「価値がない」だとか。価値もない男に言われてもね。
女性の――特に高貴な身分と謳われる貴族令嬢の髪は重要視される事が多い。
長さや質、結い方、飾り方など。
容姿を整える上で髪の毛というのは切っても切り離せない関係となっていた。
斯く言う私も、髪の手入れには気を遣う人間だった。
婚約者オーギュスト・ド・メルセンヌが、男性の中でも特に女性の容姿を重要視する男だったから。
故に髪の長さや質にも拘り、彼の機嫌を損ねないように心掛けた。
しかしそもそもの性格の不一致もあり、私達の関係はお世辞にもいいものとは言い難かった。
私は同年代の女性に比べてはっきりとものを言ってしまう癖があったせいで淑やかさは足りていなかったように思うし、オーギュストは傲慢な性格ゆえに自分を立てる女性を好んだ。
だから彼は王立魔法学園に入学してからというもの、堂々と浮気をした。
彼の家は侯爵家で、私は伯爵家。
ついでに同性から見ても可愛らしい容姿と愛嬌を持っているマリリーズ・ド・サンテールも侯爵家。
立場の差からあまり強く言うことはできなかった。
それでも何度かやんわりと指摘をした事はあったが、やはり効果はなく。
オーギュストが激昂して煩くなるだけだった。
そんなある日。
私はマリリーズとその取り巻きに裏庭まで呼び出された。
けれど、そこには誰の姿もなく。
代わりにいたのは一匹の小型の魔物だった。
本来ならば優秀な魔術師による強力な結界が張られている為、魔物が迷い込む事など殆どない。
それにその魔物は大した脅威もない為、襲われたとして軽傷で済むような生物だ。
ただ、厄介だったのは――
「あら、クロエ様?」
くすくすという複数の笑い声と共に、マリリーズやその取り巻きが遅れてやって来る。
私は赤紫色の液体――魔物が吐いた体液を髪や制服から滴らせながら彼女達を見やる。
「あらあら、どうしたのかしら。そのお姿は」
「嫌だわ。まるでクロエ様の内面を表現したかのようなファッションセンスですわね」
マリリーズに便乗するように取り巻き達までもが声を上げる。
「というかちょっと……においません?」
私を見つめる目が細められる。
私が対峙した魔物は粘着質な体液を吐き出す魔物だった。
そしてその液体の色や臭いは、残念ながら落ちない事で有名だ。
それを知っているからこそ、彼女達は笑っているのだろう。
「可哀想。もしお望みならその髪、私達が切って――」
「いいえ」
マリリーズの言葉に私は長い息を吐く。
それから魔法で作った氷のナイフを片手に自分の髪を引っ掴み、斬り落とした。
「な……っ」
「それには及びません」
私は掴んでいた髪を離す。
髪束が散った。
この国に生まれた女性にとって、髪がどれだけ重要か。
それを知っているからこそ、自ら髪を落とした私を見て、マリリーズ達の顔が強張る。
そんな彼女達を冷たく見据えながら私は、自分の影に落ちていた魔物の死骸を掴み上げる。
「失礼。流石に少々気が立っているので、お引き取り頂けますか? ……これの報告にもいかなければなりませんし」
貴女達も私と同じ目に遭わせましょうか、と、もしくは――この魔物と同じ目に遭いますか、と。
そんな風にも取れるような動きを敢えてしてやれば、顔を蒼白とさせたマリリーズ達は悲鳴を上げて走り去っていった。
残された私は地面に散った自分の髪を見下ろして息を吐く。
「全く」
女性である以上、髪の長さを失った事への不安や焦燥はある。
「手入れ、大変だったのに」
そうぼやいてから私はさっさと講師を探そうと、校舎の方へと足を向ける。
その時だった。
遠目から私の方へ近づく者が一人。
彼は私が自分の方を向いた事に驚きを見せたが、すぐに歩む足を速めた。
「ご機嫌よう、エヴラール様」
ラングラン公爵家の嫡男、エヴラール様。
「何事だ」
どうやら偶然見かけたらしい彼は困惑を滲ませている。
私は大きく肩を竦めて答えた。
「魔物が入り込んでいたようです。既に処分済みですが、体液を浴びてしまったのであまり近づかない方がよろしいかと」
エヴラール様は私の説明と現場の様子で察しただろう。
険しい顔付きになった。
「何故魔物が学園内に」
「さぁ。どなたかのペットだったのでしょうか」
「小型の魔物を魔法で使役化する事自体は法で認められているが、学園へ連れ込む事は禁止されているはずだ。……怪我はないか?」
「ありません」
「そうか」
エヴラール様はそれから長い息を吐き、私に自身のジャケットを羽織らせた。
「な、エヴラール様……っ」
「学園内の危害を食い止めてくれた者を邪険にする者がどこにいると? どの道このまま帰宅するつもりだったのだろう。なら羽織って帰ればいい。周囲を汚しても敵わないだろうからな」
「……ありがとうございます」
それからエヴラール様は報告は自分が行うから後の事は任せて欲しいとして、魔物の死骸を私から受け取るとそのまま私を馬車まで送り届けた。
それから一週間経ち、漸く魔物の体液の臭いが気にならなくなる。
体液の色素が落ちない上に劣化し、駄目になった制服は捨てる事になったが、幸い代えはいくつかあった。
そして少々久しぶりに登校した学園で。
「クロエ・ド・カントルーブ! お前との婚約を破棄する!」
私は大勢の生徒が行き交う場でオーギュストにそう告げられる。
彼の隣には涙目になっているマリリーズ。
二人は腕を組み合って立っていた。
「お前は彼女の前で魔法を使い、脅したそうじゃないか。お前のような野蛮な悪女、俺の婚約者として相応しくはない! おまけに」
心底不愉快だとでも言うように彼は顔を歪め、私を指す。
彼が見ていたのは短く切られた私の髪だ。
「何だその容姿は! まるで男の真似事のような姿になるなど……ッ! 女性としての装いすら保てないような醜い女に価値はない! 迎え入れれば我が家の恥さらしになるに決まっている! よって、お前との婚約は破棄する!」
家計の事や未来の事を考えれば両親は少々困るかもしれない。
けれど地位も財力も上であるメルセンヌ侯爵家の者が言うのであれば、我がカントルーブ伯爵家は何も言い返すことが出来ないだろう。
「マリリーズ様を脅した、等という事実はございませんが……。婚約破棄に関しては受け入れましょう」
その後、オーギュストは私が白を切っているなどとさらに怒りを見せたが、私はそれを聞き流すことに徹するのだった。
それから半年が経った頃。
私は生徒会に推薦され、生徒会書記としての肩書きを得るようになった。
私を生徒会へ推薦したのは、生徒会会長のエヴラール様。
初め、彼は誰かが意図的に用意した魔物に襲われ、結果大切な髪を失い、挙句の果てには大衆の前で婚約破棄をされるという、傍から見れば不幸の連続でしかない私の身を案じて声を掛けてくれたようだった。
特に魔物の件に関しては、私の身を狙う者がいるのであれば程度が悪化する前に抑制するべきだという考えだったのだろう。
「俺が干渉しても不自然ではない関係があった方が互いに楽だろう」
「そもそも、あの程度の魔物であれば一人で倒せますし、何もエヴラール様が直々に対処する問題でもないでしょうが」
放課後の廊下を私たちは並んで歩く。
その間、エヴラール様が私と関わるようになったきっかけを私は聞いていた。
「まぁ最も、これは贔屓ではない。わかるだろう? 君の人望が元からあったというのは――周囲の生徒の顔を見れば」
エヴラール様に促され、私は周囲を見回す。
すれ違う女子生徒は私を見て息を呑んだり黄色い悲鳴をあげたりしている。
また男子生徒達の視線からは羨望を感じた。
「まぁ……」
……これでは気が付かない方が可笑しいというものだ。
悪女やら醜いやら様々な暴言をぶつけられた婚約破棄。
その後私はてっきり悪い噂が流れて学園で孤立するものだと思っていた。
しかし結果は……見ての通り。
「これでは俺が気に掛けるまでもなかったな」
「いや、これは本当に予想外ですね……」
「容姿に恵まれた女性は髪の長さなど関係はないという事だ」
「世辞だとしてもほめ過ぎです」
「……世辞のつもりはないのだがな」
エヴラール様はくつくつと笑う。
「もしかしたら、長年重要視されていた髪の長さなど、内面の評価に比べれば大した問題ではなかったのかもしれないな」
彼の紫の瞳がちらりと私へ向けられる。
「ところで、クロエ。俺は伯爵令嬢という立場でありながら魔物に立ち向かう果敢さや魔法の才があるのに気取らないところ……そして周囲の信頼を勝ち取るだけの思いやりに富んだ日々の姿。そういうところをとても気に入っているのだが」
「え? あ……ありがとうございます」
急な称賛に私は戸惑う。
僅かに熱を帯びる頬に気付きながら、私は目を逸らした。
「そこでなんだが、クロエ。俺と――」
エヴラール様が何か言いかけた、その時。
「クロエ!!」
彼の声を別の声が遮る。
飛んできた叫びに振り返れば、そこには怒りを滲ませたオーギュストの姿が。
怒りに肩を震わせて顔を真っ赤にする彼の傍には、やはりマリリーズがいる。
「オーギュスト様」
「お前は……ッ、どこまで俺達を愚弄すれば気が済むんだ!」
何か用かと問うよりも先に、オーギュストは声を荒げた。
「愚弄?」
「お前、マリリーズに対して悪評を流しているだろう!
「いえ、しておりませんが」
「嘘を吐くな! 結果として俺達は学園で白い目を向けられ、お前が贔屓されるようになっているではないか!」
私は深く息を吐く。
彼が言う悪評とは、私へ不当な暴言を浴びせた挙句一方的な婚約破棄を突き付けた事、またマリリーズが主張する嫌がらせというのは事実無根であり――寧ろ私が髪を切った事に関わりがある可能性が高いという事。
この辺りだろう。
私が髪を切った理由にマリリーズが関与しているのでは? という見解については、恐らく彼女の取り巻きをやめた一人が事実を噂に流し始めたのだと思う。
マリリーズの性格の悪さや傲慢さから、彼女と距離を置くようになった女子生徒の事を私は知っていたから。
「マリリーズ様……いい加減素直にお話しなさるか、せめて表で事を荒立てない方がよろしいかと思いますよ」
私があの件について告発しなかったのは、エヴラール様が自分に任せてくれと言ったからというのと……後は単純に私の前に証拠が揃っていなかったからだ。
けれど当時の味方から敵対する者が出たとなれば話は別。
きっと突けば彼女の悪事はいくらでも出てくるだろう。
そう思っての助言だった。
しかし……
「な……ッ、わ、私が何かしたとでも言いたいワケ――」
「いや、もう遅いだろうな」
カッとなったマリリーズの声をエヴラール様が遮った。
「君、半年前に従属化させた魔物を学園内に放ったな?」
「な……」
「どうやら足がつかないようにと裏ルートから手に入れた魔物だったようで、調査に少々時間はかかったが……最近ようやく、学園側の調査が終わったらしくてな」
突然顔を青くさせて震え上がるマリリーズ。
そしてそんな彼女を見て嘘だろうと掠れた声を出すオーギュスト。
そこへ――
「マリリーズ・ド・サンテール!」
一人の講師が駆け付けた。
「貴女を生徒達への傷害未遂として捕らえ、国へ通報させていただく!」
「そ、そんな!」
「嘘だろう、マリリーズ……!」
更に現れた数名の講師によってマリリーズはあっという間に連行されてしまう。
「違うわ! 何かの間違いよ! ねぇ、話を聞いて頂戴ッ!」
そんな彼女の叫びを信じる者など、もうどこにもいなかった。
「そ、そんな……マリリーズが、嘘を……?」
……あんなにも彼女に肩入れしていたオーギュストでさえ。
彼はその場に崩れ落ち、気が触れたようにぶつぶつと無意味な言葉を羅列し始めた。
きっと彼は、この先ずっと社交界で笑い者にされる事だろう。
散々他者へ「価値がない」等と言っていた男が、価値のない男として見られ続けるのだ。
しかしそんな事よりも私には気になる事があった。
つい先程まで穏やかな微笑みを浮かべていたエヴラール様。
そんな彼の顔が――怒りによって険しく歪められていたのだ。
騒動が落ち着き、少し休憩しようというエヴラール様の提案で私たちは庭園のベンチに腰を下ろした。
「お疲れ様」
「いえ、エヴラール様こそ」
「……全く、話の途中で邪魔が入るとは」
「そんなに大切なお話をするつもりだったのですか?」
「大切も大切だろう」
「一体どんなお話を?」
エヴラール様があんなにも怒りを顕わにするのだ。
きっと重要な話をしたかったのだろうと私は身構えた。
すると彼は突然ベンチから立ち、私の前に回り込んで――
「クロエ。俺と婚約してくれ」
その場に跪いた。
「……へっ!?」
「言っただろう。俺は君を気に入っていると」
「あ、あれは、後輩とか部下とか……友として、という事では……ッ」
「いいや、異性として、だ。……一人の女性として、俺は君に惹かれている」
「そ、そんな」
顔が真っ赤になっていくのを感じる。
「で、でも私、こんな見た目ですし。髪だって」
「そんなのは関係ない。髪の毛だって君が望まないならそのままでだって構わない。それでも俺は君を愛せるだろう」
「え、エヴラール様……」
私と彼では釣り合わない。
……そう思うけれど。
私だけを見つめる真剣な眼差しが、本当に嬉しいと思った。
「……よ、喜んで」
エヴラール様が太陽のように眩しい笑顔を浮かべる。
それにつられて笑ってから、私達は人知れずそっと、口づけを交わすのだった。
その後聞いた話では、マリリーズ様は何と極刑に処される事が決まったとか。
私への嫌がらせのつもりだったのだとは思うけれど、この学園には王族という尊き立場のお方も通っていた。
その方に危害が加えられていたかもしれないと考えれば、仕方のない話ではあった。
オーギュストは退学した。
どうやら私を不当に責め立て、大罪人を愛した彼は居場所を失った様だ。
これは社交界で聞いた話だけれど、その後彼は籍すら外され、家を追い出されたとか。
貴族社会に於いて信頼の失墜程恐ろしい者もない。
メルセンヌ侯爵夫妻は彼を家の面汚しと判断したのだろう。
さて、一方の私はと言うと。
「……クロエ。これは聊かおかしな状況ではないか?」
会議を終え、他のメンバーがいなくなった生徒会室。
その席に腰を掛けているエヴラールの後ろに回った私は、日頃紐で括られているやや長い彼の襟足を優しく梳いていた。
「そうかな? 私は好きだよ。貴方の髪に触れている時間が」
私の「好き」という言葉に彼は弱い。
耳の縁を赤くさせて何も言えなくなってしまった彼を見ながら私は笑みを漏らした。
「自然な形で貴方に触れることが出来るし」
「性別を考えれば立場的には不自然だろう。それに、こんな風にしなくたっていくらでも」
そう言いながらエヴラールが振り返る。
私の後頭部へ手を回した彼はそのまま唇を奪って言った。
照れ臭そうにはにかみながら彼が続ける。
「こうして触れることだってできるのに」
……彼のスキンシップは嬉しい。
心が満たされるのを感じた。
「これとそれとは別です」
けれど、私が髪に触れるのは何もそれだけが理由ではない。
エヴラールに再び前を向くよう促してから、私は彼の髪をリボンで丁寧にまとめた。
「愛する人に尽くしたいと思うのは……当然の事でしょう?」
「それは……違いない、が」
呆れるような溜息が前から聞こえる。
「……これだから君の女性人気は絶えないのだろうな」
微かに聞こえたそんな呟き。
その言葉の真意が分からず、私は小さく首をかしげるのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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それでは、またご縁がありましたらどこかで!




