試練・アビ編
この世界には、人の目に見える“異質な存在”がいる。
それは神話でも、空想でもない。
人の想いに触れ、時に人を守り、時に人を遠ざける――
**守護者**と呼ばれる存在だ。
彼らは人と同じ姿をしていながら、人ではない。
意思を持ち、感情を抱き、使命を背負って生きている。
だが、生まれた瞬間から強いわけではない。
迷い、怯え、悩みながら、自分の存在理由を探していく。
これは、
忘れられた物から生まれた、ひとりの守護者が
初めて世界と向き合い、
初めて誰かと並んで歩き出す物語。
戦うことだけが、守ることではない。
それでも――
守りたいと願った瞬間から、物語は始まる。
結界の内側は、太宰府天満宮の境内でありながら、どこか別世界のようだった。
風は止まり、空は固定されたかのように澄み切っている。
時間が遮断された空間――試練のためだけに用意された舞台。
菅原道真公の御霊は、静かにアビの前へと歩み出た。
「それじゃあ、始めようか」
その声は優しく、それでいて神としての威厳をはらんでいた。
「アビは……アビは、何をすればいいのでしょうか?」
不安を隠しきれない声で、アビが問いかける。
「まずは、私と戦ってみてくれ」
御霊は袖の中に手を収め、穏やかに続けた。
「なに、ここでの疲れや傷は外には持ち出されない。問題ないさ」
「……わかった、なの」
アビは一度深く息を吸い、目を閉じる。
そして、ぱっと目を開いた瞬間、地面を蹴った。
「行くなの!」
小柄な体が風を切るように加速し、御霊へと迫る。
鋭い爪が閃き、空気を裂いた。
だが――
「ふむ……」
御霊は、まるで最初から動きを読んでいたかのように、半歩だけ横へずれる。
アビの攻撃は空を切り、虚しく地面に突き刺さった。
「……っ!?」
アビはすぐさま距離を取り、再び飛びかかる。
右、左、上空からの急降下――
連続する高速の攻撃。
しかし、どれも当たらない。
「攻撃が……当たらないなのです!」
「そうだね」
御霊は落ち着いた声で答える。
「君は素早い。攻撃力も申し分ない。だが――」
一瞬でアビの懐に入り、軽く額を指で弾いた。
「動きが極端だ。速さに頼りすぎている」
「……!」
アビは後方に跳び、体勢を立て直す。
心臓が早鐘のように打っていた。
「もう少し、目と頭を使ったほうがいい」
御霊はゆっくりと距離を詰めながら続ける。
「相手を見る。空間を見る。次に何が起きるかを考える」
そして、ふっと微笑んだ。
「……少し、手を貸してやろう」
その瞬間。
「……っ!」
アビの視界が、僅かに変わった。
御霊の動きが、先ほどよりもはっきりと“読める”。
風の流れ、足運び、重心の移動――
まるで時間が一拍、遅れて流れているかのようだった。
「どうだい?」
御霊の声が響く。
「もう少しは、戦えそうかい?」
アビは驚きながらも、ぎゅっと拳を握った。
「……はい!なのです!」
次の瞬間、アビは走り出した。
先ほどまでとは違う。
無闇に突っ込まず、御霊の足元、視線、間合いを見極める。
(ここ……なの!)
跳躍、旋回、フェイント。
爪が御霊の袖をかすめた。
「……!」
御霊の目が、わずかに見開かれる。
「いいねぇ」
その口元に、確かな笑みが浮かんだ。
「少しは良くなってるじゃないか。その感じを忘れるな」
御霊は一歩引き、構えを変える。
「次は、手を貸さないよ」
「はい!行くです!!」
アビは全身に力を込めた。
速さだけではない。
考え、感じ、判断する。
攻撃は一撃一撃が確実になり、無駄が消えていく。
御霊の反撃を読み、かわし、隙を突く。
やがて――
「ふむ……こんなところかな?」
御霊は戦いを止め、満足そうに頷いた。
「以前より、ずっとたくましくなっているね」
「……はい!」
アビは息を切らしながらも、満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうなのです!」
「ふふっ」
御霊は穏やかに笑った。
「他の仲間たちも、順調かな?」
――場所は変わる。
別の結界内。
そこでは、花火が腕を組み、楽しそうに空中を見上げていた。
「うんうん!それが君の能力か」
爆発音が響き、砕け散る光の残滓。
バスケットボールが炸裂し、地面に衝撃を残す。
「ボールを爆発させる……単純だけど、良い攻撃だね」
花火はにっこりと笑う。
「でもね、もうちょっと戦略を取り入れたほうが良いかな?」
「はぁ……はぁ……」
マミは膝に手をつき、荒い息を整えながら頷いた。
「はい……」
試練はまだ、始まったばかりだった。
三十七話「試練・アビ編」をお読みいただき、ありがとうございました。
今回の試練は、アビの「速さ」という長所と同時に、その未熟さに向き合う回でした。
ただ速く動くだけでは届かないものがあり、相手を見ること、空間を読むこと、考えて戦うこと――
その一歩先へ進むための時間です。
菅原道真公の御霊は、強さを誇示する存在ではなく、導くための神として描いています。
アビが自分の力を少しだけ“理解できた”ことが、この試練の何よりの成果でした。
そして、試練はまだ始まったばかり。
他の仲間たちも、それぞれの課題と向き合っています。
次は、誰が、どんな壁にぶつかるのか。
太宰府の結界の中で、守護者たちは確実に変わり始めています。
その変化を、もう少しだけ見守っていただけたら嬉しいです。
次話も、どうぞお楽しみに。




