異世界召喚されたら称号に前世がバレていた件――密室で神官長を論破した研究者令嬢、二度目の人生を謳歌する
目を開けたら、天井が金色だった。
寝起きに見るには派手すぎる。モザイク画のようにはめ込まれた宝石が、蝋燭の灯を受けて揺れている。私は硬い石の床に仰向けで転がっていた。背中が痛い。それから足先が冷たい。靴を履いていなかった。
最後の記憶を手繰る。研究室のデスク。モニターに映った論文の赤字修正。時計を見たのが午前三時で、それから先がない。
起き上がると、部屋の全容が見えた。円形の広間に柱が八本。扉は一つしかなく、分厚い樫材に鉄の蝶番。窓はない。床に魔法陣のような紋様が描かれていて、私はそのちょうど中心に寝ていたらしい。
紋様はまだ薄く光っている。インクではない。発光体が石材に埋め込まれているのだ。
声がした。
「聖女様、お目覚めでございますか」
振り向くと、白い法衣の男が立っていた。五十代後半、痩せぎすで背が高い。眉の間に深い縦皺が一本。手には革張りの書類挟みを持っている。その後ろに、同じ法衣の若い男が二人、槍を抱えて控えていた。
「お体の具合はいかがですか。召喚の儀は肉体に大きな負荷がかかります。頭痛や吐き気があれば、すぐに——」
「ここはどこですか」
遮ったのは意図的だった。相手の段取りに乗ると、質問の機会を失う。学会の質疑応答で何度も経験した。
男は一瞬だけ口を閉じ、それから丁寧に微笑んだ。
「ここはアルステイン聖教国、中央神殿の儀式の間でございます。私は神官長のヴェルナーと申します」
「なぜ私の名前を知っているのですか」
「召喚の儀が対象者を選定いたします。三條紗季様、ようこそおいでくださいました」
選定。つまり偶然ではない。
「まずは、ご自身のステータスをご確認いただけますか。右手を胸の前にかざして、開示の意志を持っていただければ」
ステータス。ゲームの用語だ。だが、この部屋の構造物が未知の発光原理で動いていることを考えれば、常識の物差しをここで当てるのは愚かだろう。
言われた通りにした。右手を胸の前に持ち上げ、意識を集中する。
空気が揺れた。目の前に半透明の文字列が浮かんだ。
名前:サキ・サンジョウ
種族:異界人
称号:薬学博士
魔力:412
聖属性適性:A
固有技能:鑑定(素材)
読み終える前に、ヴェルナーの目の動きが変わった。彼もこの画面が見えている。視線は三行目で止まっていた。
「……薬学博士」
ヴェルナーが低い声で復唱した。背後の衛兵が、微かに槍を握り直した。
「三條様。大変申し訳ないのですが、いくつか確認をさせていただきたく存じます。この扉は、確認が済むまで開けることができません」
密室だ。出口は一つ。衛兵は二人。ヴェルナーの右手の書類挟みの下に、何か金属光沢のあるものが見える。
「何を確認するのですか」
「称号欄に表示される職能は、その人物の本質を映すものです。聖女の召喚においては通常、ここに『聖女候補』あるいは『神の寵児』と記されます」
「つまり私の称号は、想定と違った」
「左様です。薬学博士という称号は、過去の召喚記録に存在しません。あなたが何者であるか、改めてお聞かせください」
扉に鍵をかけたのは質問の前だ。答えの内容に関わらず、ここから出す気がない。
「お答えする前に、一つ聞いてもいいですか」
「質問をしているのは、こちらです」
「ええ。ですが、先に確認しておきたいことがある。聖女の称号が正しく出ていたら、私は今頃この部屋にいましたか」
ヴェルナーは答えなかった。
「答えないということは、いないんですね。別の場所に連れていかれていた。歓迎の宴か、あるいは神殿の奥か」
「……三條様」
「もう一つ。この床の紋様を見てもいいですか」
私は紋様のそばにしゃがみ込んだ。八方位の配列。規則的な間隔。ただし、北東の紋様だけ刻みが浅い。
「この陣、最近一部を描き直しましたね」
「なぜそう思われるのですか」
「北東の紋様だけ角が鋭い。周囲は数十年分の摩耗がありますが、北東だけ新しい。それと、紋様の境目にごく薄い焦げ痕がある」
ヴェルナーの表情が動かなかった。動かなかったこと自体が答えだった。
「描き直す理由はいくつか考えられますが、もっとも自然なのは、前回の儀式で失敗したからでしょう」
「三條様」
「聖女の召喚は今回が初めてではない。前回は失敗して、その事実を隠している。私の称号が想定外だったこと以上に、神殿側が隠したいのはそちらではありませんか」
衛兵の一人が前に出ようとした。ヴェルナーが手で制した。
「三條様。あなたは聡明な方のようだ」
「研究者です。仮説を立てて検証するのが仕事でした」
前世の仕事。三十年間、私はそれしかやってこなかった。朝から晩まで研究室にこもり、学会で発表し、論文を書いた。母は私の生き方が理解できなかった。見合いの写真を持ってくるたびに断り、やがて母は研究室に直接乗り込んできた。学部長に泣きついて、研究費の配分に口を出し、共同研究者を引き剥がした。
研究室を潰されたあの日、私は初めて母に怒鳴った。そして翌日から一人で成果を出し続け、体を壊すまで十年かかった。
後悔はある。なぜもっと早く母から離れなかったのか。三十年の人生で、全力で楽しんだと言えることが一つもない。
だが、今は違う。ここには母がいない。論文の締め切りもない。あるのは嘘つきの神官と、閉ざされた扉と、解くべき謎だ。
不思議と、心臓が高鳴っていた。恐怖ではなく。
「ヴェルナー神官長。もう一つ、いいですか」
「何でしょう」
「あなたの書類挟みの二枚目、裏向きにされていますね。さっきめくった時に見えました。赤い印鑑が押してある」
ヴェルナーの右手が書類挟みを引いた。
「この国の公文書の慣例は知りませんが、赤い印鑑は多くの文化圏で決裁済みを意味します。その書類は今日の儀式の前に承認された。つまり、召喚後の処遇は最初から決まっていた」
「……」
「聖女であれば表舞台へ。そうでなければ、ここで消す。違いますか」
ヴェルナーは長い沈黙のあと、書類挟みを閉じた。
「三條様。あなたの指摘は、半分正しく、半分間違っている」
「どの半分が間違いですか」
「消すつもりはなかった。記憶を消して、一般市民として放出する予定でした」
「記憶を消す」
「はい。前世の知識ごと、この召喚の事実を」
穏やかな処分のように聞こえるが、本質は同じだ。不都合な存在を、都合のいい形に作り変える。母がやったことと同じだった。
「それは、私にとって死と変わりません」
「なぜですか」
「薬学博士としての三十年は、私そのものだからです。論文のデータも、実験の手触りも、失敗して深夜に一人で泣いたことも。それを消されたら、ここに立っているのは私ではなくなる」
ヴェルナーは私をじっと見た。
「では、どうされたいのですか」
「三つ、条件を出します」
指を立てた。
「一つ。私の記憶に手を出さないこと」
「二つ目は」
「この国で薬学の研究をする環境を与えてください。素材の鑑定技能があるなら、この世界の植物や鉱物の分析ができます」
「三つ目は」
「聖女の名義は差し上げます。ただし、実務は私の研究成果で代替します。治癒の奇跡が必要なら、薬で実現する」
ヴェルナーの眉が上がった。
「薬で、聖女の奇跡を」
「あなたがたが聖女に求めているのは治癒能力でしょう。手段が魔法でも薬学でも、結果が同じなら問題ないはずです。聖女のラベルが必要なら名前を貸します。中身は科学です」
衛兵たちが互いに目配せをした。ヴェルナーは顎に手を当て、しばらく考えた。
「前回の召喚の件は、なぜ気づかれましたか。鑑定の技能を使われましたか」
「いいえ。目で見ました」
「目で」
「北東の刻みだけ角がまだ鋭い。周囲は数十年分の摩耗がありますが、北東だけ数ヶ月以内に彫り直されている。焦げ痕も肉眼で確認できました。研究者は観察が仕事です」
ヴェルナーが、初めて笑った。作り笑いではない、苦笑に近い表情だった。
「前回の召喚は四ヶ月前でした。結果は、あなたの推察の通りです」
「召喚された方はどうなりましたか」
「称号は『無職』。聖属性適性は最低値。記憶の処置を施し、南部の農村に住んでいただいています」
一人の人間の人生を、こうも淡々と語る。だが怒りをぶつけても扉は開かない。
「なぜそこまでして聖女が必要なのですか」
「北方辺境に疫病が広がっています。既存の治癒魔法では対処できない種類の病です。聖女の大規模治癒がなければ、三ヶ月で辺境の都市が壊滅します」
「症状は」
「高熱、皮膚の紫斑、呼吸困難。進行が極めて早い」
「感染症ですか、環境性の中毒ですか」
「分かりません。調査団を三度送りましたが、調査団そのものが罹患して戻ってきました」
「治癒魔法で一時的に症状は抑えられますか」
「熱は下がります。しかし二日で再発する」
再発する。つまり原因が除去されていない。治癒魔法は症状を消すが、病因には届いていない。仮説が一つ、形を結んだ。
「もしこの疫病の原因を特定して、薬で根治できたら。それは聖女の奇跡と呼んでいいのではありませんか」
ヴェルナーは書類挟みを脇に置いた。
「三條様。あなたの条件を、上に持っていきます。この扉は開けます」
「ありがとうございます」
「ただし、結果が出なかった場合の話は、いずれしなければなりません」
「構いません。研究には期限がつきものです。三十年やってきましたから、慣れています」
扉の鍵が外される音がした。
円形の広間を出ると、長い回廊が続いていた。窓がある。窓の外に、夜空がある。星が、見たことのない配列で光っている。
足を止めて、しばらく見上げた。
三十年間、夜空を見上げる暇がなかった。研究室の窓はいつもブラインドを下ろしていた。星の配置が変わっても、空の美しさは変わらない。
ここには母がいない。学会もない。締め切りもない。あるのは未知の病と、見たことのない薬草と、解くべき問題の山だ。
鑑定の技能を、試しに窓辺の石材に向けてみた。半透明の文字が浮かぶ。成分、結晶構造、生成年代。前世の分析機器よりも遥かに詳細なデータが、指一本で手に入る。
これがあれば、あの疫病の原因も突き止められる。治癒魔法が症状しか消せないなら、病因は魔法の外にある。つまり、科学の領域だ。
私は、口元が緩むのを止められなかった。三十年かけても手に入らなかった自由な研究環境が、異世界の密室交渉で転がり込んでくるとは思わなかった。回廊の先に、まだ見ぬ薬草と鉱物と、名前のない病が待っている。今度は誰にも邪魔させない。今度こそ、全力で楽しむ。




