封印の先で、ボールは空へ跳ねた
この世界には、人の目に見える“異質な存在”がいる。
それは神話でも、空想でもない。
人の想いに触れ、時に人を守り、時に人を遠ざける――
**守護者**と呼ばれる存在だ。
彼らは人と同じ姿をしていながら、人ではない。
意思を持ち、感情を抱き、使命を背負って生きている。
だが、生まれた瞬間から強いわけではない。
迷い、怯え、悩みながら、自分の存在理由を探していく。
これは、
忘れられた物から生まれた、ひとりの守護者が
初めて世界と向き合い、
初めて誰かと並んで歩き出す物語。
戦うことだけが、守ることではない。
それでも――
守りたいと願った瞬間から、物語は始まる。
夜空を裂くように、邪気が渦巻いていた。
祟面――人の憎悪が凝り固まり、意思を持った感情体。その存在は、空気そのものを重く歪ませ、呼吸をするだけで体力を奪っていく。
「クハハハハ!! どうした? もう限界か!!」
祟面の面が激しく振動し、幾重にも重なった声があたりに響く。
地面が砕け、衝撃が波のように広がった。
「っ……!」
彩葉は息を荒くしながら踏みとどまった。バッグのストラップが揺れ、体の奥に溜まった疲労が否応なく意識に浮かび上がる。
「まだ……いける……!」
「無理をするな、彩葉!」
陽菜が援護射撃を放ち、村正が前に出る。
「これほどの敵は久しぶりだな……ハハ」
「笑ってる場合なんですか!?」
レナの声には焦りが滲んでいた。
栞もまた息を整えながら周囲を見渡す。
「ふむ……攻防一体とはいえ、流石に消耗が見えてきたのじゃ」
その様子を一歩引いた位置から見つめ、百江は静かに状況を判断していた。
「……このままでは、こちら側の消耗が勝つわね」
「えぇ……」
山乃は唇を噛みしめる。
「アレは憎悪の塊。世界中の憎悪が消えない限り、完全には死にません。しかし……わたくしたちがここを離れれば、結界が……」
その言葉が終わるより早く――
「あ、あの!!」
控えめだが、確かな声が割り込んだ。
一同の視線が向けられた先にいたのは、バスケットボール模様のベレー帽をかぶった少女――マミだった。
「……私を、封印場所に連れて行ってください!」
「え!?」
百江が目を見開く。
「でも、それは……一人で行かせるわけには――」
「でも!」
マミは拳を強く握りしめた。
「私は……守りたいんです。この場所を」
震えながらも、その声には迷いがなかった。
「封印すれば……あいつは、消えるんですよね?」
山乃は一瞬、言葉を詰まらせたあと、静かに頷く。
「えぇ。祟面は、まだ封印と繋がっている状態のはずです……。百江の転移能力があれば、行けるでしょうが……」
「だったら、お願いします!」
マミは頭を下げた。
一拍の沈黙。
「……山乃?」
百江が問いかける。
「いいのです」
「百江……?」
「彼女の目は、決心のついた目です」
百江は微笑み、優しく言った。
「行かせてあげましょう」
「…………」
山乃は一瞬目を伏せ、やがて頷いた。
「……百江が言うなら」
懐から小さな白い石を取り出す。
「これが封白石です。洞窟奥の封印具の、くぼみに……」
「はい!」
マミはしっかりと受け取った。
「それじゃあ、行くわよ」
「行ってきます」
転移の光が二人を包む直前、
山乃と百江は、確かに微笑んでいた。
――その頃。
「クハハハハ! 貴様らの力はそんなものか!!」
祟面が嘲るように叫ぶ。
「疲れてきてるんじゃないか?」
「……」
陽菜は答えず、銃を構え直した。
「はぁ……はぁ……」
彩葉の肩が上下する。
「妾とて、無尽蔵ではないの」
栞の額にも汗が浮かんでいた。
その時。
「……ん?」
祟面が動きを止める。
「まて……あの娘はどこ行った!? さきほどまで、あの場所にいたはず……」
面の奥の視線が鋭くなる。
「……まさか!?」
「っ……!」
彩葉が気づいた瞬間――
祟面は空を蹴り、飛び去った。
「封印のある場所へ……!」
「追うわよ!」
だが、その先には――
洞窟の奥。
重く淀んだ邪気が、壁のように立ちはだかっていた。
「……すごい邪気……」
マミは足を止める。
「……進めない……」
それでも、ぎゅっと封白石を握りしめる。
「でも……進まなきゃ……」
背後から、確実に近づく気配。
「……急がないと……」
視界の先に、古びた封印具が見えた。
「……あった……!」
「させるかぁぁぁ!!」
咆哮とともに祟面が迫る。
「あっ……!?」
次の瞬間、マミの手から封白石が消えた。
「クハハハハ!!」
祟面の面に、白い石が挟まっている。
「残念だったな!! もう少しだったのに!!」
嘲笑が洞窟に響く。
「欲しいか? だったら――奪い返してみろ!!」
「…………」
マミは、静かに祟面を見上げた。
「……私に、奪い返してみろ……だって?」
「な、何だ? そうだ! やってみろ!!」
――次の瞬間。
「っ!? 速い!」
マミの動きは、風のようだった。
「……スティール」
「なっ!? いつの間に――」
マミの手に、封白石が戻っていた。
「そして――」
軽やかに跳躍する。
「シュート!!!」
空中で身体をひねり、
華麗に着地。
カチッ――
封白石が、正確にくぼみに収まった。
「なっ……貴様……何者だ……!」
祟面の声が震える。
「私?」
マミは静かに答えた。
「私は……ただの、バスケットボールの守護者だよ?」
「な、貴様ぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
光が溢れ、封印が発動する。
「……これで……封印された……よね……」
そう呟いた瞬間、
マミの身体は力を失い――
ゆっくりと、崩れ落ちた。
「……っ……」
意識が、ゆっくりと浮上していく。
「……あれ……?」
天井が見えた。木の梁、柔らかな灯り。鼻をくすぐるのは、土と木の匂い。
「ここは……?」
「起きました?」
穏やかな声が横から聞こえた。
「ここはハウスの中ですよ」
顔を向けると、そこには百江がいた。心配そうに、けれどどこか安堵した表情で。
「ハウ……ス……?」
数秒遅れて、記憶が一気に押し寄せる。
「……っ! 祟面は!?」
思わず身体を起こそうとして、百江にやさしく制される。
「大丈夫ですよ。祟面は……ちゃんと封印されていました」
「……」
その言葉を噛みしめるように、マミは目を伏せた。
「……よかった……」
胸の奥に溜まっていた緊張が、すうっと溶けていく。
そのとき――
「へぇ~! そうなんだぁ!」
聞き覚えのある明るい声がした。
「えぇ、そうなのよ」
知らないはずなのに、どこか懐かしい声。
「……?」
マミはゆっくりと視線を向け――
そして、息を呑んだ。
「…………ッ!? いっちゃん……?」
そこにいたのは、白髪の老婆だった。
深い皺に刻まれた優しい目元は、確かに――
「……えぇ、そうよ」
老婆は、少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「遅くなってごめんなさいね」
「……なんで……?」
声が震える。
「いっちゃんは……あの日の空爆で……」
「えぇ……」
老婆は静かに頷いた。
「あの日ね、防空壕から出たあと、すぐに山奥へ移ったの。あなたに会えずじまいで……」
視線を落とし、続ける。
「他の子達もね、ずっと会いたがってたわ……」
「……っ……!」
マミは堪えきれず、老婆に抱きついた。
「……っ……よかっ……生きてて……!」
嗚咽が言葉を崩す。
「……いっちゃん……!」
「……なぁに?」
背中をさする、細い手。
「私……!」
マミは必死に言葉を探した。
「私! 一緒に暮らす! 最後までっ……!」
その瞬間――
「いいのよ」
老婆は、やさしく、しかしはっきりと遮った。
「マミちゃんも……わかっているんでしょう?」
静かな声。
「私が……もう、長くないって……」
マミは何も言えなかった。
――気づいていた。
昔より遅い脈。小さくなった心音。
「だからね」
老婆は微笑む。
「あなたは、もう自由なのよ」
「……」
「お友達をたくさん作って、たくさん笑って……」
どこか遠くを見るように。
「あの頃みたいに」
「……うん……」
マミは、涙をこらえながら頷いた。
「……二人だけにしてあげましょ?」
百江が小さく言う。
「うん……」
彩葉も、そっと視線を逸らした。
しばらくして。
ハウスの外に、マミと老婆が並んで出てきた。
二人は寄り添いながら、ゆっくりと山を下りていく。
彩葉たちも、その後を静かに続いた。
やがて――
山のふもとで、別れの時が来た。
言葉は多くなかった。
けれど、十分だった。
老婆が去ったあと、風が吹き抜ける。
「……次の目的地?」
山乃が尋ねる。
「うん」
彩葉は少し考えてから答えた。
「自分探しの旅をしてるんだけど……どこに行けばいいのか、まだわからなくて」
「だったら」
百江が提案する。
「直島と静岡を経由して、広島の原爆ドームに行くといいわ」
「広島……」
「あそこも歴史があるし、自分探しにはいい場所よ」
「……うん」
寧々も小さく頷く。
「直島は……アートの島……自然も綺麗で……落ち着いた場所……」
少し考えながら。
「今までのこと……まとめるには……いい……かな……?」
「そうだね」
彩葉は微笑んだ。
「そうしよう。みんなはどう?」
「うん」
陽菜が頷く。
「直島の守護者には会ったことがないから、挨拶がてら行こう」
「そうだなぁ」
村正が腕を組む。
「島に入ったこともないし、広島の食べ物も美味いって聞く」
「オレも問題ないぜ」
喰が笑う。
「……うん……」
影も、小さく。
「異論はないのじゃ」
栞が言う。
「広島の歴史には、興味があるのじゃ」
「行ってみたーい!」
レナが手を挙げる。
「決まりのようですね」
山乃が微笑む。
「それでは、フェリーへ案内しますね」
港。
「それじゃ、さようなら! ありがとうございました!」
「えぇ」
山乃が頷く。
「また来てね」
百江が手を振る。
「広島には……怪異警官の本部があるから……」
寧々が控えめに。
「よかったら……」
「うん!」
彩葉は元気よく答えた。
そのとき――
「ま、待ってくださーい!」
「……?」
振り返ると、息を切らしたマミが立っていた。
「マミちゃん!? どうしたの?」
「私も……!」
マミは、はっきりと言った。
「連れて行ってください!」
「え!?」
「いいのですか?」
陽菜が尋ねる。
「はい!」
マミは笑った。
「街の皆さんに挨拶してたら、遅くなっちゃって……」
少し不安そうに。
「……ダメ……ですか?」
「そんなことないよ!」
彩葉はすぐに答えた。
「大歓迎だよ!」
「また、にぎやかになるな」
村正が苦笑する。
「……お友達……増えた……」
影が小さく呟く。
「そうだな!」
喰が頷く。
「私も大丈夫」
レナも笑う。
「みんな、いいそうだよ」
陽菜が言う。
「もちろん、僕も」
アナウンスが響く。
「――まもなく、フェリーが出発します」
「あっ……行こ!!」
彩葉はマミに手を差し出した。
「……はい!」
マミはその手を取り、フェリーへ駆け出す。
甲板から外を見ると――
街の人々が、手を振っていた。
彩葉たちも、手を振り返す。
やがて――
水平線の向こうに、次の目的地が姿を現す。
直島。
ボールは、もう地面には落ちない。
空へ、次の未来へ――
高く、跳ね上がっていた。
第二十七話では、祟面との決着だけでなく、マミという守護者が「過去」と向き合い、「これから」を選ぶまでの物語を描きました。
戦いの勝敗以上に大切だったのは、憎悪を封じることと、想いを手放すこと、その両方だったと思います。
失われた時間は戻りません。けれど、想いは形を変えて、次の一歩を支える力になります。
マミが選んだのは「守る場所に留まる」ことではなく、「歩き出す勇気」でした。
そして彩葉たちの旅も、ここからまた新しい景色へ向かいます。
直島、そして広島――
過去と向き合う場所で、彼女たちは何を見つけるのか。
次も、どうか見届けてください。




