暗雲の下で咆哮は沈む
この世界には、人の目に見える“異質な存在”がいる。
それは神話でも、空想でもない。
人の想いに触れ、時に人を守り、時に人を遠ざける――
**守護者**と呼ばれる存在だ。
彼らは人と同じ姿をしていながら、人ではない。
意思を持ち、感情を抱き、使命を背負って生きている。
だが、生まれた瞬間から強いわけではない。
迷い、怯え、悩みながら、自分の存在理由を探していく。
これは、
忘れられた物から生まれた、ひとりの守護者が
初めて世界と向き合い、
初めて誰かと並んで歩き出す物語。
戦うことだけが、守ることではない。
それでも――
守りたいと願った瞬間から、物語は始まる。
イタリアの空に、ゆっくりと暗雲が集まり始めていた。
昼間の澄み切った蒼穹は、まるで嘘だったかのように色を失い、灰色の雲が静かに、しかし確実に広がっていく。
それは嵐の前触れではなく――戦いの終わりを告げるための幕のようでもあった。
「ここは……私一人で十分……」
アリーチェ・ディ・セル・レオナルド・ダ・ヴィンチは、振り返らずにそう告げた。
紫色の髪が風に揺れ、その背中には一切の迷いがなかった。
マンティコアの群れは、なおも空を埋め尽くしている。
獅子の体を持ち、人の顔で嗤い、毒を宿した尾を揺らす異形たちが、殺意を剥き出しにして旋回していた。
「グルルルルルルル……!」
最初に動いたのは、ボスマンティコアだった。
巨大な翼を一振りすると同時に、衝撃波が地面を抉る。
――だが。
アリーチェの姿は、すでにそこにはなかった。
紫の残光だけが空に線を引き、次の瞬間、マンティコアの首元に鋭い衝撃が走る。
空気を裂く音すら置き去りにする速度。
爪、牙、尾――そのすべてを、紙一重でかわし、反撃は正確無比だった。
「ギャァァァッ!!」
一体、また一体と、群れが撃ち落とされていく。
地面に叩きつけられる前に、アリーチェは確実に急所を断ち、再び空へと舞い上がった。
「無駄……」
彼女の声は静かだった。
怒りも、興奮もない。ただ“排除”という事実だけがそこにあった。
マンティコアたちは数で押し切ろうと、一斉に襲いかかる。
四方八方から迫る牙と毒針。
空間そのものが殺意で満たされていく。
だが、アリーチェは止まらない。
跳ぶ。
斬る。
叩き落とす。
紫の疾風が、夜の訪れとともに加速していく。
夕暮れが赤く空を染め、やがて闇が落ちる頃――それでも戦いは終わらなかった。
月明かりの下、マンティコアの咆哮は次第に悲鳴へと変わっていく。
夜の静寂を切り裂く音だけが、延々と続いた。
――そして。
「グ……グルル……」
残された数体が、傷だらけの体で空を漂っていた。
恐怖と本能が入り混じったその瞳は、もはや獲物を見るものではない。
「……終わり」
アリーチェが踏み込もうとした、その瞬間。
「とも!危ない!」
ワインの叫びが響く。
「!」
ともが振り返った時、すでに遅かった。
瀕死のマンティコアが、最後の力を振り絞り、毒尾を突き出していた。
「この距離じゃ……間に合わない!」
アリーチェが歯を食いしばる。
――その刹那。
「伏せてください!」
凛とした声が、空気を切り裂いた。
「!」
全員が反射的に身を低くする。
次の瞬間、残党のマンティコアたちは、動きを止め――
そのまま、石像へと変わった。
「……!」
静寂が訪れる。
「メデューサ!」
彩葉が声を上げた。
「良かった……間に合った」
メデューサは息を整えながら、そっと目を伏せる。
「流石です」
ステンノが微笑む。
「さすが、わたしたちの妹」
エウリュアレも誇らしげに頷いた。
月明かりに照らされた石像の残骸が、静かに崩れ落ちていく。
夜風が吹き抜け、戦いの痕跡だけがそこに残った。
「やっぱり……すごいのよね!」
ともが目を輝かせる。
アリーチェは小さく息を吐き、空を見上げた。
暗雲はすでに散り、星が瞬き始めている。
その背後から、落ち着いた声がかかった。
「……何があったの?」
振り向くと、そこにはビアンカ=ヒナギクの姿があった。
大きな石剣を背負い、戦場を静かに見渡している。
夜は深く、だが確かに――
イタリアの空に、再び静寂が戻りつつあった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
イタリアの空の下、ひとつの戦いが静かに終わり、そして新たな流れが動き始めています。
それぞれの力と選択が、これからどこへ向かうのか――
次回も、ぜひお楽しみください。




