最終話 それでも親友だった
冬の匂いが少しずつ街に混ざり始めていた。朝の空気は冷たく、吐く息が白くなる。通学路の木々はすっかり葉を落とし、歩道には乾いた落ち葉が風に転がっていた。
季節は少しだけ進んでいた。
あの日の放課後から、時間はゆっくり流れていた。
俺と悠真は、同じクラスのままだった。
席もそれほど遠くない。
会話も、まったくなくなったわけではない。
「おはよう」
「おう」
それくらいの言葉は普通に交わす。
でも、それ以上はほとんど話さなくなった。
前みたいに一緒に帰ることもない。
昼休みに屋上へ行くこともない。
どちらかが避けているわけではない。
ただ、自然にそうなった。
距離というものは、意外と静かにできていくものだった。
ある日の放課後。
教室には夕日が差し込んでいた。
冬の夕日は低く、赤い光が教室の奥まで伸びている。
俺はカバンを肩にかけ、教室を出ようとしていた。
その時だった。
「春人」
後ろから声がした。
振り向くと、悠真が立っていた。
久しぶりに、向こうから声をかけてきた。
「帰る?」
「うん」
悠真は少しだけ笑った。
「俺も」
それだけだった。
二人で教室を出る。
廊下を歩く。
階段を降りる。
その間、ほとんど会話はなかった。
昇降口で靴を履き替える。
校門を出る。
いつもの帰り道。
住宅街へ続く細い道。
空はすでに少し暗くなり始めていた。
しばらく歩いたあと、悠真がぽつりと言った。
「なんか久しぶりだな」
「何が」
「一緒に帰るの」
俺は少し考えてから答えた。
「そうかも」
それ以上は続かなかった。
風が吹き、電柱の影が揺れる。
やがて、あの分かれ道が見えてきた。
小学校の頃から、ずっとここで別れてきた道。
右に行けば悠真の家。
左に行けば俺の家。
俺たちはそこで立ち止まった。
悠真は少しだけ空を見上げた。
「なあ」
「ん?」
「この前さ」
悠真は言った。
「バイトの話」
俺は黙って聞いていた。
「嘘だった」
やっぱり、と思った。
でも驚きはなかった。
もうずっと前からわかっていた気がする。
悠真は続けた。
「別に意味なかったんだけどさ」
苦笑しながら言う。
「なんとなく言った」
その言葉を聞いて、俺は静かに息を吐いた。
「そうだろうな」
悠真は少しだけ目を細めた。
「怒ってる?」
「怒ってない」
それは本当だった。
もう怒りは残っていない。
悠真は少し考えてから言った。
「でもさ」
「うん」
「お前にだけは、ちょっとかっこよく見られたかったんだよ」
その言葉は、思っていたより静かだった。
俺は少し驚いた。
悠真は続けた。
「なんかさ」
「うん」
「春人って、ちゃんとしてるじゃん」
少し笑う。
「だからさ」
「何もしてない俺、ダサくね?」
夕方の空は暗くなり始めていた。
街灯が一つ、また一つと灯り始める。
俺は少し考えてから言った。
「俺さ」
「うん」
「別にすごい悠真が好きだったわけじゃない」
悠真は少し驚いた顔をした。
「そうなの?」
「うん」
俺は言った。
「どうでもいい嘘つく悠真でも」
「バカなこと言う悠真でも」
「普通に友達だった」
少し沈黙が流れる。
悠真は空を見上げた。
「そっか」
それだけ言った。
風が静かに吹く。
街はもうほとんど夜だった。
やがて悠真が言った。
「じゃあな」
俺はうなずく。
「またな」
悠真は右の道へ歩き出す。
その背中を見ながら、俺は思った。
昔ほど近くはない。
前みたいに毎日一緒にいることもない。
でも。
それでも。
たぶん俺たちは、完全に他人になるわけじゃない。
たとえ距離ができても。
たとえ時間が流れても。
きっとどこかで思い出す。
くだらない話をして笑っていた日々を。
嘘ばかりつく、どうしようもない親友のことを。
俺はゆっくり振り返り、左の道を歩き出した。
冬の夜の空気は冷たかった。
でも不思議と、胸の奥は静かだった。
嘘は消えない。
人も簡単には変わらない。
それでも。
あの時間は、本物だった。
そう思えたことだけは、確かだった。




