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3人の神様

作者: はまゆう
掲載日:2026/02/21

トルストイの民話「三人の隠遁者」をベースに、「無機質なユーモア」をブレンドしてみました。

もしも、理屈っぽいエリート司教が奇跡を目の当たりにしたら?

少しの皮肉と、不思議な後味をお楽しみください。

その島は、地図の上ではただの点にすぎなかった。

 タナカ司教という名の高名な宗教指導者は、最新鋭の豪華客船のデッキで、白く長い髭をなでながら満足げに頷いていた。彼はあらゆる経典を暗唱し、複雑な教義を数式のように美しく整理することに一生を捧げてきた男だった。

「お言葉ですが、タナカ司教。あんな岩礁に住む老人たちなど、放っておけばよろしいのでは?」

 若い秘書が、不満そうにタブレットを操作しながら言った。

「いや、そうはいかん。彼らは原始的な祈りを捧げているという。正しいマニュアルも持たずに神と交信しようとするのは、無免許で原子炉を運転するようなものだ。精神的な汚染が広がっては困る。危険極まりないのだよ」

 タナカ司教にとって、宗教とは高度に構造化されたシステムだった。適切な手続きを踏み、適切な言語を用いなければ、天の窓口は開かない。それが彼の信念だった。

 船が島に着くと、そこには三人の老人が立っていた。あまりに古びた服を着ているので、遠目には岩の一部が動いているのかと思ったほどだ。

 タナカ司教は威厳を保ちながら、ゆっくりとタラップを降りた。

「やあ、皆さん。私が来たからにはもう安心ですよ」

 老人の一人が、不思議そうに首を傾げた。

「はあ。安心とは、どういうことですかな?」

「あなた方の祈りが間違っているという意味です。聞けば、『三人の神様、私たち三人を救いたまえ』と唱えているそうですね。それはあまりに効率が悪く、非論理的だ。神のデータベースにそんな稚拙なクエリを投げても、エラーが返ってくるだけですよ」

 老人は三人で顔を見合わせた。

「はあ。私たちはただ、自分たちが三人で、あちらも三位一体と聞きましたので、数を合わせただけなのですが……。三人対三人、バランスが良いかと思いまして」

「それがダメなのです。神へのアクセスには、歴史と伝統に裏打ちされた正式なプロトコルがある」

 そこからタナカ司教の熱血指導が始まった。

「いいですか、まずは導入部。それから感謝のセクション、次に罪の告白。最後に要望を述べる。この『主の祈り』を完璧にマスターしなさい。さあ、復唱してください。リピート・アフター・ミー」

 老いた彼らの記憶回路は、ひどく錆びついていた。

「……天にまします、我らが父よ」

「てん、に、ま……。天にまします、我らが、ち、ちちよ?」

「違う! 噛まないでください。もう一度最初から。発音も重要です」

 太陽が沈み、月が昇る頃、ようやく三人の老人は完璧にその長文を暗唱できるようになった。タナカ司教は喉を枯らし、何度も修正を繰り返しながらも、大きな達成感を味わった。

「素晴らしい。これであなた方も、ようやく文明化された救済のリストに載ることができます。私の指導のおかげで、あなた方の魂はアップデートされたのです」

 タナカ司教は、疲れ果てた秘書を連れて船に戻った。船はゆっくりと島を離れ、深い夜の海へと滑り出した。

「ふう、やれやれ。教育とは忍耐ですな。未開の地に文明の灯をともすのは、常に我々エリートの義務だ」

 タナカ司教がキャビンで最高級のブランデーを口にしようとした、その時だった。

「司教! 窓の外を!」

 秘書が悲鳴のような声を上げた。

 タナカ司教が窓の外を見ると、暗い海面に白く光る航跡が見えた。何か、超高速のモーターボートのようなものが船を追いかけてくる。いや、ボートではない。

 三人の老人が、水面を猛烈な勢いで走ってくるのだ。

 彼らはまるで舗装された道路をジョギングでもするかのように、水の上をタタタッと蹴り、あっという間に船の舷側に並んだ。物理法則など、最初からこの世に存在しなかったかのような軽やかさだった。

 タナカ司教は慌てて窓を開けた。海風と共に、老人の一人の切実な声が飛び込んできた。

「タナカ司教様! お待ちください!」

「な、なんだ。水の上を走るとは何事だ。どんな最新式のフロートを履いているんだ!」

 老人は申し訳なさそうに、波立つ水の上で立ち止まった。波に揺られることもなく、ピタリと静止している。

「それが、大変なことになりまして。教えていただいた『正しい手順』ですが……三行目あたりから、三人の意見が食い違いましてな。ええと、たしか『日々のパン』の次が、『ジャムを添えて』だったか『ハムを挟んで』だったか……」

「……そんな不謹慎な言葉は一行も入っていない!」

「ああ、やはり。それでお聞きしたいのですが、その後の接続詞は何でしたかな? それを正確に思い出さないことには、神様に繋がらないと思いまして。接続に失敗したままでは、神様も困るでしょうから」

 タナカ司教は、手に持っていたグラスを床に落とした。高価なクリスタルが砕ける音がしたが、気にする余裕もなかった。

 彼は、水面に直立して首を傾げている老人たちを、ただ呆然と見つめた。彼らの足元では、海面がまるでコンクリートのように固く、安定しているように見えた。

「タナカ司教、早く教えて差し上げないと。彼ら、時速三十ノットくらいで追いかけてきたんですよ。このままでは燃料……いえ、体力が持ちません」

 秘書の言葉に、タナカ司教は深いため息をついた。自分の積み上げてきた神学体系が、目の前の超常現象によって音を立てて崩れていくのを感じた。

「……いや、もういいんだ」

「はい?」

「君たち。祈りの文句はすべて忘れていい。いや、むしろ今すぐ忘れてくれ」

「しかし、それでは救われないのでは? 正しいプロトコルが必要だと言われましたが」

 タナカ司教は、自分の胸にある金ピカの十字架を握りしめ、力なく笑った。

「救いが必要なのは、どうやら私の方だったらしい。あなた方は、そのままのスタイルで神様と『直通電話』を楽しんでください。……私のは、どうやら交換台で止まっていたどころか、最初から回線が繋がっていなかったようだ」

 老いた三人は顔を見合わせ、嬉しそうに頷いた。

「左様ですか。それは手間が省けました。やはり、いつもの方がしっくりきますな」

 三人の老人は、再び水面を蹴った。

「三人の神様、私たち三人を救いたまえ!」

 楽しげな合唱と共に、彼らは島の方角へと走り去っていった。

 闇の中、彼らが去った後の海面には、しばらくの間、白く光る文字のような航跡が残っていたが、それもすぐに夜の静寂の中に消えていった。

 タナカ司教はその夜、自分の書いた分厚い論文をすべて暖炉に投げ込んだ。

 その後、彼は世界でも有数の「沈黙の行者」として知られるようになったが、彼が何を祈っているのか、あるいは何も祈っていないのか、それを知る者は誰もいなかったという。

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