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異世界召喚されたら称号に前世がバレていた件――密室で神官長を論破した研究者令嬢、二度目の人生を謳歌する

掲載日:2026/07/06

目を開けたら、天井が金色だった。


寝起きに見るには派手すぎる。モザイク画のようにはめ込まれた宝石が、蝋燭の灯を受けて揺れている。私は硬い石の床に仰向けで転がっていた。背中が痛い。それから足先が冷たい。靴を履いていなかった。


最後の記憶を手繰る。研究室のデスク。モニターに映った論文の赤字修正。時計を見たのが午前三時で、それから先がない。


起き上がると、部屋の全容が見えた。円形の広間に柱が八本。扉は一つしかなく、分厚い樫材に鉄の蝶番。窓はない。床に魔法陣のような紋様が描かれていて、私はそのちょうど中心に寝ていたらしい。


紋様はまだ薄く光っている。インクではない。発光体が石材に埋め込まれているのだ。


声がした。


「聖女様、お目覚めでございますか」


振り向くと、白い法衣の男が立っていた。五十代後半、痩せぎすで背が高い。眉の間に深い縦皺が一本。手には革張りの書類挟みを持っている。その後ろに、同じ法衣の若い男が二人、槍を抱えて控えていた。


「お体の具合はいかがですか。召喚の儀は肉体に大きな負荷がかかります。頭痛や吐き気があれば、すぐに——」


「ここはどこですか」


遮ったのは意図的だった。相手の段取りに乗ると、質問の機会を失う。学会の質疑応答で何度も経験した。


男は一瞬だけ口を閉じ、それから丁寧に微笑んだ。


「ここはアルステイン聖教国、中央神殿の儀式の間でございます。私は神官長のヴェルナーと申します」


「なぜ私の名前を知っているのですか」


「召喚の儀が対象者を選定いたします。三條紗季様、ようこそおいでくださいました」


選定。つまり偶然ではない。


「まずは、ご自身のステータスをご確認いただけますか。右手を胸の前にかざして、開示の意志を持っていただければ」


ステータス。ゲームの用語だ。だが、この部屋の構造物が未知の発光原理で動いていることを考えれば、常識の物差しをここで当てるのは愚かだろう。


言われた通りにした。右手を胸の前に持ち上げ、意識を集中する。


空気が揺れた。目の前に半透明の文字列が浮かんだ。



名前:サキ・サンジョウ

種族:異界人

称号:薬学博士

魔力:412

聖属性適性:A

固有技能:鑑定(素材)



読み終える前に、ヴェルナーの目の動きが変わった。彼もこの画面が見えている。視線は三行目で止まっていた。


「……薬学博士」


ヴェルナーが低い声で復唱した。背後の衛兵が、微かに槍を握り直した。


「三條様。大変申し訳ないのですが、いくつか確認をさせていただきたく存じます。この扉は、確認が済むまで開けることができません」


密室だ。出口は一つ。衛兵は二人。ヴェルナーの右手の書類挟みの下に、何か金属光沢のあるものが見える。


「何を確認するのですか」


「称号欄に表示される職能は、その人物の本質を映すものです。聖女の召喚においては通常、ここに『聖女候補』あるいは『神の寵児』と記されます」


「つまり私の称号は、想定と違った」


「左様です。薬学博士という称号は、過去の召喚記録に存在しません。あなたが何者であるか、改めてお聞かせください」


扉に鍵をかけたのは質問の前だ。答えの内容に関わらず、ここから出す気がない。


「お答えする前に、一つ聞いてもいいですか」


「質問をしているのは、こちらです」


「ええ。ですが、先に確認しておきたいことがある。聖女の称号が正しく出ていたら、私は今頃この部屋にいましたか」


ヴェルナーは答えなかった。


「答えないということは、いないんですね。別の場所に連れていかれていた。歓迎の宴か、あるいは神殿の奥か」


「……三條様」


「もう一つ。この床の紋様を見てもいいですか」


私は紋様のそばにしゃがみ込んだ。八方位の配列。規則的な間隔。ただし、北東の紋様だけ刻みが浅い。


「この陣、最近一部を描き直しましたね」


「なぜそう思われるのですか」


「北東の紋様だけ角が鋭い。周囲は数十年分の摩耗がありますが、北東だけ新しい。それと、紋様の境目にごく薄い焦げ痕がある」


ヴェルナーの表情が動かなかった。動かなかったこと自体が答えだった。


「描き直す理由はいくつか考えられますが、もっとも自然なのは、前回の儀式で失敗したからでしょう」


「三條様」


「聖女の召喚は今回が初めてではない。前回は失敗して、その事実を隠している。私の称号が想定外だったこと以上に、神殿側が隠したいのはそちらではありませんか」


衛兵の一人が前に出ようとした。ヴェルナーが手で制した。


「三條様。あなたは聡明な方のようだ」


「研究者です。仮説を立てて検証するのが仕事でした」


前世の仕事。三十年間、私はそれしかやってこなかった。朝から晩まで研究室にこもり、学会で発表し、論文を書いた。母は私の生き方が理解できなかった。見合いの写真を持ってくるたびに断り、やがて母は研究室に直接乗り込んできた。学部長に泣きついて、研究費の配分に口を出し、共同研究者を引き剥がした。


研究室を潰されたあの日、私は初めて母に怒鳴った。そして翌日から一人で成果を出し続け、体を壊すまで十年かかった。


後悔はある。なぜもっと早く母から離れなかったのか。三十年の人生で、全力で楽しんだと言えることが一つもない。


だが、今は違う。ここには母がいない。論文の締め切りもない。あるのは嘘つきの神官と、閉ざされた扉と、解くべき謎だ。


不思議と、心臓が高鳴っていた。恐怖ではなく。


「ヴェルナー神官長。もう一つ、いいですか」


「何でしょう」


「あなたの書類挟みの二枚目、裏向きにされていますね。さっきめくった時に見えました。赤い印鑑が押してある」


ヴェルナーの右手が書類挟みを引いた。


「この国の公文書の慣例は知りませんが、赤い印鑑は多くの文化圏で決裁済みを意味します。その書類は今日の儀式の前に承認された。つまり、召喚後の処遇は最初から決まっていた」


「……」


「聖女であれば表舞台へ。そうでなければ、ここで消す。違いますか」


ヴェルナーは長い沈黙のあと、書類挟みを閉じた。


「三條様。あなたの指摘は、半分正しく、半分間違っている」


「どの半分が間違いですか」


「消すつもりはなかった。記憶を消して、一般市民として放出する予定でした」


「記憶を消す」


「はい。前世の知識ごと、この召喚の事実を」


穏やかな処分のように聞こえるが、本質は同じだ。不都合な存在を、都合のいい形に作り変える。母がやったことと同じだった。


「それは、私にとって死と変わりません」


「なぜですか」


「薬学博士としての三十年は、私そのものだからです。論文のデータも、実験の手触りも、失敗して深夜に一人で泣いたことも。それを消されたら、ここに立っているのは私ではなくなる」


ヴェルナーは私をじっと見た。


「では、どうされたいのですか」


「三つ、条件を出します」


指を立てた。


「一つ。私の記憶に手を出さないこと」


「二つ目は」


「この国で薬学の研究をする環境を与えてください。素材の鑑定技能があるなら、この世界の植物や鉱物の分析ができます」


「三つ目は」


「聖女の名義は差し上げます。ただし、実務は私の研究成果で代替します。治癒の奇跡が必要なら、薬で実現する」


ヴェルナーの眉が上がった。


「薬で、聖女の奇跡を」


「あなたがたが聖女に求めているのは治癒能力でしょう。手段が魔法でも薬学でも、結果が同じなら問題ないはずです。聖女のラベルが必要なら名前を貸します。中身は科学です」


衛兵たちが互いに目配せをした。ヴェルナーは顎に手を当て、しばらく考えた。


「前回の召喚の件は、なぜ気づかれましたか。鑑定の技能を使われましたか」


「いいえ。目で見ました」


「目で」


「北東の刻みだけ角がまだ鋭い。周囲は数十年分の摩耗がありますが、北東だけ数ヶ月以内に彫り直されている。焦げ痕も肉眼で確認できました。研究者は観察が仕事です」


ヴェルナーが、初めて笑った。作り笑いではない、苦笑に近い表情だった。


「前回の召喚は四ヶ月前でした。結果は、あなたの推察の通りです」


「召喚された方はどうなりましたか」


「称号は『無職』。聖属性適性は最低値。記憶の処置を施し、南部の農村に住んでいただいています」


一人の人間の人生を、こうも淡々と語る。だが怒りをぶつけても扉は開かない。


「なぜそこまでして聖女が必要なのですか」


「北方辺境に疫病が広がっています。既存の治癒魔法では対処できない種類の病です。聖女の大規模治癒がなければ、三ヶ月で辺境の都市が壊滅します」


「症状は」


「高熱、皮膚の紫斑、呼吸困難。進行が極めて早い」


「感染症ですか、環境性の中毒ですか」


「分かりません。調査団を三度送りましたが、調査団そのものが罹患して戻ってきました」


「治癒魔法で一時的に症状は抑えられますか」


「熱は下がります。しかし二日で再発する」


再発する。つまり原因が除去されていない。治癒魔法は症状を消すが、病因には届いていない。仮説が一つ、形を結んだ。


「もしこの疫病の原因を特定して、薬で根治できたら。それは聖女の奇跡と呼んでいいのではありませんか」


ヴェルナーは書類挟みを脇に置いた。


「三條様。あなたの条件を、上に持っていきます。この扉は開けます」


「ありがとうございます」


「ただし、結果が出なかった場合の話は、いずれしなければなりません」


「構いません。研究には期限がつきものです。三十年やってきましたから、慣れています」


扉の鍵が外される音がした。


円形の広間を出ると、長い回廊が続いていた。窓がある。窓の外に、夜空がある。星が、見たことのない配列で光っている。


足を止めて、しばらく見上げた。


三十年間、夜空を見上げる暇がなかった。研究室の窓はいつもブラインドを下ろしていた。星の配置が変わっても、空の美しさは変わらない。


ここには母がいない。学会もない。締め切りもない。あるのは未知の病と、見たことのない薬草と、解くべき問題の山だ。


鑑定の技能を、試しに窓辺の石材に向けてみた。半透明の文字が浮かぶ。成分、結晶構造、生成年代。前世の分析機器よりも遥かに詳細なデータが、指一本で手に入る。


これがあれば、あの疫病の原因も突き止められる。治癒魔法が症状しか消せないなら、病因は魔法の外にある。つまり、科学の領域だ。


私は、口元が緩むのを止められなかった。三十年かけても手に入らなかった自由な研究環境が、異世界の密室交渉で転がり込んでくるとは思わなかった。回廊の先に、まだ見ぬ薬草と鉱物と、名前のない病が待っている。今度は誰にも邪魔させない。今度こそ、全力で楽しむ。

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