霧都三重奏――刃と物語と歯車の果てに
この世界には、人の目に見える“異質な存在”がいる。
それは神話でも、空想でもない。
人の想いに触れ、時に人を守り、時に人を遠ざける――
**守護者**と呼ばれる存在だ。
彼らは人と同じ姿をしていながら、人ではない。
意思を持ち、感情を抱き、使命を背負って生きている。
だが、生まれた瞬間から強いわけではない。
迷い、怯え、悩みながら、自分の存在理由を探していく。
これは、
忘れられた物から生まれた、ひとりの守護者が
初めて世界と向き合い、
初めて誰かと並んで歩き出す物語。
戦うことだけが、守ることではない。
それでも――
守りたいと願った瞬間から、物語は始まる。
ロンドンの霧は、もはや視界を奪うだけのものではなかった。
それは意思を持つかのように渦巻き、戦場そのものを包み込み、三者の存在を等しく閉じ込めていた。
歯車が軋む音が鳴り響く。
「――排除対象、二名」
機械仕掛けの妖精の胸部で、時計仕掛けの心臓が一定のリズムを刻む。
「時間の均衡を乱す者を、ここで止めます」
「やれやれ……」
ソフィー=ドイルは小さく肩をすくめた。
宙に浮かぶ小説が再び開かれ、淡く光る妖精文字が紙面に浮かび上がる。
「まさか、守護機構まで相手にすることになるとはね」
「問答無用……!」
ベアトリス・アシュフォード・コスミンスキーは低く息を吐き、ナイフを逆手に構えた。
「邪魔をするなら、全部斬る……!」
――最初に動いたのは、機械仕掛けの妖精だった。
歯車が高速回転し、時間を刻む音が跳ね上がる。
次の瞬間、 機械仕掛けの妖精の姿がブレた。
いや、違う。
時間そのものが、加速している。
「《――物語は流れを拒む》」
ソフィーは即座に妖精文字を書き足す。
空間に描かれた文字が、時間の流れを歪め、加速を部分的に相殺した。
「……抵抗を確認」
機械仕掛けの妖精は感情のない声で告げ、今度は無数の歯車を空中に展開する。
それらは刃のように回転し、二人へと襲いかかった。
「ちっ!」
ベアトリスは地を蹴り、歯車の隙間を縫うように突進する。
接近――
狙うは、ソフィー。
「《――結末はまだ書かれていない》」
ソフィーの文字が光り、霧の中に虚像が生まれる。
刃は虚像を貫き、空を裂いた。
「紛らわしい……!」
ベアトリスは舌打ちし、背後から迫る歯車を蹴り飛ばす。
三つの力が、互いを削り合う。
刃は物語を裂こうとし、物語は時間を捻じ曲げ、時間はすべてを等しく終わらせようとする。
だが――
その均衡は、ふとした“揺らぎ”で崩れた。
「……っ」
ベアトリスの動きが、一瞬だけ鈍る。
霧の奥、彼女の脳裏に――
夢が、蘇った。
血の匂い。
石畳。
そして、闇の中で微笑む影。
『――私の無念を、晴らしてくれ』
「……ひいひいひい……おじいちゃん……」
ベアトリスの唇が震える。
その願いは、呪いだった。
生まれる前から刻まれた、復讐という名の物語。
「……そうだ」
ベアトリスは顔を上げ、ソフィーを睨み据える。
「あなたを殺す……それが、あの人の願い……!」
踏み込む。
これまでとは比べものにならない殺気。
「……」
ソフィーは逃げなかった。
ただ静かに、小説を閉じる。
「……君は」
穏やかな声。
「初代と、同じ道を歩いている」
「黙れ!!」
ナイフが振り下ろされる。
――その瞬間。
「やめて!!」
霧を裂いて、声が響いた。
「……!?」
ベアトリスの動きが止まる。
彩葉たちが、屋根の向こうから駆け込んできた。
息を切らし、必死の表情で。
「それは……違う」
前に出たのは、ユキだった。
真っ直ぐに、ベアトリスを見つめる。
「あなたの物語は、あなたのもの」
震えながらも、確かな声。
「誰かの願いに、言いなりになっちゃダメ」
「……私の……物語……?」
ベアトリスの瞳が揺れる。
「そう」
ユキは一歩、近づいた。
「復讐のためだけに生きるなんて……それ、あなたが選んだ道じゃない」
霧の中、時計の音が一拍、乱れた。
機械仕掛けの妖精は動きを止め、静かに状況を観測している。
「……」
ベアトリスの手から、力が抜ける。
ナイフが、かすかに震えた。
夢の中の声が、遠ざかっていく。
ロンドンの霧は、少しずつ――
ほんのわずかに、薄れ始めていた。
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