第二話 違和感
翌日の朝、教室に入ると、いつもと変わらないざわめきが広がっていた。
窓際では女子が笑いながらスマホを見せ合っていて、後ろの席では男子がゲームの話で盛り上がっている。どこにでもある、普通の高校の朝だった。
俺は自分の席にカバンを置き、椅子に腰を下ろす。
その時、後ろから声がした。
「春人」
振り返ると、悠真がいた。
相変わらずの笑顔。
寝癖が少しだけ残っていて、制服のネクタイもゆるい。
「おはよう」
「おはよ」
悠真は俺の机の横に寄りかかるように立った。
「昨日の数学のテスト、返ってきたな」
「え?」
俺は少し驚く。
「もう?」
「朝のホームルームで配られた」
そう言って、悠真は自分の答案を机の上に置いた。
赤ペンで大きく書かれた数字。
63点
俺は思わず答案を見直した。
「……あれ?」
悠真は笑っている。
「やばいだろ」
「満点じゃなかったのか」
「夢だったわ」
そう言って、悠真は肩をすくめた。
「いやいや」
俺は思わず言った。
「昨日、98点って言ってただろ」
「あー」
悠真は軽く笑った。
「適当」
「適当って」
「なんとなく」
俺は少し言葉に詰まる。
「なんでそんな嘘つくんだよ」
すると悠真は、まるで大したことじゃないみたいに言った。
「別にいいじゃん」
「いや、まあ…」
確かに、困るわけではない。
嘘をつかれたところで、誰が損をするわけでもない。
けれど。
「なんか意味あるの?」
「ない」
悠真は即答した。
「ただ言っただけ」
その言い方が、妙に軽かった。
まるで、空気みたいに。
俺はなんとなく、それ以上言えなくなった。
ちょうどその時、担任が教室に入ってくる。
「はい、席つけー」
朝のホームルームが始まった。
悠真は自分の席へ戻る。
俺は前を向いたまま、ぼんやり考えていた。
さっきの会話。
別に怒るほどのことじゃない。
むしろ、どうでもいい話だ。
だけど、昨日の帰り道のことを思い出す。
満点。
98点。
そして63点。
嘘は確かに、よくあることだった。
悠真は昔からそういうところがあった。
例えば、
「昨日ゲーム10時間やった」
とか
「親父が宝くじ当てた」
とか
そういう、どうでもいい嘘。
笑って流せるようなものばかりだった。
だから俺も、あまり気にしたことはなかった。
ホームルームが終わる。
教室がまた騒がしくなる。
後ろから椅子を引く音がした。
「春人」
悠真だった。
「昼、購買行こうぜ」
「パンか?」
「腹減るだろ」
「まあな」
俺は振り向く。
悠真はもう、いつもの顔だった。
さっきの嘘なんて、なかったみたいに。
昼休み、俺たちは購買でパンを買い、屋上へ向かった。
この学校の屋上は、昼休みだけ開放されている。
風が強くて寒いが、人が少ないので俺たちはよくここで昼を食べていた。
「今日、英語当てられるらしいぞ」
悠真が言う。
「マジ?」
「うん」
「なんで知ってるんだ」
「先生が言ってた」
俺は少し眉をひそめた。
「いつ」
「朝」
「ホームルームの前」
「へえ」
俺はパンをかじる。
少しだけ、違和感があった。
でもそれが何なのか、はっきりしない。
「そういえばさ」
悠真が言う。
「昨日、駅前でさ」
「うん」
「有名人見た」
「誰」
「俳優」
「誰」
「えーっと…」
悠真は空を見ながら考える。
「名前忘れた」
「なんだよそれ」
俺は笑う。
悠真も笑う。
その瞬間、ふと思った。
悠真は、本当のことをどれくらい話しているんだろう。
いや、別に疑っているわけじゃない。
ただ、ほんの少しだけ。
胸の奥に、小さな引っかかりが残る。
それはまだ、形のないものだった。
ただの違和感。
でも、それは確かにそこにあった。
風が屋上を吹き抜ける。
悠真は空を見上げながら言った。
「今日さ」
「うん」
「放課後、バイトの面接あるんだ」
「そうなのか」
「駅前のカフェ」
「受かるといいな」
「余裕」
悠真は笑う。
「俺、人当たりいいし」
「確かに」
それは本当だった。
悠真は人に好かれる。
初対面でもすぐ打ち解ける。
だから、面接もきっと大丈夫だろう。
俺はそう思った。
その時はまだ。
その言葉が、嘘かもしれないなんて、考えもしなかった。




