r-what #3
気配。
うっすらと感じている寒気は、きっとそれに違いない。
「グッバイ……グッバイ?」
建物どうしの暗い隙間に隠れて、僕とグッバイの二人は静かな路地裏の空気を吸い込んでいた。<番犬>の言う作戦が始まる前の、ちょっとした小休止。何もなければいいけど、きっとそういうわけにもいかないんだろう――という、嫌な予感が頭の中を駆け巡っていたので、とにかく今は心を落ち着かせることを優先する。
グッバイは自分の荷物の中に入っているものをいろいろとあさっている。中に入っている主なものは、爆弾。冗談でもなんでもなく、八割ぐらいはそれで埋まっているはずだ。あの荷物に火が燃え移りでもしたら、グッバイはもちろんのこと僕だって生きてはいられないだろう。
「なんだ、ハロー……来たか?」
「ううん。違うけど……」
呼びかけはしたものの、何から話していいのかがわからず、ついつい黙って会話を止めてしまう。これは僕の悪い癖だと思う。グッバイと違って、僕はそんなに頭はよくないから。
「何もないなら無闇に喋るな。隠れているのがいつばれるか知れたもんじゃない。今はただ、待て」
「うん……そうだね」
グッバイの断りに、僕は正直ほっとしていた。今回みたいに、たまにグッバイは僕のことを何もかもわかっているんじゃないかと思う時がある。いろいろと毒を吐いたりはするけど、本当に心を傷つけるようなことは言わないし、しない。
グッバイと組んでいると、いつも思う。もしかしたら、僕らは実の兄弟だったりするんじゃないかな――って。それぐらい、僕らのタイミングは完璧で、上手くできている。自分たちでも信じられないくらい。
でも……そんなことは、ありえない。
僕もグッバイも赤の他人。いつかは離れていく存在。きっと、そういうさっぱりとした関係にしか過ぎないんだろう。
「ハロー、お前は準備しなくていいのか?」
「え? あ、うん。準備っていってもこれだけだし」
そういって、僕はぶかぶかの袖の中に隠した小型のナイフを見せる。僕が<切裂魔>と呼ばれるきっかけになったナイフで、まだ小さいころから僕と一緒に戦ってきた唯一無二の凶器。
他にも、これまたぶかぶかしたズボンの裾の中には、手術用メスのような形をした刃物が何本か仕込まれている。取り出すのには慣れているから、その気になればいつだって相手を斬ることが可能だ。
勝負は、いつだって一撃。それを捉えれば勝ちとなり、逃してしまえば負けとなる。
僕にとって、戦いはそういうものだ。
「ふん……。毎度のことだが、いい加減そのふざけた格好はやめたらどうだ? 上から下までだらしのない服を着て……そんな格好でちゃんと動けるのが不思議なくらいだ。もう少し軽さを追求しろ」
「いーやーだー。僕はこの服装が気に入ってるんだからわざわざ文句言わないでよ。今までだって特に問題なかったでしょ? だから大丈夫だってば。それに――言わせてもらうけど、グッバイの方が絶対に変だからね!」
そう、グッバイはまさしく「黒ずくめの男」という表現が一番似合ってる。髪色はもちろんのこと、僕と同じ(だけど長さはきちっとしてある)長袖長ズボンという出で立ちながら、そのすべてが真っ黒に染まっているのである。ジャケットのボタンやら鉄の部分やら、何から何まで目をみはるほど真っ黒だ。
本人いわく「相手の目をだますため」の技らしいんだけど……どうなのかなぁ。まあ、そもそもグッバイは表に出てこないし、大丈夫っちゃあ大丈夫か。
「勝手にいってろ。ほれ」
爆弾の素らしきものを調合しながら、グッバイは僕にイヤホンと細長い棒のような機械を渡してきた。
刻まれているのは、僕ら二人のアイデンティティを示す、太陽と月のマーク。
これもまた、僕ら二人が愛用してきた道具の一つ。僕らの戦いになくてはならない、必須のアイテムだ。
「さて、もうそろそろか……いいか、絶対に油断するんじゃないぞ、ハロー」
「グッバイこそ、タイミング間違えないでよね。ほんと怖いんだからさ」
「冗談はどうでもいい」
「冗談じゃない」
「……まあいい」
「…………」
あー。毎回毎回、なんとなぁく心配なのよね、こいつぁ。
右耳には<番犬>に渡された端末のイヤホン、そして左耳にはグッバイとの連絡のためのイヤホン。
――同時に聞き分けるって、やったことないけど大丈夫かな。
まあなんとかなるだろ……と、僕は自分自身を鼓舞するようにして、力強くてのひらを空に突き出した。
大きな満月がつかめるような、淡い感覚。
「――月は、禍の徴……だっけな?」
不安はもう、すぐそこまで来ていた。とても小さく、弱い気持ちだけれど。
◇◇◇◇◇
……単刀直入に、言いたい。
怖いです。
「それは敵がなのかそれとも私がなのかどっちだ? ん? ん?」
「ちょっ、痛い痛い! なにその技! 痛い! えっなんかすごい、つねられてるのか引っ張られてるのかわかんないこれ、でもとりあえずすっげー痛いっ!」
「感心してる場合かっ!」
「あいたっ! ……いっ、つぅー……ち、ちょっとクロマー! 僕の肌はゴムで出来てるわけじゃないよぉ! 普通に痛いからそういうのやめてよぉ! 泣くよ!?」
本当に泣いてやろうかとも思ったけど、あまりに呆れたのかクロマはそれ以上会話を続けてくれなかった。はいすいません僕の責任でございますね。まっこと申し訳。
僕らは今、街の大部分が大まかに見渡せるぐらいの建物の最上階から外を見ている。<番犬>の情報によると、ついに動き出したと思われる<七賢者>の一人が、さっそく僕ら<正義>の面々と倒そうと送られているらしいのである。
ああ――倒す、っていう表現は、あんまり合ってないかな。
殺す、だね。正確には。
「お……おい……お前ら……!」
僕の足元に倒れている人が、突然話しかけてきた。うおすげえ、まだ生きてたんだ……。
「ん? どうしたの?」とりあえずお返事。
「どうしたの? じゃねぇよ!」コミュニケーション失敗。
「おい、うるさいぞ貴様ら。少し黙っていろ、集中できないだろう」
いつもより低いトーンでクロマはそう言った。……あれ……? ら、ってことは僕も含まれてる……?
「ふざけるな……! なんでこんなことを、ぐっ、し、しやがる……!」
「わかりきったことを聞くな。私たちは<正義>の一員だと、最初にそう言っただろう。覚えてないのか?」
「件の新勢力とかいう奴だろ!? わけわかんねぇよ! お前らバカじゃねぇのか!? <組織>の邪魔をしたらどうなるか――が――っは――」
――鬼気迫っていた男の顔が、みるみるうちに蒼白に変わっていく。
ふとクロマの方に顔を向けると、さっきまで窓の外を向いていた目は、男に向かってぎらりと向けられていた。
……うわ、こわっ。
鬼のように鋭い目で、クロマは小刻みに震えながら睨みを続けていた。
「――だから……黙れと言っているだろうがぁ……! 人の話もろくに聞けないのか、貴様はぁっ……!?」
「あ――ひ――あぁう――うあ――っ……」
喘息にでもなったかのように苦し紛れの呼吸を繰り返していた男は、突然ふっと糸が切れたように動かなくなってしまった。
……あれ、まさか……?
「クロマァ……今、なにした?」
「……ふぅ……気にするな……」
「いや気にしちゃうよぉ! それは無理だよクロマァ!」
レイー! やっぱ組み合わせ変えてー! 僕じゃあ務まらないって、この人の相手ぇっ!
◇◇◇◇◇
じめじめ。じめじめ。
……不快だ。単刀直入に、そう思う。
体の芯まで染み込むような不気味な寒さと気持ち悪さが、長い廊下の壁や床をべたべたと這いずり回っている。何か巨大な生き物に飲み込まれてしまったような感覚だ。じわっと光る懐中電灯の明かりが、逆に恐怖を倍増させている。
覗けば覗くほど、奥の方まで暗闇が際限なく続いているような気がするが、きっとそんなことはない……と思う。確信ではないけど、この先にあの人がいることは承知のことだからだ。
――やっぱり、来るべきじゃなかったかも……。
いくらレイさんの命令とはいえ、こう簡単に受け入れてしまったことが残念でならない。
ペアを作るという作戦はたしかに効率的で非常にいいものだとは思う。でも、よりにもよってレコードさんと一緒だなんて……。
「はぁ……せめてダーウィーさんと一緒がよかった……」
…………。
……はっ、何言ってるの私?
「ああもう……早く出たいなぁ」
いつになったら着くのだろう。歩いている道は一本道だから、迷うことはないと思ったんだけど。
……もしかすると、途中で隠し扉的なものがあったのかもしれない。それはさすがに考えていなかった。……うん、もしかしたらありえるかも。<情報屋>っていうぐらいだし、やっぱりできる限りセキュリティとか「おーい」ちゃんとしてるだろうし。うわ、じゃあどうしよう……? 一回道戻った方が「おーい!」いいのかな……いやでも、もう結構歩いたよ……? またこの道戻るのはちょっと「おいっ! こっち! こっちー!」
「はえ?」
驚いたので変な声が出てしまった。後ろを振り向くと、何の変哲もない灰色の壁の一部が開いて、そこから光が漏れ出しているのがわかった。
「こっちだ。早く来て」
見覚えのある細い線の男が、私に手招きをする。少し声をかけてから、ささっと部屋の中へと入っていってしまった。
「あ、は、はい……」
恐る恐るその場所まで近づいて、壁に身をひそめながらちらっと部屋の中を見てみる。
「――うわぁ……」
――そこにあったのは、見渡す限りの機械とケーブルの塊。
もはや足の踏み場すらない部屋の中は、異常なまでの埃と渇きで埋め尽くされている。ディスプレイらしきものに映っているものははっきりとは見えないが、どうやらカメラか何かの映像らしい。別々の映像を流す画面が、いたるところに無造作に置かれている。
そして、その中心でキーボードを颯爽と叩く人が、一人。
<情報屋>、レコード。
「そこ閉めて」
「あ、はいっ」
私はささっと部屋に入り、後ろ手にその扉を閉めた(どうやら、内側からしか開けられない引き戸らしい)。部屋の中がさらに暗くなり、より一層不気味さを身近に感じるようになった。
「…………」
「…………」え、会話……。
どっちも何もしゃべらない。というか、しゃべることがない。部屋に響くのは、レコードさんが叩くキーボードの無機質な音だけだ。
うわー、重い……。
「え、えーと……レコードさん?」
「なに?」振り向きさえせずに、ぞんざいな相槌を返すレコードさん。
「いえ……えっと……」
「何もないなら後でいい?」
「はい……」いや後もいらないです。
これは困った……何にも話すことがない。たしかにレイさんにも言われていたけど、さすがにここまで静かな人だとは思わなかった。――いや、静かなわけじゃないか。どちらかといえば活発な方だ、見た目と性格を除けば。
いくつもの画面から流れてくる映像。音声はまったくない。……不思議だ。ほんとに、不思議。
よくよく考えてみると、無理して話す必要もないかもしれない。いやでも、いざという時にすぐにコンタクトとれる程度には……なんかそれすら無理な気がしてきた。どうしよう私。
レコードさんらしい話題、ってどういうのがあるんだろう。ちょっと考えてみようかな――
――爆風が映った。
「――っ!?」
左斜め前。灰色が映る液晶画面の中で、赤い炎が燃え上がっている。
――まさか……敵!?
「心配しなくてもいいよ。あれはグッバイ……だったっけ? 彼の作戦だから」
「えっ? あの……作戦って、どういう?」
「おびき寄せ、みたいだね。一度騒ぎを起こせば、町中が騒然とするだろう? 人々は皆、好奇心をそそられて爆心地に向かおうとする。そうすれば、<七賢者>も表に出ざるを得ない。仮に出てこなくても、探しやすくなるしね」
なるほど……。そういえば、私とダーウィーさんもあのグッバイっていう人の爆発現場を見た覚えがある。
あれが故意なのか、はたまた事故なのかは知らないけど、なかなかいい作戦だと思った。……毎回毎回、心臓が止まるようなことさえ起こらなければ、だけど。
「さぁて、ここからが僕らの仕事だ。えーと、君……エイルだったっけ?」
「え? あ、はいっ!」
「君――たしか、『五感を研ぎ澄ませる』能力者だってね」
「あ……」
どうして知ってるんですか――と言おうとして、それが当たり前のことだとすぐに気が付いた。
<情報屋>にとって、この程度のことを調べるのは造作もない、ということを。
「じゃあ、これをつけてくれ」
そういってレコードさんが差し出してきたのは、不思議な造形をしたヘッドセットだった。
「……? これは、いったい?」
「街のいたる所に、小型のマイクを大量に設置した……まあ、設置したのは僕じゃないけどね……。そのヘッドセットからは、各地のマイクが拾う音が一気に流されるようになっている。ちょっと、音量を上げてみるよ。つけてみて」
言われるままにヘッドセットを頭につける。思いのほか、大きくて重たい。ほどなくして、ざわざわとしたノイズのような音が聞こえてくるようになった。
「君の仕事は、<七賢者>の出す音を聞き分けることだ。ディスプレイと比較して、どの音がどの場所からの音なのかをちゃんと整理しておいて。不穏な音がしたら、すぐに僕に報告してくれ。一応、そのヘッドセットについてるマイクは僕のイヤホンにつながってるから」
ざわざわする不安定な音の波は、絶えることなく私の耳に押し寄せてくる。――もっとも、私にとっては大したものではないけれど。
「それだけだね。何か質問は?」
振り返るレコードさんの顔には、疲れや悲壮感のような雰囲気が漂っている。でも決して、ただ暗いわけじゃない。
――情熱。
仕事をすることに対しての、燃えさかるような情熱が、見える。
……そうか。だからレイさんは、この人を。
「わかりました。――何があっても、必ず聞き分けてみせます」
「その意気だ。<監視役>さん」
――背中がぞわっ、とした。
あんまり、その名前で呼ばれるのは好きじゃないんだけどな……。
「さて、僕も準備準備……」
清々しいほど乾いた表情で、レコードさんは再びパソコンを操作しはじめた。




