狩猟と純潔の神と夜闇の怪物
この世界には、人の目に見える“異質な存在”がいる。
それは神話でも、空想でもない。
人の想いに触れ、時に人を守り、時に人を遠ざける――
**守護者**と呼ばれる存在だ。
彼らは人と同じ姿をしていながら、人ではない。
意思を持ち、感情を抱き、使命を背負って生きている。
だが、生まれた瞬間から強いわけではない。
迷い、怯え、悩みながら、自分の存在理由を探していく。
これは、
忘れられた物から生まれた、ひとりの守護者が
初めて世界と向き合い、
初めて誰かと並んで歩き出す物語。
戦うことだけが、守ることではない。
それでも――
守りたいと願った瞬間から、物語は始まる。
トルコの港町は、どこか時間が折り重なったような不思議な空気をまとっていた。
石畳の道、色褪せた建物の壁、遠くに見える尖塔と、行き交う人々の声。
そのすべてが、長い歴史を静かに語りかけてくる。
「……すごいね」
彩葉は思わず足を止め、町並みを見渡した。
太陽の光が白い壁に反射し、柔らかな陰影を落としている。
「まるで、物語の中を歩いているみたい」
「ほんと……」
マイも小さく頷く。
フェルルは建物の装飾をじっと見つめ、影は静かに空気を味わうように目を細めていた。
そのときだった。
――す、と。
人の流れとは違う方向に、ひとつの影が横切った。
弓矢を背負った、ひとりの少女。
フードを深く被り、顔はよく見えない。
しかし、その歩みには迷いがなく、周囲のざわめきから切り離されたような静けさがあった。
「……」
誰も声を上げられない中、アカンサスだけがぴくりと反応した。
「……今の人」
その言葉と同時に、彼女は地面を蹴った。
「アカンサス!?」
ラーレの声を置き去りにして、白髪の少女は一瞬で人混みを抜けていく。
「どうしたんだろう?」
彩葉が不安そうに呟く。
「行ってみよう」
村正の短い一言に、一同はそれぞれの答えを出し、走り出した。
町を抜け、石畳が土へと変わる。
やがて視界は緑に覆われ、木々の多い場所へと足を踏み入れた。
「……このあたり……」
アカンサスは立ち止まり、周囲を見回す。
「おい!どうしたんだ!」
ラーレが追いつき、肩で息をしながら叫ぶ。
「知ってる人でもいたのかな」
彩葉の問いに、アカンサスは答えない。
「はぁ、はぁ……早いよぉ……」
レナは膝に手をつき、息を整えていた。
そのとき、アビが小さく目を見開いた。
「……“神聖な力”を感じるなのです」
「神聖な力?」
花火が首をかしげる。
「はい……とても、澄んでいて……でも、強い」
李=芳乃が静かに頷いた。
「たしかに。なにか神聖なものが通ったような痕跡がある」
「なんと!」
栞は目を輝かせる。
「それが本当だとしたら、神かもしれぬの」
リリア=エジソンは目を丸くした。
「神!?」
「はわぁ〜……」
「でも」
フェルルが冷静に口を開く。
「神だとしたら、なんでこんな何もないところに……」
「……なにか探してる……とか?」
影の小さな呟きに、喰が腕を組む。
「どうだろうな」
「……っ!」
アカンサスが、はっと息を呑んだ。
「また行くのか!?」
ラーレの声も届かず、彼女は再び駆け出す。
森の奥へ。
木々の間を縫うように進み、空気が一段と澄んでいく。
「……こっちから……っ!」
アカンサスの声に導かれるように、一同も後を追った。
その瞬間――
雲の切れ間から、強い光が差し込んだ。
木漏れ日ではない。
まるで、そこだけが選ばれたかのような光。
「……!」
彩葉は思わず息を呑んだ。
その中心に、ひとつの影が立っている。
弓を携え、凛とした佇まい。
夜と森を思わせる気配を纏いながら、圧倒的な神性が周囲を満たしていた。
「やはり、あなたでしたか……」
澄んだ声が森に響く。
アカンサスは、ゆっくりと歩み出た。
「……」
ラーレはその場で固まった。
「ここは……! ……あの方は……」
彩葉は状況を掴めず、ただ息を潜める。
――(この気配……)
陽菜は無意識に身構えた。
(……相当、位の高い神……!)
アカンサスは、深く頭を下げた。
「お久しぶりですね」
そして、はっきりと名を呼ぶ。
「――アルテミスお姉様」
森が、静まり返った。
「――!」
ラーレは息を呑んだ。
目の前に立つ存在から放たれる圧倒的な神威。
森そのものが、その人物を中心に息を潜めている。
「……あの女性が」
村正が低く、しかしはっきりと告げた。
「オリュンポスの最高位十二神の一柱――
狩猟と純潔の神・アルテミス!」
その名を肯定するように、女性は柔らかく微笑んだ。
「そのとおりですよ」
アルテミスは視線を彩葉たちへ向ける。
「……おや?
アテナちゃんの匂いがありますね」
彩葉の胸が、どくりと鳴った。
「もしや、アテナちゃんが話していた方たちでしょうか?」
「は、はい!」
彩葉は慌てて一歩前に出る。
「アテナさんには……お祭りで……」
「あぁ」
アルテミスは頷いた。
「日本の人間と守護者の友好と、お祭りですね。
アテナちゃんが行っていたとおりです」
その声音は優しく、どこか姉のような温もりを含んでいた。
「アルテミスお姉様……」
アカンサスが一歩進み出る。
「どうして、こちらに……?」
その問いに、アルテミスは一瞬だけ視線を伏せた。
「……最近、この国で起きている事件を知っていますか?」
空気が、張り詰める。
「人が消え――
血だけが残る事件」
「あぁ」
ラーレは拳を握った。
「その事件なら、オレも追っている」
「はい」
アルテミスは静かに頷く。
「その犯人を探し、仕留めることを
主神ゼウス様が、私に命じたのです」
「……」
栞は背筋を正し、深く息を吸った。
「オリュンポスの最高位十二神の一柱である貴女様が
直々に動くとは……」
「えぇ」
アルテミスの瞳が、鋭く細められる。
「理由があります。
下手をすれば――」
一瞬、森の奥が軋んだ。
「神界にさえ、危険が及ぶ」
その言葉に、誰もが息を呑む。
「犯人って……」
アカンサスが問いかけた、その瞬間。
――それは起きた。
「がぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
森を引き裂くような、獣の咆哮。
「な、なに!?」
レナが悲鳴を上げる。
「近い!」
陽菜が即座に身構えた。
「――上だ!」
村正の叫び。
「っ!」
ラーレが旗を構えた瞬間、
闇が、降ってきた。
「グルルルルル……」
月明かりを遮る巨体。
重く、禍々しい影が木々の間から姿を現す。
「なに……こいつ……」
彩葉の喉が、ひくりと鳴った。
獣には、三つの異形が混ざり合っていた。
獰猛なライオンの頭。
背から生える山羊の頭。
そして、うねりながら威嚇する蛇の尾。
「……!」
栞は震える声で告げる。
「ライオンと山羊の頭に、蛇の尾……
これは、もしや……」
アルテミスが一歩前へ出た。
「はい」
その声は、狩人のそれだった。
「――キマイラです」
「がぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
キマイラの咆哮が夜闇を震わせ、
森の奥から、不吉な風が吹き荒れた。
アルテミスは弓を取り、静かに構える。
「これが……
私が仕留めるべき、夜闇の怪物」
その背に、月光が宿った。
狩猟神の戦いが、今――始まろうとしていた。
港町の静けさから、神話へと踏み込む回となりました。
アカンサスの違和感が導いた先で現れたのは、狩猟と純潔の神・アルテミス。
そして次回は夜闇に潜む怪物、キマイラとの対決です。
ここまで読んでくれてありがとうございます。次回もお楽しみに




