清少納言の日々
「…あら、雪ですわ」
静かにしんしんと降る雪。
水分を含んでいる丸型なので、積もらないと思うが、自然の美しさに、清少納言はほうと息を吐く。
回廊から下りて手で雪を受け止めると、さらりと消えてしまい、水滴も残らない。
ただ冷たい感触だけはあり、灰と白の混じった空を見上げる。
「ー清少納言、どうなさったのですか?」
御簾の中から声がかかり、清少納言は慌てて回廊に行き、頭を低くする。
「雪ですわ、定子様。それはもう美しい景色で」
定子、と呼ばれた女性は、藤原道隆の娘で、一条天皇の中宮ー皇后に等しい存在だった。
道隆は藤原道長の兄で、おしゃれで派手なことが好きな御方だった。
その定子に仕えることになったのは、結婚生活が駄目になり、そこからご縁で、宮仕えが始まったのだった。
その時、定子は十七歳、一条天皇よりも四歳年上だった。
ーでも気に入られていますのよね。
ふふと清少納言が微笑む。
一条天皇のほうが定子のことが好きなようで、よくお部屋へいらっしゃるのだった。
定子は学才に優れ、心優しい性格だから、一条天皇はゆっくりしたくて来ているのかもしれない。
宮中は一筋縄ではいかず、暗躍する者達で溢れているのだった。
「どんな風に美しいの? 教えてくれるかしら?」
「は、はい。そうですね…定子様の肌のように柔らかく、優しく、触れると心に響きますの。今、私、触ってみましたが、それはそれはもう、自然の素晴らしい贈り物ですわ」
「ほほ。さすが清少納言。例えが美しいですわ」
「もったいない御言葉」
頭を下げつつ、清少納言は自信ありげに微笑む。
ー二番、三番じゃなくて、私、一番を目指していますの。
清少納言は勝ち気で、負けず嫌いだった。
人の対応が上手で、こうしていつも定子を楽しませているのだった。
定子のほうも、面白がっているところがあり、さすが母親の家系が学者として名高い高階氏の御方だと納得する。
ーそうよ。天だって、定子様を喜ばせるために、雪を降らせているんですわ。
雪はやむことなく、そして酷くなることもなく、静かに地面を濡らしていく。
「定子様、寒くはありませんこと?」
「大丈夫よ。火鉢が側にありますから。清少納言もおいでなさい」
「ありがとうございます」
清少納言は嬉しそうな声を出した。
自分は器量が良くないのに、誰も攻撃してこない。
もちろん陰では言っているのかもしれないが、定子の側にいられることは幸せだった。
ー後で、枕草子に書かなくては。
随筆ー筆者が感じたことや考えたことを、自由に書く文書のことなのだが、清少納言は宮中のことなどをまとめて書いているのだった。
女房達の間で人気があり、尊敬されることも多かった。
ー私に勝てる人間なんているのかしら…?
自分の書くものが一番面白いという自信があった。
鼻を高くしていると、誰かが回廊を進んでくる。
「ーこれは、これは。清少納言」
「まあ!! 伊周様!!」
清少納言は回廊の床に手をつくと、伊周を迎え入れる。
伊周は定子の兄で、もう一人、隆家という兄がいるのだった。
位は大納言で、父親の道隆は関白だった。
ー扇で顔を隠したほうがいいのかしら…?
伊周と隆家は隙をみては、定子の元を訪れ、ご機嫌伺いにやって来ているのだった。
「雪が降っているね。どう思う?」
「そうですわね…」
素早く清少納言は頭を回転させると、伊周に恐る恐る答える。
「雪は天の嬉し涙ですわ」
「ほう。どういう意味?」
「ぽたりと静かに落ち、地にかえる。それは植物の源となり、広がっていく。伊周様も同じく、周りの者を喜ばせるもので、静かに影響を与えになりますわ。伊周様がいなくては、つまらないという、天のわがままかもしれません。ーいかがでしょうか?」
「ほほ。面白い解釈だ。さすが定子の側にいるだけある」
「ありがとうございます。光栄ですわ」
「清少納言も一緒に御簾の中に入ろう。干し柿を持ってきたんだ」
「干し柿…!! 定子様が喜ばれますわ」
「うん。ーねえ、定子。御簾の中に入っていいかな?」
「いいですわよ。いらっしゃいませ、お兄様」
「清少納言も早く」
「は、はい…。失礼いたします」
御簾の中に入ると、確かに火鉢の温かさが伝わってくる。
定子は穏やかな表情をしており、微笑むと誰よりも美しかった。
ー一条天皇様も、後でいらっしゃるのかしら…?
一人でどきどきしていると、伊周に干し柿を一つ、渡させる。
「え…。あの、私の分は…」
「いいから。…ほら、定子。干し柿だよ。食べて栄養をつけないと」
「ありがとうございます、お兄様。…これ、後でとっておいてくれる? 一条天皇様にもあげたいから」
近くの女房に言うと、静かに動き、干し柿を回収していく。
清少納言はもらった干し柿をどうしようか迷ったが、懐紙に包むと、胸元へ入れる。
潰さないように気をつけなければと思いつつ、伊周と定子を見る。
ーはあ…。美男美女だわ。羨ましい…。
伊周は流行りの直衣を着ており、輝かしいばかりの御方だった。
彼は火鉢を挟んで定子の前に進むと、質問してくる。
「一条天皇様は、今日も来られるのかい?」
「そうですわね…。私に魅力があればいらっしゃると思いますわ。ふふ」
「魅力ねえ。十分だと思うけれど。ほほ」
伊周が笑い、定子も袖で顔を隠す。
仲の良い兄妹で、見ていて和むのだった。
ーああ、伊周様から溢れてくる香りも、新鮮ですわ。
伊周から漂う匂いは、嗅いだことがないものだが、嫌なものではなかった。
定子も気づいたらしく、伊周に笑いかける。
「お兄様は新しいもの好きですものね。私も勉強いたしますわ」
「そうかい? どうも流行を最先端のものにしないと、気がすまなくてね。唐のものは珍しいものばかりだよ」
「まあ!! 唐のもの…!! 私も拝見したいですわ」
「後でゆっくり話て聞かせてあげる。一条天皇様も喜ぶと思うし」
「はい。よろしくお願いいたします、お兄様」
定子が嬉しそうにお辞儀すると、伊周が扇を広げ、笑い声を立てる。
世界はここから回っているといっても、過言ではなく、清少納言はどきどきする。
ー最新のもの…!! 私も興味ありますわ。
後で定子を伝って聞こうと思い、手がうずく。
今すぐ記しておきたいのだが、下がっていいものかと悩んでしまう。
ー失礼なことはしたくないですし…。二人の話を聞けるだけでも、貴重ですわ!!
一人で興奮していると、伊周が手を伸ばし、定子の頬に触れる。
定子は黙って受け止める。
兄妹なのに、まるで恋人のようだった。
「少し痩せたかい? 食べないと駄目だよ」
「はい。その、良い御子を生みませんと」
定子の頬が赤くなると、伊周は上機嫌に言う。
「そればかりは、天の授かりものだからね。私も手が出せないよ」
「ほほ。でも一条天皇様はお優しく、労ってくださるので」
「そうか。それは良かった。どんどんお呼びになりなさい」
「もうお兄様ったら」
二人のやり取りを微笑ましく見ていた清少納言は、ふと口をついて言葉が出てくる。
「ー太陽ですわ」
「え、太陽? どういう意味かな?」
清少納言は真顔になると、伊周と定子を見る。
「火鉢が太陽だとすると、周りを暖め、気持ちを楽しませるのと同じで、伊周様と定子様も、太陽の子ですわ。いらっしゃるだけで、場が明るくなり、周りを照らし出す。いなくてはならない存在ですわ」
「ほう…。それは、それは、ありがとう。清少納言」
「私からも礼を言いますわ。ありがとう、清少納言」
「その、失礼かと思ったのですが…」
清少納言は照れて、袖で顔を隠すと、そろそろ去ったほうがいいなと頃合いを見る。
「私、退室いたしますわ。後はお二人でゆっくりなさってくださいませ」
「ああ、またね」
「また後で来てくださいね」
「はい!!」
二人に頼りにされているのが嬉しく、清少納言は張り切って答える。
丁重に頭を下げると、御簾の外へ出たのだった。
足早に進んでいくと、いつの間にか、雪はやんでおり、空の青さが広がろうと、手を伸ばしているのが分かる。
ー吉兆ですわ。何と素晴らしい。
伊周と定子のことを思い、二人がいるから、自分も大丈夫と思えるのだった。
ーさて、忘れないうちに、随筆を書きましょう。
胸元の干し柿にそっと触れると、清少納言は自室へ戻っていくのだった。




