ! そう簡単に『脱走』できると思うなよっ!」
……ん。
――『脱走』?
目をつぶって、記憶を呼び覚ます。頭のどこかにひっかりを探した。
脱走、脱走、脱走……。
――もしや。
こいつが探しているのは、まさか?
ちらりと腕時計を見る。やばい、もうすぐで日が変わる……!
「ちくしょう……くそったれが……」
これだけの大声を出しても、やつらはまったく姿を見せない。当たり前といえば当たり前だが、この際そんなことも言ってられやしない。
だから、もっと厳重に監視しとけと言ったんだ……。
せっかくの『戦力』を野放しにしちまって――これじゃあ、次は俺らがどうなるか分かったもんじゃない。
なんとしてでも……夜が明けるまでには見つけなければ。
「――おい! クソガキとふざけた坊主! よーく聞いとけよっ! 命が惜しかったら、十秒以内に今すぐ俺の目の前に出て来い! もし出てこないようだったら……何がなんでも貴様らをぶち殺してやる! いいか、分かったな! 命乞いしたっておせぇんだぞ!」
大声を出しすぎて喉が痛い。声がかすかに嗄れている。しかし、知ったことじゃない。
あいつを、あの小娘を捕まえないと――今度は、俺がどうなるか分かったものじゃないからだ。
「いいな、数えるぞ! 十、九――」
――声をあげた、その瞬間。
……なんだ?
空気が、変わったような気がした。
「七、六――」
――唐突に、音がなくなる。さっきまで緩やかに吹いていたはずの風も、今はほとんど感じられなくなった。
なんだ、なんなんだ、これ?
気のせい……なのか?
「四、三――」
数字はどんどん減っていく。それと比例するように、体温が下がってきたような気がした。気づいた途端、全身を鳥肌が襲う。
おい、なんだよこれ――なんだってんだ!?
「一、零――」
どんなに違和感を感じても、口だけは止めない――いや――違う。
止めない、じゃない。
――止められない?
違う、違う……!
声は俺ので口も俺ので喉も俺ので、音も俺のもの――そのはずなのに。
違う。
俺は、何も言っていない、のに――
「――軽いな」
声が聞こえた、その瞬間――。
俺は、宙に浮いた。
「ああ、実に軽い……つまらん。やはり、ただの雑魚に過ぎなかったか……まあいい。それよりも情報収集の方が先だ」
視界が霞む。音だけがかすかに聞こえる。
おい、ちょっと待てよ――。
自分の声は、どこか遠くへと揺れて泳いでいく。体の内に、反射しないまま。
「……さて、さっそくだが聞かせてもらおう――貴様の魂の残滓を。ようやく見つけた<組織>への糸口だ。何があろうと――逃がしはしない」
意識の色は、はるか向こうへと消えていった。
◇◇◇◇◇
「……静かに、なりましたね」
「う、うん……そうだね」
ついさっきまで聞こえていた男の怒声は、なぜか突然途切れてしまった。……正直言うと、逃げ出したくなるくらい怖かったんだけど、どうして黙ってしまったんだろう。
「もしかすると――私たちを油断させておいて、隙を狙う作戦……じゃないですか?」
「あぁー、たしかにそれはあり得る……ってそれならまずくない!? それこそ早く逃げなきゃっ!」
「しー! そう思ってるんだったら大声出さないでくださいよ、もうっ! とにかく、逃げる方法を考えないと――」
――そこでいきなり、エイルははっとした顔になって黙ってしまった。その理由が分からず、僕はなおさら焦りが激しくなってきた。
「え、えーと……エイル?」
「喋らないで!」
拒絶の言葉が――いや、言い聞かせるような強い口調の言葉が、エイルの口から飛んできた。なにやら、耳をすまして音を聞いているようだ。僕もそれにならって、両耳に手を添えて、集中する。
……………………。
……………………。
…………ザッ……ザッ……。
「――あっ……」
ものすごく小さい音が聞こえてきた。これはなんだろう……?
だれかの、足音?
「……何か、すごく重いものを担いでるみたいですね」
「えっ?」
思いがけないエイルの小声に、僕はまた耳をすます。さっきよりも、より速く、そして大きく音が聞こえてきた。
間違いない。だれかが、走っているんだ。
でも、他には何も分からない気が――。
「ダーウィーさん、分かりませんか? 足が地面に着いたときの衝撃が、普通よりも断然強いんです。それに、二つに分かれて伝わってくるから、おそらく抱えている荷物がはねているんじゃないでしょうか。たぶん、男の人……だと思います。でもさっきの追っ手じゃない。動作が軽くないし、どちらかといえば重さのせいで苦しそうにしてますし」
矢継ぎ早に出てくるエイルの情報に、僕はとても驚いた。どうして、足音だけでそんなことまで――?
目の前の少女がどんな人なのか、改めて気になってきた。……気にしない約束、してるからなぁ。
「……? なんだか、こっちに向かってるわけじゃないみたいですね。追っ手の一味かと思ってたんですが」
「そういえば、さっき追ってきてた人も、どこに行っちゃったのかわかんないし……なんとか逃げられた、のかな?」
「そうだと、いいんですが」
小道の中には、僕ら二人のささやき声だけが響いている。他のなにかの気配もまったくなくて、怖いぐらいに静か。
――爆音は、そんな時にタイミング悪く訪れた。
初めは、地震でも起きたのかと思った。
轟音が、あたり一面の空気をまとめて吹き飛ばしたのだ。
建物の壁ごしに半端じゃない強さの衝撃がぶつかってきて、僕とエイルは思わずその場にしゃがみこむ。錯覚じゃない。本当に地面が揺れていた。
「――な、ななな何ですかっ!? 何が起きたんですっ!?」
上から小さな石の破片がぱらぱらと降ってきた。まずい、すぐにここから出なきゃ――!
立ち上がろうとしたが、あまりの揺れにバランスを保つことが出来ない。とにかくエイルだけは守ろうとして、細くて弱々しい体で怯えるエイルを、できる限り庇った。
頭や背中のあちこちに、大量の小石が襲い掛かってくる。建物が崩れたりしないことだけを祈って、じっとその場にうずくまった。
「――――」
エイルが何かを言ったが、まったく聞こえない。
暴れる視界をコントロールすることも出来ずに、僕らはただ身を縮めるしかなかった。
――あれから、何分ぐらいたったのだろう。もしかすると、ほんの数秒だったのかもしれないけれど。
気づいたときには、すでに揺れはおさまっていた。顔だけをあげて周りを見渡すと、そこらじゅうに建物の破片らしきものが転がっていた。中には岩のような大きい塊もあったので、落ちてこなくて幸いだったと安心する。
「……あの、ダーウィーさん」
真下から、くぐもった声が聞こえてきた。僕の下敷きになっていたエイルが、驚きを隠せない表情のまま僕に話しかけてきたのだ。
「あ、エイル! 大丈夫? けがしてない?」
「大丈夫みたいです。それより……重いです、ダーウィーさん」
……僕が思いっきりエイルの背中から覆いかぶさっていたので、エイルは動けずにいたらしい……ということに、言われてからやっと気がついた。
「え……あ! ごっ、ごめん!」
「いえ、守ってくださってありがとうございます……見た目よりも重いんですね、意外でした」
「ちょ、地味に傷つく」
「それよりも、さっきの揺れは?」
ぜんぜん分からない。なにが起きたんだ?
まるで、何かが爆発したみたいな――そんな感じの音だったけど。
「爆発……爆発って――もしかして、あの二人じゃあ……」
「え? あの二人って?」
「あくまで予想ですが……ハロー・グッバイという、二人組の<庶民>がいるんです。特にグッバイは爆弾魔として有名で、昔から地下ではよく聞く名ですね。ご存知ないですか?」
「……へえー」
ぜんっぜん、聞いたこともない……。
「ダーウィーさん……あなたは少し、地下について勉強した方がいいんじゃないかと思います」
「余計なお世話だよ……。僕は逃げるだけでいいんだから」
何はともあれ、何事もなくて安心した。はぁー、と深くため息をつく。
……真上からミシッという音が聞こえてきたので、顔を見合わせた僕とエイルは即座に小道から出た。
はぁ、生きててよかったぁ……かもしれない。




